国道231号 日方泊トンネル旧道 歩古丹トンネルと天狗トンネル 2
概要
「ぽこたんインしたお!」
ああそうさ、これが言いたいためだけの探索のはずだった。
でも・・・インできない・・・
2-1 歩古丹
歩古丹トンネルの延長は205メートル。
その内部にどの程度の廃土が詰め込まれているのか分からないが、反対側を確認することは無駄ではないはずだ。
トンネルが貫く山腹は雄冬付近で見た大絶壁と異なり、斜面を伝って向こう側まで回れるかもしれない。
あるいは、海岸線まで降りてもいい。
足元は普通の山野の斜面で、夏場はひどく薮ってまともに前へ進めないだろう。
この時期でも潅木が邪魔をして思い通りには動けず、上へ下へとちょこまか動きながら何とか目的の方向へ進む。
写真は振り返って撮影したもので、山腹に伸びる国道のはるか下に、怪しい建物がある。
これはかつての小学校、歩古丹小学校だ(上の地形図にも建物が記載されている)。
あの辺りに、歩古丹と呼ばれる集落があった。
昭和48年、増毛側より山越えをしてきた国道は歩古丹にまで達した。
が、正確に言うと歩古丹の集落に車道としての国道が通じたことはない。
車道は写真のとおり集落のはるか頭上にあり、集落と車道は点線国道で結ばれていたのである。
(なお、写真の国道は平成4年に完成した新道で、昭和48年に国道が開通した当時の国道はさらに山の上にあった。)
昭和42年に歩古丹に荷揚げ場が築かれた記録があり、工事用道路は国道に接続していただろう。
すぐ近くにまでやってきた国道は、なぜ歩古丹にまで降りてきてくれなかったのか?
思うに、路線設定に当たって、歩古丹は「切り捨てられた」んじゃないかと思う。
写真に写る歩古丹小学校は歴史あるもので、明治25年に設立された。
しかしながら、人口の減少により車道が通じる以前の昭和46年3月に閉校となっている。
また、かつて増毛と雄冬を結んだ定期船は歩古丹に寄港していたが、これも昭和50年頃に寄港地廃止となっている。
工事用道路を経由して歩古丹にまで通じていた国道は冬季閉鎖であり、寄港地廃止は冬期における交通機関の消滅を意味する。
小学校閉鎖の事実を見ても、国道開通を前にして歩古丹の人口はほとんど0に近かったようだ。
わずかに残った住民は、待ち望んだはずの陸路開通もむなしく、その陸路を通って移転して行ったのだろう。
2-2 ぽこたん土中に埋まる
こちらも密封封鎖ではないようだが、さて中身は・・・
状況は向こう側と変わらず、入ってすぐに廃土で天井まで埋め尽くされていた。
かろうじて扁額だけが残り、現役時にあったはずの明かり用の電線などはすべて失われている。
向こう側に比べるとまともに海に顔を向けているせいか、ちょっと劣化しているような雰囲気も感じられた。
日方泊トンネルが掘削された理由のひとつに、歩古丹トンネルの変状というのも挙げられている。
地すべりの影響を受け、内部で漏水していたという。
トンネルの内部にだけギッチギチに詰められているのは、山腹の崩壊を防ぐ手段の一つなのだろうか?
足元にはやはり廃土が丁寧に盛られており、ずっと先まで続いている。
この辺りの地形も、ルート変更の理由のひとつだ。
ここからの下り坂が急であり、この先が急カーブになっているためである(本州の酷道・険道を散々見てると、「ほんとかよ」って気がしないでもないが)。
もう一つは左の斜面も危ないらしく、地質的にかつて崩落した豊浜トンネルと類似しているから・・・だそうだ。
それでも、3kmもの長大トンネルを掘るほどのものかなあ・・・
このまま行けば、天狗トンネルと日方泊トンネルの合流地点までいけるはず。
片道だけでも2km以上あって、しかも往復とあってはダルいが、いってみよう。
2-3 上陸作戦
国道工事の際に作られたという荷揚げ場の跡だろうか。
工事用車両も陸路では近づけなかったため、このような荷揚げ場が各所に作られた。
当時はこれを「敵前上陸」などと呼んだという。
現在でも海岸線に沿って擁壁が続いており、これはかつての工事用道路の跡と思われる。
消えかけた文字で「暑寒別天売焼尻国定公園」そして「歩古丹」とある。
国道が現役であった頃は、この看板を誰もが目にし、この先の歩古丹トンネルに入っていったわけである。
わざわざ看板を置いてその存在をアピールするほどだった歩古丹も、いまや現道の橋などに名を残すのみになってしまった。
残っている道路構造物といえば法面の雪崩防止柵くらいなもので、道路標識やガードロープなどは徹底的に取り除かれていた。
橋は無名橋といい、昭和44年竣工だ。
昭和44年といえばまだ歩古丹トンネルは開通していない。
この先の天狗トンネルも昭和54年竣工なので、まさに「敵前上陸」の結果造られた橋である。
2-4 裏側
行けども行けども傍らに積まれた廃土が続き、他には何もない。
もう歩古丹トンネルの坑口から15分ほど歩き続けている。
目の前の立派な覆道と、日方泊トンネル内にあったシャッター付きの横坑の出口らしき坑口だ。
また、それらの手前には、昭和47年竣工の日方泊橋がある。
この橋が渡る川を日方泊川といい、現道のトンネルはここの名前から取られたらしい。
トンネル工事は歩古丹トンネル側から掘り進められたというが、この横穴からも工事をしていたようだ。
地図上で見る現在地からトンネルまでは最短でも200メートル以上あり、かなり規模の大きな横坑だ。
また、日方泊トンネルが天狗トンネルとの分岐点から登り基調であることを考えると、横坑の内部もかなりの登り坂であることが想像される。
あ〜〜〜中が見てみたい・・・
歩古丹トンネルも天狗トンネルも封鎖され、仮に日方泊トンネルの内部から横坑を通ってここへ出たとしても、どこへも行けないのが現状だ。
このような状態では避難路としても活用できまい。
この先、廃土を再利用するなんてことでもない限り、この横坑が開くことは二度とないかもしれない。
次回は日方泊トンネル内部では影も形もなかった、天狗トンネルとの分岐点の裏側に向かう。
このような状態では避難路としても活用できまい。
この先、廃土を再利用するなんてことでもない限り、この横坑が開くことは二度とないかもしれない。
次回は日方泊トンネル内部では影も形もなかった、天狗トンネルとの分岐点の裏側に向かう。
[ 08' 11/10 訪問 ] [ 08' 12/4 作成 ]
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