――「エヴァンゲリオン」新劇場版4部作の第3部「Q」が、11月17日に公開されます。旧劇場版では主人公が何もできなかったのに対し、新作では少女を救おうと必死で戦う。ご自身の内面の変化が反映されているのですか。
うーん。時代じゃないですかね。受け取る人の感じ方が変わっているだけだと思います。自分の本質は変わりようがない。
―― 2005年のインタビューで「結婚して、自分に非オタク的な要素がプラスされていった」「(嫁さんを)全力で守りたいですね。これからもずっと」と話されています。やはり変わった面もあるのでは?
それはそれとしてありますが、人間そうそう変わらないですよ。
――「エヴァ」には、現実に背を向けて「エヴァ」という作品に逃避するファンへの批判が込められていました。そうした意識は今も変わらないのですか。
旧作の「エヴァ」では、僕が「娯楽」としてつくったものを、その域を越えて「依存の対象」とする人が多かった。そういう人々を増長させたことに、責任を取りたかったんです。作品自体を娯楽の域に戻したかった。ただ、今はそれをテーマにするのは引っ込めています。そういう人々は言っても変わらない。やっても仕方がないことが、よく分かりました。
―― 新作の「エヴァ」も、深くはまっている人は多い。依存性の強い作品をつくってしまうご自身についてどう考えますか。
何もないです。作品はヒットしてほしいが、過剰な反応は自分の責任の外です。作品の中に自分自身は反映されますが、僕1人でつくっているわけではない。僕と作品とは全然別です。ただ、新作のファンは旧作と質が違う。具体的にどう違うかは、言えませんが。
―― 新作は出資者を募らず、社長を務めるアニメ製作会社「カラー」が製作費をすべて負担している、いわば「自主製作作品」です。なぜ、このような形にしたのですか。
他人に製作費を出してもらうと「費用に見合った作品をつくらなければいけない」という制約ができます。自分でお金を出すことで、全部自分で責任を持って好きにやりたかった。配給や宣伝もスタッフはいますが、最終的には僕が仕切っています。「作品の出来はよかったけど宣伝が悪かった」などと言い訳したくないのです。
―― 東京都現代美術館で開催中の「特撮博物館」では館長を務めています。特撮を「文化」として後世に残したいそうですが、コンピューターグラフィックス(CG)が発達した現在、特撮の存在価値はありますか。
CGを使った初期作品「ジュラシックパーク」はインパクトがありましたが、それを超える驚きには出会っていません。CGでは「そこにあるものを空気を通して見た存在感」を出せない。ミニチュアは現実にそこにあったものだから、映像にしてもやはり存在感がある。人間の感覚はその違いを敏感に感じ取れると思います。怪獣映画は製作当時からゲテモノ扱いされていたと聞きますが、日本の特撮作品は海外で高い評価を得ている。日本が誇るべきなのは、アニメーションよりもまずゴジラだと思います。
―― 学生時代の自主製作映画「帰ってきたウルトラマン」を見て、素顔のままウルトラマンを演じている庵野さんが、次第に「本物のウルトラマン」のように見えてきて驚きました。なぜ、そんなことができたのでしょうか。
物語、カメラアングル、ミニチュアの作り込みなど、さまざまな面から「現実にはあり得ない物が本当にそこにいる感じ」を出そうと試みることが、存在のリアリティーにつながります。アニメは絵ですから、現実的なものは何もない。だが、特撮作品は少なくともドラマ部分は本物の俳優が演じていますから、その延長で、うまくやれば特撮部分も本物に見える。数十年前の特撮映画でも、それに成功した例はあります。
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