2012年07月31日

パトカー死亡事故と原発事故の関連性

また悲しいニュースが飛び込んできた。

パトカーと逃走車が衝突=28歳女性、巻き込まれ死亡−広島

<引用開始>
30日午後7時20分ごろ、広島市西区南観音の県道交差点で、パトカーが追跡中の普通乗用車が、県道を南進して来た別のパトカーと出合い頭に衝突した。弾みで交差点付近の歩道にいたパート中野由惟さん(28)=同市西区観音新町=に乗用車が衝突。中野さんは病院に搬送されたが、脳挫傷などで死亡した。
<引用終了>
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012073100059

筆者は、原発事故問題の真因はここにあると何回も指摘している。

第094回国会 エネルギー対策特別委員会 第7号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/094/1720/09405291720007c.html

<引用開始>
原子力資料情報室世話人高木仁三郎

スリーマイルアイランドの原子力発電所の事故のように、いまだに大きな事故が起こるという可能性は捨て切れないのであります。
 最後に、こういった安全性に対する物の見方といいますか、考え方について少し基本的なことを述べてみたいと思います。
 一つは、いまの安全対策というのが、多重な防御手段というような工学的な閉じ込め対策ということに傾き過ぎているというふうに思います。何重もの守りをすることによってかえってシステムが複雑になる、全体が複雑になって巨大になる。そのことによってかえって人間の操作性、あるいは人間との折り合いという面からいきますと、むずかしくなる面がございます、そういったようなものを具体的に示したのが、スリーマイルアイランドの事故だったというふうに思います。
 さらに、先ほど申しましたように、システムが巨大になりますと、実験によって危険性をなかなか確かめられなくなる。つまり、実証性がなくなるという問題が起こります。厳密に実証的に、原子炉のたとえばメルトダウン、炉心が溶融するというようなことについての防御を厳密に実験によって確かめようとすれば、そういった実規模の原子炉をつくって、何回もメルトダウンに近い状態を起こして対策を考えるしかないわけですけれども、もちろんそんな実験はなかなか現在では、この地上では永遠にできるところがないといってもいいと思います。そういったような実証性離れという問題が一つ深刻だと思います。
<引用終了>

原発事故は実験ができない。ゆえに効果的な訓練もできないのである。パトカーによる追跡も同じである。市街地での追跡訓練などできようがない。つまりぶっつけ本番であるからこのような事故が起きるのである。

それにしても警察の暴走振りは目に余る。手柄を得たいために追跡したのであろうが、市民が犠牲になる必要があったのであろうか。無いに決まっている。

原発事故もカーチェイスもハリウッド映画ではないのである。普通の市民を巻き込むことだけはやめていただきたい。そこがある意味原発問題の原点であるのかもしれない。
posted by M.NAKAMURA at 10:57| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
パトカー2台で挟み撃ちしようとして交差点暴進してるから被追跡車に一義的な非があり、警察が問われるのは追跡方法の妥当性について。
システムがまるっとブラックボックス化してるわけではなく、原発とは何の関係もないでしょ。
わざわざ不幸にも不慮の事故に捲き込まれた方を持ち出すのは、悪意の産物でしょうか?自分も何かに捲き込まれた事を言外に表明したいのでしょうか?人として最低未満の唾棄すべき行為であり、人間として他人との関わりが有れば出生ることない発想であり、宗教を軸に生きるのであれば先ず不慮の事故に遭われた方やその御家族を気遣う何かが表れるのが当たり前ではないでしょうか?貴方は人のフリをしたヒトではないただのアニマルです、貴方にあるのは知性ではなくただの悪知恵です、恥を知りなさい!
Posted by 今福鶴見 at 2012年07月31日 11:39
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