2010年10月28日

ヨコミネ保育体験記(1)モチベーションの上げ方

事情があって、来年1年生に上がる娘をヨコミネ式の保育園(以下、ヨコミネ保育園と書く)に預かってもらっている。

横峯吉文先生は、不思議な人だ。正直、強面だし、「私にはキレイゴトとタテマエはない」とはっきりおっしゃるだけあってズバスバ言う。8月に会った時も「で、市長になる気はないのか?」と初対面なのにズバリというかバッサリ聞かれ、どぎまぎした。そしてどういう訳か、人見知りの激しい娘が、初めから横峯先生にぴったりくっついて手をつないで歩いていたのには驚いた。テレビ画面に横峯先生がでると、画面に向かって「センセーッ!」と大きな声で呼びかける。保育園でも、子ども達は横峯先生を尊敬のまなざし・・・というか怖いけれど憧れのようなまなざしを向ける。そして横峯先生に褒められると、本当に嬉しそうだ。

横峯先生のほめ方は独特だ。まさに、あの手この手でモチベーションをあげる。例えば、合奏がみんなで上手に出来た時は、「よーし!良くできた!アイスとジュースとどっちが良い?」と聞き、「アイスがいい!」と子ども達が言えば、「よーし。上手だったぞ!」とみんなにアイスをあげる。また、ある男の子が跳び箱を使った大業に何度もトライしてやっとキメた時など千円札をあげた。大業がキマッた喜びと横峯先生に特別に褒められたことが嬉しいようで、もらった千円を大きく振りかざして「ヤッター!」と飛ぶように教室に向かって走っていった(自分のバッグにしまうために)。他の子達は「スゲーッ」っと羨望のまなざしと、次はボクも頑張るぞと目をキラキラさせる。
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ヨコミネ保育体験記(2)スイッチの入った娘

娘がヨコミネ保育園に入れていただいた当初、「みんなに配ってこい!」と横峯先生は風船ガムがいっぱいつまった箱を娘に渡した。「こうすれば友達とコミュニケーションが取りやすいだろ。」しかしその時は、お友達にひとつもガムをわたせずにそのまま帰ってきた意気地のない娘だった。

ヨコミネ保育園に混ぜていただいて、およそ1ヶ月になる。ヨコミネの子ども達のレベルには程遠いが、娘は積極的になり、たくましくなった。また、我慢強くもなったと思う。体を思いっきり使ってくるようで、毎日汚れて帰ってくる。お腹もペコペコ。だから、食が良い。パクパク食べる。また、時間があると三点倒立や片手横回転の連続まわり、スーツケースを跳び箱に見立てて飛んでみたり、ブリッジで歩く練習などをずっとしている。だから、帰ってきても汗だくだ。買い物に行くときは、ノートと鉛筆を持って買った物をノートにメモする。メモすると言っても、買う物の名前を私にテンテンで書くよう求め、彼女はそれをなぞる。書いていないものを買おうとすると、また「テンテンで書いて」と要求するので、買い物も時間がかかって大変だ。でも、いわゆるヨコミネスイッチが入ってきたやる気のある娘の姿がなにより、嬉しい。
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ヨコミネ保育体験記(3)横峯先生のでっかい愛情

子育てについて悩む私に、いろんな人がいろんな事を言った。甘やかし過ぎたのではないか、厳しすぎたのではないか、愛情が少なかったのではないか、多すぎたのではないか、時期が来れば何とかなると専門家にも無責任に言われたし、子どもの心の灯が消えていたのではないかなど訳の分からないことまで言われた。だいたい、こういうことを言うのは、子育てが一段落した元ママが多かった。はっきり言って、このような無責任な言葉は何の役にもたたない。「あなたのため」「子どものため」を装った言葉の暴力だと感じた。

横峯先生は違った。「出来ない子はいない。ダメな子なんていない」「教育、子育てにマニュアルはない」「良いお母さんにならなくて良い」「子育てなんて片手間でやればいいんだよ。手をかけすぎたらいかん。」「お母さんが出来ない部分を専門家がやるべき」「子育ての目的は、自立した人間になるための基盤を作ること。自分の人生を自分で切り開けるようにすることだよ。それさえ分かっていれば良いんだよ」と本質の話もしてくださった。そして「私はね、自分にも孫がいっぱいいるけれど、預かった子どもたちも、自分の孫と区別が付かないくらいなんだよね。だから、来るなと言われても、授業参観とか見に行くんだよ。それは私だけでなく、この園の先生達もそうでね、ここで育った子が何か問題があると聞くと見に行くんだよね。私たちには責任があるから」と煙草をぷかりとたゆませた。

そして、「これから、少子高齢化でますます大変な世の中になる。今の子ども達が大人になった時には、単純な作業は機械がするし、外国からもいっぱい人が入ってくる。そうすると高度な技術を必要とする仕事しかない。それに対応できる人を育てたい。独学で自分の人生を切り開けるようになるまで面倒を見るつもりだ」と。これが、保育園だけにとどまらず、学童という領域にまでヨコミネ式が発展した理由だ。将来的にはセンター試験まで視野に入れているという。

横峯先生のやっていることは、国の教育方針、あるいは大都会の特権階級社会に対する「革命」のようなものとか、未来に対する挑戦的なものを感じるけれど、その根底には分け隔てないでっかい愛情があると思う。

一時でも、ヨコミネ保育園に娘を預けられたことが、本当に嬉しく感謝。残念ながらもう少しですが、時間の許す限り・・・お世話になります。
posted by 由紀 at 16:35| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本は「民主主義の根本が狂っている」(1)

田中良紹の「国会探検」
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/10/post_236.html
2010年10月26日 予算委員会の不思議

 予算委員会は予算の審議をするところである。ところが国民は予算委員会で予算の議論を見た事がない。テレビ中継がある時は何を質問しても良い事になっているため、予算委員会では専ら「政治とカネ」の追及が行なわれてきた。何故予算委員会で「政治とカネ」が追及されるのか、誰も不思議に思わないからこの国は不思議である。
 「政治とカネ」を追及する分だけ予算の議論を行う時間は削られる。国民から預った税金を何にどう使うかを議論する筈の予算委員会が、スキャンダル追及を優先しているから税金の使い道が分からなくなる。国民は口を開けば「政治には景気対策をしっかりやって欲しい」、「福祉に力を入れて欲しい」、「老後の安心を作って欲しい」と言うが、スキャンダル追及を優先して税金の使い道を議論しない国会をおかしいとは言わない。
 国民は一方で「疑惑をかけられた政治家は国会で説明すべきだ」と訳の分からぬ事を言うから、このやり方がまかり通ってきたのかもしれない。しかし国会の貴重な時間を「疑惑の説明」などに使ってもらっては困るのである。
 今度の臨時国会は何のために開かれたか。世界経済の危機的状況を受けて日本経済を立て直すための施策を議論するために開かれた筈である。ところが10月1日に招集された臨時国会に補正予算案はまだ提出されていない。従ってこの1ヶ月、予算委員会では予算と全く関係ない「政治とカネ」と「尖閣問題」が議論されてきた。
-----------(中略)--------
 予算案が提出されていないのに予算委員会を開くというのも不思議な話だが、この国には予算の中身を国会で議論して最上の予算を作るという考えがない。与党は予算を官僚に丸投げする。
-----------(中略)--------
 所がこの国の国会はおよそ民主主義とは縁遠い政治パフォーマンスにうつつを抜かしてきた。証人喚問も本人の意思とは無関係に強制的に公開になる。それを馬鹿なメディアが「国民の知る権利」などとトンチンカンな事を言う。そのくせ国会が最重要の課題としなければならない国民生活に関わる議論をしなくとも誰も批判しない。民主主義の根本が狂っているのである。
-----------(以上、田中良紹さんの「国会探検」より一部抜粋)--------
posted by 由紀 at 15:22| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本は「民主主義の根本が狂っている」(2)

国も地方も、予算は官僚や役人が作ったままの予算が、そのまま成立してる。・・・悪い冗談かと思いたいけれど、これが現実。そして国も地方も膨大な借金を抱えている。

桐生市でも、今月末に「事業仕分け」が行われる。今までずーーーーっと審議も議論も出来ない程度の低いハイハイ議員ばかりで、役人の作った予算を素通ししてきたから、今更「事業仕分け」が必要になったのだ。事業仕分けで係る経費は、過去の議員と現在の議員とで折半して出すべきではないだろうか?
桐生で行われる事業仕分けメンバーに、桐生市議会議員は含まれない。昨年、足利市で行われた事業仕分けにも足利市議会議員はひとりも含まれていなかった。つまり、市議会議員は事業仕分けが出来る能力がないと、「構想日本」が認識しているからではないか。

この際、所詮審議も議論もできない議会など廃止しても良いのではないだろうか。そして、首長と市民が直接対峙する意見交換会と外部監査を導入。行政をスリム化し、市民の意見を聞きながら執行していく。その方が責任の所在が明確だし、市民の声も直接聞く機会になる。そして首長のやり方に不満なら、リコールして選挙をして民意を問えばいい。

二元代表制を宗教のように信じ、「議会がなくなると執行者(首長)の暴走が止められなくなる」「市民の声を反映出来なくなる」などと根拠のない不安にかられる人もいるようだ。が、現実を見て欲しい。議会があっても市民の声、意向は反映されていない。

「議会費はたったの0.7%で、重箱の隅のたいした額でない議会費ばかりやっていては市民のためにならない」とブログにどうどうと書いたセンセイがいるけれど、このようアマッチョロイ考えだから桐生市は身の丈を超える借金を抱えるようになったのだと思う。いい加減にして欲しい。権限だけ与えられて責任はないのが議会だ。責任のないところに結果はでない。議会もまた、これを証明しているではないか。おまけに、市民とはかけ離れた高額な報酬を議員は得ている。そしてそれは最悪なことに、議員は自分たちで自分たちのもらうカネについて決めることが出来る。雇用対策というには、あんまりの・・・収入でしょ?

「民主主義の根本が狂っている」。本当にそうだと思う。民主主義を根本から見直し、システムや法律を国民・市民のためのものになるように作り替えなくてはいけない。
いつまでも、一部の特権階級を支えるためのシステムになんか、つきあってらんなよっ!
posted by 由紀 at 15:20| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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