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【芸能・社会】7代目に捧ぐ「勧進帳」幸四郎 新橋演舞場10月追遠公演2012年7月29日 紙面から 歌舞伎俳優でミュージカルなどでも活躍する松本幸四郎(69)が、10月の東京・新橋演舞場公演夜の部で3年ぶりに「勧進帳」の弁慶を務めることが28日までに決まった。敬愛する祖父7代目松本幸四郎をしのぶ追遠(ついおん)と銘打った公演で、8月19日に70歳を迎える幸四郎が、戦後の1カ月興行では7代目以来の70代の弁慶になる。誕生日には、ライフワークともいえるミュージカル「ラ・マンチャの男」1200回を達成する予定で、幸四郎にとっては、祖父に捧げる「勧進帳」と「ラ・マンチャ」だ。 「亡くなった時は4歳ですから、(祖父の勧進帳を)見てるとは思いますが、記憶にはないんです」と幸四郎。が、型の継承だけでなく心理描写を取り入れた近代歌舞伎中興の祖として、初代中村吉右衛門、6代目尾上菊五郎とともに尊敬の念を忘れたことはない。 特に、弁慶には思い入れが深い。現在の演じ方を確立させた9代目市川団十郎直伝の弁慶を、生涯に1600回以上演じた記録が残る。「それまでは、たまにしか上演されなかったそうです。祖父が全国津々浦々を回って歩いたんですね。ですから人気狂言になっていった大変な功労者だと思います」 最初の出から飛び六方での引っ込みまで見どころ満載の「勧進帳」。特に祖父の工夫を意識するのは、弁慶が義経を打擲(ちょうちゃく)する場面という。「富樫に怪しまれて、主従でありながら、これ見よがしに主を打ち据えるわけですから、命がけです。その寸前に、ちょっとだけ会釈するんですね。荒事では、そういう演出はなかったと思う。申し訳ないという心理描写で、そこは初めて取り入れたんではないか」 自身は16歳の時に初めて弁慶を演じてから半世紀近い。2008年には東大寺で上演。10年には47都道府県での上演を達成した。これまで1048回演じており、父初代松本白鸚の約500回と合わせると3代で3000回以上になる。 1カ月興行で70代の弁慶が実現するのは、46(昭和21)年東京劇場の当時75歳の祖父以来になる。 さらに、10月公演昼の部では、同じ「勧進帳」の弁慶を市川団十郎が演じ、幸四郎が富樫にふんするのも大きな話題になりそうだ。幸四郎は「いとこ同士でできるのは、追遠だからこそ。来年できる新しい歌舞伎座への起爆剤になれば」と話した。昼夜交替で「勧進帳」が出るのは、66(昭和41)年の新橋演舞場以来(猿之助=現猿翁、竹之丞=故富十郎)。義経は、昼が市川染五郎、夜は坂田藤十郎。幸四郎にとって、もう一つうれしいのは、孫の金太郎が夜に太刀持音若で共演すること。初お目見えの時、弁慶のマネをして客席を喜ばせた金太郎が、初めて「勧進帳」の舞台に立つ。 また、8月3日に東京・帝国劇場で幕を開ける「ラ・マンチャの男」(25日まで)についても、「祖父への追善なんですよね。これはボクの中だけですけど」と付け加えた。 金剛杖を携え落ち延びる義経を守護する弁慶と槍(やり)を手にしたキホーテの諸国遍歴の旅は、幸四郎自身の役者としての「見果てぬ夢の旅」に通じるようだ。70年にブロードウェーに招かれた際、英語を個人指導してくれたのが、父白鸚が米国の俳優に「勧進帳」をレクチャーした時に弁慶を務めた俳優だったという奇縁もある。シェークスピア劇にも取り組み、進取の気風にあふれ海外が大好きだったという7代目。「ほんとは外国で英語で芝居をしてみたかったのかもしれません。ですから、ボクがやってきたことは7代目幸四郎の思いでもあるのかな」と幸四郎は笑みを浮かべた。 連日の猛暑の中、仕上げのけいこに余念がない。「役者はアスリートといっしょ。苦しみの果てに素晴らしさがある」と開幕した五輪になぞらえた。ストイックで強靱(きょうじん)なハートを持ちながら、「今」にこだわって目の前の舞台に向かう覚悟だ。(本庄雅之) PR情報
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