サイキョーの泣き虫
幻想郷の人里の外れ、妖し達が集う屋台がある。名前は「喰いものや」
そこは毎晩笑い声に溢れ、普段は反りが合わない妖し達が触れ合うと言う。
これは、そんな屋台を営む男が織り成す不思議な物語である。
――東方御伽草子――
幻想郷にある名物屋台の店主である次郎は、夜明けと共に畑の世話をしていた。
茅ぶき屋根のこじんまりとした一軒家が次郎の住みかである。その庭一面に次郎の畑があった。
綺麗に耕され丁寧に作られた畑は、次郎の几帳面な性格を表しているようだ。
「ふぅ、腰が痛いな」
野良仕事着の次郎は、長時間腰を曲げていた辛さから、天を仰いで腰を叩いている。但し顔に笑みを浮かべながら、だ。
ひとしきり作業が終わり、次郎は畑の端にある石窯に火を入れた。
この窯は次郎が山から運んできた石を積み上げて作った、彼自慢の自家製石窯である。
彼が幻想郷にくる前には怠惰な生活をしていたと言う。そんな彼が何故にこんな立派な窯が作れたか? それは彼の能力の恩恵であった。
彼の能力、それは"くっつけたり離れたりする程度の能力"である。
この能力は次郎の視界にある物を、文字通りくっつけたり離れたりを任意にする事ができる。
くっつける――どんな物も溶接したかのように癒着、圧着、融合させる。
離れる――どんな物(自分の身体含む)も任意に切り離す。切断できる。自分自身を地面から離す、つまり浮く事も含まれる。
と言う訳で、かなり汎用性に溢れ、応用が効きやすいと言える。
対象が生物と考えたら、とても恐ろしい効果を発揮するだろう。ただ、次郎は今のところは生活の中でしか使ってはいない。
ある意味物騒な能力であるからこそ、八雲紫は次郎を縛ったのかもしれない。
閑話休題
窯に火を入れた次郎は、そのまま井戸で汗を流し、寝起きに仕込んでいたパン種の発酵を台所に確認しにいく。
「ん。頃合いだな」
発酵を確認した次郎は手早く成型し、焼き上がりを思ってニヤニヤしながら窯にむかうのだ。
しっかりと温度が上がった窯に次々と成型したパン種を並べ、鉄の蓋をする。
満足そうな次郎は、焼き上がりまでの時間を窯の前で過ごすらしい。とにかくこうして彼は毎朝パンを焼くのが日課なのだ。
次郎は丸太に腰掛け、やはり自作の煙草盆を引き寄せ、キセルに火を付ける。
この時間こそが次郎の至高の時なのである。
初夏の涼しげな風が次郎を吹き付け、鳥の声に耳を傾ける。自然と目を閉じ、ゆっくりとした時間の流れを噛み締める。
「――幸せだな、俺は。八雲に感謝だ」
誰とも無くそう呟いた次郎であったが――
「やぁ次郎、おはよう」
「次郎さん、ご相伴に与りに来たよ!」
そんな静寂を次郎は許されないらしい。
「おはよう、慧音、妹紅。このハイエナ共め」
「あっはっは、そう言うな。お前のパンが美味いのを恨め」
「そうだよ次郎さん、あなたが悪い!」
「けっ、惜きゃがれ。まぁ後少し待ちな。おい妹紅、締めた鳥は台所な?」
「ありがとな、次郎さん」
次郎の庭に入ってきたのは、人里の顔役で寺子屋の主人の上白沢慧音とその親友の藤原妹紅である。
慧音は次郎がこの家を借りる際に世話になり、妹紅は次郎の店の常連であり、たまに次郎が育ててる鶏を買っていく関係だった。妹紅の焼き鳥は絶品である。
「ううん……たまらないな、この香ばしい薫り」
「幸せになるね……」
恍惚と涎を垂らす二人の女性を生暖かく横目で見ながら、次郎は釜を開けた。
中からは黄金色に焼けたパンが現れた。
「ほら、焼けたぞ。一人二個までだからな!」
お預けを食らった犬の如く、食い入るようにパンを見つめる二人に、次郎はやれやれと言う表情で言い放った。
大小様々のパンは、だいたい二十ほどあるだろうか?それを次郎は次々と籠に入れていった。
「ねぇ次郎さん?四角いやつは無いの?」
妹紅が言う四角いやつとは所謂食パンである。次郎は毎日違うパンを焼くのだ。
「今日は無いな。この細身のがバゲット、太目がバタールだ。ほれっ!」
次郎は説明しながら二人の口に焼きたてパンをちぎって放り込んだ。
「むぐむぐ……」
「あむあむっ……」
リスのように頬を膨らませて一心不乱に咀嚼する姿が愛らしい。
「「う、うまい!」」
「だろっ?バゲットはかりかりに焦げたのが最高なんだ。――さて、朝飯作るから食ってけ」
「「次郎~愛してる~」」
「……はいはい」
調子の良い欠食児童を放置して、次郎は台所に消えていくのだった。
次郎の人里の住人との関わりは稀薄であれど、こうして彼を慕う人間は微々たるならがいるようだ。やはり妖しの類いであるのだけれども。
次郎は手早く身仕度し、焼き上げたパンでサンドイッチを作った。半分は三人の朝食として消え、また半分は彼の弁当に化けた。
彼は大きめの厚い布で出来た背負い鞄に荷物を詰めると、二人に別れを告げて魔法の森へと歩いていくのだった。
次郎は数日に一度、徒歩で行ける範囲にある野山に入る。それは畑では得られない山の恵みを手に入れるためである。
この季節は初夏であるから、山菜の類いは時期が悪い。そこで最近は店の常連である"胡散臭い魔法使い"の勧めもあり、魔法の森にてキノコを狩っている。
魔法の森は一年中キノコが生えている。但し、その大半は所謂毒キノコに分類され、中には爆発したり、身体に変化を及ぼしたり等とおよそキノコの範疇を越えた効果を発揮するものもある。
これらはまさに幻想郷たる由縁とも言えるが、幸い次郎はいい意味でかつての常識は捨て去っている為、特に慌てたりはしない。
胡散臭い魔法使い曰く、「色が薄めのキノコは食べれる」とのアドバイスを受けたが、残念ながら次郎はそれを信じたために一週間もの間、肌が緑色になるという快挙を成し遂げた。
以来、彼の新たな常識として、魔法使いのアドバイスは信じないと言うものが加えられた。まぁ、某人形使いや、某図書館の住人等はいい迷惑であろうが…。
何れにせよ次郎は自力での試行錯誤の末、外の世界で食べたような安全なキノコの選別は完了している。自身の犠牲を持ってであるが。
閑話休題
そんなわけで次郎は現在、新緑萌える森の木漏れ日を浴びながら歩いていた。
魔法の森は、まるで太古からそこにあったような厳かな佇まいでそこにあった。次郎が昔、図鑑で眺めたような景色がある。
その中を次郎は、気持ちよさそうに進んでいた。
今日、彼が求める獲物は、向こう側でいうエリンギに似たキノコで、歯応えのある美味なキノコだ。
それを縦に割いて細くしたものにパン粉で衣をつけて揚げたものが、現在次郎の屋台で一番人気の肴となっている。
残念な事にそのエリンギもどきは群生しておらず、次郎はあっちこっちと彷徨うようにそれを狩っていく。そんな手間も"おつ"であると感じるのが、彼の幻想郷での生活が満足のいくものであるのを示している。
そうしてキノコを狩りながら魔法の森を抜けて湖にたどり着く頃には、彼の背負い鞄はキノコでパンパンに膨らんでいた。
次郎はいつも森を抜けると、湖のほとりに腰掛け、対岸に見える場違いな紅色の館を眺めながら一服つけるのがお気に入りだった。
本日もご多分に漏れずそうしようと、やはりお気に入りの巨石の椅子を目指して歩いていたのだが、何故か今日は先客がいた。
次郎がふと立ち止まり眺めた先には、巨石の上で膝を抱える、水色の小さな妖精がいた。
「やぁ、こんにちは」
ひとまず次郎は挨拶してみる事にした。早く一服したいという本音もあるが、その妖精の佇まいに打ち拉がれた印象を受けたからである。
「……人間があたいの縄張りに何のようだ~…」
やはりなにやら覇気が感じられない。次郎の印象として、妖精とは悪戯好きで奔放な生物なはずだ。次郎は「ごめんよ」と一言断り、水色の妖精の横に腰掛けた。
「俺は次郎と言うんだ。君は名前はなんて言うんだい?」
「……あたいはチルノ。さいきょーの妖精さ…」
チルノと言う妖精は、膝を抱えて俯いたままそう言った。
次郎は「そうか」と呟き、弁当を開いてサンドイッチを頬張った。湖を吹き抜ける風が心地よい。
気が付くとチルノは、ちらちらと次郎を窺っていた。だが彼は敢えて気が付かないふりをして、自慢のサンドイッチを淡々と咀嚼していく。
「食べるか?」
「……いいの?」
「……いいさ」
次郎はチルノの顔ほどもあるサンドイッチを彼女に渡した。彼女は無言でそれを両手で抱え、小さな顎を一生懸命動かして食べた。
彼女は口いっぱいに頬張りながら、やがてポロポロと涙を流しはじめる。泣き声は必死で堪えながら。
「うまいか?」
「……まぁまぁね…っく…少しは…ひっ…おいしい……」
「そうか、嬉しいな。それは俺の手作りなんだ」
そしてまた、二人は無言でサンドイッチを頬張る作業に戻った。
「チルノは何故泣くんだ?」
「泣いてない…ぐしゅ…」
次郎はキセルに火を点け、紫煙をくゆらせた。立ち登る煙は、あっという間に湖に吸い込まれた。
「あたい、嫌われたんだ。大ちゃんも、リグルも、ミスティアも、ルーミアも、みんなあたいを嫌いになったんだ……」
ぐしぐしと鼻水を垂らしながらチルノは呟いた。
「そうか。どうしてそうなったか分かるのか?」
「……あたいが…あたいが我儘言ったから…ぐしゅ…だと…ぐえっ…思う」
次郎はキセルに葉をつめ直し、また火を点けた。
「お前は寂しいのか?」
こくこくとチルノは何度も頷き、ぼたぼたと涙が落ちた。
「なら簡単だ。魔法を使えばすぐ元通りだな」
「へっ?…まほー?」
「そうだ。さいきょーじゃなくても使える簡単な魔法だ」
次郎は初めてチルノに視線を向けた。
「知りたい!ジロー、あたい知りたい!」
「そっか、じゃあ特別に教えてやる」
チルノが次郎を見上げ、期待の籠もったような、縋るような目で見ている。
「それはな……」
「それは!?」
次郎はニヤリと笑った。
「ごめんなさい、だ」
「へ?」
「ごめんなさいと言えばいいんだ」
チルノは俯いて唇を噛んだ。
「……許してくれるかな?」
「怖いか?」
「……怖い」
「チルノはさいきょーなんだろ?」
「あたいはさいきょーさ…」
「なら、大丈夫だ」
「……頑張ってみる」
次郎は立ち上がり、帰り支度を始める。
「帰るのか?」
「ああ。またな、チルノ。頑張れよ、さいきょーの妖精」
次郎はふわりと浮き上がり、ゆっくりと進んで行く。そして森の上にさしかかる頃――
「ジロー!ありがとう!ジローはあたいの子分にしてあげる!またねジロー!バイバーイ!」
次郎はくすりと笑って森に消えた。チルノに笑顔が溢れた。
そんなある日の出来事だった。
登場人物
人里の顔役、慧音
焼鳥の名人、藤原妹紅
胡散臭い魔法使い
さいきょーの妖精チルノ
大ちゃんと言う名の妖精
リグルと言う名の蛍妖怪
ミスティアと言う名の夜雀
ルーミアと言う名の妖精