クソ容疑4
検察送致で勾留請求される当日、逮捕された人たちは地検の狭い檻の中で退屈で長い一日を過ごすことになる。みんな揃ってバスで連れて行かれるので、自分の番が終わっても、全員が終わるのを待たなければならないからだ。転んでもタダでは起きない小生は、この機会を営業のチャンスと考えていた。営業とは何かというと、要するに将来的に出所したときにお金に困っているであろう人達に対するアプローチである。
逮捕拘留されている人達に対するアプローチは、ホームレス支援の延長上で自然に出てきた内容だった。というのも、ホームレスの中にはやはり刑務所から出てきてどこにも頼る人がない人も少なくない。小生がホームレス支援事業を始めるにあたりモデルにした「ほっとポット」の藤田孝典氏も、最近は別団体で拘留者を支援して生活保護を取得してあげるなどしているらしい。実際、小生が支援した人間でも、その後再度捕まってしまい、差し入れ含めて支援を続けている人も複数いる。ま、自分がそれと同じ立場になってしまったのは多少情けないが。
その営業ができるかな、と期待した地検の収容施設だったが、なんと独居房。。。他は複数の雑居房だというのに。なんだかなぁ~。ま、いいや。
最初の関門、検事調べ。検事は干川という名の女性検事だった。当然彼女は担当検事ではなく、休日の当直検事だった。前回リンクした記事によれば、「自分が担当しないからどうでもいい立場」ということになる。その彼女に小生は必死に訴えた。
野田「私はAが犯罪行為に関わろうとしていたのを止めようとしたんです。こんなことで逮捕されるなんてメチャクチャです。もの凄い誤解です。」
検察「あなたはAを保護しようとしたのですね?ではあなたがそういう活動をしているのを誰か知っている人はいますか?」
そういう活動とは、ホームレス支援含めての人助けのことだった。
野田「昔、派遣村やってた湯浅誠君とか知ってます。」
後から考えれば、宇都宮健児前日弁連会長の名前を挙げるべきだった。が、そのときは思いつかなかった。
干川検事はそれなりに私の話を聞いて理解してくれているようにも思えた。簡単に話をまとめて調書のようなものを作って私に提示してきた。ただ小生もオウム時代の観念があって多少の抵抗を覚えた。
野田「すいません、オウム時代から『国家権力は敵だ』とか観念もあったり、後頼んでいる弁護士が『完全黙秘だ』とか言うような弁護士でして、ちょっとサインするのに抵抗があるんですが、これをサインしなければ勾留請求されちゃうのでしょうか?」
検察「それをサインしてもしなくても、それによって結果が変わることはないです。」
う~ん、なんだかもう結果が決まっているような冷たい言い方。なら一応サインしないことにして、収容部屋に戻った。
地検に着いたのが9時で、検事調べ終了が12時頃。それからひたすら待つことになった。そのまま裁判官の勾留質問がなければ、検事が勾留請求をしなかったということになる。だが果たしてそんな事例があるのか?収容部屋の前に立っている警察官に聞いてみると。
警察「今までそういう事例って言うのは見たことがないんだけど、あなたの場合ならそういう可能性なくもないような気がする。」
何をするでもなく夕方まで待つ。既に他の警察署から来た人達は、もう帰ってしまっていた。残ったのは小生と同じ警察署から来た人だけになった。
「このまま呼ばれなければ勾留請求自体がない」という願いも虚しく、7時頃になって裁判官質問を受けることになってしまった。担当の裁判官が入れ替わったらしい。時間がかかったのは、単に裁判官が入れ替わったからだけだったのか。。
(つづく)
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