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三木元首相の提案 拒否されていた8月1日 5時1分
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1975年に開かれた第1回サミットで、当時の三木総理大臣は首脳宣言について、「簡潔で格調高いものを出したい」と提案したものの、各国の首脳からは、「簡潔な文書なら会議を開く必要はない」などと拒否されていたことが外務省が公開した外交文書で分かりました。
第1回サミットは、第1次石油ショックで混乱した世界経済を協力して立て直そうと1975年11月に欧米と日本の6か国の首脳が参加してフランスのランブイエで開かれ、外務省は、このほど第1回サミットに関連する外交文書を公開しました。
それによりますと、事前に準備された三木総理大臣の発言要領に、「アジアから唯一の参加国」という表現が盛り込まれるなど、サミット参加への意気込みがうかがえます。
そして三木総理大臣は、会議の成果として発表する首脳宣言について、具体的な経済・金融政策を盛り込んだものとは別に、「政治的方向性を示すような簡潔で格調高い文書も示したい」と提案しました。
しかし、アメリカのフォード大統領は、2つの文書を発表することは「やりすぎだ」と述べたほか、イギリスのウィルソン首相は、「そのような簡潔な文書なら、会議を開く必要はなく、電話連絡で簡単に作成できる」と反対しました。
このサミットに記録係として参加した外務省の元課長で、外交評論家の岡本行夫氏は、「日本は、いよいよ世界の旦那衆の一員になったと興奮していて、何とか存在感を示したいと考えていた。しかし、金融・通貨危機やエネルギー問題などについて、書くべきことは書かなければならないというのが各国の主張で、結果的に長い宣言になった」と話しています。
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