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満洲建国の真実(1)建国の高き志「五族協和」

 ボロディンらの指導と援助でソ連赤軍型の強力な軍隊「国民革命軍」が育成され、それを率いた蒋介石が中国の統一を目指して「北伐」を開始します(大正15年、1926)。その途上ではコミンテルンの指導で、意図的に日本人を含む外国人居留民に対して暴虐の限りが尽くされました。昭和2年(1927)の「第一次南京事件(中国国民革命軍によって日英米伊仏など各国の領事館や居留民が襲撃された事件)」は象徴的です。

 それと併行して、コミンテルンと中国共産党は満洲でも、主として地下活動によって精力的な反日・排日工作を開始します。その結果、それまで平穏だった奉天においても、昭和2年9月、突如、2万5千人もの大規模な排日デモが行なわれ、日本製品と日本企業に対するボイコット運動(日貨排斥)が始まります。この動きは、またたく間に日本人が多く居住する南満洲の各地に広がって暴力事件が多発していきます。

 つまるところソ連は、南北両方向から日本の満洲権益に襲いかかったのです。

 こうして、中国大陸とりわけ満洲における日本の利権が、大正末には大きな脅威にさらされるようになったのですが、日本の歴代政府は「事なかれ主義」に徹し、「先延ばし政策」しか、打つ手がありませんでした。そこには、アメリカの存在があったからです。アメリカは、ウィルソン大統領以来、中国や満洲において日本の勢力がこれ以上、発展することを何としても牽制しようという政策(門戸開放)を基本方針としていました。

 第一次大戦中、ドイツとの戦争で手一杯になっていたアメリカは、一旦は満洲における日本の「特殊権益」を認めましたが(1917年、石井・ランシング協定)、戦後、ワシントン会議(1921~22年)でその廃棄を日本に求め、日本はこれを受け入れました。加えて同会議において、日本は自らの大陸発展の手を決定的に縛ることになる「中国に関する九カ国条約」にも調印してしまいました。ここから、満洲をめぐって日本の「隠忍自重」と「自縄自縛」と言われた苦難の道が深まっていくのです。

 戦前日本を代表する東洋史家・内藤湖南は、早くも大正13年(1924)に、目下「日本は隠忍の上にも隠忍して」いるが、「結局は破裂するしかない道を辿っているのである」と喝破し、その原因は、外務省を始めとする日本政府が「支那問題に対しても、米国に叱られるか、ほめられるかということを第一に考へている」からだと述べています(『新支那論』)。湖南の予想通り、1920年代末に至って中国国民党が「革命外交」に突き進んだのも、結局のところ、この日本の対米姿勢の弱さに、中国としての突破口を見出したからです。

 国民政府の外交部長(外相)・王正延 <おうせいてい> は、「満鉄などの権益の源である日本との不平等条約は一方的に破棄する」と主張します。これは、不平等条約改正のために明治維新以来、血の滲むような不断の努力を積み重ね、列強との40年にわたる交渉によって、ようやくにしてその改正撤廃にこぎつけた日本の国民にすれば、到底容認できない、あまりにも勝手無法なものでした。さらにこの頃になると中国各地では筆舌に尽くし難いほどの反日・排日行為が頻発しましたが、その火に油を注いだのも、この「革命外交」だったのです。

 こうして日本は、内藤湖南がすでに早くから見通していた通り、満洲をめぐりギリギリの瀬戸際へと追い込まれていったのです。昭和に入ると多くの国民も、刻々と「破裂の時」が迫る「満蒙の危機」を如実に感じるようになりました。

<「満洲建国の真実(2)“失われた20年”の末に」につづく>

◇掲載誌紹介◇

歴史街道 2012年7月号
2012年6月6日発売
価格(税込)630円   

[今月号の読みどころ]
日露戦争の勝利で満洲の権益を得た日本は、昭和7年(1932)満洲国を建国。満鉄を中心に莫大な投資を行なって、経済発展させた。今月号の総力特集では、満洲の無辺の大地に、日本人が描いた理想を描きます。第二特集は「神々から読み解く『古事記』後編」です。

 

歴史街道

 

BN

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