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焦点 区画整理の教訓−阪神大震災から学ぶ(4完)淡路市
 | 復興区画整理事業で整備された幅15メートルの道路を前に、富島地区の移り変わりを説明する河野さん |
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<完了までに14年> 早期復興を期して臨んだ一大事業は結局、完了まで14年を要した。「あまりに長すぎた」と住民たちは嘆く。 兵庫県淡路市の富島地区は、阪神大震災(1995年)で断層面が地表に現れた天然記念物「野島断層」の南西約100メートルに位置する。 地区は今、幅15メートルの目抜き通りに、真新しい建物と古びた木造家屋が混在して並ぶ。所々に空き地も広がる。 のりの養殖や小魚漁などで栄えた富島地区は、阪神大震災で26人が死亡し、地区建物の約8割の671棟が全半壊した。古い木造の建物が多く、1メートルに満たない路地を挟んで長屋がひしめく場所もあった。 当時の旧北淡町は震災からわずか1カ月で、富島地区での復興土地区画整理事業(20.9ヘクタール)の実施を決めた。一般会計が100億円に満たない町での初の区画整理。総事業費は約237億円に上った。 事業完了は2009年。当初予定の99年度から10年ずれ込んだ。大幅に遅れた原因は当時の町職員、住民に共通する。「区画整理の知識が足りなかった」 東北の被災3県で復興区画整理を計画する15市町村のうち4自治体が初めての実施になる=表=。5自治体は20年以上前の事業で「ノウハウがないに等しい」(宮城県の自治体)との声も聞かれる。
<換地に反対続出> 富島地区の土地区画整理審議会の会長を務めた河野征弘さん(69)は「事業にはスピードが必要だったが、最初のつまずきを最後まで取り戻せなかった」と悔やむ。 区画整理について、住民への説明はほとんどなく、町の説明自体も「あいまいで説得力がなかった」(河野さん)。このため、道路や公園などに私有地を提供する減歩、土地を交換する換地への反対者が続出。95年8月には、住民団体が区画整理の白紙撤回を求める請願と482世帯の署名を町に提出した。 区画整理では、高潮被害の出る地区のかさ上げを計画したが、移転を伴う換地は「地権者の合意を得にくい」と断念。商業地の集積計画も住民らの意見がまとまらず、立ち消えになった。
<職員足りず混迷> 町職員のマンパワー不足も混迷に拍車を掛けた。震災直後、町の区画整理担当職員はわずか5人。間もなく兵庫県などからの職員派遣で10人に増えた。しかし、住民への説明、事業収支や図面といった具体計画の策定、街づくりの準備など、とても手が回らなかった。99年度からは都市再生機構の業務支援も受けた。 事業が長期化するにつれ、町を離れる人も増えた。現在の地区全体の人口は1503人。震災直後から3割以上減った。 事業撤回を求めた住民団体の元代表仲井義夫さん(79)は「若い世代がよそに家を求めて町を出た。借家住まいの人も離れた」と嘆く。 「あまりにも期間が長すぎた」という仲井さんらの批判に対し、当時、区画整理を担当した淡路市都市計画課の織田英幸さん(40)は強くかぶりを振った。 「職員の仕事量は、いくら時間があっても足りないほどだった」 (門田一徳、亀山貴裕)
2012年07月26日木曜日
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