7月4日。東京の最高気温が30度に迫る中、六本木ヒルズアカデミーヒルズ49 タワーホールで、「チェンジメーカー・オブ・ザ・イヤー 2012」の授賞式が執り行われました。
今年のチェンジメーカーに選ばれたのは、以下の3名。
経営・マネジメント部門は、ミュージックセキュリティーズ代表取締役小松真実氏。
研究者部門は、独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)のプログラムディレクター高井研氏。
クリエーター部門は、作曲家、音楽プロデューサー中田ヤスタカ氏(capsule)。
表彰式の模様をダイジェストでお届けします。
授賞式に先立ち、「チェンジメーカー・オブ・ザ・イヤー 2012」の主催者であるウェブマガジン「日経ビジネス オンライン」発行人の浅見直樹が、このプロジェクトの紹介を兼ねて挨拶を行った。
浅見はまず、誰もが知る1人のチェンジメーカーの名を挙げた。
1950年代、今から60年近く前に単身アメリカへ乗り込み、日本製のトランジスタラジオを売り出そうとしたソニー創業者の盛田昭夫氏のことである。当時の日本は、敗戦からわずか10数年後、世界経済を牽引するアメリカとは雲泥の差があった。そのアメリカ市場に勇猛果敢に挑み、日本の小さな電機会社は、やがて「世界のソニー」となった。個人のチェンジメークが、市場を世界を変えた。
21世紀のいま、日本はさまざまな意味で苦境に立たされている。だからこそ、敗戦の空気を一掃し、経済発展を呼び起こし、社会に光を当て、日本を大きく成長させるきっかけをつくった盛田氏のようなチェンジメーカーが次々と登場していく必要がある――、浅見はそう指摘し、今年の受賞者を筆頭に新たな地平を切り開く力を持った若い人たちが日本を引っ張る時代が到来することを望んでいます、と語った。
次に、2010年にスタートしたこの企画に当初より特別協賛を続けているリシュモン ジャパン株式会社代表取締役社長 カルティエ チーフ エグゼクティブ オフィサーのクリストフ マソーニ氏が挨拶した。
カルティエは、1847年の創業以来、豊かで、誇るべきクリエーションの歴史を重ねており、まさにチェンジメーカーとして時代を切り開いてきた。ゆえに次世代のチェンジメーカーを発掘し、応援するこのプロジェクトへ協賛するのは当然だと語り、協賛自体を誇りに思う、と、マソーニ氏はカルティエがプロジェクトを応援する理由を述べた。
このあと、日経ビジネスオンライン編集長の飯村かおりが登壇し、約80万人の日経ビジネスおよび日経ビジネス オンラインの読者の方々の投票を経て、小松氏、高井氏、中田氏が今年のチェンジメーカー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた理由を紹介した。
小松氏に関しては、ミュージシャンに対してファンをはじめとする個人が小額投資を行うことでその活動を応援するマイクロ投資の仕組みを開発したこと、このマイクロ投資の仕組みを活用して、東日本大震災で被災した企業の復興を手助けする「セキュリテ被災地応援ファンド」を立ち上げ、大きな成果を上げつつあることが受賞理由となった。
高井氏に関しては、「生命はどのように誕生したのか」という人類最大の謎に挑み、深海の極限環境である熱水孔調査や実験などを通じて迫り、その一方で新しいエネルギーや海洋資源の発見と開発などの糸口を見つけるなど、基礎研究、応用研究の両面で、科学の世界に新しい道筋をつけていることが受賞理由となった。
中田氏に関しては、自身のユニットであるcapsule、そしてPerfumeやきゃりーぱみゅぱみゅなどの総合プロデュースなど、さまざまな音楽活動を通じ、コンピュータを駆使し、先端的でありながら、キャッチーな作品を次々と世に送り出し、日本の音楽シーンに新風を巻き起こしていることが受賞理由となった。
以上の総評に引き続き、受賞者3人(中田氏については代理人)に対し、賞状が浅見から、副賞としてカルティエ初の男性専用腕時計「カリブル ドゥ カルティエ」がマソーニ氏からそれぞれ手渡された。
続いて、受賞者の記念スピーチが、小松氏、高井氏、中田氏(DVDによるメッセージ)の順に行われた。
小松氏はまず、2000年にミュージックセキュリティーズを起業したときに購入したのが偶然にもカルティエの腕時計で、それ以来愛用してきたことに触れ、「山あり谷ありの12年間でしたが、腕にカルティエの時計があることを励みに頑張ってきました」と明かす。
自らも音楽のプロを目指した経験から、インディペンデントなアーティストを支え、育てるために、ファンたちの「好き」の力を投資に変えるマイクロ投資の仕組みを作ったこと、ラッパーのAK69のようにCD10万枚以上を売り上げ、ニューヨーク進出を果たすようなミュージシャンも登場したこと、またこのマイクロ投資の仕組みが純米酒の酒蔵の再興にも役に立ったことを解説した。
そして、昨年の東日本大震災で被災した現地の企業を応援するために、マイクロ投資の仕組みを活用して、「セキュリテ被災地応援ファンド」をつくり、現地のすばらしい経営者たちと東北の街と市場を活性化した過程について、熱く語った。
「投資には、寄付とは違い、期待が込められています。受け取る側には期待されていること、思いを託してもらっていることを実感してもらい、それを自信や誇りにつなげてもらえればと思っています。今後もこの活動を通じて、個人の持っている資産が、その個人が応援したいと思っているこれからのチェンジメーカーに、直接届くようにすること、それを広げていくことが、使命だと感じています」と最後に述べた。
JAMSTECの地球生物学者である高井氏は「ここにいらっしゃるほとんどの方が、僕のことも僕が所属する研究所のことも知らないと思いますので」とユーモアを交えて前置きをしたのち、大深度有人潜水調査船「しんかい6500」や、全長200m以上日本最大の科学掘削船「ちきゅう」などJAMSTECの誇る数々の研究用船舶や施設の写真を紹介したのち、深海の極限環境を調査して「生き物がいる環境と、生き物がいられない環境のはざま」を追い求め、生命の起源にどう迫っているのか、自身の研究内容を紹介した。
高温や高気圧、pHが偏るなど、極端な環境下でも、生物が発見されていることを解説したうえで「僕が一番知りたいのは、生物の存在する環境の限界をふちどることです。こうして深海の、暗黒の世界での生物と地球との関わりのルールを発見することで、40億年前の地球上にどんな生物がどんなふうに暮らしていたのかも解明できます」と語った。
高井氏は、「地球外生命」の発見を宇宙航空研究開発機構(JAXA)や大学と組み、日本人の手で果たしたい、とこれからの目標を話す。地球の生命は海の中で生まれたが、太陽系には、地球以外に、木星と土星のそれぞれの衛星計2つに海があることがわかっている。このうち凍っていない液体の海がある土星の衛星にJAXAと組んで宇宙船を飛ばし、海水を持ち帰り、生命の有無を確かめたい、と夢を語った。
「僕は、すぐに人の役に立つことをしているかというと、していません。でも、みなさんの好奇心をくすぐることはできていると思います。そして日本のみなさんの好奇心が応援してくれているから、研究が成り立っているとも思っています。先ほど、小松さんは投資についてのお話をされましたが、僕は、科学や文化への取り組みは、国に対する投資だと考えています」
音楽家の中田氏は、ビデオメッセージの中で、自身が音楽界のチェンジメーカーであり続けるためのハードルについて語った。
「プロの場合、自分で好きなときに好きな曲をつくること以上に、好きなときに好きな曲をつくるための環境を整えることが大切で、その環境を整えることがとても難しい」と中田氏。
「クリエーターとしては、アマチュアであるときほど恵まれた環境はありません。つくりたいときに、つくりたいものをつくれて、それを自由に発信できるからです。プロではなかなかそうはいきません」
でも、それでは、ほんとうに新しいものは生み出せない。キャッチーでありながら、市場を切り開く曲はつくれない。そこで中田氏は、音楽をつくる以上に、自分が自在に曲づくりのできる環境づくりに、デビュー以来、地道に取り組んできたという。
中田氏は言う。
「つくりたくないものをつくることが仕事であり、つくりたいものをつくれないのが仕事である、という考え方があるけれど、それは間違いだと思います」
プロだからといって、つくりたいものをつくることを安易に諦めてしまうと、会議に通ることを第一につくられるものに負けてしまう。「全部を思うようにはできないかもしれませんが、自分がつくりたいものと、相手から求められているもののバランスがとれたときに、自分がつくりたいと思っていたものを超えた、新しいものが生まれます。そして、そうやって生まれたものを、どうやってより多くのひとに届ける環境をつくるか。やはりここでも、それを考え、つくっていくことが大切だと思っています」と新時代を切り開きながら、プロとしてキャッチーであり続けるための心構えを中田氏は話してくれた。
最後に、アショカ・ジャパンの渡邊奈々氏がスピーチを行った。渡邊氏は『チェンジメーカー 〜社会起業家が世の中を変える』の著者で、世界中でチェンジメーカーを支える活動を行っているアメリカのアショカ財団の日本支部アドバイザーを務めている。チェンジメーカーという言葉を、日本に普及させたのが、渡邊氏だ。
13年前、社会を変えようと行動を起こしている、いまでいうところのチェンジメーカーに初めて会ったときのことを、渡邊氏は「私の前にドアが開いて、光が射してくるような体験でした」と語る。
「私は政府でも起業でもなく、個人が社会を変えられるのだと実感しました」
2011年、アショカ財団は、東アジアで初めてとなる支部を日本に開設した。こちらでは、日本の社会を変えていく可能性を秘めている「フェロー」を増やすこと、主に東北地方で、継続的に変革をもたらすような10代の若者を支援すること、そして、企業とともに取り組めるプロジェクトのあり方を探ることに取り組んでいる。
「こういった、目に見える形で結果を出す人たちを支援する活動を通じて、日本を変える応援ができればと思っています」
アショカ・ジャパンが、日本でより多くのチェンジメーカーが生まれるお手伝いをしたい、と渡邊氏は締めくくった。
4人のスピーチの後には、フォトセッションが行われ、小松氏、高井氏とマソーニ氏、渡邊氏、浅見がメディアのカメラの砲列の前に並んだ。