心のスキマは埋まりますか?
宵の口、人里の外れにある屋台では、無愛想な店主が黙々と仕込みをしていた。
ここは「喰いものや」―――妖し達が集う不思議な屋台である。
――東方御伽草子――
この喰いものやを営む店主である次郎は、人里の住人からは変り者と呼ばれている。というのもこの幻想郷と言う場所は、人間が圧倒的に弱者である。
次郎はそんな人間にとっては物騒で世知辛い土地で、好きこのんで妖し相手に店を開いているのだ。
寺子屋の女主人が次郎を「正気の沙汰ではない」と称したのも頷けると言うものだ。
次郎自身は一切の自己主張をしない上に、鳥や野菜類は自給自足し、僅かな足りない物を人里にて買う程度だ。必然的に人里とは疎遠になる。
次郎はただ、寡黙に仕込みをし、当たり前に店を開くのみであった。
淡々と。
すっかり日も落ち、人々が家路につく頃には、次郎の仕込みも佳境に辿り着いていた。その日使う肉の下拵え、作りおきの煮込み等、出来るだけこまめにそれは行われる。
何せ従業員はいないのだ。次郎が一人で全てを取り仕切らなければならない。故に仕込みで料理の手間を七割がた終わらせておくのである。
そして今日の仕込みも滞りなく終わらせ、次郎は一人満足気な溜息をついた。
「次郎様、もう開店してるのかしら?」
一段落して一服つけていた次郎に、闇の中から鈴の音のような声が響く。
「ふん、どうせタイミング見計らってたのだろうに。まぁ座んな、隙間の」
キセルをかん、と叩きつけ火種を飛ばすと、次郎は虚空を見た。
屋台の淡い灯りの向こう側にある暗闇に、更に深い漆黒が開き、無数の目玉が散らばった。その中から異国風の帽子をかぶった、少女の様でそれでいて全てを達観したような人形然とした美貌の女性が現れた。
八雲紫、隙間の妖怪と言われる幻想郷の管理人たる大妖怪であった。
「ふふっ、客に言う台詞では無くってよ?次郎様。そこが貴男らしくていいのだけれども。ではお任せでお願いするわ」
口元を扇子で隠しながら、少女たる姿に妖艶さを撒き散らし、八雲は席につくのだった。
次郎は伝法な口調ではあるが、それでも手早く肴を身繕い八雲の前に並べた。彼女の好きな濁り酒を添えて。
八雲はその細い喉をこく、こく、と鳴らし、冷えた濁り酒を嚥下していく。そして、ふうと一息つくと次郎に微笑した。
「おいし。ねぇ、この肴はなあに?」
「もやしを炒めて卵を絡めただけだ。お前さん、いつも疲れた顔をしてるからな。女が必要な栄養はもやしに沢山入ってるんだとよ。黙って食え」
目だけで微かに笑いながら、次郎は八雲に講釈を垂れた。
「あは、この幻想郷で私を女扱いするのは貴男だけよ?だって、歳だけは誰より上だもの。口の悪い吸血鬼に言わせると婆ですってよ?」
芝居掛かった口調で八雲はおどけると、少し"しな"を作って次郎を見た。
「女の年の話は御法度ってな。あんたは充分に女だよ。下らねぇこと言ってないで飲んで食え」
「あら、うれし。口説いてくださるのかしら?」
「……阿呆が」
鼻で笑った次郎がまた一品八雲の前に置く。今度は鶏肉を湯がいて薄く切り、山葵醤油を添えた物だ。
「大体な、八雲がくる日は決まって他の客がきやがらねぇ。お前さんが怖いらしい。だが、まともに金を払ってくれる客もまたお前さんくらいなもんだ。つまりは憎たらしい上客様を俺は逃がす訳にはいかんのだよ。忌々しい事にな」
ぷっとキセルを吹き、新しく葉を詰める次郎だったが、僅かに笑っている。彼もこのやり取りが万更でも無いようだ。
そんな次郎の無骨な優しさに、八雲はやはり扇子で顔を隠しながら"芝居掛かっていない"笑みを浮かべるのだった。
夜露が暖簾を濡らす。
十六夜の月が真上に浮かんでいる。
「……次郎、聞いてるの?もう、みんな私の苦労をわかってくれないの。でもね?でも、私はこの幻想郷がだ~いすきなのぉ。だから頑張るのぉ。こら次郎!聞いてるのかぁ!」
「あいあい、聞いてるよ。紫は大変だね。偉いね。うんうん」
「次郎!やい次郎!!あなただけよ……ちゃんと構ってくれるのは……ぐすっ…ぐすっ…むにゃ……」
「……泣きながら寝るなよ面倒くせぇ。やれやれ、風邪ひくぞ」
ひとしきり愚痴を垂れた八雲は酔い潰れ、突っ伏して寝てしまった。そんな彼女に次郎は悪態をつきながらも、自分が羽織っていた藍色の絞りの着流しを彼女の肩にかける。
猫の毛のようにしなやかな金色の髪をちらばせ、僅かに紅がひかれた薄い唇を半開きに眠る八雲。今の彼女には妖艶さも強かさも消え失せている。ただの疲れた少女でしかない。
そんな彼女の姿を眺められるのも役得かもしれないと思案する次郎だった。
「………眠ってしまったようね」
ふと目を覚ました八雲が呟いた。
「……そうだな」
「これ、次郎様の着流し。ふふっ、いい匂い」
「……阿呆が」
目は覚めたが瞳は少し虚ろな八雲が次郎の着流しを抱き締める。
「……なんで?」
「ん?」
「なんで優しくするの?貴男少しおかしいわ?」
「今度は絡み酒か?」
片方の眉を器用に上げながら次郎が溜息をつく。
「……貴男、恨み言ひとつ言わないじゃない!責めなさいよ!私を責めたらいいじゃない!この人さらいって!」
急に激昂した八雲が次郎の胸ぐらを掴む。次郎に唾を飛ばしながらいきり立った彼女は自分を責めろと慟哭する。
「責めてよ……責めて欲しくて通ってるのに」
やがて力なくへたりこんだ八雲。涙で汚した次郎の襟をつかんだまま。
「……責めて、どうにかなるのか?」
「だって!!」
「……黙れ。あれは事故だ。事故は不幸だが誰も悪くは無いんだ。ぐだぐだいつまでもガキみたいに自分を痛め付けるな」
「……だって」
妖しである八雲紫の力、『境界を操る程度の能力』はあらゆる境目を曖昧にし、自在に操ると言うものだ。
この幻想郷とは、博麗の巫女による大結界により外から隔絶されている。そして、八雲紫の境界を操る能力により中と外を行き来してバランスを保っているのである。
妖し、幻想の生き物、それらは全て人間がいてこそ存在しうるのだ。
人間が夢想し
人間が恐怖し
人間が営む。
光があるなら影が存在できる。人間が光ならば、その影が幻想なのだ。
だが人間は自然の理の序列では弱くとも、それを補って余りある知識と知恵がある。それは人間の生活を豊かにし、そして自然の理を歪にしてしまった。
最早人間に自然への潜在的な恐怖は皆無となり、ある意味互いに共存関係であった幻想の生き物は必要無くなった。
脆弱で一人で立つことも覚束ない生き物だった人間は、今や何一つ不自由無く立ち、空すら支配した。
全ての"くびき"から独立し、星の王者たる人間。ある意味それは妖しよりも化け物然としており、本来の化け物は役割を失った。
つまり幻想は真の意味で幻想となり、その産物たる妖しは役目を無くす。
後に待つのは滅びだ。
八雲はそれを是とせず、幻想郷を作った。
妖しを集め、古来からの自然を受け容れる人間を集め、小さな箱庭を作った。
それは一つの世界であり、森羅万象であった。
それは八雲紫の独り善がりたる産物かもしれない。
だが彼女は愛しているのだ。理解はされなくとも。
だから八雲紫は境界を操るのだ。忘れ去られようとしている外の存在を引き込むために。
ある日八雲紫は外の世界にいた。ある妖しを保護するために。そして、実際に引き込もうと隙間を開いたその刹那の話だ。
妖しが隙間に落ち、安堵した八雲紫が見たものは、驚愕に目を見開き隙間に消える人間の姿だった。
最早作業でしかない八雲紫の仕事は、それ故に油断していたかもしれない。
だが、嘆いても遅かった。予定の無かった人間の男は、間違いなく隙間に落ちたのだから。
慌てて追い掛けた八雲紫が見たものは、幻想郷の上空から落下して、ばらばらに飛び散るはずの惨状――ではなく、地面に叩きつけられる寸前に気絶したまま何らかの能力を発現させた男の姿だった。
男は気絶したまま地上約一メートルに"浮いて"いたのだ。
呆然とそれを見つめる八雲紫だったが、それはある事実を示していた。
それは、巻き込まれてここにいるこの不幸な男が、もう外の世界には帰れないと言う事柄である。
はからずも幻想郷の存在を知ってしまい、なおかつ、外の世界で幻想の産物でしかない超自然的な能力を発現してしまった男。
それ故に幻想郷の管理者たる八雲紫は、自らの責任と幻想郷の秩序の為に男を縛り付けた。男の意志がどうだろうと、だ。
だが、男は受け容れた。残酷で不条理な運命を。
搾りだすように苦々しく語る八雲紫を真っ直ぐ見つめ、一言も言葉を発しなかった男は、彼女がひとしきり語り終えた後にこう言ったのだ。
「宜しくたのむ」と。
そして、色々ありながらも今に至り、男は何となく幻想郷に溶け込み、八雲紫は罪悪感に苛まれていると言う訳だ。
「……俺は、お前さんを恨んじゃいないよ。俺は向こうじゃクズだった。惰性で生きて、霞みたいなもんだったよ」
ぽつり、ぽつりと次郎が語る。八雲はそれを無言で見上げる。
「だから、何も無かったんだよ。俺と言う存在は。……そうだな、確かに不幸過ぎる出来事だったのかもしれない。だが、俺は今こうしてだ、何となく幸せだと感じてる。だから、いいじゃねえかそれで」
次郎の独白を夢遊病のように見上げる八雲。縋るような視線。打算かも知れない、だが八雲は待っている。ある言葉を。
くしゃっ
その時次郎の節くれた手が八雲の髪を撫でた。
「……だから、許すよ。俺は八雲を許す。そして、新しい人生をくれたお前さんに感謝する。ありがとうな、八雲」
八雲の目が大きく見開かれた。待っていた。欲しかった言葉を次郎は発した。
「許す」と。
「あっ、ああっ、次郎」
縋る八雲。
「……阿呆が。もう看板だ。帰れ帰れ」
しっしっと手を払う次郎に、八雲は失礼ねと形の良い眉を八の字にする。そして小さく呟いた。
「ありがとう」と。
そんな八雲を尻目に黙々と片付ける次郎。それをにんまりしながら彼女は残りの酒を呷る。
そしてすっかり片付いた屋台を眺め、満足そうに次郎は頷いた。
「……まだ居たのか。とっとと帰れよ」
「ええ、帰るわ?」
すっかり正気を取り戻した八雲は、扇子で口元を隠して笑っていた。"芝居掛かった"笑みで。
「……お前、ちょっ、何企んでやがっ!!?おわああああああ!!!ちっくしょおおおぉぉ……」
次郎の足元に隙間が開き、彼は呪咀と悲鳴をあげながら消えていった。
「ふふっ、まだ飲み足りなくてよ次郎」
静寂
登場人物
次郎と言う名の店主
八雲紫と言う名の妖し
名も無き妖し