2012年07月28日

ディズニーを愛した手塚治虫

愛情と思いやり思想が欠落している読売新聞は、一つのエピソードが読売新聞に掲載されたエピソードに「似ている」というだけで『最後のパレード〜ディズニーランドで本当にあった心温まる話』の著者の私を「盗作者」にでっちあげ、人権、信用、仕事、健康、家族を奪っていった。

朝日新聞の社説から
著作権法―利用者の声を、もっと
<引用開始>
 著作者やその継承者の権利を強める動きに、利用者の立場が十分に反映されているとは言いがたい。無法な複製は許されないが、あまりに制限されていると感じられるのも、息苦しい。
<引用終了>

まともな論評と評価したい。

最後のパレード事件時に私は「東京ディズニーランドで発生するエピソードは、全キャストや国民が共有する公共財である」と発言した。今もその考えはまったく変わっていないし、東京ディズニーランドの実質的な創建者である上澤昇元オリエンタルランド副社長も「全く問題ない」とおっしゃってくださっている。

ディズニーランドの公益性の高さについて書く。「無知害」読売記者が何も知らないで土足で「不法侵入」してきたディズニーの世界の「真実」を知らないと、読売の捏造記事による報道被害の全容は決して理解できないからだ。

東京ディズニーランドの開発理念について、パークを築き上げた上澤昇オリエンタルランド元副社長は、著書にこのように書いている。

「公有水面という国民の共通財産を埋め立ててつくった土地を使用する私達には、国民に喜んでもらえる施設を造って、企業の社会的責任を果たしていく責務がある。」

舞浜の舞台だけではなく、ミッキーマウスやミニーマウス、そしてディズニーランドの親善大使であるアンバサダーは、30年間近くに渡り福祉施設や病院などを訪れ、パークを訪れることができない人々を慰問し続けてきた。

このように、善意による幸福の創造を理念にかかげたディズニー・テーマパークではあるが、その成功をねたむ読売新聞社のような「アンチ・ディズニー」は五万といるのも事実である。このようなマインドが貧困な人々にディズニー・テーマパークの素晴らしさを語っても決して何も伝わらない。

反対に、ディズニーを愛し続ける心豊かな人々はディズニーを称賛する。以下にディズニーを愛した手塚治虫氏のエピソードを紹介する。

「ディズニーの国」という月刊誌の1963年10月号に手塚治虫氏自身が子供たち向けの短い文章を寄稿している。

<引用開始>
「ディズニーさんとぼく」

こういう題をかきましたが、ディズニーさんとはあったこともないし、だいいち、ぼくとはおやこぐらいとしがちがいます。

でもぼくは、ディズニーさんを先生というより、おとうさんのようにしたっているし、大すきなのです。

ディズニーさんの映画でなんといってもいいのは、どの映画も、よわいものや、ちいさなもののみかたになってつくられていることです。それから、もうひとつ、どんな悪者がでてきても、かならず心の底に、なにかやさしさと、したしみがかくれているからです。ぼくは、バンビやわんわん物語が大すきなのですが、マンガ映画で、涙がでてきたのは、けっしてぼくがおセンチのせいではないでしょう。

ディズニーさんのえらいところは、世界じゅうのこどもたちのために、映画だけではなく、いろんなおもちゃや、遊園地をつくって、自分の夢をどんどん実現していったことでしょう。

はじめは、とてもまずしかったそうです。おくさんと、豆ばかりたべながら、ミッキーマウスをつくった話をきいていますし、白雪姫ができあがったとき、一文なしになって、みすぼらしいかっこうをしながら、白雪姫の映画館のまえの、お客の長い列のうしろでじっと立っていた話も聞いています。お金もうけのためや、じぶんの名まえをうるだけのためなら、とてもできないことです。でも、世界じゅうが―日本でも―ディズニーさんがやりとげたことを、あとから、どんどんまねしはじめました。ぼくだって、ディズニーさんのあとをおいかけるために、絵をそっくりまねしたものです。

このあいだ、ディズニーランドのまねをした、遊園地へいってきましたが、なにからなにまで、ディズニーランドそっくりなのですが、なにか、ひとつものたりないのです。見おわって、そのたりないものがなにか、やっとわかりました。こどもたちへの愛情だったのです。つまり、ほんとに心のそこから、こどもたちのためにつくったものではなかったのです。

ディズニーさん、どうか長生きして、もっともっと、世界じゅうのこどもたちをよろこばせてください。
<引用終了>

「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た! 馬場康夫著 講談社より

その3年後・・・ウォルト・ディズニーは帰らぬ人となった。65歳だった。

この本にはこのように書かれている。

<引用開始>
「ディズニーの国」という、ディズニーのいわば公式雑誌に手塚が寄せたこの一文は、軽やかな文章とは逆に、その内容はとてつもなく深く重い。特に「ぼくだって、ディズニーさんのあとをおいかけるために、絵をそっくりまねしたものです。」という一節には、心を動かさずにはいられない。なぜならそれは、手塚治虫が、ウォルト・ディズニーは「好き」で真似した相手を訴えたりするはずがないと、心から信頼していた証拠だからだ。

そもそもディズニーの長編アニメの大半は、世界の有名なおとぎ話のリメイクである。

<中略>

エンタテイメントは、先の時代を生きたクリエーターの愛と信頼に基づく模倣の積み重ねであることを、シェイクスピア以降、誰よりも明確に示したのは、ウォルト・ディズニーその人であった。ディズニーランドのアメリカ河に浮かぶ、トム・ソーヤ島やマーク・トウェイン号を見るたびに、私たちはマーク・トウェインの作品に憧れ、模倣し、それを乗り越えたウォルトの、マークに対する心からの尊敬と愛情を感じて、微笑まずにはいられない。
<引用終了>

6月2日の朝日新聞には、手塚治虫氏が敗戦直後に米兵に殴られたと書かれている。それでも、世界の「手塚」はアメリカ人のウォルト・ディズニーを敬愛した。読売新聞の全社員に聞かせたい話である。

posted by M.NAKAMURA at 10:53| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
世の中的にはちょっと物議を醸していた本なのですが 中村克さんの「 最後のパレード 」を読みました。 実はこの本、著作権侵害の疑いがあり書店店頭から 引き上げられていて、図書館から借りたある意味貴重な一冊。
Posted by 最後のパレード 中村克総合TOP(芸能・時事) at 2012年07月28日 15:32
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