都の姫の悲恋にまつわる物語りのほか、幾つかの説が伝えられているが、祭神についての伝説がすべて馬とかかわりをもっており、別称「奥之相善宮」として、馬体安全、相善信仰の神社になっている。 また、「片葉の芦」などの七不思議伝説がある。 |
由緒 延喜式国史所載 総社 国内神明帳所載 本社は延喜式名神大社、子眉嶺神社と称し、別名を奥之相善宮とよんでいる。 人皇第30代敏達天皇の御子を祀ったと伝えられ、大宝2年(今より約1300年前)よりおよそ、200年間仮宮を造り延喜7年の建立にして、延喜の朝には、名神大社として、案上官幣を賜り、中世には旧藩主仙台侯の氏神として、社領の寄進や社殿の再建修繕等を加えられたが、安永8年2月7日野火のため社殿を焼失した。寛政8年4月更に仙台侯によって、社殿再建の起工がなされ、文化3年竣成された。現在の御社殿は大正7年3月に幣殿付拝殿が造営されたものです。 奥州一百座の名神大社、宇多郡総鎮守社であります。 本社には七不思議として次のものがあります。 南天の桜 北斗の松 七葉の欄 八房の梅 片葉のよし 鏡 池 芽白の笹 九曜のかしわ 等境内に史跡を留める。何れも由来を語る名跡と言われています。 鏡池は本社の御神水として、太古より如何なる旱天にもその泉の枯る事なし、と云われている。 南天の桜は本社特有の物にして、南天の実の如く一ヶ所に咲くことによりこの名があります。 祭神 豊受比売之命 五穀豊穣の神で伊勢の外宮に祀られている。 都の姫の悲恋にまつわる伝説がある。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
子眉嶺神社 子眉嶺神社 (通称 奥之相善宮) 一.祭神 豊受之大神 一.御由緒 延喜式神名帳所載の奥州一百座名神大社「子眉嶺神社」で通祢「奥之相菩宮」と称し延喜7年(907年)に創建されたと伝えられている藩政時代には仙台候の氏神として社領の寄進社殿の再建修繕等を加えられたが安永8年2月(1779年)に野火のため社殿を焼失し寛政8年4月(1796年)になり駒ケ嶺城主の官内家によって再建の起工がなされ文化3年(1806年)に竣成された大正7年3月にば幣殿付拝殿が造営されている。祭神についてば都の姫の悲恋にまつわる伝説がある。本社には七不思議と称する銘所銘木があり何れも由来を語る。 一.御神徳 全国各地で行われる相善祀りは午馬の安全を祈願し本社の御祭神を祝う意味があり。五穀豊穣安産守護悪疫消除馬病平癒等の神として崇敬されている。 一.御祭礼 春李例祭 旧3月7日 秋季例祭 旧7月7日 社頭掲示板 |