■数学者の人生を狂わせたポアンカレ予想
宇宙はどんな形をしているのか? 高校生のとき、ある有名な天文学者の講演があり、このように質問したところ、「宇宙は詩である」とか答えられ、ごまかされてしまった。だが、誰であれ、宇宙全体の形については、だいたい丸いと想像するのではないか。どこにも穴のあいていない丸(球)のごときものとして、宇宙を思い描くだろう。
だが、ここでひとつの問題にぶつかる。紙に描かれた丸を、われわれがまさに「丸い」と認識できるのは、その丸が2次元空間(平面)に属していて、われわれ自身は3次元空間にいるため、その「丸」を外から眺めることができるからである。しかし、仮に宇宙が丸かったとしても、宇宙それ自体(3次元)より高い次元(4次元)にわれわれの視点を設定することはできない。つまり宇宙の「外」は存在しない。とすれば、どうやったら、宇宙が丸いかどうかを知ることができるのだろうか。
丸の中に属している者が、どのようにして自分が属している宇宙がまさに丸いということを知ることができるのか。この判定基準についての仮説を「ポアンカレ予想」という。今から100年余り前、つまり1904年に天才数学者アンリ・ポアンカレが提起した予想だ。ポアンカレは、数学だけではなく、哲学や物理学にも才能を発揮した知の巨人である。そして何より、数学においては「トポロジー」というまったく新しい領域を開拓した。トポロジーは20世紀の中盤に入ると、それまでの幾何学の主流、微分幾何学を押しのけ、幾何学の王者になる。
トポロジーは、ゴムのように伸び縮みする図形を扱う幾何学だが、ポアンカレの時代は、芸術に関してはまさにアール・ヌーヴォーの時代だ。アール・ヌーヴォーは植物などをモチーフとした、グニャグニャとしたやわらかい曲線を主張するデザインを特徴としており、今でもパリに行くとこの時代のデザインがたくさん残っている。トポロジーとアール・ヌーヴォーには、共通の時代精神の発露を感じる。
ポアンカレ予想もトポロジーの領域に属する命題である。これを専門用語のままに記述すると、「単連結な3次元多様体は、3次元球面に同相である」となる。宇宙が「単連結な3次元多様体である」ということが確認できれば、宇宙は丸い(3次元球面と同相である)、つまり「単連結な3次元多様体かどうか」ということが、宇宙が丸いかどうかの判定基準になりうる、というのがポアンカレの予想である。と言っても、数学の専門家でなくては、何を言っているのかわからないだろう。
分かりやすく言い換えれば、次のようになる。今、長いロープを付けたロケットが、宇宙一周旅行をしたとする。ロープはたいへん長いので、常に、端の部分は地球に残っていて、ロケットと一緒に宇宙に飛んでいってしまうことはない。やがて、ロケットは宇宙をグルッと巡って、われわれのもとに戻ってくる。さて、そのロープをたぐり寄せて、われわれの手もとに回収することができるだろうか。「回収できる」ということが「単連結」という意味である。実際、船がロープを付けて地球一周してきたとしたら、われわれは、そのロープを地表(海面を含む地球の表面)から離すことなく回収することができる。地球が丸いからである。もし地球がドーナツ型だったりしたら、つまり地球の真ん中に穴があいていたら、ロープは回収できない。同じことが宇宙の全体でも成り立つのではないか、というのが、ポアンカレ予想だ。
1世紀強の間、多くの優秀な数学者たちがこの命題の証明に挑戦してきた。つまり、ポアンカレ予想が正しいということを証明しようと試みてきた。しかし、誰もこれに成功しなかった。ポアンカレ予想は、2000年にアメリカのクレイ数学研究所が七つの未解決問題、「ミレニアム懸賞問題」のひとつに選んだ。
ところが、21世紀に入って間もなく、サンクトペテルブルク出身のグレゴリー・ペレリマンという数学者が、ポアンカレ予想をついに解いたのだ! これだけでも大ニュースだが、その後の展開がさらに驚くべきものだった。ペレリマンはこの功績によって06年にフィールズ賞の受賞者に選ばれた。しかし、彼は受賞も賞金も拒否したのである。受賞が発表された式にも現れなかった。フィールズ賞は4年に一度しか出ない、数学界最高の栄誉、ノーベル賞以上に価値あるとされる賞であり、もちろん、今までに受賞を拒否した者はいない。単にフィールズ賞受賞を拒否しただけではない。彼は社会一般にも完全に背を向け、貧困生活の中に孤独に引きこもってしまったのだ。ほとんど誰にも会おうとしない。どうしてなのか?
NHKが07年10月に、この天才数学者とポアンカレ予想をめぐる「NHKスペシャル」を放映し、評判になった。本書はこの番組を作ったディレクターの春日真人氏が、ペレリマンやポアンカレ予想について書いたものだ。流れは番組とほぼ同じだが、番組には出てこなかった事実や解説もあって番組よりもだいぶ詳しい。そして何より、たいへんわかりやすい。ポアンカレ予想についての私の上記の解説も、本書の説明に従っている。
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本書によってわれわれがまず知ることは、数学の難問が数学者の人生をいかに大きく狂わせるか、ということである。わりと詳しく紹介されている、ギリシャ出身のパパキリアコプーロス(愛称パパ)とドイツ出身のウルフガング(ヴォルフガング)・ハーケンのライバル関係は、痛ましい。前者は「デーンの補題」という難問を証明し、後者は「四色問題」を解決した、たいへん優秀な数学者だ。2人はともにプリンストン高等研究所に所属して、ポアンカレ予想に取り組んだ。ハーケンは家族に支えられて「ポアンカレ病」から立ち直り、春日らのインタビューにも答えているが、パパは恋人をはじめ多くを犠牲にしたうえに、無念のうちに早世している。
本書はさらに、ポアンカレ予想に迫った他の数学者の歩みも紹介している。特に重大な進歩は、「マジシャン」と呼ばれた天才数学者ウィリアム・サーストンによってもたらされた。サーストンは、いきなり宇宙は丸いかどうかと考えるのではなく、逆に、もし丸ではないとすれば他にどんな形がありうるのか、と考えるところからスタートした。
そして1982年に、彼はある予想に到達する。「宇宙が全体としてどんな形をしていたとしても、それは必ず最大で8種類の異なる断片から成り立っている」と。たとえば、万華鏡を回したときのことを思うとよい。覗(のぞ)くととても複雑な形が見えるし、二度と同じ形はできないが、それらは結局、数種類のピースの組み合わせである。宇宙もこれと同じである。「最大で8種類」なのでピースの種類はそれ以下の可能性もあるが、しかし8種類を超えることはない。これがサーストンの予想で、「幾何化予想」と名付けられている。サーストンはこの予想を提起したことでフィールズ賞を受賞した。
8種類の図形の中には「丸」も、もちろん含まれている。丸以外の図形がひとつでも含まれていると、あの「ロープ」が回収できない(単連結ではない)ことが分かっている。言い換えれば、ロープが回収できるのは、宇宙が丸いときに限られる。ということは、幾何化予想を証明することとポアンカレ予想を証明することは、同じことになる。しかし、サーストン自身はどういうわけか、幾何化予想を証明することを放棄してしまう。
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そして、いよいよペレリマンの登場である。02年の秋に、数学界に奇妙な噂(うわさ)が流れたという。インターネット上に、さりげなく、ポアンカレ予想と幾何化予想の証明が出ている、と。最初は「よくある話」で、すぐに間違いが発見されると考えられていたものの、どうしてもそんな間違いは見つからない。翌03年4月、そのインターネット論文の執筆者、つまりペレリマンがニューヨークで公開レクチャーをおこなった。会場はポアンカレ予想に挑んできた数学者やトポロジーの専門家で埋め尽くされ、大盛況だった。そして、ポアンカレ予想は、衆目の前で証明されたのである。
本書の紹介をもとに、私が素人なりに、この証明に関しておもしろいと感じたことを記しておこうと思う。
第一に、数学と物理学とのふしぎなつながりである。実は、ペレリマンが公開で証明したとき、会場いっぱいの数学者たちは、自分がまさに専門としてきたポアンカレ予想のことが語られているのに、その証明の内容をほとんど理解できなかった。その証明には、トポロジーが使われておらず、トポロジーによって幾何学の王者としての地位を追われていた過去の王者、つまり解析幾何学が使われていたからである。ペレリマンは、予想もつかぬ手段を駆使して証明をしたのである。
解析幾何学はもともと、物理現象の説明のために整えられた数学だ。解析学の源流にはニュートンがいる。実際、ペレリマンの証明には「エネルギー」「温度」「エントロピー」といった普通は数学では使われない、物理学の概念が何回も登場する。純粋な数学、物理現象から乖離(かいり)している抽象的な数学が、どこかで物理学と合流してしまうかのように思える。
ポアンカレ予想と同様に超難問で、ミレニアム懸賞問題にも入っている「リーマン予想」という難問がある。これは素数の規則性についての予想で、まだ誰も解けていない。素数など、純粋に数学的なことで、物理現象とはまったく関係ないように思えるが、最近では、リーマン予想とミクロな物理法則との繋(つな)がりが示唆されている。数学と物理学の間には、人類がまだよく理解していない結びつきがあるのではないか。
第二に、時間をめぐる独特の操作がおもしろい。「時間」などという概念も、ペレリマンがこの証明を物理現象を扱うように行ったから出てくるものであろう。ペレリマンは時間を奇抜な仕方で操作する。少し説明してみよう。
幾何化予想は、宇宙は8種類の基本形に分けられる、というものだった。実は、宇宙を細かく切り分けることは簡単なのだが、その切り分けたパーツはグニャッと歪(ゆが)んでいて、それがどの基本形なのかを判定するのが難しい。歪んだパーツの形を整えなければならないが、それが困難なのだ。
リチャード・S・ハミルトンが、リッチフロー方程式というものを使うと、形が整えられると証明していた。これは、「宇宙の形に何らかの変化要因を加え、時間(t)を経過させれば、複雑な形の宇宙は最終的にキレイな形に変化する」という意味をもつ、時間についての微分方程式である。本書では、それをシャボン玉の比喩で解説している。ストローでシャボン玉を膨らますと、最初は凹凸をもったグニュグニュとした形になるが、一定の時間を経ると、均整のとれた球になる。リッチフロー方程式が意味している過程は、これに似ている。
これで、切り分けた宇宙の断片の形を整えることができるので幾何化予想を証明できる……と思いきや、また問題が出る。シャボン玉の形を整えると、膜が薄くなって割れてしまう。同じように、形を整えられたピースはコントロールが難しく、しばしば割れてしまうのだ。数学的に言うと「特異点が生じてしまう」。そうなると、先の計算ができなくなってしまうのである。
そこで、ペレリマンは破天荒なアイデアを導入する。シャボン玉が割れそうになったら時間を過去へと戻してもよい、としたのだ。宇宙が破裂しそうになったとき、時間を過去へと遡(さかのぼ)ってもよい、というわけだ。ペレリマンは、時間を未来や過去へと自由に操ることで、特異点(破局)を巧みに回避したのだ。
すごいアイデアだと思う。そして、こんな連想をせざるをえない。現実に、破局的な出来事が起きたときのことを思ってみよ。たとえば、悲惨な原発事故が起きたときのことを。そのとき、人は過去に遡って「あの時、あんなふうにせずに、これこれしておけば、こんな破綻(はたん)に至らなかったのに」と激しく悔恨するだろう。こうした破局(特異点)に出合わなくては、このような過去への遡及(そきゅう)は生じない。この悔恨とともにある過去への遡及を、数学のレベルで実際の操作として定式化したのが、ペレリマンが編み出した関数「L関数」である。
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それにしても、ペレリマンが事実上失踪し、社会に完全に背を向けたのはどうしてなのか。その謎は残る。春日らNHKの取材チームは、この謎に何とか迫ろうとする。
ペレリマンは、1966年にサンクトペテルブルクで生まれた。若い頃からものすごく優秀だった。特に、数学と物理学の才能は抜群の中の抜群であった。高校生のとき、ソ連代表として数学オリンピックに出場し、好成績を上げた(満点で金メダル)。当時、ペレリマンは明るくよく笑う少年だった。後に、人を避けて引きこもることになるとは、とうてい思えなかった。
冷戦が終わると、東西の学者の交流が盛んになる。この交流の波に乗って、ペレリマンはアメリカに渡った。アメリカ滞在中のある時期から、彼は急に人付き合いが悪くなったようだ。今から振り返ってみると、その頃からポアンカレ予想に取り組み出したのだ。そして、ペレリマンは突然、ロシアに戻ってしまう。そして、先に述べたような経緯で、ポアンカレ予想の証明を公表したのだ。
春日らは、何とかペレリマンに接触しようとする。彼が住んでいるという、ぼろぼろのアパートまで行った。最後の切り札として彼の高校時代の恩師、数学オリンピックのチームを率いた恩師を通じてアプローチを試みる。電話をかけてもらい、ついに電話口にペレリマンその人が出た! しかし、結局は拒否され、会うことはできなかった。
なぜ、ペレリマンは社会を、他者を拒否したのか。彼を称賛し、愛する他者までも。その理由は、結局、わからない。
私としては、勝手に、こんなことを考えてしまう。知というものは、一般的に、〈宇宙 universe〉を形成しようとする傾向をもっている。ここで〈宇宙〉というのは「これがすべて」という包括性をもっていて、その外部に対しては完全に閉じられている、つまりその外部が存在していないものと想定する「全体」という意味である。こうした〈宇宙〉を形成する力において、数学はずば抜けている。知の他の領域は〈宇宙〉を形成しようにも、結局は他の知に依存したり、現実に依存したりして、自分だけで充足することができない。しかし、数学だけは、他への依存を絶った自己充足的な〈宇宙〉を有する。これが数学の魅力でもある。
私には、ペレリマンが、ポアンカレ予想という超難問と格闘している間に、そのような〈宇宙〉の中に深く入り込んでいったように思えてならない。ポアンカレ予想が、宇宙が丸いかどうかにかかわる予想だったことは、実に示唆的である。丸いということは、どこにも穴がない、包括的で排他的な全体性ということだからだ。