皆さん,はじめまして。
愛媛県行政書士会松山支部の上杉嘉一です。
お茶を一服いたしますか?
私が、まだ若い頃、お盆休みで南予の田舎町へ帰りました、
さっそく高校の同級生と4、5人で、知り合いのママのスナックへ、
話しが弾んで、盛り上がった頃、入り口のドアが開いて、
2人の男性客が入ってきました。
結構、お酒が入っており、いささか酔っておりました、
店のなじみ客で、よく見ると、私が以前仲良くしていたなつかしい顔でした、
「あれ−!OOOマスタ− ひさしぶりやな!」
私が昔経営していた店の名を言って、心から喜んでくれました。
ところが! その時、隣の同級生の一人から、思いもよらない言葉が出ました?
「お前か! 東大卒のバカは・・・・・・・・」
言われた彼は、その街の事業家の跡取りで、自信満々の熱血漢でした!
「なに・・!?」
今にも飛び掛らんばかりの剣幕で、一瞬、場の雰囲気が凍りつきました。
???
酔客の喧嘩の仲裁は、私の得意技ですので、丸く治めたことは言うまでもありません。
喧嘩の仲裁は、其の後が大事です。
後に引きずらない取り成しが大切なのです!
言った彼は、こつこつ土と生きる農業者で、高学歴者への反発、反抗心の強い男でした。
その彼から,以前「上杉よ!息子が、愛大に入るので、部屋を世話してくれや」と頼まれた。
早速、樋又辺りだったと思うが、マンションを持つ地主の屋敷内にある離れを見つけて入居させました。
(なんと、後から分かったのですが、地主の息子の嫁さんは、私の田舎の遠縁の娘でした)
1年後、彼は京都大学と防衛大学医学部を受験してともに合格、
親は、防大を望みましたが、本人は京都へ旅立ちました。
その後、一流商社へ就職したことを友から聞きました。
おやじ(同級生)が農家の跡継ぎだったため、都会への進学・就職をあきらめて、百姓になった。
そのため都会へは行けなかった。
そのおやじの夢を息子が果たしてくれたなと喜びましたが、その数年後、商社冬の時代の到来でした。
常に気になっておりましたが,「息子は結婚したよ」と友から聞き、大変な中、がんばっているんだなと安堵いたしました。
数年後,友に会った時、「OOO君は、元気か!?」
ところが・・思いもよらない、近況を知らされました!
「弁護士になったよ!」
「えっ!」
今、友の息子は、タイガ−スの街で、若き弁護士として前をみつめて がんばっている!
其の後、良き友と、東大卒の事業家が、衝突したとの話しは聞かない。
酒癖のある彼を、なだめられる者は少ないが、不思議なことに、上杉の言うことは、素直に聞いてくれる!
酔っ払いは、酔っていながら、前に居る人や状況判断を結構しているんですよ!
あなた方の近くに、私の従兄のそのまた従姉の息子が弁護士をしている。
東大を出た秀才だが、いささか気の強い性格で、年賀状だけはやり取りしている。
父母からは、誰かお嫁さんをと頼まれているが、私はそっとして眺めている。
われわれ、農業高校出の同級生連中には、学歴コンプレックスは一切ないが、
高学歴に対する何!は、皆あるようだ!
その人の、今だけを見て、評価してはいけない。世の中、浮き沈みの激しい航海である。
若き日の、あの時、あの頃。あなた方が知らない世界。知らない未知の人々。
おや! お茶が 冷めましたね・・
上杉の交友録を紐解いてみましょう。では、また!
”追伸 ”
平成22年9月18日
この「上杉の交友録1」は・・・!
私が、ブログの書き方が分らない時に、盟友p-papaさんの指導の元初めて投稿したものです。
私は、まず最初に、誰を、そして何を書こうかと考えました。
想い出の高校生活で、1年生から〜3年生まで席順が私を挟んで前後にあって !
私の商売の苦境時代を、陰になり日向になって見守ってくれたK・UとS・Oのこと
でした。
O家は、花の柔道部主将! だから常にスポットの当たる男でしたので・・・!?
地味ながらも芯の通った、常に私の身を案じて見守り、仲良くしてくれたKょうちゃんを
語るのが最良だと思ったのです。
しかし、悲しいことに、ブログの書き方も分らぬ未熟者! 適切な言葉、表現が出来なかったことを常に悔いて来た次第です。
今日に至るも、アクセスして頂いて、読んでいただく方々が居る事実に、私は感動しています。
土と共に生き、家族親戚を大切にする、我が最高にして最愛の友Utuno宮 Kちゃん!
私は敬意を表しながら、彼と家族の皆様のご健康とご多幸を祈念しています。
同級生は、いいなぁ・・・ 「Kちゃん! また同級会しようぜ・・・!?」
涙が止まりません・・・。。。
合掌
愛媛県行政書士会松山支部の上杉嘉一です。
お茶を一服いたしますか?
私が、まだ若い頃、お盆休みで南予の田舎町へ帰りました、
さっそく高校の同級生と4、5人で、知り合いのママのスナックへ、
話しが弾んで、盛り上がった頃、入り口のドアが開いて、
2人の男性客が入ってきました。
結構、お酒が入っており、いささか酔っておりました、
店のなじみ客で、よく見ると、私が以前仲良くしていたなつかしい顔でした、
「あれ−!OOOマスタ− ひさしぶりやな!」
私が昔経営していた店の名を言って、心から喜んでくれました。
ところが! その時、隣の同級生の一人から、思いもよらない言葉が出ました?
「お前か! 東大卒のバカは・・・・・・・・」
言われた彼は、その街の事業家の跡取りで、自信満々の熱血漢でした!
「なに・・!?」
今にも飛び掛らんばかりの剣幕で、一瞬、場の雰囲気が凍りつきました。
???
酔客の喧嘩の仲裁は、私の得意技ですので、丸く治めたことは言うまでもありません。
喧嘩の仲裁は、其の後が大事です。
後に引きずらない取り成しが大切なのです!
言った彼は、こつこつ土と生きる農業者で、高学歴者への反発、反抗心の強い男でした。
その彼から,以前「上杉よ!息子が、愛大に入るので、部屋を世話してくれや」と頼まれた。
早速、樋又辺りだったと思うが、マンションを持つ地主の屋敷内にある離れを見つけて入居させました。
(なんと、後から分かったのですが、地主の息子の嫁さんは、私の田舎の遠縁の娘でした)
1年後、彼は京都大学と防衛大学医学部を受験してともに合格、
親は、防大を望みましたが、本人は京都へ旅立ちました。
その後、一流商社へ就職したことを友から聞きました。
おやじ(同級生)が農家の跡継ぎだったため、都会への進学・就職をあきらめて、百姓になった。
そのため都会へは行けなかった。
そのおやじの夢を息子が果たしてくれたなと喜びましたが、その数年後、商社冬の時代の到来でした。
常に気になっておりましたが,「息子は結婚したよ」と友から聞き、大変な中、がんばっているんだなと安堵いたしました。
数年後,友に会った時、「OOO君は、元気か!?」
ところが・・思いもよらない、近況を知らされました!
「弁護士になったよ!」
「えっ!」
今、友の息子は、タイガ−スの街で、若き弁護士として前をみつめて がんばっている!
其の後、良き友と、東大卒の事業家が、衝突したとの話しは聞かない。
酒癖のある彼を、なだめられる者は少ないが、不思議なことに、上杉の言うことは、素直に聞いてくれる!
酔っ払いは、酔っていながら、前に居る人や状況判断を結構しているんですよ!
あなた方の近くに、私の従兄のそのまた従姉の息子が弁護士をしている。
東大を出た秀才だが、いささか気の強い性格で、年賀状だけはやり取りしている。
父母からは、誰かお嫁さんをと頼まれているが、私はそっとして眺めている。
われわれ、農業高校出の同級生連中には、学歴コンプレックスは一切ないが、
高学歴に対する何!は、皆あるようだ!
その人の、今だけを見て、評価してはいけない。世の中、浮き沈みの激しい航海である。
若き日の、あの時、あの頃。あなた方が知らない世界。知らない未知の人々。
おや! お茶が 冷めましたね・・
上杉の交友録を紐解いてみましょう。では、また!
”追伸 ”
平成22年9月18日
この「上杉の交友録1」は・・・!
私が、ブログの書き方が分らない時に、盟友p-papaさんの指導の元初めて投稿したものです。
私は、まず最初に、誰を、そして何を書こうかと考えました。
想い出の高校生活で、1年生から〜3年生まで席順が私を挟んで前後にあって !
私の商売の苦境時代を、陰になり日向になって見守ってくれたK・UとS・Oのこと
でした。
O家は、花の柔道部主将! だから常にスポットの当たる男でしたので・・・!?
地味ながらも芯の通った、常に私の身を案じて見守り、仲良くしてくれたKょうちゃんを
語るのが最良だと思ったのです。
しかし、悲しいことに、ブログの書き方も分らぬ未熟者! 適切な言葉、表現が出来なかったことを常に悔いて来た次第です。
今日に至るも、アクセスして頂いて、読んでいただく方々が居る事実に、私は感動しています。
土と共に生き、家族親戚を大切にする、我が最高にして最愛の友Utuno宮 Kちゃん!
私は敬意を表しながら、彼と家族の皆様のご健康とご多幸を祈念しています。
同級生は、いいなぁ・・・ 「Kちゃん! また同級会しようぜ・・・!?」
涙が止まりません・・・。。。
合掌