• 意見・コメントについての考え
  • 先の活動報告でバトルやら縦読みやらがなされておりますが、作品に対する感想でやられるなら勘弁してほしいと思いますが、活動報告の私が言ったことに対するレスならまあいいんじゃないかと思います。

    意見・コメントについて、GINさんがご自分のお考えを説明していただいたので、私とは根本的に考えが食い違っていますので、私はこう考えています、ということを提示したいと思います。

    >じゃあここは阿呆な意見が来ない理想郷なの?
    違うよね。人間社会っていうのは淘汰や苛め、侮辱に嘲笑なんでも御座れの場所でしょ。
    しかもそれを特定できないと思い込んでる匿名(もしくは偽名)でやれる場所がネットな訳。

    そんなことはないですよね。GINさんご自身が「それを特定できないと思い込んでる匿名」とお書きになっていらっしゃるように、特定は可能ですし、手間費用がかかるからやらないだけです。侮辱嘲笑は侮辱嘲笑であってそれ以上でもそれ以下でもありません。
    GINさんはこの社会というものをご理解なさっておられないのではないかと思います。

    >さらに世界中の誰にだって見れるから、取り囲む人間の数は小学校のクラスの比じゃない。
    多種多様な人間がいて、多種多様な考え方があって、そいつらのモラルレベルや考え方の選別ができるシステムもない。

    これは事実上その通りですが、だからと言って、それに迎合しろ、しなければならない、という話にはなりません。
    そもそも異見を読みたくない、と言うだけの話なら、多くの方がおっしゃっておられるようにコメントを閉鎖するなり、ただ削除すればいいだけであって、私がしていることはそれとは逆のことです。
    意見の根拠・理路を伺って、自分の意見を提示する、対話を拒絶しているのは私ではありません。GINさんはご自分なりの意見の理路をお示しになったので、こうしてレスをすることが可能になったわけですが、ほとんどの場合はそれ以前の段階にとどまっています。
    そもそも私が主にピックアップしたのは、作品の感想とかそういう相対的な余地が多い話についてではなく、歴史的事実やその標準的な解釈についての話です。当然、おのずと求められる水準というものがあります。何度も例に出して悪いとは思いますが分かりやすい例としては、例の血友病云々の話があります。
    Aという現象があったとして、Aとなる理由にはさまざまな可能性があります。逐一私はそれを指摘したのですが、相手がいて、自説を主張するからには、そういうプロセスは自分の中であらかじめ経て精査されていなければなりません。
    つまりこれは意見が違うとか、それを受け入れるかどうかというような話ではありません。公共に出された見解として、レベルが低いと言っているのです。

    >この作者は、そういう意見を全部なくせと言ってる。でもそれできるの? 普通に考えれば無理だ。

    そんなことは言っていませんよ。私が言っているのは、異なった理路の可能性を踏まえていない意見はレベルが低い、レベルが低い物として遇されるべきで私はそうしている、というだけのことです。
    私は全く逆だと思うんですよね。GINさんは、異論を容認していないのが私であるかのようにおっしゃっていますが、私はそれはむしろ逆でしょうと思っています。
    相対的な立場に立つならば、ある作品を「面白くない」とある人が思った時、主に二つの可能性があるわけです。作品自体がつまらない場合と、その読み手の理解力が足りない場合です。
    Aと言う人にとって自分は絶対なので、自分がつまらないということはAという人には意味がありますが、作者を含めた他人にとっては意味がないことです。もちろん、私はGINさんの判断に重きを置いていて、GINさんがそう言うならそうなんだろうと私が判断することもあり得ますが、GINさんの意見に価値を見出すというのも私個人の相対的な判断です。
    批評や公共の意見は、そのようなものではなく、異なった意見の間の人同士でも共有し得る理路や知識について、それはそうだとかそうではないとか、検討を加える過程で生じ得るものです。
    それはまさしく私がやっていることだと思います。
    それぞれの意見を尊重すると言うことは、複数の、異なった視座の見解があり得るということを前提にして、そのうえでそれぞれの妥当性を理路や共有し得る知識で検討してゆくということです。
    実際には私がやったのはそこまで複雑な話ではありません。「ヴィクトリア女王が絶対君主制を志向した」とか「ヴィクトリアを男性に置き換えた時、必ず血友病を発症するはずだ」というような一般的な知識から言っても疑問が残るようなことについて指摘したまでのことであって、その知識は「人それぞれ」ではありません。一方が考えが足りない、知見が間違っているとはっきりと提示可能なことです。
    それに異論があるならば、公共の言論を形どってゆくうえで、私に対しても同じことをすればいいだけの話です。現状それに相当するような見解はほとんどありませんが。
    批評や議論とはつまり、相互理解の過程であるのですが、最終的に必ず合意に達するとは限りません。やれるところまでやって、そこから先、分かり得ないことについては社会の枠組みの中で、「分かり得ないこと」として放置することも必要です。それもまた、異見を尊重すると言うことです。
    この活動報告の使用方法について、複数の人と私の間で考えが違うという事態が発生しましたが、それぞれの人の考えと同じく私の考えもまた尊重されるべきだと私は思います。本当に人それぞれの異見が尊重されるべきならば。もちろん社会の枠内において、やっていいことと悪いことがあり、このサイトにおいては運営がそれを判断されるでしょう。従って是非の判断は私は運営に委ねるまでのことです。逆に言えば運営が活動報告として容認されている限り、私の判断は是ということです。
    多くの方は、これについて異見があったとしてもそれで了としていただけるでしょうが、それで我慢がならないというならば説得する相手は私ではなく運営です。邪魔立てはしませんのでどうぞご自由になさってください。

    ここまで言って、GINさんの、

    >できないなら、歯を食いしばって、アンチどもを見返す、突き放すような作品書けよ。
    というか、たかだかアンチに負けるようなら、創作なんて苦しいだけだからやめたら?

    こちらの意見は視座そのものがまったく異なるものですが、こういうのは根性論とか精神論とかそれぞれの人のモットーみたいなものなので、それをわざわざ他人におしつけようというメンタリティが理解不能です。
    実際には、「あなたの意見はレベルが低い」というようなことを言われて、意見の理路を見直したりできる人はごく少ないのですから、どれだけ愚かな意見、間違った知見であっても「ご説ごもっとも」で表面的には流す方が摩擦は少ないです。私はそれではいけない、それは公共の議論としてはいけない、と思っていますので、風当りが強いことは百も承知の上で、歯を食いしばってこうして対応しています。
    私に言わせればGINさんの態度はごく「女々しい」。別に私はそれで構わないのですが、私に向かってまでその「女々しさ」を押し付けることはしないでいただきたいと思います。
  • 2012年 07月28日 (土) 08時46分

コメント

いちいち構うから相手の方もさらにつっかかってくるのでほっといた方が良いと思うのですが。
何より、サライさんが疲れるでしょうし、もっと別の楽しいことに時間使った方が良いような気がします。
投稿者:真昼  [ 2012年 07月28日 (土) 09時46分 ]
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