つなぐ 希望の木
災難を乗り越えてきた木々を、都内に訪ねた。
【社会】生麦事件150年 被害者の手紙 「日本は最高の国」江戸時代後期の一八六二年、薩摩藩(鹿児島県)の藩士が当時の生麦村(横浜市鶴見区)で英国人を殺傷した「生麦事件」が起きてから今年で百五十年。殺害された英国人が、事件の十一日前に父親に送った手紙が見つかり、横浜開港資料館(横浜市中区)で初公開されている。手紙には、日本に親しみが込められた言葉が並び、「尊大な英国人」という印象を覆す貴重な資料とされる。 (荒井六貴) 「日本はイングランド以外の場所で私が訪れた最高の国です。山や海の景色が抜群です。江戸の官庁街ともいえるかいわいは、どの西洋列強にも引けをとらないでしょう」 生麦事件で殺害された商人のチャールズ・レノックス・リチャードソン=当時(29)=は一八六二年九月三日付で、母国の父親に送った手紙で、このように日本を紹介している。 中国・上海から馬を連れ来日し約二カ月、江戸を訪れた様子などが記され、「あと一カ月滞在を延ばす」と、便箋につづられている。資料館の主任調査研究員の中武香奈美さんは「リチャードソンは好奇心旺盛で、日本人に対し尊大な様子はない。これまでの生麦事件とは違ったイメージが出てくるのでは」と話す。 手紙は、リチャードソンの姉のひ孫にあたる元編集者マイケル・ウェイスさん(83)=ロンドン在住=が保管していた。一昨年、英国の国際文化交流機関「ブリティッシュ・カウンシル」を通じ、資料館に連絡があり、初公開につながった。 資料館を訪れた横浜市保土ケ谷区、無職臼田幸作さん(66)は「(リチャードソンが)日本人を見下しているという感じはなく、事件は外国人と日本人のしきたりの違いがあって、起こったのだろう」と想像をめぐらした。 このほか、日本で発行され、事件を詳報した英字新聞などの資料計約三十点も展示。資料館は九月に、ウェイスさんを招き、リチャードソンの墓がある横浜外国人墓地(横浜市中区)や、生麦事件の現場などを見てもらう。展示は十月二十一日まで。 PR情報
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