また、このところの仙波副市長の行動を観察していると、さすが体制側にいた人だけあって、派閥を作っていくスキルはすばらしい。アッパレだ。
そして、例えば「選挙対策」と銘打とうと「選挙乞食」をしたら当選後も「乞食政治」をやることになるのでやってはいけないと思うし、市民の覚醒なくして住民自治を実現するための改革は成功しないと思う。私はこういう信念を変えることは出来ない。
仙波副市長が阿久根に行くまでの竹原改革は、市民の覚醒を希求するものであり、竹原市長が体を張って命を懸けて行なってきた革命ともいえる挑戦の数々は、少なくとも私の中では全て正しく、正義であり、一点の曇りもなかった。心から尊敬していた。
どうしようもない議会の中で、私よりずっと前から闘っていた竹原市長は、臨場感あるアドバイスやスキルを教えてくれた。竹原市長がいなければ、ここまで闘ってはこられなかっただろう。心から感謝している。
しかし、行く道が変わってきてしまったようだ。
思うことは多々あるが、結局は竹原市長と阿久根市民の選択だ。
「国民・市民なんて、堕ちるところまで堕ちないとわかんねぇんだよ。でもね、堕ちきったときにはじめて国民・市民の中から英知が生まれてくるんだよ」故大川栄二(大川美術館館長)さんが言っていた言葉が思い起こされた。
ならば、堕ちるところまで堕ちればいい。私たち、国民・市民一人ひとりが覚醒していくために。住民至上主義という社会を実現させるために。