ある兎のはなし
ここは幻想郷と言う。
ここに住まう存在は、妖の類い、妖精、幻獣――つまりは我等人間が産まれ、人生を営み、そして朽ち果てる間に備わる常識から外れた存在である。
要は人間が娯楽として接する創作物――昔話、絵本、小説、映画などの所謂フィクションの世界に存在しうる者共が当たり前のように営みを形成しているのだ。
そして少なからず人間も含まれる。
この場所の管理者と言う存在は、やがて完全なるフィクションになる前に、全ての"現実に"存在している者達を箱庭に隔離したのだ。故に箱庭の外に住まう人間にはフィクションの中の創作物だとて、現実に存在しているのだ。
それが幻想郷なのである。
――東方御伽草子――
ここは幻想郷の中にある人間達の集落である。それなりに人が住み、それなりに栄えており、そしてそれなりに物語が生まれる場所である。
夕暮れの通りには様々な商店が立ち並び、道行く者達に威勢の良い声が飛び交う。あちらでは惣菜を、こちらでは野菜売りがダミ声を飛ばす。
辻売りの八つ目鰻の屋台には既に出来上がった酔っ払いがクダをまき散らし、場違いな西洋風な使用人服の女が冷やかな視線で通り過ぎていく。
ここには確かに営みが存在していた。ただ、それは人間に限らずと言う注釈がつくのであるが。
ひとつ間違いないのは、ここには調和があるという事であった。
さて、この人里の入り口付近の薄暗い場所に、少し中にある屋台とは趣の違う店があった。
店構えは屋台なのだが、周りに何もない場所にぽつんと建っている。
この人里を纏める立場でもあり、人格者である寺子屋を営む女性に言わせると、こんな危ない場所に出店など正気の沙汰ではないらしいが、無愛想で有名な店主は一向に聞きはしないのである。
その屋台の名前は「喰いものや」と言うなんのひねりもない暖簾を掲げ、半年前あたりからひょっこり現れた。
気が付いたらそこに在り、気が付いたら当たり前に馴染み、少なからず常連が付いている。
これはそんな不思議な屋台にまつわるおはなしである。
「だからさぁ、あたしだって頑張ってんのよ!ねぇ聞いてんの?無視すんなオヤジのくせに!悪いと思ったら……ひっく、賽銭いれに来なさいよ!……あ、おかわりちょーらい、ひひっ……」
「黙れ不良巫女……ツケ払ってからいいやがれ。……おらっ熱燗だ」
「んふ~おやっさん好き~ひっく」
「ちっ……調子いい奴め……忌々しい……俺はまだ二十代だ馬鹿野郎」
どうやら今夜の客は店主曰く不良巫女だけらしい。赤いリボンが麗しい巫女がへべれけになっていた。
テーブルに突っ伏したまま酒を呷る巫女姿の少女を眺め、店主の男は渋面にキセルを咥えていかにも迷惑そうに唸っている。
ただ、文句を言いながらも酒を出す辺りは説得力にかけるのだが。
「おっちゃん、なんか喰わせてくれよ!お、霊夢は出来上がってんな!」
「ちっ……またすかんぴんがきやがった。おらっ、飲め。そしてツケ払え」
「そういっても喰わせてくれるおっちゃんカッコいいぜ!愛してる」
「阿呆が。喰ったらこの不良巫女連れて帰れよ。胡散臭い魔法使い」
巫女に続いてとんがり帽子の白黒な少女が飛び込んできた。店主と軽口を交わす辺り、この娘も常連らしい。
こうしてこの屋台の夜は更け、それなりに人が入れ替わっていくのである。
最後の客が機嫌よく立ち去り、店主は屋台をたたむ準備を始めた。店主は伸びを一つしながら釣り銭箱を覗き、そして深いため息をついた。どうやら今夜も赤字らしい。
「……あの腐れ巫女」
ぽつりと悪態をついた店主は、釣り銭箱の中から一枚の紙を摘みあげて忌々しそうに丸めて捨てた。紙にはこう書いてある。
博麗神社と――
それでも一日の労働に心地よい満足感があるのか、店主は少しだけ微笑して片付けに戻るのだった。
「ふぅ……こんなもんか。さて、労働のご褒美っと……」
一通り片付けが終わった店主は、にんまりとしながら豆腐の炒ったものと熱燗を自分の為に用意し、遅い夕食を摂るようだ。
「今夜も月は綺麗だね~っとくらぁ……ん?また来たのか兎」
店主が座るテーブルから見える木陰には、外の高校生のような制服を着た兎の耳の少女が立っている。
「あ、あの、ごめんなさい、えっと、通りかかっただけで、その――」
「おい兎、腹減ってないか?」
あわてて支離滅裂な兎の少女に店主は声をかける。
「えっと、その、はいっ、減ってるかと聞かれたら減っていると答えますが、その、はい、いえ、ごめんなさい――」
「……こっちこい兎。寒いだろうからなんか温かいの作ってやる」
「あの、いえっ、だから、その――」
「……来い」
「ひゃいっ!」
わたわたと挙動不審な兎の少女に、店主の優しい一喝が止めを刺したらしい。兎の少女はおどおどと、そして素晴らしい速さでテーブルについた。
席についたものの、兎は銅像のようにお行儀よく固まったまま、愛らしい耳を垂らして俯いていた。店主はそれを横目で見ながら鍋を振っている。
とんっ
やがて兎の前に、食欲をそそる湯気がたち登る丼が置かれた。
「食べな。暖まるぞ」
店主を上目にちらりと見た兎は、すぐに慌てて視線を逸らす。ただ、小さく可愛らしい鼻はひくひくと、湯気に混じる美味しそうな香りに反応している。
丼には何かの腸詰めと、武骨に乱切りされた人参や芋の類いが煮込まれた汁が入っている。
「ポトフってんだ。暖まるから遠慮なくやりな?」
「は、はひっ、あ、ありがとうございます」
「いいから慌てないで食え。俺も夕飯食うからな。慌てないで食え」
「……はい」
「ん」
相変わらず顔は伏せたままだが、兎はやがて確りと頷き、そして食べはじめた。
幻想郷は今は春先である。だが、夜半はまだまだ冷えるのだ。兎が食し、ほう、と吐く息は少し白い。
店主はすっかり冷えた銚子の酒を手酌で飲みながら、彼の唯一の嗜好品であるキセルをふかす。因みに酒は嗜好品では無く、水であると言うのが彼の持論だ。
「……ご馳走様でした。えっと、美味しかったです。はい」
いつの間にか食べ終わった兎が、やはりちらちらと店主を盗み見るように見上げていた。
「お粗末様だ。あとこれ持ってけ」
ぽんっと兎の前に大きめの折り詰めが置かれた。
「へっ?」
「ああ、余った料理だ。お前、ちょいちょいこの辺来るだろ?薬担いでうろうろしてるもんな?だからさ、きっと家族もいるんだろうさ。遅くなった言い訳に土産持ってきな」
にやりと笑った店主はぶっきらぼうに言った。
「わ、わ、ありがとうございます!あ、でもお代が足りないかも、です…」
不安気な兎に店主は豪快に笑った。そして――
「今日は俺の奢りだよ兎。しょっちゅうウチの店に入りたそうに眺めてたお前さんが、漸く来てくれた記念だ。ありがとうな?来てくれて」
そういって不器用に片目をつむる店主に、兎は暫くぽかんと目を見開き、そして顔を真っ赤にして何度も頷いた。
兎は嬉しかった。
この見た目は冷淡にも見える少女は、その実ひどく臆病なのだ。
されど内気ながらも寂しがりやな性格から、他人と関わりたくとも自分から踏み出せない難儀な性質だ。
薬師を営む師匠の手伝いで時折人里にやってくる少女は、帰りしなに見かける屋台にいつも笑い声が絶えないのを知り、自分もあの輪に入れたらなと思っていたのだ。
だが、性格とは中々かわれない。
そして兎はいつも屋台を眺めては寂しそうに帰っていくのだ。
「あの……鈴仙です」
「んん?」
「えと、その、私の名前、鈴仙です。兎ですけど、鈴仙なんです」
少女は確りと、真っ赤な目を店主に向けた。
「そうかい、鈴仙。俺は次郎だ。宜しくな?どっかの腐れ巫女みたいにオヤジ呼ばわりは許さんぞ?」
そしてまた不器用に片目をつむる店主だった。
「……ふふっ、わかりましたジロさん。私も兎呼ばわりは許さん、です」
「あはは、お前さんも言うね? ま、次からは金とるからまた来てくれ。さっ、遅いから帰んな?」
二人で少し笑いあい、そして鈴仙は帰っていった。土産を胸に抱えて。
こうしてある日の屋台の一日は終わるのだった。
「おい、鈴仙!」
「はいっ!?」
歩きだした背中に店主の声が飛び、びくりと身体を揺らす鈴仙。
「必ずまた来いよ?」
「………はいっ!!」
笑顔が弾けた。
つづく
登場人物
次郎と言う名の店主
人格者の寺子屋の女性
霊夢と言う名の腐れ巫女
胡散臭い魔法使い
鈴仙と言う名の兎
