現地では「くさ」を草かんむり+召 で表記している。 近世に於ては貴布根大明神と呼ばれていた。 本来の祭神は不詳である。 養老元年(717)に荒氏が請戸小島に社を建てて奉齋したのに始まり、その後島が海没したため、これを現在地に遷座した(この島は現在海中に暗礁として残つている)。 |
縁起伝説 この神社には興味ある縁起伝説がある。奥相志にはよくそれを示し3つの同じようなパターンの話を収めている。尚、伝説の古い形は、信仰に根ざしたものであり、社寺の縁起伝説は、これに相当する。 縁起1 ある昔、この浜に一艘の船が流れ着いた。船中に木彫りの神女が9柱いた。そこで怪しんだある者が、これに立ち向かわんとするが、新汐渡彦なる夫婦が、これを制止した。その夫婦に神が告げることには「私は、この様にして東国に止まった。私を信ずる者は、国家安全、武運長久云々である。また、海を鎮め船の難を救うから私を祭れ」ということであった。そこで教えの如くすると、この神を祈るや海は直ちに鎮まるのだった。しかし、年が経ち、はじめにこの神を祭った小島は海の没し、そのために現在の地に神を祭ることとなった。 縁起2(寺社来暦) 請戸の神は、天竺(インド)或は震旦王国(中国)の后である。もとこの夫婦は仲が悪く、后を空舟に乗せ海に流したところ請戸沖に流れ来た。村人の某氏がこれを見つけ怪しんで遠くへ放した。しかし、別の村人が釣りをしていたところ、その舟が寄ってきたため、それを岸に着けたところ女がいた。そのため養った後、これを祀った云々。 縁起3(標葉記) 昔、この大明神は新羅の国から請戸小島に現れた女神である。その時2人の某氏がこれを拝した。1人は何もしなかったが、他の1人は小島へ社を造って祭った云々。 これらの伝説は、海から流れ寄った特殊なものを祀るという「漂着信仰」に付随する典型的な伝説の型である。 http://www.newcs.futaba.fukushima.jp/02anba/2003/kusano.html |