2012年08月01日

大前研一氏の原発事故論は卓見である

7月30日の毎日新聞「そこが聞きたい」に大前研一へのインタビュー記事が掲載された。

「原発の運営、一本化せよ」

◇事故分析については政府事故調の方が国会よりも優れているが、民間事故調も含めいずれも歴史に堪えられるものがないのは残念だ。

◇要因は何であっても、たとえば津波が来てもジャンボジェットが突っ込んでも、原発を冷やしつづけるべきだったのにできなかった ― という1点に尽きる。報告書にはこの根本的な視点が欠けていた。

◇人物から組織のあり方を考えるのではなく、あるべき組織論から、ふさわしい人物を見つけるのが本来の姿だ。

風雑な問題は単純化するといいが、大前氏の論点は極めて単純化されており分かりやすい。筆者はこのブログで「冷やす」ことができたか、できなかったのかに焦点を当てて論じてきた。首相官邸の動きなど関係ないからだ。

さて、大前氏のいう「歴史に堪えられる報告書」とは何か。筆者は外国人記者クラブ作成の報告書こそが、100年経っても「歴史に堪えられる報告書」になるものと考える。

北朝鮮による日本人拉致問題を考えていただきたい。北朝鮮は、横田めぐみさんは「死んだ」という報告書をつくった。この問題を解決するには「日本人や第三者に探させてくれ」と頼むしかないと筆者は考える。北朝鮮は変わりつつある。北朝鮮の軍事的脅威がなくなれば、4兆7千億円程の防衛費は大幅に削れるのであるから、「大金」をつぎ込んでもいいと筆者は考える。(「敵」が日本に上陸することを想定した戦車部隊、陸上自衛隊員は16万人を超える。日本は戦車を1000両以上保有しているが、日本のどこでどのように使うのか、甚だ疑問である。)

原発事故問題と北朝鮮の拉致問題の共通点は「責任者はだれか」という点である。であるから、当事者が責任者を特定することなどできないのである。当事者でない第3者が拉致被害者を探し出すように、外部の第3者が原発事故の原因調査に当たるべきであるが、国会の事故調が示したように「日本の文化的な特性」が事故の背景にあるのは事実であり、日本人による調査書が「歴史に堪えられる」ものにはなり得ない。

そこで、登場するのが外国人記者クラブである。政府、国会、民間の調査員にプレゼンテーションさせるとともに、菅直人前首相や大前研一氏などの識者をヒヤリングする。もちろん、筆者が行った福島第二原子力発電所での講演記録なども提供させていただく。この作業を数カ月かけて行えば、クリスマス前には世界が「そうだったのか」と納得できる事故調査報告書が作成できるものと筆者は確信する。

さて、最後になるが大前氏の言う「あるべき組織論」について触れておく。東京ディズニーランドというアメリカ型組織とオリエンタルランドという純日本的組織で「同時進行的に」働いた筆者は組織論について常に考えされたれる立場に置かれた。もちろん筆者一人ではないが、東京ディズニーランドという組織、オリエンタルランドという組織で、部下と上司を持ち言論活動を行っている人間はわずかである。

大前氏は「あるべき組織論から、ふさわしい人物を見つけるのが本来の姿だ。」と記しているが、筆者は「あるべき組織体制からは、ふさわしい人物が容易に輩出される」ということを経験上知っている。

それだけに、「あるべき組織論」に関しては、原発事故以前から論じてきたし、これからも論じていきたいのである。
posted by M.NAKAMURA at 13:01| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
意味の無いアクセスを1800送っておきました。
尚、このアクセスはほとんど読まれていませんのであしからず(大笑)
”アクセス数が多い”とか自慢しちゃダメですよ(大爆笑)
Posted by 木工家 at 2012年08月01日 14:00
かわいそうな克

アーメン
Posted by 聖書研究家 at 2012年08月01日 15:28
“バックフィット”がまるっきり抜けてますが?
Posted by 今福鶴見 at 2012年08月01日 16:39
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/284182177

この記事へのトラックバック