2012年07月31日

ハンセン病に関する厚生労働省の悪だくみ

ハンセン病支援策を協議=追悼と名誉回復の日に−厚労省

 国の隔離政策で差別を受けたハンセン病問題で、厚生労働省は「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」の22日、追悼式と対策協議会を都内で開き、支援策について話し合った。
 追悼式には約150人が出席し、冒頭で黙とう。小宮山洋子厚労相は「ハンセン病問題に全力で取り組むことを約束する」と話した。元患者の谺雄二全国原告団会長は「国立ハンセン病療養所は国家公務員の定数削減政策が直撃している。高齢化に伴い後遺症に苦しむ入所者は、日々、命の不安におびえている」と訴えた。(2012/06/22-19:36)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201206/2012062200907&rel=&g=

「国家公務員の定数削減政策が直撃している」とはどういう意味なのか。筆者には「療養所で働く職員を減らしている」としか受けとれない。それも厚生労働省が国家公務員の定数削減政策の「抵抗勢力」となり、見せしめ的に「狙い撃ち」しているとしか思えない。

筆者は近代における3大虐待を以下の順に捉えている。
@東京大空襲などで子ども老人も10万人以上を焼き殺したアメリカ軍の無差別虐殺と原爆投下
Aナチスドイツのホロコースト
B日本のハンセン病患者虐待政策
それほどひどいものである。

今日は、厚生労働省に悪だくみ、それは「ハンセン病患者虐待の実態隠し」であるが、特にひどいキリスト者の貢献隠しについて書く。

国立ハンセン病資料館の最初の展示室に画面がある、それは世界の三大宗教であるキリスト教、イスラム教、仏教がらい病患者を差別していたと受け取れる画面構成になっている。

マタイの福音書の8章には「ツァラアト」という病気の人がイエス・キリストに「きよくしてください」と言い、イエス・キリストが「きよめた」ことが記されていることから、日本の厚生労働省は、らい病は「きよめられるべきもの」、つまり、らい病をはじめから「きたないもの」のように印象づけているのである。

聖書には「救う」「癒す」「治す」「清める」「憐れむ」「あがなう」などの言葉が出てくるが、その意味は「神が望む自分、本当の自分にリセットされる」ことである。聖書全体の文脈から考えても、決してらい病を「きたないもの」とは捉えられないことは明白である。

さらに、である。「ツァラアト」という病気が、聖書が書かれた当時「らい病」と断定する根拠はないのである。

聖書の「らい病」について知る
<引用開始>
翻訳の問題
聖書の「らい病」はハンセン病ではない
 長く「らい病」と訳されてきた言葉は、旧約聖書では「ツァーラト」というヘブル語と、新約聖書では「レプラ」というギリシャ語です。これらが、皮膚の病を含んでいることから、ハンセン病と理解され、「らい病」と訳されてきたのですが、今日、「ツァーラト」と「レプラ」は、何の病であるか特定できていません。
<引用終了>
http://jhc.holy.jp/jhcod/wakai/06/1-1-0.php

厚生労働省は何が何でも「日本の隔離政策は間違いではなかった」と国民に印象づけようとしているのである。

もう一点の大問題を指摘しておきたい。それは、各国から来日したクリスチャンのらい病患者への献身的な貢献が「ほんの少し」しか展示されていないことである。

<引用開始>
M・H・コンウォール・リー
  草津のかあさま

M・H・コンウォール・リー女史〈Mary Helena Cornwall Legh〉 一八五七年(安政四年)五月二十日、英国に生れる。一九0七年(明治四十年)自給宣教師として来日。大正五年(一九一六年)より草津の湯之沢のハンセン病者のために献身的に働く。聖バルナバホームの創立者。昭和十六年(一九四一年)十二月十八日に逝去

<中略>

リー女史の熱心な伝道により、湯之澤におけるキリスト教信徒の数は、昭和五、六年ごろは約八〇〇名の病者中五〇〇名に達し、また、陪餐者は二五〇名以上もあった。そして逝去者の多いこの地で、同女史は臨終には必ずまくらもとで聖歌を歌い、お祈りをして励まし、息を引き取ると、遺体の湯潅(ゆかん)を自らすすんで行った。その数は三〇〇にも達した。同女史は多くの富をもっていたにもかかわらず、普段は時代遅れの帽子をかぶり、粗末な服装をし、日本のゴム靴をはいて、どこへも出かけて行った。冬はもっぱらゴム長を愛用していた女史が、「私は電灯の発明よりゴム長の発明をうれしく思います」と言ったというエピソードが伝わっている。
<引用終了>
http://homepage2.nifty.com/jmm/legh/legh1.html

多磨全生園には3つのキリスト教会が存在する。仏教系の施設も確認できる。それほど、ハンセン病と宗教の関係は深かったのである。

ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書
<引用開始>
また、キリスト教に関わる入所者が多いこともハンセン病療養所の大きな特徴である。会員の数は、1081 人で全体の31%となり、団体の数も29 にのぼる。これも、療養所外とはまったく異なる状況で、内訳は、カトリックが9.4%、聖公会が10.7%、プロテスタントが11.2%となっている。
そして新宗教系は、天理教、創価学会がともに12 園に会員を有しているが、会員の割合は、金光教の3 団体を加えて、8.4%である。

<中略>

多磨全生園では創価学会の信者が患者として入園し、やがて折伏により信者が増えていった例もある。どの園でも、外部信者からの折伏やもともと信者であったものが患者として入園し折伏を行なって組織を広げていったと言える。
しかし、療養所での折伏は、すでに入所者の多くがどこかの宗教団体に所属しているということもあり、苦情やトラブルも相当数あった。駿河療養所では60 年10 月、折伏の行き過ぎによる苦情を受けて、「迷惑をかける勧誘布教は慎む」「読経は迷惑にならない音声で」などの4 項目の約束を自治会と交わした。(『入所者三十年の歩み』駿河療養所)
<引用終了>
http://www.jlf.or.jp/work/pdf/houkoku/saisyu/13.pdf
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/hansen/kanren/dl/4d1.pdf

クリスチャンの献身的な社会奉仕はコンウォール・リーだけではない。ハンナ・リデルほか主に西洋諸国から派遣されたクリスチャンの活躍ぶりは称賛と感謝に値するものであるが、残念ながら国立ハンセン病資料館の展示では、その功績を実感することができない。まさに、世界のクリスチャンへの冒涜である。

この問題はいくら文章にして表しても解決するものではない。知行合一、明治維新を成し遂げた理論である「行動に移す」ことこそが問題を解決する。
多磨全生園の佐川自治会長も高齢である。自治会の力も弱まってきていると困られていた。

ハンセン病に関する厚生労働省に悪だくみを排除し、ハンセン病元患者が死に絶えた後も世界に通じる人間が虐待の実態を永遠に歴史に残すためにできることを行っていきたいと決意を再確認するものである。

差別を受け続けている私にとって、ハンセン病資料館に収められている村越化石直筆の「生きねばや 鳥とて雪を はらい立つ」という句でどれだけ救われたか。最後に元ハンセン病患者でクリスチャン詩人の塔和子氏の「胸の泉に」をお読みいただきたい。

胸の泉に
かかわらなければ
  この愛しさを知るすべはなかった
  この親しさは湧かなかった
  この大らかな依存の安らいは得られなかった
  この甘い思いや
  さびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
  子は親とかかわり
  親は子とかかわることによって
  恋も友情も
  かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
ああ
何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人
  私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない   「未知なる知者よ」より私の胸の泉に
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/241/

posted by M.NAKAMURA at 10:25| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
先ず御家族や御母堂と関わられては?誰も君を差別はしてないよ、区別してケジメをつけなよ?
Posted by 今福鶴見 at 2012年07月31日 11:07
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