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皇室全般画像掲示板
三婆と美女
年がちがうわな。この三婆と同じ年頃の美智子ここに貼ったら一人だけ化け物だよww
今じゃ化け物。
皇室入りして五十年、何も積み上げたものがなかったら過去の容貌とテニスコートの恋にこだわるしかないんだろうね。
勢津子さまは人並みはずれて顔の大きい方ですね。三婆では喜久子さまが一番スタイルが良かった。
美智子さんはこの連中にイジメられたのか雅子は逆に他の皇族を馬鹿にして喜こんでいるとは
ほんとうにうっとりするほどおきれい。美智子様。
美智子さまがデブで鮫肌でガチャ歯だったらいじめられなかっただろうね。
自分たちのもってないものを全てもっている金持ちの平民娘が皇室にやってきて自分たちの上位についたら、貧困にあえぐ元皇族華族が嫉妬してもしかたないか。
美智子がイジメられなかったのは、昭和天皇の処刑とのバーターで、GHQの後押しで入内してきたから。世が世なら、下働きの下女にさえも雇って貰えない出自の女ww貴族の出の方達は、昭和天皇の命がかかっていなければ、誰が黙って美智子の遣りたいようにさせるはずもなかった!
左の3人は顔が似てる。親戚なんでしょうね。
お三方とも綺麗ですよ。お家が良さそうって感じ。美智子さんは新人の大部屋女優あたり。
新進スタアのあまりの人気に古株女優が嫉妬?
雑魚は相手にしませんよ。
皇族と芸人、そもそも土俵が違うわな。
うんうん。
イジメの実例としてよく持ち出される、香淳皇后の見送り時美智子スルー事件、あれと同じことを両陛下はやってます。・村井(傅育官、侍従)は付け加えた。「殿下はヒガさんには冷たいんだよ。今でも(取材日時1985年12月16日)すっと前をお通りになる。声をかけられないどころか、視線を外されることが多い。ヒガさんは堪えておられる。お気の毒でねえ」(美智子さまの恋文p121)・旧奉仕者の集まりでお二人が東園の前をそっけなく通り過ぎるなど、村井が描写した風景を裏付ける事情を知って、キリスト教事件の底知れぬ傷痕を垣間見た思いであった。(p122)周囲の人が見ていて、「お気の毒でねえ」というようなあからさまな仕打ち。ヒガさんというのは東園基文氏、今上、常陸宮の傅育官、乱暴男児騒動で会見した東園基政学習院の常務理事の父。美智子さんが昭和天皇から叱責されたことを何十年も赦さず、人前で無視する屈辱を与えるのが両陛下。
無視し続けてたのに、愛子さんが学習院幼稚園入園の年には突如手のひら返し。平成18年(愛子学習院幼稚園入園の年)正月には東園の加齢を案じて、皇后から彼の私邸に皇居で採れた七草を入れた七草粥が届いている。この年の夏、嚥下力をいちじるしく失った東園の介護のため、家族は入院の措置をとった。(p125)
陛下はわりと根に持つタイプかも。橋本明氏もマスゴミに内輪話をリークした件で何年も無視されたとか。
敵味方発言by皇太子明仁親王@美智子さまの恋文「私はね、明仁親王に詰問されたの。鈴木菊男東宮大夫が同席する部屋で、夕刻六時ごろから深夜十二時半まで、指弾は続いた」(略)「私には弁明しなければならないような問題はなかった。しかし、東宮さまは、東園は高松宮妃や秩父宮妃と近しい。したがってアチラの側の人間である。東園は私どもの敵である。そういうロジックで追ってこられた」東園は抗弁に努めたという。「ヒガ、ヒガ」と慕っていた人を結婚早々糾弾。美智子さんに洗脳されるとこうなるんでしょうね。
「美智子さまの恋文」ってご学友である橋本明氏の著書だよね。ご学友なのによくこういう本が書けるなあ、、友人であることより出版することの方が大切なのかな。
>ご学友なのによくこういう本が書けるなあ、読んだことありますか?普通に美智子さんの賞賛本ですよ。
ご学友が陛下を下げて書いてる? 未だに仲直りしてないとか。。
>ご学友が陛下を下げて書いてる?立派な恋文を書く美智子さん賞賛本の中に多少事実を盛り込んだだけですね。事実が陛下下げになるんですか?>未だに仲直りしてないとか。。そりゃあ廃太子本を書いたら、美智子さんが許してくれないでしょう。廃太子本を読んだ直後の美智子さんの表情↓http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1288013883757.jpg
>「美智子さまの恋文」ってご学友である橋本明氏の著書だよね。>ご学友なのによくこういう本が書けるなあ、、>友人であることより出版することの方が大切なのかな。明仁は、ナル以上に知人友人からの評価が悪いのだよ。明仁は、子供の頃から自分のことしか考えられない、皇族の資質のない男と言われて来たし、美智子と結婚して、その人間的欠陥に磨きがかかって、喜んで美智子の手足と成り下がったんだよ。美智子が嘘と捏造で、良子様や皇族方を非常識にも叩いた時も、完璧にダンマリを決めたというより、美智子サイドで、ニヤニヤと、もっとやれと後押ししていたのだと思う。自分達が血税で生活させてもらっていることも忘れ、皇室破壊に美智子と共に、嬉々と邁進している明仁に、友人というより日本国民として、不安感を覚え、こういう形での発表をせざるを得なかったのでしょう。
せこい人間。美智子さんにお似合い。
橋本明氏とか西尾幹二とか、ミッチー世代の男性はみんな美智子さまに憧れてたんでしょうね。
だって、美智子はタバコの火は付けてくれるし、佐伯氏(ナルの父親)の事は知れ渡っていたし、明仁の人間的魅力の無さを知り尽くしていた人間としたら、もしかしたら自分も、美智子にいい思いをさせてもらえるかもって、若い男性なら、美智子よいしょをして、自分の気持ちを伝えたのでしょうねww
昭和33年11月27日、皇太子明仁親王とのご婚約記者会見が行なわれた。以後、新聞はもちろんのこと、創刊ラッシュに沸いていた週刊誌や、グラフ誌、あるいはモノクロのテレビなどで、皇后陛下の「画像」が世に溢れかえることになる。それを見て、私は正直大変に驚いた。「本当にこんな人がいたんだ」と。http://www.nishiokanji.jp/blog/?m=20091006
深窓の令嬢が車の窓から身を乗り出すか?バカバカしい
戦前の上流階級の娘さんって洋風に育ってるせいか平民の娘より活発な人が多かったみたいよ。
活発と奔放は違いますから
窓から身を乗り出すなんてw飾り窓の女じゃあるまいし。