くさ野神社
くさのじんじゃ 所在地 社名
























   【延喜式神名帳】くさ野神社 陸奥国 標葉郡鎮座

   【現社名】くさ野神社
   【住所】福島県双葉郡浪江町請戸東迎38
       北緯37度28分50秒、東経141度2分22秒
   【祭神】闇淤加美神 五十猛神 大屋津姫命 抓津姫命
   【例祭】8月6日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】養老元年(717)請戸小島に社を建てて奉齋
       保元(1156ー59)以後、標葉隆義がこの地を支配し奉齋
       元禄16年の社殿造営
       宝暦12年(1762)修理
       安永3年(1774)修理
       寛政2年(1790)修理
       享和元年(1801)葺替
       文化7年(1810)修理
       文政10年(1827)屋根替
       嘉永2年(1849)修理
       文久2年(1862)再建
       明治6年郷社
       大正13年県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初請戸小島に社を建てて奉齋し
        その後島が海没(暗礁として残つている)
        その後現在地に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「浮渡神祠」「貴布根大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造
       幣殿・拝殿・神饌殿・社務所

   【境内社】山祇神社・波切不動宮

現地では「くさ」を草かんむり+召 で表記している。
近世に於ては貴布根大明神と呼ばれていた。
本来の祭神は不詳である。
養老元年(717)に荒氏が請戸小島に社を建てて奉齋したのに始まり、その後島が海没したため、これを現在地に遷座した(この島は現在海中に暗礁として残つている)。


縁起伝説

この神社には興味ある縁起伝説がある。奥相志にはよくそれを示し3つの同じようなパターンの話を収めている。尚、伝説の古い形は、信仰に根ざしたものであり、社寺の縁起伝説は、これに相当する。
縁起1
ある昔、この浜に一艘の船が流れ着いた。船中に木彫りの神女が9柱いた。そこで怪しんだある者が、これに立ち向かわんとするが、新汐渡彦なる夫婦が、これを制止した。その夫婦に神が告げることには「私は、この様にして東国に止まった。私を信ずる者は、国家安全、武運長久云々である。また、海を鎮め船の難を救うから私を祭れ」ということであった。そこで教えの如くすると、この神を祈るや海は直ちに鎮まるのだった。しかし、年が経ち、はじめにこの神を祭った小島は海の没し、そのために現在の地に神を祭ることとなった。
縁起2(寺社来暦)
請戸の神は、天竺(インド)或は震旦王国(中国)の后である。もとこの夫婦は仲が悪く、后を空舟に乗せ海に流したところ請戸沖に流れ来た。村人の某氏がこれを見つけ怪しんで遠くへ放した。しかし、別の村人が釣りをしていたところ、その舟が寄ってきたため、それを岸に着けたところ女がいた。そのため養った後、これを祀った云々。
縁起3(標葉記)
昔、この大明神は新羅の国から請戸小島に現れた女神である。その時2人の某氏がこれを拝した。1人は何もしなかったが、他の1人は小島へ社を造って祭った云々。
これらの伝説は、海から流れ寄った特殊なものを祀るという「漂着信仰」に付随する典型的な伝説の型である。

http://www.newcs.futaba.fukushima.jp/02anba/2003/kusano.html



陸奥国INDEXへ        TOPページへ 1