2012年07月14日

必見。「火の粉を払え」ブログのかんご氏コメント集。

先日7月11日に米本氏のブログ[火の粉を払え」で匿名ブログの在り方・考/統一柏教会長松橋正巳を糾弾す! の記事が載ったのはすでにご存じの諸兄も多いことであろう。
氏はかんご氏にも触れており
、「くろだかんご」氏のこんな主張も肯定的に紹介されるようになっていったことには、門外漢としても首を傾げざるを得ない。

「もし天皇が改宗するなら歴史は続くだろう。しかし改宗しないなら、日本民族の歴史はそこで終る。この民族は今滅びの際に立っている」。http://kurodakango.web.fc2.com/03.html

ヒェ〜ヒェ〜ヒェ〜

火の粉を払え
匿名ブログの在り方・考/統一柏教会長松橋正巳を糾弾す!
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-342.html

ホント ヒェ〜ヒェ〜ヒェ〜  である。

この記事に対してかんご氏がコメントを書いている。

>まず、明らかな間違いを指摘しておきます。
松橋正巳氏は、単に私のブログ記事の中の「郭グループ」に対する批判記事に共鳴したのであって、確かに『統一教会の真実』ブログは、推奨してくれましたが、ホームページ『民族のルーツを探す旅』を宣伝したりはしておりません。
また、おそらくは読んでもいないでしょう。
ゆえに
>「民族のルーツを探す旅」や「統一教会の真実」のブログ、さらには「くろだかんご」氏の主張に共鳴する教会員のブログまで紹介するようになっていった。 <
は間違いです。
現在もそうですが、郭グループに対抗する記事を書くのは、私や私の影響を受けている人以外には、いないから、彼は、そのブログを紹介したに過ぎない。
これは、彼の名誉と教会内での将来のために申しているのです。
あのような、正しい心を持った人材が、埋もれてしまうのは、良くない事ですから・・・。
ゆえに
>私にとっては、おざなりな謝罪だけでは済まされない。苦々しい気分が残ったまま。だから、「松橋を糾弾す!」なのだ<
は、かなり見当違いですので、訂正される事を望みます。
彼は「郭グループの撲滅」を望んだ。
それは、文鮮明師がそれを望んでおられたからです。
私もそれを望んでいたので、共鳴したのでした。
さらにいくつかの疑問と問題点について提示しておきましょう。
まず、『天皇家の新嘗祭(にいなめさい)』
ですが、これは現天皇の即位の際の神道儀式に100億円が使われたように、あきらかに「政教分離」を制定している憲法に違反しています。キリスト教界では弓削達氏などが、指摘しており、その論説は正しい。彼はおかげで、右翼に自宅に銃弾を打ち込まれました。
もちろん、私も400年続いた(らしい)キリスト教徒の子孫です。我が先祖は、いつ発覚するかという恐怖の中でも、信仰を立てましたし、その頑固なDNAは、私の腹の中に息づいている。
その私の個人情報ですが、私がかどこにも書いていないのに、さらされたという事は、どういう事なのでしょう?
どのような手段で入手されたのか?
おおよその見当はついていますが・・・ぜひ、公開していただきたいものです。
それには、小林社長はからんでいるのですか?
まだ、弁護士には相談しておりませんが、これは明らかに刑事訴訟が成り立つのではないでしょうか?
スパイウエアなどを使って、個人情報を奪取するのは、問題あるやり方です。さらに別のやり方でも問題あるはずです。
さて、その情報をあなたに与えた人物には心当たりがありますが、彼が理解できないのは、私ー黒田かんごが、とっくに生命など失う覚悟をしているという事です。
ゆえに「闇の勢力」だろうが何であろうが、恐れてはおりません。だが心が騒ぐ。
「死」はいずれ近いうちに訪れるでしょう。だが、それが何だというのか?
私の愛するイエス様は、弟子にさえ裏切られ、孤独に死なれました。また私が兄と慕う日蓮は、あれほどの苦難に耐えながら、死ぬときにその弟子は1000人に満たなかった。
今さら私が彼らを裏切れようか?
信仰を持たないあなたにこのような事を述べるのは、無意味なのかもしれませんが・・・
それから、あなたが毎日のように、私のブログを覗きに来ておられたのは、知っていましたが、こうした記事になってしまうのは残念です。
そして、持論の「匿名批判、批判」ですが、それは「ひろなおのグローブ」のように、個人攻撃だけを目的としたブログに対して、まず言うべきではないのですか?又、なぜ、あなたのブログでは「実名以外のコメントはお断り」としないのですか?
そうして、始めて、その主張も少しは意味あるものとなるでしょう。
自分で管理できるブログのコメント欄では、匿名批判は溢れているのに、他人に対して「実名批判しろ」などと言うのは、明らかに矛盾しているのではないでしょうか?
まず、自分のブログで、「批判は実名コメント以外は受付ません」と宣言すべきでしょう。そうすれば、誰一人、コメントしなくなるでしょう。当たり前です。
それで、結局はあなたもそれは、できないのです。[2012/07/12 14:28] URL | くろだかんご


対して米本氏は反論をしている。

くろだかんごさんに
 長文の投稿、ありがとうございました。

前文

はじめに申しておきますが、私は文3派対文4派のどちらの言い分が正しいかなどには、まるで興味がありません。
 ただ、日本の教会員が何十年間にわたって献金してきたのは、ひたすら文鮮明氏(お父様)のためであり、ヒョンジン氏やクッチン氏その他の文氏の子ども、文氏の親戚や側近、親戚・側近につらなる一族郎党、古参幹部、末端を含む宗教官僚の給料のためではありませんでした。
 この献金の過程で、教会員の大半が借金を重ね、少なからずの教会員は自己破産(結果としてその借金は国民が負担)しました。
 目を眩むような莫大な資産の分捕り合戦をやっている人たちは、このことを決して忘れるべきではないと考えています。

新嘗祭のこと 

「明らかに憲法違反」と書いてありますが、平成14年7月に最高裁は合憲の判断を下しています。
「民族のルーツを探す旅」
「柏教会長は、ホームページ『民族のルーツを探す旅』を宣伝したりはしておりません」
 直接宣伝していなくても、例えば「神様ありがとう」という「かんご信奉者」の教会員ブログも、柏教会長が柏教会HPで紹介していました。
 このブログは、かんごさんを絶賛、民族ルーツHPも絶賛しています。
黒田かんごさんを支持します。
http://ameblo.jp/rev-yo-suke/entry-11087074633.html
民族のルーツをさがす旅
http://ameblo.jp/rev-yo-suke/entry-11087248141.html
 こういう人のブログを紹介している柏教会長なのですから、「民族のルーツを探す旅」を宣伝しているのと変わりません。

訂正要求について

ブログ記事<私にとっては、おざなりな謝罪だけでは済まされない。苦々しい気分が残ったまま。だから、松橋を糾弾す!なのだ>に対して、「かなり見当違いですので、訂正される事を望みます」
 見当違いなのは、あなたのほうです。
 松橋教会長の匿名ブログ、柏教会のホームページを原因とするゴタゴタによって、拉致監禁の撲滅を意図した火の粉ブログがリンクから外されるようになった。<だから、松橋を糾弾す>なのです。
 私にとって「郭グループの撲滅」などまるで関係ないことです。

くろだかんご=石原

「その私の個人情報ですが、私がかどこにも書いていないのに、さらされたという事は、どういう事なのでしょう?どのような手段で入手されたのか?」
 ハンドルネーム「くろだかんご」の実名は石原氏。これが個人情報に相当することですか。だいじょうぶですか。
 誰から聞いたかなんて明かす必要はないけど、また妄想的邪推をされるとややこしくなるので、説明しておきます。統一さんが分派とみなしている人からです。
 あなたはその方と会ったとき、「石原」の名を自ら明かしましたよ。

刑事訴訟が成立?

 それなのに・・・。
 だいじょうぶですか。

ナルシズムの極致

 中段あたり。
「生命など失う覚悟」
「闇の勢力」
「『死』」はいずれ近いうちに訪れるでしょう。だが、それが何だというのか?」
「今さら私が彼ら(イエス、日蓮)を裏切れようか? 」
 妄想的自己陶酔にひたる人は、つくづく幸せだと思います。

間違い

「あなたが毎日のように、私のブログを覗きに来ておられたのは、知っていました」
 失礼ながら、あなたのブログを覗いたのは、もう1年前ぐらいのことになりますか、あなたがこのブログのコメント欄に投稿され、火の粉をリンクしたと書かれたとき、そして、今回、松橋教会長を批判するときに確認するためにブログとホームページを数回覗いただけですよ。
「毎日のように」?だいじょうぶですか。

匿名と実名 

私の「ブログ開設の目的」(左サイトの上)を読んでいないようですね。
 そこからの引用です。
<注>ところで、匿名者の火の粉を払うつもりはありません。
反統一教会の人たちは「正体を隠して勧誘している」と批判します。同感です。であれば、正体を明かして、私や私の記事を批判するというのが筋というものでしょう。
「正体を隠して勧誘する」のも「正体を隠して批判する」のも同じ穴。よって、さもしい「匿名火の粉」は無視するに限ると思うのです。
ただし、コメントはもちろん匿名でかまいません。批判的であれ、感想などいただけたら幸いです。反統一教会の人たちのコメントも大いに歓迎いたします。 
 私は「ブログ」と、サービス機能としてついているコメント欄は分けて考えています。
 本文の繰り返しになりますが、ブログ開設者が実名を明らかにせず、ブログ記事で、実名者を批判するのは、卑怯な行為だと言っているのです。
 なお、コメント欄の運用基準は以下を読んでくださいな。http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-221.html#more
 くろだかんごさんとそのお仲間は、匿名で文3派の諸氏を批判しています。
 それに対して、文3派の人たちは名前を明らかにして、文4派を批判しています。
 例えばhttp://ameblo.jp/gildong/
 ここの管理人は八王子教会の教会員です。山本忠彦という実名を明かして、現体制派を堂々と批判しています。(文3派の人たち?が個人メールで送ってくる)
 記事の中味はともかくフェアな印象を受けています。
 石原さんたちも実名で、文4派を批判されたらいかがですか。そのほうが説得力が増しますよ。
[2012/07/13 10:37] URL | 米本


さらに性懲りもなくかんご氏は反論のコメントを書いている。

妄想と真実とは
この名前くろだかんごは私に啓示的に与えられた公式の名前なので、全ての過程にこの名前を使わなければなりません。
==============−−
山本忠彦という実名を明かして、現体制派を堂々と批判しています。(文3派の人たち?が個人メールで送ってくる)
 記事の中味はともかくフェアな印象を受けています。<
gildong氏は、「なおひろのブログ」主さんが、山本名の転載記事を書くと、「訴えるぞ」と述べ、それを消すようにメールして来ていますが。
http://ameblo.jp/bokuburogu/entry-11291438176.html
このブログ記事のタイトルは、「主催者である山本忠彦氏の問題」というタイトルでしたが、本人が嫌がっているので、記事を消したそうです。
ちなみに私黒田かんごは、彼を「山本」名で呼んだ事はありません。この情報はおそらく本部スジから出たものです。
さらに、その他に実名で批判している人がいるのですか?
ゆえに
「山本忠彦という実名を明かして、現体制派を堂々と批判しています」は単なる事実誤認であると言えます。
自分で明かした訳ではなく、本部から出たものであり、本人は「訴える」などと送ってくるのですから、それを知らないで「潔い」などと言うのは馬鹿げていると思います。
>あなたのブログを覗いたのは、もう1年前ぐらいのことになります<
同じFC2なら、来訪したブログが表示されており、しばしば来るブログはもちろん知っています。しかし、その画像を取っている訳ではないので、あなたが否定されるなら、それはそれで結構です。
>私は「ブログ」と、サービス機能としてついているコメント欄は分けて考えています<
これはあなたが勝手に造ったルールでしょう。
普遍的なルールではなく、多くの人の承認を得ている訳ではないのではないでしょう。自分のブログだけに適用させるべきです。
また、例えば、小林氏の批判をした信徒の記事がありましたが、もしこの人が実名で所属を明かしていたとすれば、すぐに小林氏は、アベルを通して彼に働きかけるでしょう。
つまりは力関係があるからです。
世の中の力関係については、ご存知のはずですから、説明する必要はないはずです。
時には、黒いものも白いと言わせてしまう力関係が存在しており、それゆえに様々な事が歪められてしまうのです。
ジャーナリストの世界にもあるはずですが・・・・
>統一さんが分派とみなしている人からです。<
誰の事でしょうか?
会った時、名前を明かした・・・
それでいつ私がその人に会ったのです?
============
そして、あなたが直接それをその人物から、聞いたのですか?
============
M&m氏は「民族のルーツを探す旅」を紹介したりはしておりません。そのような文章がどこかにありましたか?
間接的に紹介と変わらないというのは、全て、私の好意的な記事コメントに当てはまる事になり、結局私を排斥したいと言う事なのでしょう。
============
最後に、宗教人が自己の啓示や観念に陶酔できなくて、どうして宗教人であると言えるのか?
十字架を背負ってあるいたイエス様も、ライオンの餌にされたローマ迫害時代の信徒達も、その深い祈りの中で、神様の御心を感得して、喜びを見出したからこそ、その苦しみを超えられたのです。
当然、脳の中にはエンドルフィンや何やらの脳内麻薬が分泌されていたでしょう。
法悦とは、そういうものです。
シャカが70歳を越えて、病をおして伝道の旅を続けたのは、その法悦を感じていたからです。
多くの天の側に立つ宗教人があらゆる苦難に乗り越えていけるのは、それが、人間に与えられた力の一つだからです。
ランナーが、ランナーズハイにならなければ、よい記録は出ないし、画家が自分の世界に没入して、ハイな状態にならなければ、よい作品は生まれないでしょう。
耽溺できる神様と自己の世界を造ることが、クリスチャンの務めであり、おそらくは現在、苦難の献金をしている統一教の人達の務めでもあるはずです。
米本さんにとって宗教のそういう姿は、「妄想的自己陶酔」として映るのかも知れません。信徒達は、献金させられている・・・・と。ライオンの餌にされたのはキリスト教なんかに入ったからだと・・・
だが、haruo氏が述べていたように、そうでは無いのです。
苦しい体験が、法悦を伴うという境地が存在しており、失明した鑑真も、殺害された山背大兄王も、あらゆる布告の中で、極悪人のように書かれ、迫害に耐えた行基菩薩も、・・
この宇宙の中心者の心に感応しながら、法悦の中で乗り越えて行ったのでした。
文先生がそうしたように。
もし彼が神様と共に生きていなかったとしたら、最初の試練で挫折したに違いない。
ところでそれが妄想かそれとも真実か?判断することが米本さんに可能ですか?
おそらく、神様の実在を信じてさえいない人達にとっては「神様の実在」を述べること自体が「妄想」なのでしょう。
だが、本当はその人が信じている別の何かの方が妄想だったりするのです。
[2012/07/13 13:27] URL | くろだかんご


感想としては

>この名前くろだかんごは私に啓示的に与えられた公式の名前なので、全ての過程にこの名前を使わなければなりません。
これって「それが妄想かそれとも真実か?判断することが」第三者からは無理なことだ。

ゆえに

なんとでも書けるのだ。

>全ての過程ににこの名前を使わなければなりません。
なんて書いているが
要は「別のHNは使いませんよ。私事、石原(くろだかんご氏)はくろだかんごと言うHNで他は使いませんよと言っているのだ。

だが…。

かんご氏=天の声氏である事が明白になりかつ、かんご氏自身が反論もしていない。

「使わなければばなりません。」
と言いつつ別の名前を使ってる事の矛盾はかんご氏にとってはどうでもいいことなのであろう。
一事が万事ブログに書く姿勢はこの態度なのだ。

>宗教人が自己の啓示や観念に陶酔できなくて、どうして宗教人であると言えるのか?
かんご氏は自分自身を宗教人と思っているのか?
誰もそうは思わないだろう。自称宗教人なのだろう。記事に宗教人の香りはしない。だた胡散臭さがするだけである。極一部のかんご派には宗教人と思われていて「法悦」を満たしてくれているのだろう。

>文先生がそうしたように。
それで文先生は「法悦」の中で乗り越えて行ったの?
どこで何時のみ言葉に書いてあるの?

文先生の口自ら「先生は法悦の中で乗り越えて行った」と言われたの?

余りいい加減な事は書かないでもらいたいものだ。前述したが一事が万事この通りなのだ。

>本当はその人が信じている別の何かの方が妄想だったりするのです。
これって自分(かんご氏)自身の事を書いているの?

かんご氏は文先生に関する内容さえ捏造しているのだ。

先生を出汁に使っているのだ。

つまり突き詰めれば文先生さえも見下しているのだ。

かんご氏にとって一番尊敬するに値するのは兄と勝手に思っている日蓮なのだろう。

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posted by 田黒吾寛 at 09:32| Comment(0) | 悪霊と怨霊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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