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| (28時間26分前に更新) | ||
「脱原発」を訴える市民デモは勢いを増すばかりだ。東京だけではない。全国各地に波状的に広がっている。
29日夜もキャンドルを手にした参加者が国会議事堂を取り囲んだ。短文投稿サイトのツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアを使った呼び掛けに呼応し、普通の生活者が前面に出てきているのが特徴である。
16日には作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた「さようなら原発10万人集会」が東京・代々木公園で開かれ、主催者発表で約17万人(警察は約7万5千人)が参加した。
毎週金曜日夜には、首相官邸前で脱原発デモが続いている。3月に始まったころは参加者は数百人といわれたが、野田佳彦首相が関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働を決めた6月を境に、デモの規模が急速にふくらんでいった。
首相官邸前でこれだけ大規模なデモが行われるのは1960年の「安保闘争」以来といっていいが、違いは明確だ。安保闘争は労組や学生らの組織が主体で、警察官と激しくぶつかり死者も出た。
これに対し、今度のデモは呼び掛け人らがテーマを脱原発に絞り、「非暴力直接行動」を掲げていることもあり、整然としている。組織に属さない子ども連れの母親や中高年の人たちが自主的に参加しているようだ。
もはやデモは一過性とみることはできない。深いところで地殻変動が起きていることを予感させるが、いったい何が起きているのか。
有権者は民主党のマニフェスト(政権公約)に期待を込め、政権交代を選択した。有権者は公約を実現してもらうために一票を投じ議員を選んだはずだ。だが、ふたを開けてみれば民主党政権は公約から離れていくばかり。
選挙の際に有権者に約束した政権公約はいまや総崩れ状態である。「代表制民主主義」が機能不全に陥っていることを意味し、有権者の失望と閉塞(へいそく)感は深い。
東京電力福島第1原発事故以来、政府への信頼は地に落ちた。政府は大飯原発の再稼働を安全性をなおざりしたまま見切り発車した。民意を反映していないのである。
MV22オスプレイの沖縄配備もそうだ。政府は専門家チームを米国に派遣して安全性を確認するというが、森本敏防衛相は、日米両政府とも10月の配備は変更しない、と明言している。「結論ありき」のアリバイづくりである。
脱原発は戦後日本のエネルギー政策の大転換である。「社会革命」といっても大げさではない。政党が民意を吸収し代弁する機能を失いかけている中で市民デモは、代表制民主主義の在り方を問い直す試みだともいえる。
日米安保体制の下で代表制民主主義は、沖縄に米軍専用施設の74%を押し付けてきた。普天間移設にせよ、オスプレイ配備にせよ、沖縄の民意が完全に無視されているという意味では沖縄において代表制民主主義は窒息している。
脱原発デモとオスプレイ配備問題は形骸化する代表制民主主義を鋭く問うている。