井上
「アメリカ軍の最新型輸送機オスプレイが山口県の岩国基地に搬入されました。
反発と不振が高まる中、夕方までに合わせて12機がすべて陸揚げされその姿を現しました。」
岩国到着“オスプレイ”の波紋
オスプレイ陸揚げ 反発強まる中…
井上記者
「午前5時過ぎ、オスプレイを積み込んだ貨物船、アメリカ軍岩国基地の沖合に到着しました。
ゆっくりと基地内の港湾施設に向かって航行していきます。」
搬入されたオスプレイは、全部で12機。
9時間余りに渡って陸揚げ作業が行われました。
オスプレイについては配備先の沖縄に直接搬入する計画もありました。
しかしその安全性に懸念の声が高まるなか、沖縄側の反発を受けて、いったん岩国基地に陸揚げし整備、訓練を行うことになったのです。
抗議集会に参加した人
「岩国をなめるな。
なぜ岩国なのか。
海兵隊の基地があるからといって、そんな便利に使っては困る。」
基地の街、岩国。
人々はアメリカ軍の基地とともに長年暮らしてきました。
市民
「決まったものはしかたない気もするが複雑。」
「もう我慢の限界、どうにもならん。
反対しても諦めなければしかたない。」
岩国駅前本通商店街振興組合 小林幹生理事長
「長年、米軍基地・自衛隊と共存共栄を図ってきたが、安心安全が保たれない場合には、“反対の立場”取らざるをえない。」
地元が反対している中、オスプレイが岩国基地に陸揚げされたことについて、岩国市の福田市長は「安全性が明確になっていない状況での今回の陸揚げについては非常に憤りを覚える」と述べました。
岩国市 福田良彦市長
「今回、国の責任・行為によって地方との信頼関係が損なわれることは今後、
安保政策へのわれわれのスタンス、立ち位置を大いに変更せざるをえない。」
オスプレイ陸揚げ 配備予定の沖縄では
オスプレイの配備が計画されている普天間基地がある沖縄、宜野湾市。
宜野湾市民
「決して沖縄には入れないでほしい。
何かバランスが普通のヘリコプターとは違う感じがする。」
「強行しすぎかな。
県民の声は聞いてもらえないのかな、実際の気持ち。」
沖縄 与世田副知事
「(日本側が)自ら安全を検証するチーム派遣しているわけだから、チームが答えを出すぐらいまでは配備を遅らせるぐらいの努力と配慮があってもよいのではなかったか。」
抗議は野田総理大臣のすぐそばでも。
抗議行動呼びかけた市民団体 木村辰彦事務局長
「政府に対して直接、沖縄県民の怒りの声を本土の皆さんと一緒に突きつけていきたい。」
各地で上がる反対の声。
野田総理大臣は、オスプレイの海外での事故原因の究明や分析を日本として主体的に行う姿勢を示しました。
野田首相
「オスプレイはきちんと安全性が確立するまで日本での飛行は行わない、そういう方針。」
さらに、森本防衛大臣は。
森本防衛相
「安全を確保するためには、できるだけ民家の上を飛ばないのがごくごく常識。
できるだけそういうルートが、日米間で話される方が良い。」
大越が見た 基地の街 岩国
大越
「オスプレイ搬入に対して日に日に反発が強まっていった岩国。
長年、基地との共存を続けてきた岩国ですが、その岩国をして、受け入れがたいと考えるだけの理由がありました。
現地を取材しました。
大越
「アメリカ軍岩国基地の前に来ています。
ここ岩国は、国の方針に沿って、基地との共存共栄の関係が、比較的築かれてきたところとも言われています。
しかし、オスプレイの搬入をめぐって、国と、ここ岩国との間に、深い溝ができつつあります。」
岩国市役所で基地対策の責任者をしていた、山本さん。
基地の存在を理解しつつ、騒音などの対策に力を尽くしてきました。
大越
「ずっと負担の軽減っていうのをやってこられた立場からすると複雑なお気持ちがおありじゃないですか?」
山本さん
「目的と違う方向に今、どんどん進んでいるから。
岩国のおとなしい人間を、今まで通り協力するだけでいいのかなという考え持つの、かなり増えてくると思う。」
核心:内包する「失望感」
『新日本紀行』昭和41年5月放送
「錦帯橋とコンビナート、もう1つの素顔は、基地 岩国です。」
昭和29年にアメリカ海軍の基地となった岩国基地。
沖縄の普天間基地と並び、アジア太平洋地域の航空部隊の拠点になっています。
しかし、滑走路のすぐそばに、市街地。
戦闘機の騒音が問題になっていました。
市の職員時代の山本さん。
住民からの要望を受け、市は20年以上に渡って国との交渉を続けました。
その結果、国は、海を埋め立てて滑走路を沖合に移し、市街地から1キロ遠ざけました。
地元では国に要望が受け入れられ負担の軽減が図られたと歓迎しました。
大越
「沖合いへの移設を実現した。
それは市の担当幹部としては一種の達成感はおありだったんですか?」
山本さん
「周辺に住んでいる住民としても騒音も減少、事故も少なくなるだろう、ということで、非常によろこんだのが実感。」
ところが、アメリカ軍の再編に伴って厚木基地から空母艦載機が移転することに。
住民の負担軽減のために作られた滑走路が、新たな受け皿にされた形です。
山本さんは、国に裏切られたと感じたと言います。
山本さん
「厚木(基地)周辺は何百万人という人が迷惑を受けておると。
ここは10万人も迷惑受けていないでしょと、だからそれで一方的に、ここへ持ってくるよというのは、話が違うじゃないかと怒った。
(住民から)『お前が余計なことするからこんなことになった』と、私はもうそれから国を信用しないようになった。」
そして、今回のオスプレイ搬入。
住民からは、基地の沖合移設が、オスプレイ陸揚げの呼び水になったのではないかと指摘する声も出ています。
移設に伴って、基地の港湾施設もより深い海域につくられ、住民からは、大型の艦船が直接、基地に出入りし、基地機能の強化につながるのではないかと懸念する声も出ていました。
大越
「山本さんの胸にあるのは憤りですか?それとも諦めに似た気持ちですか?」
山本さん
「憤りもあるが、もうずっと何回も経験しているから、諦め。
なぜ住民が不安がっとることに対して、納得がいく説明を住民にしてくれないのか。
『アメリカが言うからどうすることもできません』だけ。
それで住民への説明にはならない。
沖縄は大変、岩国も大変、それじゃあどうしたらいいかというのを考える時期じゃないか。」
大越
「国の安全保障政策への協力と、住民の負担の軽減、両方の必要性を知るからこそ、沖合移転という案を出して実現にこぎ着けたのに、もともと構想になかった艦載機の移転、オスプレイの搬入と、ほぼ一方的に国に通告され、負担が増す結果となった。
『あんたがやったことが全部裏目に出たんだ』と住民に言われることが一番辛い、せめてきちんと頭を下げて、誠意を持って住民に向き合う姿勢を国は持ってほしいと、山本さんは訴えていました。
安全の確認をしっかりやるといっても、何度も不信を味わってきた住民たちの心には、届いていません。」