長野五輪招致時に県議会招致特別委員会の委員長を務めた登内英夫氏(伊那市)は三十日、長野の活動について、「(接待はいけないといった)筋論だけでは長野は勝てなかった。もし負けていれば、公的な経費も使ってなんだ―と、もっと批判されただろう」との認識を述べた。
上伊那郡箕輪町で同日開いた自民党県連の会議後の記者会見で語った。登内氏は、スペイン・バルセロナでの活動に出かけた際のことを例に、「各都市のPR合戦はすさまじいものだった」と説明。「招致活動のどこまでが行き過ぎなのかは判断のしようがない。ああいう形で競争させれば、ソルトレークで言われているようなことになる。基本的にIOCの考え方を変えてもらわなければならない」とした。
(1999年1月31日 信濃毎日新聞掲載)
長野市の市民団体「オリンピックいらない人たちネットワーク」(江沢正雄代表)は三十日、国際オリンピック委員会(IOC)に、長野冬季五輪開催のために支出した税金の返還を求める文書をファクスで送った。
返還を求める額は「県と長野市が直接、間接的に支出した約二兆円」としている。また、文書では、IOCの解体、長野五輪で破壊された自然環境の復元、同五輪を含めた過去の開催地の招致に関する疑惑の徹底的調査を求めた。
スイス政府などに対しても、サマランチIOC会長や同理事、役員の資産や寄付内容を徹底調査するよう求める文書を送った。
(1999年1月31日 信濃毎日新聞掲載)
【ローザンヌ(スイス)29日共同】国際オリンピック委員会(IOC)のサマランチ会長は二十九日、一九九六年から二〇〇四年までの夏季、冬季五輪の開催立候補都市に対し、招致過程で何らかの不正行為を示す証拠がないかを問う質問状を送付した。
九八年冬季五輪開催地の長野も当然含まれており、IOCは二月十五日までに回答を求めている。
該当する五輪の招致委員会が既に解散しているため、送付先は立候補都市を抱えた国内オリンピック委員会(NOC)になっている。また、ことし六月の総会で開催地の決まる二〇〇六年冬季五輪の立候補都市にも同様の質問書が送られる予定という。
サマランチ会長は質問状の中で「これはIOCと五輪運動の信頼を回復するためのものであり、関連する事実、名前、可能な限りの証拠を記した十分でかつ率直な報告をいただきたい」と述べている。
(1999年1月30日 信濃毎日新聞掲載)
国際オリンピック委員会(IOC)の五輪開催地決定に関する疑惑問題で、吉村知事は二十九日、長野五輪招致活動について、「行き過ぎがあったとは思っていない。過剰接待もなかった」と述べ、行き過ぎがなかったとの考えをあらためて示した。ただ、「(接待への考え方も含め一般論として)十年前とは状況の変化はある。例えば政治の世界も変わっている。そういうふうに理解して、反省しながら、将来に生かすことは大事」と話した。
同日の記者会見で述べた。IOCが日本オリンピック委員会(JOC)を通して行う長野の調査では、「随時、関係者に集まってもらい、県オリンピック室を中心に市とも相談して対処する」との方針を説明。「結果はJOCとも相談して、できるだけ内容を明らかにしたい」とした。
サマランチ会長に贈ったという日本刀については、「ある人を介して話が出た。会長が九一年五月に来県した際、埴科郡坂城町の刀匠高橋次平氏(故人)が直接、手渡した。よく覚えていないが、私も立ち会った。二十七センチの短刀で、会長に贈呈するために作ったと聞いている」と説明した。
海外に持ち出した経過を「(招致委幹部だった)吉田総一郎さんの名前を便宜的に借りて、文化庁に輸出監査証明を申請した。違法性はないし、吉田さんもかかわっていない」と話し、招致委が買ったのではなく、個人による善意の寄付だったと強調した。
(1999年1月30日 信濃毎日新聞掲載)
米ソルトレークシティー五輪招致に絡む買収疑惑は二十五日、国際オリンピック委員会(IOC)が六人のIOC委員の追放処分を総会に勧告することを決め、五輪史上かつてないスキャンダルに発展した。長野の招致活動も今後、調査の対象になることが決まり、大会の成功から間もなく一年を迎える県内に戸惑いが生まれている。招致関係者は、活動の不明朗な部分をどう明らかにするのか。招致活動の再総括は、五輪の浄化、改革に向けた開催地としての責務でもある。
「あの人がなあ。IOCのことも長野の招致活動のことも、真実は私には分からないよ」。上水内郡豊野町の農業柄沢正二さん(63)はそう繰り返した。
県内企業経営者らでつくる長野五輪の民間ボランティア団体「フレンズクラブ」の一人。大会中、ガディル委員(スーダン)の運転手や案内役を務めた。そのガディル委員が追放処分を勧告されたからだ。
同クラブは、招致段階は長野に訪れたIOC委員を案内したり交流した。大会中は委員の案内役。心温かなもてなしを通じて、信州の国際化にも一役買ってきた。
当初、一周年を機に語り合おうと、二十五日に総会を企画した。が、出席できる人が少ないことが分かり、延期に。「理由は五輪招致疑惑とは無関係。でも、これじゃ総会という気分じゃない」。別の会員たちも嘆く。IOCのスキャンダルはこの日、大会を支えた民間ボランティアにも戸惑いと驚きを広げた。
長野の招致活動に、悪質な買収はなかったのか、事実関係は―。サマランチ会長は日本時間の二十五日未明、臨時理事会後の記者会見で、「うわさだけで(不正の)事実はない」と語ったが、元招致委幹部たちのあいまいな証言もあり、情報の混乱が生じている。
例えば、招致委とスイスの広告代理店とのコンサルタント契約。当初、吉村知事は「長野の招致運動ではエージェントを雇ったことがない」(十一日)としていた。ところが、その二日後、知事、長野市の塚田市長が相次いで契約を認めた。
代理店への成功報酬も、市長が「そうした意味合いはなかった」(十四日)と述べたのに対し、知事は「最初の段階で成功報酬の契約はあったことを、最近知った」(二十四日)と説明。サマランチ会長に日本刀を贈ったかどうかも食い違いが生じている。
さらに、海外のエージェントやIOCからの情報、元招致委事務局の幹部の異なった発言が混乱に拍車をかけている。
招致委の会計帳簿類を焼却したことで、文書では事実関係を立証できない。加えて、招致委の解散(九一年十月)から七年余たち、事務局職員らもそれぞれの記憶や、個人的見解を交えて話し始めていることも背景にある。
これに対し、知事は「互いに勘違いもあるし、報道の方にも行き違いがある」、市長は「細かいことは事務局に任せていた。事務局幹部に聞いてほしい」と説明。周囲の職員は「事前に県と市ですり合わせると、“談合”していると勘ぐられる」と理解を求める。
しかし、“その場しのぎ”とも受け取れる対応が、県民の不信感を結果的に膨らませてきたのも事実だ。IOCはこの日、長野五輪も不正疑惑の調査対象に加える方針を示した。日本オリンピック委員会(JOC)は八木祐四郎専務理事を座長とするプロジェクトチームを設置、早い時期に調査を開始する姿勢を示した。県と市も調査委員会のようなきちんとした組織を設け、透明性の高い形で調査を進め、事実を説明する責任がある。
大会中、追放処分の勧告を受けたファンティニ委員(チリ)の案内役を担当したフレンズクラブの長野市の会社社長鷲沢文治さん(51)は、調査に対しこんな前向きな期待もかける。
「五輪招致には金がかかる。その体質を変えずにIOC委員の追放で終わるなら何の意味もない。長野五輪は終わったが、(この際)IOC改革のために長野もできることは協力すべきではないか」
(1999年1月26日 信濃毎日新聞掲載)
「(長野への五輪招致活動から)十年たって批判にさらされていることを考えると、多少の行き過ぎはあったと思う」。長野市の塚田市長が漏らした。
「委員の家族は呼ぶ必要はなかったか」「接待も過剰だったということか」―。矢継ぎ早の質問に、市長は「行き過ぎたもてなしはなかった。招致委員も大勢いたし、スポーツ団体、企業関係も活動してもらった。全部は掌握していない」「当時は注意してくれるIOC委員はいなかった。われわれとしても力いっぱい頑張ったということ」。「行き過ぎた」点について明言を避けた答え方に、気持ちの揺れものぞく。
二十五日、国際オリンピック委員会(IOC)の臨時理事会を受けて開いた市長会見。一部行き過ぎを認めた市長発言はすぐ世界を駆けめぐった。
招致活動は、政府が長野招致を閣議了解した八九年六月前後から本格化した。IOCの猪谷千春理事らから、「長野は雪が降るのか」といったことも知られていない。まず良い印象を持ってもらうように―との助言を受け、IOC委員のもとに出かけたり、長野への招待を活動の柱に据えた。
同年九月には、来日したサマランチ会長からも「九〇年九月のIOC東京総会はラッキーチャンスだ。その時に委員を呼ぶのが効果的」と助言されている。招致委側はこれを着実に実行した。IOC理事会や総会でロビー活動を展開。県内では会場地視察のほか、会食やパーティーでもてなした。
招致活動を通して来県したIOC委員は九十二人(当時)のうち六十二人。その様子は当時から公表されてきた。
宿泊は北信のホテルや北信の温泉地を利用、食事は長野市内の高級レストランや料亭が多かった。食事代は一人一万円程度、宿泊は一泊三、四万円ほど。「日本の社会慣行だったから、たまにはお酌さんも呼んだ」と塚田市長。事務局幹部も「まれに芸者さんを呼んだ時もある」。外務省などを通じ、豚肉は食べないといった各国の情報を仕入れるなど気を使ったという。
今回、追放処分を勧告されたアローヨ委員(エクアドル)の夫人と友人だけが来県した時も、招致委が対応。京都や東京・秋葉原などにも立ち寄った委員もいる。「見たいと言われると断れない雰囲気があった」(塚田市長)という。接待費用は、欧州などからのファーストクラスの往復航空運賃、滞在費を合わせ、一人当たり二、三百万円ほどになる計算だ。
ライバル四都市と最後の競争を演じた九一年六月の英バーミンガム総会。ここでは、IOC委員が宿泊していたホテルの招致ルームのほか、会場から車で十分ほど離れた住宅街にある政治家私邸だった屋敷も確保。IOC委員を茶道や日本料理でもてなした。訪れた人数、費用は不明だが、夕方から夜にかけては委員やIOCのスポンサーなど訪問者がひっきりなしにあった。
塚田市長発言について、吉村知事は「私は行き過ぎはなかったと思う。(航空運賃など)IOCの規定の範囲内だった」とする。ただ、招致委の支出が合計約二十億円に上ったことは「これが当たり前とは思わない。かかり過ぎと思う」と話す。
庶民感覚とかけ離れた厚遇は、当時、必要なもてなしといわれてきた。しかし、世界的にIOCや委員の倫理観への批判が高まる中で、市長や知事の見解も微妙に変化しつつある。
二十六日、五輪改革を協議してきたIOC臨時理事会から帰国した猪谷理事は記者会見し、「(長野の接待は)普通。何に比べて過剰なのか。ビジネスの方がもっと派手だ」と答えた。
長野の招致活動の調査は、こうしたIOC側の価値観を十年たった今の価値観で見つめ直す作業にもなる。
(1999年1月27日 信濃毎日新聞掲載)
自信に満ちていた長野五輪での姿に比べ、国際オリンピック委員会(IOC)のサマランチ会長はやつれた様子だった。日本時間の二十五日未明、五輪招致をめぐる買収疑惑でIOC委員の処分を発表した時だ。が、翌日、日本記者団の取材で、スキャンダルに関連して五輪の商業主義を尋ねられると「コマーシャリズムがなければオリンピックは開催できない」と持論を強調した。
長野が招致活動を本格的に展開した八九―九一年。当時も、立候補都市の招致活動の過熱を指摘する声はあった。IOCは(1)各都市の委員への贈り物の上限は二百ドル(2)招致都市のパーティーに一度に十人を超える委員を呼んではならない―との規定を設定。九一年六月の英バーミンガム総会前には、豪華さを競い合うことに対し、あらためて注意を呼びかけている。
長野の招致委員会も「活動の簡素化につながる」と歓迎する空気が強く、九〇年のIOC東京総会では二回開いたカクテルパーティーで行った各IOC委員の部屋に無差別に案内状を配る方式を、バーミンガムではやめた。
しかし、各都市の招致活動は縮小には向かわなかった。バーミンガム総会直前に、ライバルだった米ソルトレークシティーが参加各国選手団の旅費全額負担の方針を打ち出すと、長野も急きょ「IOCと協議した上で、負担する用意がある」と対抗措置を出した。長野の招致委副会長だった塚田長野市長は「招致活動はしっかりしたルールがなくエスカレートする余地はあった。だんだんエスカレートして今回の問題になったと思う」と振り返る。
過熱の背景には、IOCが進めてきた五輪の商業主義化がある。八四年の米ロサンゼルス大会を機に、五輪はスポンサー協賛金などのばく大な収入で黒字を生むようになった。長野五輪の運営費収支見通しも四十五億円の実質黒字。事業収入の八六%をテレビ放映権収入(三百五十四億円)とスポンサー収入(三百十三億円)が占める。巨大なビジネスへと変容する五輪の招致に乗り出す都市が増え、競争もし烈になった。
IOC委員は開催都市決定の投票権を持つ。勝つために広がる委員への接待攻勢や気配り…。「それが委員の特権意識にも拍車をかけた」と、ある長野五輪招致委幹部はみる。
一年前の長野五輪―。サマランチ会長は専用車にパトカー先導がつくなど国家元首並みの扱いを受けた。
「こんな荷物を運ぶ車に乗れというのか」。開幕直前、長野冬季五輪組織委員会(NAOC)が用意したミニバン型の専用車にクレームをつけた委員もいる。
別の委員の案内役を務めた男性ボランティアは「(委員は)寒がってほとんどホテルにいた。長野にもあまり興味がなさそうだった」とあきれる。
IOCはアテネで開く第一回近代五輪に向けて一八九四年、パリで生まれた。貴族など上流階級十数人のサロン的な集まりだった。委員はその後増え続け、長野の招致活動時は九十二人、長野五輪時には百十八人に膨れ上がった。日本オリンピック委員会(JOC)の専務理事だった林克也さんは「かつては接待など好まない志の高い集まりだった。委員の大衆化もあって変質した」と指摘する。
今回のIOC臨時理事会では、委員全員の投票による決定方法を見直すことも決めた。長野の招致委会長を務めた吉村知事は「(開催地が特定の大陸に偏らないよう)地理的な状況も踏まえ、適正な判断ができる選定方法は、やる気になればできると思う」と期待をかけるが、今は小手先の変更にとどまっている。
二十六日、臨時理事会から帰国した猪谷千春理事は、商業主義を人間のコレステロールに例えた。「不健康の象徴に見えるが善玉もある。コレステロールがないと生きていけないように、マネーなしでスポーツ文化を世界に広げられなかった。今回は悪玉がはびこった。商業主義の難しさだ」
IOCは開催都市への調査を土台に、自らの体質にどうメスを入れるのか。すっかり浸透した商業主義の中で、体質改善に踏み出すのは容易なことではない。
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長野五輪招致に関したご意見を郵便かファクス、Eメールでお寄せください。
あて先は〒380―8546 長野市南県町657番地 信濃毎日新聞社編集局五輪取材班。ファクスは026・236・3196、Eメールのアドレスは、editor-c@shinmai.co.jp
(1999年1月28日 信濃毎日新聞掲載)
国際オリンピック委員会(IOC)が、長野など過去の五輪招致委員会や関係オリンピック委員会に対し、IOC委員の不正行為について尋ねる質問書の原案が、IOC臨時理事会に提出された調査部会の報告書に掲載されていることが、二十六日分かった。
県も情報を入手しているが、今後届くことになる正式な質問書とは異なる見通しという。
質問書の原案は五項目で、主な内容は(1)IOC委員からの直接、間接の(金品などの)要求(2)候補都市側からの金銭、物品、緊急でない医療サービス、一般的な習慣の枠を出るような贈り物(3)IOC委員の親族に対する奨学金や生活費、雇用などの利益供与(4)第三者に対するIOC委員や親族による利益あっせんなど(5)IOC委員に対する行き過ぎた接待、特に複数回の候補都市訪問、二人以上の帯同者のあった候補都市訪問―となっている。
(1999年1月27日 信濃毎日新聞掲載)
国際オリンピック委員会(IOC)の猪谷千春理事は二十六日、東京・渋谷の岸記念体育会館で記者会見し、IOCから送られる長野五輪の招致活動に関する質問書への対応について、「返答に一、二カ月もかけるわけにはいかない。早急に対応できるように、長野の招致関係者は資料を整えておいてほしい」と述べた。
二十四日にスイス・ローザンヌで開いたIOC臨時理事会に出席した猪谷理事は、質問書は遅くとも二月初めには届き、内容は九六年以降の他の五輪開催都市と共通になる見通し―と説明。同理事会では「長野に対する批判などは一切なかった」と話した。
また、猪谷理事は日本オリンピック委員会(JOC)が設ける長野の招致活動調査のプロジェクトチーム(座長・八木祐四郎専務理事)とは別に、調査内容を検討する第三者機関をつくるようJOCに提案した。
臨時理事会前に「長野の招致関係者が三月のIOC臨時総会に出席して説明すべきだ」との発言については、「質問書による調査が決まったことで、長野の関係者が総会に出席する必要はなくなった」とした。
長野の招致委員会がスイスの広告代理店とコンサルタント契約を結び、成功報酬を払っていた点について、同理事は「日本は欧州からは遠く、ライバル都市の動きなどの情報が入りにくい。精通しているPR会社に情報収集してもらう必要はあった。成功報酬も、票集めに絡んだものではない」との見方を示した。
招致活動のIOC委員接待に関しては、「ビジネスの世界に比べて、決して過剰でなかった。ファーストクラスの航空機チケットの手配は、IOCの規定に基づく行為だ」と述べた。
(1999年1月27日 信濃毎日新聞掲載)
北佐久郡軽井沢町の元町議岩田薫さんら県内の五人が二十六日、長野冬季五輪招致費の使途は不当として、長野五輪招致委員会(九一年解散)に招致費を支出した吉村知事や、塚田長野市長ら開催地の三市町村長と、招致委の当時の役員四人を相手に、交付金など計八億三千万円余を各自治体に返還するよう求める訴訟を長野地裁に起こした。
原告側は訴状で「交付金を含めた招致費は、(長野を訪れた)IOC委員の渡航費や滞在費、温泉旅館での女性を伴う飲食、高額な贈り物など過剰な接待に充てられた。財政の健全な運営を定めた地方財政法の趣旨に反する」と主張している。
招致報告書によると、八九―九一年度の招致委の収入は約二十三億円。うち県が交付金として六億百万円、長野市、下高井郡山ノ内町、北安曇郡白馬村が負担金として計二億三千万円を支出した。
吉村知事は「訴状が届いていないので現段階では何も申し上げられない」とのコメントを発表した。
長野五輪招致費をめぐっては、別の住民グループが知事らを相手に交付金などの返還を求める訴訟を起こしたが、一審の長野地裁は九六年七月、「監査請求の対象期限が過ぎている」などとして訴えを退けた。住民グループ側は控訴、上告したが、昨年六月に最高裁で敗訴が確定している。
(1999年1月27日 信濃毎日新聞掲載)
日本オリンピック委員会(JOC)は二十五日、国際オリンピック委員会(IOC)が長野冬季五輪の招致活動を調査する意向を示していることに対応するため、八木祐四郎専務理事を座長とするプロジェクトチームを設置することを決めた。
発足はIOCからの質問書が届いた後になるが、八木専務理事は「長野五輪の招致で、報道されているようなことがあったのかを知っておきたい。先に事実関係だけつかんでおく」と、できるだけ早い時期に調査を開始する意思を明らかにした。プロジェクトチームは五人または六人で構成され、メンバーには上田宗良総務委員長をはじめ財務、国際、法務の各専門委員長らが加わる見込みだ。
IOCは二十四日にスイスのローザンヌで臨時理事会を開き、過去の五輪都市の招致活動についても調査することを決定。JOCによると、今月末までに長野五輪招致に関する質問書が届くという。
二〇〇二年ソルトレークシティー冬季五輪招致に絡む買収疑惑では、金品などの便宜供与を受けた六人のIOC委員について、理事会が三月の臨時総会に追放処分を勧告することになった。
(1999年1月26日 信濃毎日新聞掲載・共同)
【ローザンヌ(スイス)25日共同=竹内浩】国際オリンピック委員会(IOC)は二十四日、スイス・ローザンヌのIOC本部で臨時理事会を開き、二〇〇二年ソルトレークシティー冬季五輪招致に絡む買収疑惑にかかわったジャンクロード・ガンガ氏(コンゴ共和国)ら六委員の追放処分を三月十七、十八日の臨時総会(ローザンヌ)に勧告することを決めた。
六委員は同五輪招致委員会から金品などさまざまな便宜供与を受ける重大な倫理違反を犯したと判断された。これら委員の資格は一時的に差し止められ、追放処分は三月の臨時総会で三分の二の賛成が得られれば正式に決まる。
追放処分を臨時総会に勧告されたのはガンガ氏のほか、チャールズ・ヌデリツ・ムコラ(ケニア)、ラミン・ケイタ(マリ)、ゼイン・ガディル(スーダン)、セルヒオ・サンタンデル・ファンティニ(チリ)、アグスティン・アローヨ(エクアドル)の各委員。すべてアフリカと南米の委員となっている。
これとは別にこの日、デービッド・シバンゼ委員(スワジランド)が辞表を提出。辞任した委員はピロヨ・ハグマン氏(フィンランド)、バシル・アタラブルシ氏(リビア)に次いで三人となった。
このほか、金雲竜理事(韓国)、ビタリー・スミルノフ(ロシア)、ルイ・ギランドゥー(コートジボワール)両委員の三人は継続調査の対象とされ、アントン・ヘーシンク委員(オランダ)は注意処分となった。
臨時理事会は、過去の五輪招致活動にも疑惑関連の調査を拡大し、長野冬季五輪についても日本オリンピック委員会(JOC)に対して調査を進めるよう要請文を送ることになった。
五輪開催都市選定の際のIOC委員全員による秘密投票を見直すことも決定。二〇〇六年冬季五輪の開催都市は、理事会メンバーではない八人の委員を中心にIOC選手会の代表三人らを加えた十六人の「選定委員会」で選ぶことにした。
(1999年1月25日 信濃毎日新聞掲載)
長野冬季五輪招致委員会副会長だった塚田長野市長は二十五日午前の会見で、当時の招致活動について「いま批判にさらされていることをよく検討してみれば、一部行き過ぎはあったかなとも思う」と述べ、招致活動に行き過ぎがあったことを初めて認めた。
具体的な内容について塚田市長は、IOC委員を長野に招いた視察で「家族なんかが来るといえば招待したということだ。視察してもらうのが目的で、合わせて国際親善も兼ねているのでやむを得なかった」と説明。「当時は選んでもらう立場だった。長野を見たい、京都も見たい、と言われても、断りにくい雰囲気だったということだ」とした。
長野の不正疑惑については「私自身に金品の要求はなかったが、(招致運動は)日本オリンピック委員会や競技団体、いろんな外国と接点のある企業にも拡大していた」として、すべては掌握しきれていないとの考えを示した。
(1999年1月25日 信濃毎日新聞掲載)
国際オリンピック委員会(IOC)の臨時理事会で長野五輪も不正疑惑の調査対象となったことについて、長野冬季五輪招致委員会の会長を務めた吉村知事は二十五日午前、「長野の招致活動では不正な行為はなかったが、IOCから正式に要請があればそれに従う」と、調査に応じる方針をあらためて示した。
調査方法については「要請後に決めるが、(招致委の幹部職員に)集まってもらい、一人ひとりから情報収集することになる」と説明。猪谷千春理事が帰国した後、理事会の様子を聞き、同理事が提案している三月の臨時総会に出向くかどうかも検討する―とした。
五輪招致に関してIOC委員の処分勧告が行われたことに対しては「大変残念に思う」と話した。
(1999年1月25日 信濃毎日新聞掲載)
「残念な裏切り行為。潔い辞任を求める」。二十五日未明(日本時間)、国際オリンピック委員会(IOC)の臨時理事会を終えたサマランチ会長は、厳しい表情で委員六人の追放を勧告した。ソルトレークシティー五輪招致に絡む買収疑惑はIOC史上最悪のスキャンダルへと発展、調査は今後、ナガノにも及ぶことになった。サマランチ会長は「(長野は)うわさばかりが先行している」と言い、県内の招致関係者も「不正行為はなかった」と繰り返す。が、招致活動の会計帳簿類が処分された中で、潔白を証明するのは容易ではない。元招致委員会幹部の対応に県民、さらに世界の目も注がれている。
「反省すべき点? 急に言われても…。五輪招致は招致委の努力だけでなく、大勢の人たちの努力で勝ち取ったもの。買収工作はなかった」
長野冬季五輪招致委員会の事務総長という事務局側の最高責任者だった市村勲さん(74)は戸惑いを見せる。連日、マスコミの取材を受けてきた疲れもあってか風邪で寝込んでおり、今朝はテレビのニュースも見なかったという。
「処分勧告を受けた委員の多くは長野駅で出迎えたりした人たち。宿泊先や食事にしてもできる範囲でもてなすのが普通だと思う」と招致委事務局長だった吉田和民さん(67)。事務次長だった山口純一さん(63)も「長野は市や県が深くかかわっており、(民間主導の)ソルトレークとは招致の手法が違う。奨学金や現金を渡したことは一切ない」と厳しい表情で話す。
ただ、IOCへの批判が高まるにつれ、当時の招致活動を振り返って問題点を口にする幹部も出始めた。
「IOC委員の申し出は断りにくい雰囲気があった。(視察の際)長野も見たい、京都も見たいと言われた場合のことだ」。塚田市長はこう述べ、この日の記者会見で初めて一部行き過ぎがあったことを認めた。
吉村知事も二十二日の記者会見で「世界相手の勝負で、(欧州やアメリカなどに)飛行機で行き来するわけだから、相当金がかかる。それが当たり前だとは思わない」と、約二十億円の支出があった招致活動の金のかかり過ぎを認めている。
民間人の立場で招致活動にかかわってきた吉田総一郎さん(53)は、長野市内で「多額の経費がかからなくて済むよう、IOCも開催都市の決定方法を改めてほしい」と要望した。
この日、吉村知事と塚田市長は、IOCから要請があり次第、当時の招致活動の調査に着手する方針を示した。あいまいな記憶をどう整理し、社会環境の変化の中でどう総括し直すか。
(1999年1月25日 信濃毎日新聞掲載)
国際オリンピック委員会(IOC)が二十四日の理事会で追放や注意処分などを勧告した十委員・理事と辞任した三委員の合計十三人のうち、十一人が、長野の招致活動を受けて長野県を訪問している。追放処分の六人の中では、四人が長野を訪れた。
IOC委員は八九年から九一年にかけて、おおむね一泊二日の日程で来県した。ファーストクラスの往復航空運賃や一流ホテル、旅館での滞在費は長野側が負担。ヘリコプターなどを利用して競技会場地を視察、知事、長野市長らとの懇談会や会食、市民の歓迎パーティーを持った。県外の京都や東京・秋葉原に立ち寄った委員もいる。当時九十二人いた委員のうち六十二人が長野を訪れた。
来県してはいないが、追放処分のガンガ委員(コンゴ共和国)については「ボールやシューズを国のために支援してくれないか―と要望され、スポーツメーカーに協力を求め、安く購入して提供した記憶がある。金額は大したことはなかった」と、元招致委関係者は話す。
追放処分のケイタ委員(マリ)の関連では、「柔道をやってみたいという若者がたくさんいるのに柔道着が少ない」という話を聞いた県柔道連盟が中心となり、柔道着を送る運動が持ち上がった。県内の高校生らから約三百着が集まり、クリーニングした上で、九一年三月に来県した同委員に一部を手渡し、残りを送った。
継続調査となった金雲竜理事(韓国)に関しては九一年五月に、娘が県民文化会館主催のピアノコンサートを長野市内で開催、招致委も共催した。
九一年五月に長野を訪れたスミルノフ委員は招致委が契約した「スタジオ6」のタカチ氏と一緒だった。
長野招致委側は、来県しなかった委員とも、IOCのプエルトリコ・サンファン総会(八九年八月)、東京総会(九〇年九月)や英バーミンガム総会(九一年六月)の機会などに接触している。招致委幹部は「長野を知ってもらおうと、相手の気持ちを考えてもてなした。精力的な接触を心がけたが、悪質な買収はなかった」と話す。吉村知事は「委員から金品など要求されたこともなかったと思う」としている。
(1999年1月25日 信濃毎日新聞掲載)
長野市の市民団体「オリンピックいらない人たちネットワーク」(江沢正雄代表)は二十五日、国際オリンピック委員会(IOC)が委員の処分方針を決めたのに対し、IOCに組織解体と長野五輪に費やした二兆円余の返還を要求するとした声明文を発表した。
江沢代表は「IOCの存続はスポーツそのものや、世界の子供たちに悪影響を及ぼしている。今こそ野放しの状態をコントロールする機会だ」として、数日のうちに電子メールかファクスで要望書を送付する予定。さらに「疑惑の対象となった委員のほとんどが長野にも来ており、豪華な接待を受けていたのは確か」(江沢代表)として、スイス政府やローザンヌ市当局などIOC外部の機関に委員買収疑惑の徹底調査を要請する方針だ。
(1999年1月25日 信濃毎日新聞掲載)
【ローザンヌ(スイス)23日共同】二〇〇六年冬季五輪開催に立候補している都市の評価報告書をまとめた国際オリンピック委員会(IOC)評価委員会の猪谷千春委員長(IOC理事)は二十三日、当地で会見し、三月の臨時総会(ローザンヌ)に当時の長野冬季五輪招致関係者も出席して、招致活動に何があったかを明らかにすべきだとの考えを示した。
臨時総会では、ソルトレークシティー冬季五輪招致に絡んで倫理規定違反があったと認められた委員への最終的な処分を決める。この問題で、パウンド調査部会長(IOC副会長)は過去の招致都市に対しても「総会に出席し、事実を明らかにすることが極めて重要」と呼び掛けている。
猪谷委員長は、改正される可能性が出ている五輪開催都市の選定方法については「IOC委員全員による投票は避ける方向に進むだろう。委員全員の招致都市への訪問がなくなれば、評価委員会の役割はさらに大きくなると思う」と語った。
(1999年1月25日 信濃毎日新聞掲載)
長野冬季五輪招致委員会が約四千万円でスイスの広告代理店と結んでいたコンサルタント契約の内容について、招致委会長だった吉村知事は二十四日、「当時の事務局などに聞いたところ、最初の段階で成功報酬の契約はあった」と述べた。
知事は「エージェントとの契約に成功報酬の項目を盛り込むのは一般的な慣行と聞いている。ただ、正確な内容や成功報酬分の金額は、代理店の契約書を確認しないと分からない」と話し、さらに「成功報酬はあくまで情報収集活動に対しての報酬で、集票活動は依頼していないし、追加報酬も払っていない」と述べた
成功報酬についてはこれまで、招致委副会長だった塚田・長野市長が十四日の記者会見で、「契約の詳細は事務局に任せていた。契約内容は正確には覚えていないが、成功報酬の意味合いはなかった」と説明していた。これについて、市長は「いまも契約内容は正確には分からない。(知事の説明のように成功報酬の項目があったとしても)問題となるような集票活動を頼んではいない」と強調した。
(1999年1月25日 信濃毎日新聞掲載)
【ジュネーブ22日共同】サマランチ国際オリンピック委員会(IOC)会長は、二十二日付のスイス紙トリビューン・ド・ジュネーブの会見記事の中で「ナガノが関係書類を焼却処分したことに驚いている。ナガノから高価な絵を贈られたのは事実だが、公式の贈呈式を行い、絵は現在もローザンヌのオリンピック博物館のVIPサロンに飾られている」と述べ、会長自身の疑惑報道をあらためて否定した。
(1999年1月23日 信濃毎日新聞掲載)
五輪招致の買収疑惑で、国際オリンピック委員会(IOC)のパウンド副会長が長野の招致活動も調査する方針を明らかにしたことに対し、吉村知事は二十二日の記者会見で、「十分に説明する用意はある」と述べ、県オリンピック室を窓口に調査に応じる考えを示した。
長野冬季五輪招致委員会が会計帳簿類を焼却処分しているが、知事は「できる範囲で関係者の意見を集約してお答えする。頭に残っているから、分かることは分かる。悪いことはしていないのだから」と説明。調査結果は、「疑惑を持っている県民もいるので、二月県会などを通じてきちんと申し上げる」とし、公表する方針も示した。
招致活動については「世界に知名度がない長野県をよく知ってもらおうと、清々粛々とやってきた。IOC委員から売春や現金を要求されたと言う話も聞いていない」とし、不正行為はなかったとの認識をあらためて強調した。
その上で、「世界相手の勝負だから、金がかかったのは事実。それが当たり前とは思わない。かかり過ぎだと思う」との考えを表明。「地理的な状況なども踏まえて適正な開催地決定の判断ができるように、決め方をきちんとしてほしい」と述べた。
(1999年1月23日 信濃毎日新聞掲載)
国際オリンピック委員会(IOC)の金雲竜理事(韓国)の娘が、長野冬季五輪開催決定前の九一年五月に、長野市内でピアノコンサートを開いていた。長野県民文化会館が主催、長野冬季五輪招致委員会(当時)も共催している。
関係者の話だと、コンサートはピアノの独奏。長野の招致委員会がまとめた活動報告書で、金理事の娘の名前を挙げて、「ピアノリサイタルに協力」と明記している。
金理事は米ソルトレークシティー五輪の招致買収疑惑で、名前がとりざたされている。同五輪の招致委員会が九五年三月、地元の交響楽団と金理事の娘が協演するコンサートを開いている。
(1999年1月23日 信濃毎日新聞掲載)
長野市の市民団体「オリンピックいらない人たちネットワーク」(江沢正雄代表)は二十二日、文部省と日本オリンピック委員会(JOC)に、長野五輪招致活動に使われた公金の使途を解明する調査委員会を設置するよう求める要請書を送った。
要請書は、▽招致委員会への県の交付金や、長野市など開催市町村負担金の使途▽国際オリンピック委員会(IOC)委員などへの接待の実態や、情報収集に使ったエージェントの活動内容▽同委員会の銀行口座記録―などを明らかにするよう求めている。
IOCのパウンド副会長は二十一日、長野市を含む五輪招致都市にも質問書を送って調査を行うことを明らかにしたが、江沢代表は「十分な調査になるとは思えない」と主張。「文部大臣は招致委員会の顧問でもあった。文部省、JOCが公金の使途を解明すべきだ」としている。
(1999年1月23日 信濃毎日新聞掲載)
二〇〇二年米ソルトレークシティー冬季五輪に端を発した国際オリンピック委員会(IOC)の五輪招致疑惑で、長野五輪関係者に国内外メディアの取材が殺到している。長野の招致活動に不正がなかったかどうか―。大会を支えた県民にとって、大きな気掛かりになっている。海外から噴き出した一連の疑惑追及の動きの中で、長野冬季五輪招致委員会が会計帳簿類を焼却処分してしまったことも加わり、断片的であいまいな情報も広く流れ、困惑する関係者が出始めた。
県オリンピック室にはここ数日、米国や豪州、フランス、スペインの新聞社、放送局、通信社などから電話取材が相次いだ。「エージェントに集票活動を依頼しなかったのか」「招致委の会計帳簿類はないのか」といった内容が中心だった。
米国三大ネットワークの一つCBSも東京支局が十九、二十日の二日間、元招致委幹部や小諸市在住の日本画家らに取材。「(無料診療のあっせん、売春接待などのような)わいろがあれば大変な問題。新事実はなかったが、事態をじっくり見守る」と言う。
IOC委員をどう接待したか、過剰な接待や買収工作はなかったか―といった点がポイントになっている。多くの元招致委幹部は「同じ説明を繰り返している」と話す。
ただ、中には、絵画などの善意の寄贈が高額な贈り物として扱われたり、事実関係があいまいなままの報道も多い。「長野五輪開催前に公表されていたのに、あらためてセンセーショナルに扱うケースがある」と嘆く関係者が出ている。
招致関係者を名指しし「『オリンピックを買った』と話していた」とした米国の元IOC理事の話を報じ、翌日、名指しされた人物は別人―と、訂正送信する通信社もある。サマランチ会長に日本刀を贈ったという報道も、IOC側は「五輪博物館にはない」としている。
「長野の招致活動は、IOC委員に長野を理解してもらうため、一人でも多く招待することが必要だった。委員が求めていることを先取りし、こたえるのがもてなしだった。他の立候補都市も似たようなことをしていた」と振り返る声もある。
だが、IOC委員らの待遇などが一般常識とかけ離れている―と、招致活動の過熱ぶりやIOCの体質を指摘する声が各国関係者に高まってきた中で、「長野の招致活動だけ無関係だったと言うわけにはいかない」と受け止める幹部もいる。
招致委副会長だった長野市の塚田市長は十九日の記者会見で、「IOCの方針が決まれば積極的に協力する。(ただ)招致活動はこの十年間に改革すべきことがいっぱい出てきており、それが今回の問題になったと思う」と話した。長野がより丁寧に当時の活動を説明する努力が必要だ。
(1999年1月21日 信濃毎日新聞掲載)
国際オリンピック委員会(IOC)の猪谷千春理事は十九日、信濃毎日新聞社の取材に対し、IOCが長野五輪の招致活動について内部調査を始める可能性について、「二十四日の臨時理事会でどうするかを議論することになる。疑いのあるところはやらざるを得なくなるかもしれない」と述べた。
ただ、「長野には当時から『買収工作はいけない。五輪運動に取り組んでいる姿や長野の良さをPRするように』とアドバイスしてきた」と説明。「私の目の届いている範囲では問題はなかった」との見解を示した。
IOC自身の問題について、同理事は「どういうことが起こったのか、き然とした態度で処置し、今後、起こらないような方策を実行していく」と強調した。
また、長野冬季五輪招致委員会がコンサルタント契約していたスイスの広告代理店「スタジオ6」については、「IOCが信頼を置いている代理店で、長野の情報収集のために必要と考えて紹介した。長野に関してどういう活動をしたかは分からない」と話した。
(1999年1月20日 信濃毎日新聞掲載)
【ニューヨーク17日共同】十八日発売の米誌タイムは、長野冬季五輪の開催地決定に先立ち、堤義明コクド会長(日本オリンピック委員会前会長)とサマランチ国際オリンピック委員会(IOC)会長が東京で面会し、スイス・ローザンヌの五輪博物館建設問題を協議、堤会長の仲介で日本の十九企業が計二千万ドル(約二十三億円)を博物館建設のため寄贈していたと報じた。
同誌は両氏の会合の時期や資金寄贈が五輪招致にどうかかわったかなどについては具体的に書いておらず、情報源も特定していないが、この後、堤会長はIOCから五輪オーダー(功労章)の金賞を授与され、長野は五輪招致に成功したと指摘した。
同誌は、ロバート・ヘルミック米国オリンピック委員会(USOC)元会長がテレビ番組で、「日本の企業家たちがIOC会長の博物館建設に多額の寄付をすること自体何も悪いことではない。ただサマランチ会長か、IOCのほかのだれかの側としては何かが間違っている」と語った、と伝えた。
◇
日本オリンピック委員会(JOC)事業・広報部によると、五輪博物館建設の寄付金は、JOCが窓口となり、九〇―九三年にかけてIOCに送った。金額は一社百万ドル(約一億一千五百万円)程度という。
IOCの資料によると国内企業で寄付したのは、松下電器産業、三菱電機、日本電気、日本航空など十九社と、堤義明氏個人。世界ではスポーツ用品のアディダスやフィルムのコダックといった民間企業のほか、スイス、スペインなどの政府や九二年アルベールビル冬季五輪、バルセロナ五輪などの組織委員会も寄付している。
長野冬季五輪組織委員会(NAOC)も昨年六月、大会運営費から百万ドルを運営費に寄付した。大口寄付者名は博物館内に掲示されている。
(1999年1月19日 信濃毎日新聞掲載)
国際オリンピック委員会(IOC)のカラード事務総長が、長野五輪を含む過去の五輪招致活動についても内部調査を進める可能性に言及したことについて、長野五輪招致委員会会長だった吉村知事は十九日、九九年度当初予算案査定中として「IOCからの正式な連絡は聞いていない。長野五輪の招致活動について不正な手段は一切行っておらず、仮に(IOCの)調査が行われても問題はない」とのコメントを発表した。
また、招致委副会長だった塚田長野市長は「IOCの正式な方針が決まり、連絡があれば、積極的に協力する」とした。同市長は「許される範囲内でIOCに精いっぱい活動したとの自信がある。何ら問題はない」と、これまでの立場を繰り返して説明した。
画家の好意で日本画をサマランチ会長に贈ったことは「県民の好意だった。当時から事実は公表している」と、問題はないとの見方を示した。
一方、長野五輪開催決定当時の招致委副会長でJOC(日本オリンピック委員会)専務理事だった林克也・現JOC理事は「IOCがどんな方法で調査するか分からないが、今は断片的なうわさに近い話ばかりが流れている」と指摘。その上で「長野招致の公式書類が焼却されてしまった以上、ソルトレークなどで疑惑視されているIOC委員から仮に『長野でも(金品を)受け取った』との証言が出ても、裏付ける証拠がない。しかし、長野では(金品授受は)あり得ないことだ」と話した。
(1999年1月19日 信濃毎日新聞掲載)
米ソルトレークシティー冬季五輪招致に絡む買収疑惑に端を発した国際オリンピック委員会(IOC)のスキャンダルが、ナガノにも波紋を広げている。長野冬季五輪招致委員会がスイスの広告代理店とコンサルタント契約を結んだり、IOC委員の長野視察費を負担したことが買収だったのでは―との指摘も出始めたためだ。吉村知事らは釈明に追われているものの、当時の会計帳簿類を廃棄したことで不明朗な点が残るのも否めない。長野五輪の招致活動とは何だったのか、関係者は大会の成功から一周年を前にあらためて振り返る必要に迫られている。
「日本の芸術文化を知ってもらう良い機会。何かのお役に立てばという一心な気持ちだった」。小諸市在住の日本画家で日本芸術院会員の白鳥映雪画伯(86)は十六日、突然の飛び火にこう戸惑いをみせた。
白鳥画伯の好意で作品をIOCのサマランチ会長に寄贈したことが、過熱した買収疑惑に関連して伝えられたからだ。白鳥画伯らによると、この絵画は美人画「舞妓(まいこ)」で、大きさは10号、市場価格は百五十万円くらいになる。
招致活動をめぐる疑惑の焦点は、エージェントによる工作や現金類の贈り物などIOC委員への悪質な買収がなかったか、という点だ。招致委会長だった吉村知事や招致委副会長だった長野市の塚田市長は十三、十四日に相次いで「アンフェアな集票活動はない」「海外でのIOC委員への接触は外務省を通じ行った」と強調、高額な贈り物も否定した。
しかし、「疑問が全面的に払しょくされたとは言えない」とする県民もいる。理由の一つは、当時から招致活動の過熱ぶりやそれを受容するIOC委員の問題を指摘する声があったことだ。招致活動は、政府が長野五輪招致を閣議了解した八九年六月前後から活発化、九一年六月のIOCバーミンガム総会で長野五輪が決まるまで続いた。
招致報告書によると、各候補都市間の招致活動が激化する中で、八九年から九一年六月までに長野に招待した海外のIOC委員は九十二人のうち六十二人。日程はおおむね一泊二日で、会場視察、知事、市長らとの懇談、歓迎パーティーなどをこなした。欧州などからのファーストクラスの往復航空運賃、滞在費は招致委が負担。費用は「計算上一人当たり二、三百万円くらいになった」(招致委の事務次長だった山口純一氏)。
贈り物について招致委幹部は「IOC東京総会で浴衣を入れた革かばん、バーミンガム総会は蒔絵入りの万年筆を贈ったが、IOCの規定(上限二百ドル)は守っていた」と言う。
ただ、委員が京都や東京・秋葉原に出かける際に同行したり、立候補都市がパーティーの豪華さを競い合うような風潮に対し、過剰接待との批判もあった。東京総会に英マンチェスター招致団の一員として来日したアン王女は、当時の記者会見で「お土産を配る働きかけは英国スタイルではない」とも指摘している。
招致委の会計帳簿類が廃棄され、説明が関係者の記憶に頼っていることも、いまだに不信感をぬぐえない要因だ。八九年度から三年間の招致委の決算では、総支出十九億六千万円のうち招致活動などの渉外活動費が十億九千万円を占める。
会計帳簿類はすでに九五年の長野地検の調べで、招致委から長野冬季五輪組織委員会(NAOC)に移行した後の九二年四月に市清掃工場で処分されたことが明らかになっている。山口氏は「保管場所がなく、IOC委員の招へい情報が無責任に散逸しても困る。秘密保持の意味もあって焼却処分した」と説明する。
三月のIOC臨時総会では、ソルトレークシティー五輪に絡む違反行為でIOC委員の何人かが追放される可能性が強い。IOCは今のところ、長野五輪関係での委員の違反行為を具体的に指摘してはいない。しかし、長野招致では、招致委だけでなく子どもたちを含む民間の運動も大きな役割を果たした。こうした気持ちを踏みにじらないためにも、長野の招致運動で悪質な働きかけがなかったことを筋道たてて説明する必要はある。(畑谷広治記者)
(1999年1月17日 信濃毎日新聞掲載)
長野冬季五輪招致委員会が招致活動の一環としてスイスの広告代理店と契約していたことについて、招致委会長だった吉村知事は十三日、「広告代理店との契約は情報収集が目的で、集票活動は依頼していない」と述べた。知事は、当時の活動を「日本にいると海外の状況が分からない。情報を得るため(エージェントを)利用しないと大変だったのではないか」とし、「(広告代理店としては)国内は電通、海外ではこの一社だった」と話した。
(1999年1月14日 信濃毎日新聞掲載)
長野市の塚田市長は十四日の記者会見で、長野冬季五輪招致委員会が招致活動でスイスの広告代理店と契約していたことについて、「招致活動に関する情報を提供してもらうコンサルタントだった。長野では、言われているような悪質な集票活動をするエージェントは雇っていない。アンフェアな集票活動は絶対になかった」と強調した。
会見には招致委事務局の事務次長だった山口純一氏が同席した。市長と同氏によると、この代理店はローザンヌに拠点を置く「スタジオ6」で、八九年六月に長野五輪招致閣議了解がされた後に、九一年六月の国際オリンピック委員会(IOC)バーミンガム総会が終わるまで契約した。契約金は約四千万円で、一括して契約。「手付金として一千万円を、残りを分けて支払った。成功報酬はなかった」と述べた。情報提供の内容は、IOC関連の会議での決定事項、サマランチ会長ら要人の日程、招致活動に関する新聞や雑誌情報など。「ファクスで毎日、机の上に積み上がるくらい送られてきた」としている。
同社と契約した理由は「かなりの数の代理店から情報提供の申し出があったが、この代理店社長のゴラン・タカチ氏からの情報が早く正確だったことから、猪谷千春IOC理事とも相談して決めた」と説明した。
(1999年1月15日 信濃毎日新聞掲載)
長野市の市民団体「オリンピックいらない人たちネットワーク」(江沢正雄代表)は十四日までに、招致活動で買収問題が発覚した二〇〇二年米国ソルトレークシティー冬季五輪の捜査に絡んで、長野五輪の招致活動についても調べるよう求めた要望書を米国司法省、米国オリンピック委員会、米国連邦捜査局(FBI)に送った。
要望書は、同ネットワークが起こした長野五輪の招致活動費の返還訴訟で招致委員会の会計帳簿がなくなったことが明らかになり、検察に告発したが、日本の司法当局は事実を明らかにしなかったと指摘。ソルトレークシティー五輪での買収疑惑の捜査の糸口として長野での招致活動を調べるのが有効―として捜査を求めている。
司法省と米国オリンピック委員会への要望書は直接ファクスで、FBIへの要望書は在日米国大使館あてにファクスで送った。
(1999年1月15日 信濃毎日新聞掲載)
長野市の市民団体「オリンピックいらない人たちネットワーク」が長野冬季五輪の招致活動に関して米連邦捜査局(FBI)などに捜査を求める要請書を送ったことについて、吉村知事は十四日、「(その行動は)おかしい。FBIは関係がなく、捜査するなんてあり得ない」とした上で「もし捜査となればアメリカが世界を監視しているようになってしまう。アメリカがますます図に乗ってしまう」と述べた。
また、ソルトレークシティーで起きている問題については「ソルトレークはモルモン教の土地で厳しい戒律もある。(そうした土地柄の場所で)招致段階から有力な候補地でもあったのに、考えられないことだと思う」と話した。
(1999年1月15日 信濃毎日新聞掲載)
国際オリンピック委員会(IOC)の五輪開催地選定投票で、金銭を見返りにIOC委員の集票を行うエージェント(仲介人)が関与したとIOCのマーク・ホドラー理事が述べていることについて、長野冬季五輪組織委員会副会長の塚田佐・長野市長は二十一日の定例記者会見で、「長野の招致では絶対にそういうことはなかった」と、長野五輪招致へのエージェント関与をあらためて否定した。
塚田市長は「長野は知名度が低かったので、IOC委員に(長野市を)視察してもらい、市民が出迎えたりした。こうした招致活動を通じて、皆の力で招致を勝ち取った」とした。
(1998年12月22日 信濃毎日新聞掲載)
長野冬季五輪の招致段階で、長野五輪招致委員会に対し多額の違法支出があったとして、住民グループ「オリンピックいらない人たちネットワーク」(江沢正雄代表)の五十七人が吉村知事らを相手に交付金など計十億八千万円余を県に返還するよう求めた訴訟の上告審で、最高裁は十三日までに、「原審の認定に違法はない」とし、上告を棄却した。
一審の長野地裁は「原告側の監査請求は対象期限を過ぎており不適法」として十億四千万円の返還請求を却下。残りの約四千万円分は「県の事務に当たり、違法な支出ではない」として訴えを棄却した。控訴審の東京高裁は一審判決を支持した。一審では、同招致委の会計帳簿が紛失した問題も明らかになった。
江沢代表は「内容を十分検討しないままの判決で、承服できない。公金支出の手続きや使い方での県の不透明なやり方に、お墨付きを与えてしまう」と話している。
(1998年6月14日 信濃毎日新聞掲載)
オリンピックを主催する国際オリンピック委員会(IOC)。長野五輪でもサマランチ会長以下百人余の委員が、スポンサーのパーティーなどで存在感をアピールした。開催都市決定などに絶大な権力があるIOC委員。競技団体や招致都市は大切な一票を気にして、そのもてなしに気を使う。五輪の巨大化とともに目につくようになった、その「貴族」ぶり。接待攻勢は激しさを増しているが、その実像は市民には見えにくい。
「私の活動できる時間には限りがある」。車内で一言だけいうと、サマランチ会長は沈黙した。八日に予定されていた男子滑降の観戦で北安曇郡白馬村入りした帰路のことだ。スポンサーのゲスト送迎バスや観客のシャトルバスで道路が渋滞。サマランチ会長の迎えの車も到着が三十分ほど遅れた。十日すぎから会長専用車はパトカーが先導して走るようになった。
白馬村の競技会場近くまで行っていたシャトルバスの終点は、十二日からすべて松川河川敷駐車場に変更され、観客は会場まで四十分ほど歩くことになる。交通の混乱を避けるためだ。が、十七日の女子滑降では、IOC委員の乗った車は観客スタンド近くまで乗りつけ、委員は五十段ほどの階段を上がるだけでスタンドに消えた。
移動は長野冬季五輪組織委員会(NAOC)の用意した一人一台の専用車を使う。専任の女性通訳もつく。さらにNAOCの要請で、県内企業経営者らの有志でつくる「フレンズクラブ」が、専用車の運転手と期間中の案内役を提供した。
それでも苦情が出る。「これは荷物を運ぶ車じゃないか。私に乗れというのか」。ある委員は最初、専用車を見るなり拒絶反応を示した。通訳や案内役の同乗を考慮してミニバン型の車を用意したNAOC側の善意は伝わらなかった。この委員は自国の大使館から車を取り寄せたが、運転手が地理に不案内で不便なことが分かり、専用車の利用に戻ったという。
十九日、下高井郡山ノ内町志賀高原での男子大回転。斜面を歩く観客から見渡せる運営本部前に、競技開始十五分ほど前から雪上車が乗りつけ始めた。「警備の問題があるし、高齢の委員を歩かせるのは危険」。IOCの要求でNAOCが用意した。「だれか有名人ですか」。事情を知らない観客は盛んにシャッターを切った。
今月三日の善光寺大勧進。赤いじゅうたんを敷いた大広間に、IOC委員や事務局幹部ら四十三人が次々に吸い込まれていく。テーブルには一つ三万円の重箱入りの和風料理が二十五セット。市内のホテルから二人のすし職人、東信地方のそば店から四人のそば打ち職人が来て、伝統の日本料理を披露した。接待した約二十人の女性の中には、大阪五輪招致のマークが入った着物姿の五人もいた。
善光寺近くに開設した「関西ウエルカムハウス」。ここへもアジアのIOC委員を中心に五、六人が足を運んだ。「それぞれにしがらみのある第一回投票が終わったら、私らの顔を思い出して二回目の投票はオオサカと書いてほしい。招致に成功した長野方式は参考になる」と前田文夫・招致推進会議事業部長。二〇〇八年五輪招致へ向けて、接待の効果に期待をかける。
(1998年2月22日 信濃毎日新聞掲載)
長野五輪の舞台裏で、もう一つの静かな戦いが繰り広げられている。今月一日に立候補が締め切られた二〇〇六年冬季五輪の招致活動だ。名乗りを挙げたのは欧州の六都市。肥大化、商業主義などさまざまな問題も抱える五輪に対し、競技会場の北安曇郡白馬村などで、それぞれの「新世紀の五輪像」をPRしている。だが、招致活動の柱の一つは、パーティー招待など国際オリンピック委員会(IOC)への“接待攻勢”。活動の中身はあまり変わっていない。
「国境を超えて」。八日夜、北安曇郡白馬村八方地区にオーストリアが建てたゲストハウス内に、英語の横断幕が張り出された。オーストリア南部のクラーゲンフルト市が、国境を接するイタリア、スロベニア両国との二〇〇六年五輪の共同開催をアピール。オーストリア報道陣ら百人以上が木造のログハウスに詰め掛け、ビールと音楽で盛り上げた。
オーストリア・オリンピック委員会(AOC)関係者らに交じり、ひときわ高い歓声に迎えられたのはフランツ・クラマー氏。インスブルック五輪金メダリスト、オーストリアの英雄が、招致組織の代表だ。
共同開催を掲げた理由について、AOCのレオ・ヴァルナー会長は「未来的なアイデア。小さな国でも五輪を開くことが可能になる」と自賛してみせた。
国際オリンピック委員会(IOC)が複数国による共同開催を認めたのは九〇年。肥大化した五輪大会を一都市に負わせると、環境破壊や膨大な財政負担を招き、批判を受ける―との判断があった。
クラーゲンフルトの立候補には、欧州の経済統合も追い風になっている。オーストリアとイタリアは欧州連合(EU)の一員で、スロベニアも加盟申請中。「この地域は民族や文化、イデオロギーが異なり、かつて戦争があった。ここで大会を共催することは、平和を目指す五輪の理念と一致する」とクラマー氏は言う。経済、文化交流と同じように五輪も「国境を超える」を、新たなセールスポイントにしようとの思惑がのぞく。
五日、長野市内の五輪メーンプレスセンターで開いた記者会見。各都市が色とりどりのパンフレットを配り、招致の理念を訴えた。
フィンランドの首都ヘルシンキは、アルペンスキーとボブスレー・リュージュを九四年冬季五輪の開催地・リレハンメル(ノルウェー)で開く協定を結んだ。白馬村を訪れたリレハンメルのアウドン・トロン市長は「われわれには五輪を成功させた経験があるし、施設も活用できる。いい提案だ」と笑みを浮かべた。
二〇〇二年招致でソルトレークシティー(米国)に敗れたスイスのシオン。招致委のランス・ケリー国際交流調整官は「ジャンプ台は木を組み上げて造り、終了後には解体して、別の都市に移す案も検討している」。既存や仮設の施設を利用した「簡素でコンパクトな大会」は合い言葉のようだ。
招致活動はいまのところ、表向き静かだ。五都市が立候補し、九一年六月に長野に決まった九八年五輪の招致活動は、長野市、ソルトレークシティーなどの競争が過熱。「長野は金にものを言わせて招致した」といった批判も浴びた。IOC側が派手な活動を慎むよう求めていることもあり、「長野の時とは雰囲気が違う」と、当時を知る長野冬季五輪組織委員会(NAOC)職員は話す。
だが、水面下の戦略はあまり変わっていない。あるNAOC関係者は「スイスは長野市内に設けたスイスレストランに、個別にIOC関係者を招いていた」と漏らす。白馬村では、ポーランドなど複数の国が村内のホテルを借り、IOC幹部を招いたパーティーを開くという。
「経済開発は大事だ。新たな雇用を生み出し、若い人たちに地域の可能性を信じてもらわないといけない」とスイスの招致関係者。それぞれが新たな理念を模索しながらも、五輪の経済効果を期待し、支持を求めてIOC委員に働き掛ける構図は続いている。(高森和郎記者)
(1998年2月12日 信濃毎日新聞掲載)
小川英明裁判長は、一審の長野地裁が「監査対象期限が過ぎている」として却下した十億四千万円に県教委オリンピック推進室(当時)の関係経費二百万円余を加えた計約十億四千二百万円を同様の理由で却下。残る約三千八百万円については「五輪招致活動は、地方自治法の『スポーツの振興に必要な事務』として県の事務に含まれる。県の支出は適法」とした一審判決を支持し、棄却した。住民側は上告する方針。
判決で小川裁判長は、住民側が「県は県職員の身分のまま職員を長野市に派遣し、さらに県の事務ではない招致活動に従事させたのは、職務専念義務を定めた地方公務員法に違反する」と主張した点にふれ「派遣職員が実際に従事した事務が県の事務と同一視して差し支えないときは、違法でない」と、一審判決を補強した。
また、同委員会の会計帳簿が職員によって廃棄されていたことについて、住民側が「県教委が定めた五年間の保存義務に違反して、帳簿を違法に廃棄した」と主張していた点については、一審判決同様、言及しなかった。
長野五輪の開催は県政の重要な柱の一つとして位置づけ、招致委員会への交付金の交付、職員派遣も適法であると主張してきた。本日の判決は、第一審と同様こちらの主張を認める適正な判決と思う。
非常に残念。監査請求の時効を理由に請求を却下しても、中身について言及した判例は複数あり、今回の判決は裁判所の判断たりえない。一審同様、任意団体をつくって金を集め帳簿を隠してしまえば、自治体は金をどうにでもできることを追認している。
(1997年3月28日 信濃毎日新聞掲載)
斎藤隆裁判長は、住民グループ側が行った監査請求した十億四千万円について「監査対象期限が過ぎている」として訴えを却下。残る約四千万円について「違法な支出ではない」として訴えを棄却した。
五輪招致活動が県の事務に当たるかどうかについては「地方自治法の『スポーツの振興に必要な事務』『教育、文化に関する事務』として県の事務に含まれる」と判断、県から同委員会への派遣職員への支出も認めた。原告側は控訴する方針。
原告側は九二年六月に行った住民監査請求を、県監査委員が地方自治法の定める一年の時効を過ぎていることなどを理由に退けたことから、同年九月に提訴。「使途の違法性を明らかにしたい」と同委員会の会計帳簿の有無などを同地裁に調査嘱託したところ、紛失していることが発覚した。
このため、「県教委が帳簿類の五年間の保存義務を課していたのに、違法に毀棄(きき)した」とも主張していた。
帳簿紛失問題では、原告側は九四年、吉村知事と塚田長野市長を公用文書等毀棄(きき)罪で長野地検に告発。同地検は昨年三月、「同委員会が解散した時点で帳簿の保存義務もなくなった」として不起訴処分とした。住民側は今年三月、長野検察審査会に審査を申し立てている。
判決後、原告団は、五輪運営費に対する県の補助金支出についても差し止め請求する方針を明らかにした。
長野五輪の開催を県政の重要な柱の一つと位置づけ取り組んできた。招致委員会への交付金の支出、職員の派遣は適法であると確信してきたところであり、判決は適正な判断だと考える。
非常に憤りを覚える。地方自治体が任意団体をでっち上げ、そこにいったん金を集めればどうにでも使えることを裁判所は追認した。近日中に控訴する。
(1996年7月26日 信濃毎日新聞掲載)