何が何でも神社を邪教とし宗教改宗に話を持っていきたいかんご氏である。
上記の記事でもこう書いている。
引用しよう。
>その時調べて見て驚いたのは、それが「買春旅行だった」という事である。
要するに、女を買う旅行であった。
だから、東海道には、遊郭が乱立したのである。下にリンクしたブログでは、伊勢参りともに繁栄した遊郭の様子をこう書いている。
〜以上〜
まず確認しておきたいのだが東海道には遊郭が乱立とはどういう意味で書いたのか?である。
かんご氏は逃げ道を作って記事を書いている。ゆえに文言の意図をはっきりと確認しないとこちらが追及しても追及を「書いていない」と言ってかわされてしまうのだ。
それで東海道ってどうい意味なの?
宿場町を指して言っているの?
道指してを言っているの?
「東海道には、遊郭が乱立した」というのならば、遊郭は宿場町に存在したと考えるのが妥当である。
何故なら人が泊る所に人は集まり遊郭も人が多いところに出来るからである。
遊郭と神社の関係で興味深いブログを見つけた。
引用しよう。
ところで、なぜ「岡場所」が神社仏閣に隣接して発達したのか分からない。同じことを、司馬遼太郎も藤沢周平も悩んでいた。この二人が分からないのに、当方が分かる訳がないと諦めていた。それが今回は、少しだけ理解できる文章が見つかったので紹介したい。藤沢周平と枝川公一の合同著作「深川江戸散歩」を読んでいる。
藤沢周平にしては珍しい随筆風の作品と思う。
この48頁「夜ごとの明かり」の項に
−−以下抜粋−−
ところで岡場所ということですぐに気づくことは、深川に限らず、本所の弁天、回内院前、根津の山内、あるいは何々門前といったぐあいに、遊所が神社、仏閣のそばに、附属するもののように発違していることである。考えられる理由のひとつは、参詣人をあてこんで門前にひらかれた茶店が、自然発生的な経過をたどって、そこで働らく女たちを遊女とする、のちの水茶屋、料理茶屋に変化して行ったということであろう。−−中略−−元来日本の神々は、性をタブー視するキリスト教とは違い、陰陽の合一に五穀豊穣のイメージをかさねて見て来たわけで、岡揚所のにぎわいは神仏の心に障るところはひとつもないと言ってもいいだろう。−−抜粋終わり−−
とある。
遊郭は神社の隣でなぜ繁盛したより
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-678c.html
かんご氏の言うキリスト教を排除したからではなく「元来日本の神々は、性をタブー視するキリスト教とは違い、陰陽の合一に五穀豊穣のイメージをかさねて見て来たわけ」であるからである。
なんとおおらかな日本であろうか。
さらに東海道の遊郭についても下記のブログに載っていた。
引用しよう。
新通り
かつては、この通りからちょっと入ったところに「二丁町」の遊郭があった。ここは東海道中唯一の公認の遊郭であった
静岡から丸子、岡部、藤枝を経て島田までより
http://kaidou-aruki.com/isesangu-9.html
札之辻から安倍川までの間の新通りに東海道中唯一の遊郭があったのであってかんご氏の言う「東海道には、遊郭が乱立して」いなかったのである。
ちなみに東海道五十三次とはお江戸日本橋から滋賀・大津宿までを指す。
一事が万事事実を歪曲・ねつ造する癖があるようだ。調べもせず妄想で書く記事に何の信用があろうか。
信用ならないねつ造記事を読んで信奉するかんご派も同じ穴のムジナと考える。
それで乱立していたの?
どことどこの宿場?
こじつけもいい加減にしてもらいたい。
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勢いをなくしたかんご氏とはいえまだまだしぶといかんご氏である。
かんご氏=天の声疑惑も晴らさないまま記事を書き続けるのも「神との対話」によるものであろう。
神との対話などして自己満足の法悦に入るのもいいのだが誤った記事は書かないほしいものだ。