アマチュア最強の時代。
だから、つくりたいときにつくりたいものをつくれる環境を、つくる。
「いま」の環境で、できることを、楽しもう、生み出そう
音楽業界は斜陽――。そう言われることもありますが、僕自身は、実感していません。2001年にcapsuleでメジャーデビューをして、音楽を仕事にしはじめたときには、すでに、CDの販売は勢いを失っていたからです。だから「昔は良かった」という感覚自体がないんです。
いきなり話がずれますけれど、ボード全体がディスプレイになっているテーブルってないかなと思ったんですね。で、インターネットで調べてみると、海外で製品化している業者があった。買おうと思えば、個人輸入できることもわかりました。
これが、「いま」です。
インターネットがなかったころ、デジタルが発達していなかったころ、たとえば自分のほしい商品がどこにあるか、調べようと思っても手段がなかった。あるいは、調べること自体にお金も手間もかかった。
でも、「いま」は違います。探せば欲しいものが売っているかどうかくらいのことはわかる。
音楽の世界でも同じです。インターネットがなかったころは、遠く離れた国の、誰もビジネスとしては関わっていないような土着の音楽の存在を知ることは、物理的に難しかった。ましてや聴くことなんて、ほぼ不可能だった。
でも、「いま」は違います。行ったことのない国の音楽でも、手軽に楽しむことができるようになった。
僕がデビューしたときは、CDの売り上げが落ちる一方で、インターネットやデジタル技術がどんどん成長している瞬間でした。悪くなっているところもあるのかも知れないけど、よくなっているところもある。僕はそのなかで、自分がやりやすいようにやればいいのだと思って、やってきました。もちろん、うまくいくまでに時間がかかりましたけれど。
コンピュータ×音楽は、「代用品」じゃない。
音楽との出会い。
1980年生まれ、石川で育った僕にとって、子どものころ、J-POPよりも洋楽の方が身近な存在でした。偶然の結果です。家からも近くて一番行くことの多かったCDショップがたまたま、『インポートヤマチク』という輸入CD専門店だったからです。聴いていたのは、安く買える音楽ばかり。5枚1500円くらいのディスカウントCDが中心ですね。ブルーノートのジャズなんかが束になって売っていた。だからその手のインストゥルメンタルを中心に楽しんでいました。
中学にあがったころ、このディスカウントコーナーにダンスミュージックが加わります。そこで今度はダンスミュージックを聴き始める。シンセを使った打ち込み系に出会うのもこのころです。
シンセサイザーを新しい楽器ととらえよう
シンセサイザーは生楽器の代用品として開発されてきた側面もあります。
結果、軽んじられていた。ほんものじゃない、と。
つくる側が「ほんもの」の楽器の代わりとしてつくった。それは事実かもしれないけれど、使う側までもが、「ほんものの代わりに使うもの」として、当初はシンセサイザーを扱っていた。その発想では、たしかに代用品以外のなにものでもありません。
一方で、シンセサイザーを「代用品」じゃなくて、「まったく新しい楽器」と解釈して使うひとたちもいて。つまり、「使い方」を「発明」したひとたちが出てきた。それが新しい音楽、いわゆる電子音楽を生み出しました。テクノ、あるいはエレクトロは、生楽器では不可能な、積極的にシンセを駆使してはじめて実現できる音楽です。そのテクノが流行することで、世の中のシンセへの見方も変わってきました。代用品じゃなくて、新しい楽器になったのです。
そうなると、シンセをつくるメーカー側の意識も変わります。積極的にシンセじゃなければできない機能を盛り込んでいく。生楽器には出せないひずみ、なんだかわからないけど、すごい音が出せる。世界中の音楽ファンがシンセの面白さ、ユニークさを知るようになりました。それでもまだ、打ち込みより生のバンドのほうが「ほんもの」だ、という風潮は残っていました。
コンピュータより生演奏、デジタルよりアナログという雰囲気。まだまだ、打ち込みは主流ではない。
ふーん。
10代の僕は、だからこそ、コンピュータでつくる音楽に興味を覚え、魅力を感じたんですね。
ピアノだって異端だったときがあった
演奏に関していうと、子どもの頃からピアノを習っていました。クラシック音楽です。でも、こちらは面白い、と思えなかった。ピアノを弾くのはおもしろいけど、自由に弾かせてもらえず、人の作った曲を延々練習するのが苦痛だった。
一方、コンピュータは大好きでした。スイッチを押す。何かが起こる。すごい。
きっかけは家にあった親が使っているNECのPC-8801というパソコン。80年代に一世を風靡したやつです。フロッピーを入れないと、起動しないタイプです。
幼稚園のころだったかな、小学生のころだったかな、このパソコンを勝手にいじり始めました。正しい使い方はもちろんわからない。とにかくスイッチを入れる。キーを押す。押した通りに文字が画面に現れる。飽きもせず、ずっとパソコンのキーボードを叩いて遊んでいました。僕にとってコンピュータは、便利な道具である以前に、面白いおもちゃとして目の前に登場したんです。
コンピュータは、あるいはシンセサイザーは、新しく生まれた楽器です。そんな新しく生まれた楽器の、新しい魅力を、新しい使い方を考えて、実現して、まわりになじませていく。それって、すごく楽しい仕事だと思いませんか?
どんな楽器だって「生まれたて」の瞬間があります。ピアノだって、誕生した当初は、「こんなの楽器じゃないよ」「鍵盤楽器じゃなくて打楽器だな、こりゃ」「やっぱり鍵盤はチェンバロに限るね」とくさす人がたくさんいたはずです。いや、ただの想像ですけど(笑)
そんな中、「ピアノ、面白いぜ」とピアノを弾いて、ピアノじゃないと表現できない新しい音楽をつくるひとがたくさん出てきて、それが聴き手を魅了して、ピアノが世界になじんでいって、いまのメジャーな楽器の地位を確立する……。そんな過程がきっとあったんだと思います。
新しくあれ、キャッチーであれ
僕は新しい楽器を、テクノロジーを、音を、そんな風に「なじませる側」にまわりたいんです。最初にピアノをなじませた誰かのように。 ただし、「別のこと」を「増やす」ためには、キャッチーでなければダメですよね。つまりより多くのひとの心をつかむような説得力がなければ増えていかない。
「今まで興味なかったような世界のものだけど、これは面白い」
そんな風に、聴き手に積極的に選んでもらってはじめて認知される、つまりなじんでいく。だからキャッチーな音楽を創ろう、と思いました。
あ、でもね。キャッチーであろう、というのと、ポップであるというのは違うと思っています。ポップというのはそれまで大衆が受け入れていなかったものを、誰かが広めてポップにした、ということですから。キャッチーというのは、どんな少数派の種類のものでもそのきっかけを作り出すパワーということです。
プロになったときはそれ自体が嬉しくて、それまでの自分とは音楽のつくり方やつくる環境が変わっても、最初は「これがプロのやり方なのか」と受け止めていました。
でも、徐々に違和感を覚えていくシーンが増えていったんです。
プロだからこそ、アマチュアの環境を
デビューした頃は、ある意味無理をして型にはまったプロっぽさを受け入れていたわけですが、やっぱりアマチュアのときの環境の方が、僕には合っていました。クリエーターとしては、アマチュアであるときほど恵まれた環境はありません。つくりたいときに、つくりたいものをつくれて、それを自由に発信できるからです。プロではなかなかそうはいきません。
デビューから10年近くかけて少しずつ、むしろアマチュアのときのように「つくりたいときに、つくりたい曲をつくることができる」環境を整えていきました。プライベートスタジオによる音楽制作をしているのもそのためです。もともとアマチュアのときは自分の部屋にあるものだけで好きなように作っていたわけですし。
プロですから、ひとりでその環境ができるわけじゃありません。色々まかせてもらえるようになるまでは大変です。自分にとって快適な環境をつくる方が、曲をつくるよりも、難しかった、といえるかもしれないですね。
「枠」を楽しむのがプロデューサーの仕事
プロになって、ミュージシャンとしての顔と同時に、他人をプロデュースしたり、CM音楽をつくったり、映画のサントラを担当したりする、プロデューサーの役割が大きくなっていきました。アマチュア最強、と言ったそばから矛盾するように聞こえるかもしれませんが、プロデューサーの仕事、大好きです。オーダーをもらうこと、「枠」があること、オーダーと「枠」を前提として、最大限いい曲をつくること。これは、プロとしての面白さでもありますね。
ここにひとりのアーティストがいる。
このアーティストに曲を提供する。
何を僕が考えるか。
このアーティストにしかできない面白さを持って世の中に出るにはどうすればいいだろう?それを考えて曲をつくっていきます。アーティストのお客さん――実際にできた曲を聴いたりビデオを見たりするひとのことはあえて考えません。お客さんがどう感じるかを考えるよりまずアーティストや、映画なら作品がどう魅力的になるかを考えることが先だからです。
テレビCM用の音楽をプロデュースする場合には、CMが扱う商品があり、CMの流れがあります。あらかじめそういった「枠」が用意されていて、それが僕の前に示される。その「枠」を制約と捉えることもできるけど、でも、その「枠」をベースとして自分を広げていけるとも捉えられる。「枠」を示してもらうことで、それまでの自分が持っていなかった新しいアイデアや新しいインスピレーションが得られることがいっぱいあります。CMに音楽をつけるって、とってもクリエイティブです。
もちろん、自分のユニット=capsuleで音楽を続けています。人から依頼されてつくるのではなく、自分のアイデアを提案し、実行する場として、僕にはなくてはならないものです。アマチュア的な砦。これが僕の音楽の核です。
つくりたいものを、つくれる環境を、つくる
繰り返します。
つくりたいものを、つくれるような環境に自分を置く。
実はこれが一番難しいことです。特にプロとしては。
だからこそ、つくっている人が一番頑張るべきところも、ここです。
つくりたいものを、つくれる環境をつくる。
そのうえで、オーダーがあったり、「枠」があったりして、いろいろなかたちで作品を世に出していく。
つくりたい曲をつくる。あとは、どうやったらつくりたくてつくった音楽が、より多くのひとに届く環境を成立させるかを考える。それではじめて、キャッチーになる。アーティストが考えるべきことって、それじゃないのかな?
でも、そこまで考えがいたる前に、つくりたいものをつくること自体を諦めてしまっては負け。会議に通ることを第一にものを作ってもそもそも自分が楽しくないでしょう。
そこで負けちゃうことって、けっこうありますよね。たとえば会議でも、そうではないですか。自分に自信がないときほど、エッジの立ったアイデアを引っ込めて、「みんなはこれがいいと言っています」と諦めて迎合したりする。でも、たいていの場合、その「みんな」には自分は含まれていないんですよね。
そこに逃げ込まずに、正直に、自分がいいと思うものを主張していけばいい。簡単なことでないけれど、その困難を乗り越えて、自分のやりたいことと、相手から求められていることのバランスがとれたとき、ほんとうに新しいものが生まれると思うんです。
だから、これからもアマチュアのように、つくりたいものをつくりたいときにつくっていく。そのうえで、枠にもオーダーにも楽しんで応える。
かっこいい、とたくさんのひとに聴いてもらえる、は、両立する。
僕はそう信じています。
作曲家、音楽プロデューサー 中田ヤスタカ(capsule)