地方「島原の乱」後に移住、雲仙の末裔ら 小豆島で方言交流 香川2012.7.23 02:15

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「島原の乱」後に移住、雲仙の末裔ら 小豆島で方言交流 香川

2012.7.23 02:15

 ■父祖の地 思い深め…

 寛永14(1637)年、長崎県の島原半島で勃発した「島原の乱」の後、徳川幕府の命令で小豆島(香川県)から移住した人たちの末裔(まつえい)で歴史を顕彰する「小豆島との交流推進委員会」(長崎県雲仙市)の66人が22日、小豆島で方言などについて交流した。

 一行は21日、同市南串山町から2泊3日の日程で小豆島を訪れ、この日は3班に分かれて島内各地を訪問。江戸期から伝わる農村歌舞伎の舞台(土庄町)では父祖の地に思いを深めて見学していた。

 このうち方言交流を選んだ22人には小豆島と共通の姓「井上」「三宅」「三木」の人もおり、南串山の一部地域で話されている方言を調査。同町四海公民館で同地区の方言に詳しい井藤信義さん(74)と浜田仙逸さん(74)を囲んで「ウラ(一人称)」「ワレ(二人称)」など両地区で今も使われている言葉や共通するイントネーションを確認するなどして交流を深めた。

 同市職員、冨永俊一さん(50)は「違和感のない風景や言葉への親近感でさらに自分のルーツを感じた」と話し、小学6年生の三宅志保さん(11)は「夏休みの研究課題にまとめる」と話していた。

 島原の乱では約3万7千人が死亡し、徳川幕府は無人と化した一帯に小豆島をはじめ全国から農民を移住させており、同市南串山町で発見された古文書にも記録があるという。

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