なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1007-1.html#12
<転載開始>
「CO・25%削減」で日本人の年収は半減する
武田邦彦・著  産経新聞出版  2010年刊
「COは出してもいい」はタブーになった
  最近私があるテレビ番組で経験した話である。その時、私は、「C0は出してもかまわない。どんどん出した方がいい」と話した。
  これまで書いたように「経済成長を続けるつもりならC0を出さざるを得ない」ということ、さらに「温暖化は心配するようなレベルではないこと」「温暖化の主原因がC0という説もあやしいこと」「仮に温暖化しても日本にとってはいいことのほうが多いこと」を踏まえた上での話である。
  私の言葉を聞いた女性アナウンサーはこう言った。
  「先生、そんなことを言ってもいいのですか? 世界中がC0の削減をしているときに」
  この女性アナウンサーの意見は、おそらく日本人の多くの意見でもある。政府の主張であり、教育現場の常識でもあり、「小学生でも知っていること」らしい。
  私はこう言った。
  「あなたは世界中と言いますが、どこの国のことをさしているのでしょうか。アメリカ、中国はもちろん、カナダもメキシコも、南アメリカ各国も、アジアもアフリカも知らん顔ですよ。
  ロシアは形の上では京都議定書に参加していますが、実質的な削減などしていません。東ヨーロッパや南ヨーロッパもそうです。
  ドイツ、イギリスもEU加盟国として8%削減義務を負ったはずですが、97年までの削減が奏功して、実質的にはそれぞれ11%、5%の増加枠を確保したことになります。
  C0の削減で苦労しているのは日本だけで、しかも『チームマイナス6%』などというキャンペーンをしながら、現実には14%も増えているのですよ」
  幻想というのは恐ろしいものだと思う。
  このような実態がはっきり存在しているにもかかわらず、世界中がC0削減の取り組みに一生懸命で成果が上がっている、とアタマから信じてしまっているのだ。
  それをテレビ番組というマスメディアの世界にいる人が軽々しく口にするのである。事実報道をするはずのテレビ局のアナウンサーが「みんながやっている」と言うのだから、その洗脳ぶりは北朝鮮並みと言っていい。
  「そんなことを言っていいのですか」というアナウンサーの言葉はさらに恐ろしい。
  もはや「C0を出してもいい」は、日本の社会の「タブー」となっているのである。日本は言論の自由、表現の自由、学問の自由が憲法で保障された国家ではなかったのか。

環境問題はメルヘンではない
  「世界は、実はC0
の削減に興味を持っていない」という事実もまた、日本人は直視できない。
  すでに温暖化そのものや、温暖化被害の予測、温暖化の原因がC0
であることの信憑性に、かなり疑問があることを知っていながら、不思議なことに「世界はC0削減に興味を持っていない」「日本もC0を削減する必要はない」と発言すると、まるで「地球の敵」「世界の敵」「トンデモ学説」の扱いになる。
  環境問題は、メルヘンではない。
  科学的に検証し、事実であることがはっきりすれば、本当に有効な対策をとればいい。それでも予測が間違うことはあるだろう。間違ったのなら、政策そのものを改めればよいことである。つまり、何事であれ、仮説があり、検証があり、修正が伴うということだ。
  しかし、不思議なことに、こと環境問題となると「最悪のケース」が常に強調され、3000年後の海面上昇の数値である「海面の6メートル上昇」が、明日にも起こるかのように伝えられる。
  しかも3000年後の話を10年後であるかのように伝えるのは、間違いであり、サギに等しいと言っても、「最悪のケースを考えて対策をとるぐらいのほうがいい」「象徴として扱っている」「もし悪いことが起こらなくても、環境に対する意識が高まったのだからそれでよかった」という理屈になる。
  「最悪のことを考えて備えをし、何も起きなかった場合は、それでよかったと思えばいい」というのは、場合によっては正しい。例えば、「健康保険をかけたけれど病気にならなかった」というような場合だ。
  しかし、健康保険料は何億円もするものではない。これは「安心料」の範囲内で払うものだ。しかも個人の優先順位で選択できる部類の話である。しかし、環境問題はこれとはまったく違う。
  ガンになるよりずっと少ないリスク、それも遠い将来の予測もつかないような事態に対して、今生きている人間が経済成長を放棄するほどの犠牲を強いられていいかどうか、ということなのである。しかも、自分だけは犠牲になりたくないと言っても通用しない。
  世界は温暖化対策にまったく冷たい、というのが現実なのである。屁理屈を言う人は多いだろう。EUは域内で調整して努力している、途上国はやりたくてもできないのだから責めてはいけないなどと言う人もいるが、それは全くの詭弁である。

ひとくちコメント ―― 本書は、東日本大震災に伴う原発事故以来一躍注目を集めている武田邦彦氏の著書です。私は環境問題に関してはこの武田氏の考えに共鳴するところがたくさんあります。また原発と放射能の問題に関しても、小出裕章氏の「小出裕章(京大助教)非公式まとめ」とともに武田邦彦氏の「武田邦彦(中部大学)」のブログを参考にしてきました。この2つは皆様にもお勧めしたいブログです。
  さて、本書に戻ります。フリーメーソンと思われる鳩山由紀夫元首相が、政権交代と同時に「2020年までに温室効果ガスを25%削減する」と国際舞台で行なった約束は、まさに日本の経済成長を止め、国民を貧困のどん底に落としていくための“悪魔のルール”と言ってもよいものでした。ただし、当サイトがテーマにしておりますように、「終末にはお金や物に対する執着心を手放さないといけない」ということで、「だから、これから失業者が増えるのも、個人の所得が減るのもいいことだ」という考え方をするならば、鳩山元首相の国際公約がこの国の貧困化に拍車をかけることも、あながち悪いことではないかも知れません。
  しかしながら、問題はその“動機”なのです。鳩山元首相は「国民を貧困にして気づきを与える」ということを意図していたわけではないでしょう。「日本経済の発展に足かせをつけて、日本の優良企業の生産拠点を海外へ移転させ、日本の産業の空洞化を推進する」ことを目的とする勢力によって、そのためにもっとも有効な手段の1つを国際舞台で公約させられた、というのが実情でしょう。その結果、この国はどうなるのかということが、この本の中にはわかりやすく、また大変な説得力を持って書かれています。そして、現実にその通りに日本経済はますますデフレの泥沼から抜け出せなくなっています。今回、野田政権による消費税の導入の政策も、日本経済をますます混迷させることに拍車をかけるものと見られます。今なお「地球は温暖化しつつある」「温暖化の原因は二酸化炭素だ」と本気で思っている人にはぜひ読んでいただきたい本です。(なわ・ふみひと)

<転載終了>