麻原彰晃説法 第一話 ヨーガの目的とプロセス、そして解脱
◎苦へのプロセス
今日はヨーガの目的、修行のプロセス、そして解脱――この三つについて語りたいと思う。
この世が楽だと考える人は修行者向きではない。なぜなら、まだ行きつくところまで行っていないんだ、そういう人は。苦を感じるようになって修行を始める途中の段階とも言っていいね。
これを理解してもらう為には、私達のしんがが自分の真の姿を見失っていくプロセスを知らなければならない。しんがとは、本当の私って言ったらいいかな、私達の根本となるものだ。しんがに意志とかイメージとかが加わったのが魂なんだ。こう言った方がわかりやすいかもしれない。
そのしんがは、功徳・悪徳・行動という、三つのグナに影響されているんだ。三つのグナに影響されることによって、どんどん自分本来の姿を見失って錯覚に陥っていってしまう。その錯覚に陥っていく、まだ途中の段階の人は、この世が楽だと考えているんだ。また、この世が絶対だとも考える。
しかし、そのプロセスの最後まで行ってしまうと、つまり行きつくところまで行ってしまうと、今度は苦を感じるようになるんだ。この世に生まれ変わってくることの苦しさ、無意味さなどを痛切に感じるようになるわけだ。しんががたくさんのことを経験した結果、それに気付くんだ。
◎経験こそ修行の第一歩
例えば、ここにオレンジがあるとしよう。もしオレンジを食べたことのない人がオレンジを食べて、「ああ、なんておいしんだろう。」って思ったとする。最初においしいと思っても、一日に五個、十個、二十個、三十個と、食べていってごらん。毎日毎日それを続けてごらん。必ず飽きる。
それと同じように、すべての経験においてね、いずれ飽きるときがやってくる。恋愛だってそうだ。あるいは、地位とか名誉、これも同じだ。お金もそうだね。
この世での経験が激しければ激しい程、経験が多ければ多い程、この世の中に飽きてしまうんだ。これは潜在意識が満足しきってしまうからなんだ。そうなると、この世は苦だ、この世は幻影に過ぎないと、考えるようになってくるんだ。そして、この世から脱け出したい、苦しみの世界から脱け出したい、と望 むようになるんだ。
じゃあ、一体この苦しみの世界から脱け出すのにどうしたらいいんだ、このことについて考えるようになってくる。こうして、修行によって魂の解放を願うようになるというわけだ。以上が人間が修行に入っていくプロセスなんだよ。
◎迷妄を取り除け!
さて、こうして魂の解放を願うようになった。次の問題は、その方法を知ることだよね。
魂が解放される為には、魂と肉体とがね、別個のものだという事実を感じ取らなければならない。次に、夢の世界とアストラル世界が、私達の魂と別個であることを理解しなくてはならない。そして最後にですよ、心と魂が別個であると認識する。いいですか。
これを認識する為には『理論的に認識する方法』と『経験的に認識する方法』の二通りの方法がある。そして、そのどちらも私達には必要だ。
経験として認識する方法は解脱だ。論理的に認識していく方法は悟りだ。どうしたら、その悟り、あるいは解脱をね、私達は得ることができるんだろうか。今度はこれを考えなくてはならない。
ここに愚者と智者のふたりがいたと想定しよう。愚者は、例えばここでオレンジを一個買う。それを食べて、そのおいしさを味わったとしよう。次の日も二個 三個四個と買って飽きるまで食べる。そして、オレンジに飽きる。もはやおいしくはない。次はリンゴにしよう。彼はリンゴを食べる。飽きるまで食べる。 次はバナナだ。バナナで同じことを繰り返す。こんなことを、懲りずに繰り返しているような人は、悟りや解脱までとても時間がかかるだろうね。
ここで、智者だったらどういうプロセスを辿るのかね。その人は、オレンジに飽きたとき、「なぜ私はオレンジに飽きたんだろう?」と考える。そして、「私は今度は、リンゴを食べたいと思っているけど、ひょっとしたらリンゴにも飽きるんじゃないか。」っという考えに至るだろうね。そして、リンゴに挑戦するとき、 「その時の心の変化をできるだけ客観的に見ていこうじゃないか。」と決心する。そして、リンゴを食べていきながら、個数を増やしていきながら、心の変化を理解していく。
そうするとね、オレンジとリンゴ、これくらいで飽きる経験はすんでしまうわけだ。飽きる経験がすんでしまうから、次のバナナまでいかない。いく必要がないんだ。
オレンジやリンゴがね、車に変わっても同じだね。例えばブルーバード、例えばスカイライン、例えばシビック。初めにブルーバードに乗っていてね、飽きてスカイラインにする。次はシビックにしてみる。これと、オレンジ、リンゴ、バナナのプロセスは全く同じだ。
異性について考えても同じだよ。A子さん、B子さん、C子さんと心が移っていくプロセス、これも全く同じだ。
◎悟り――パラダイス
私達は、だから、もしオレンジで心の動きを理解したならば、車に対しても異性に対しても、惑わされることはないだろう。その時、自ずと悟りが訪れます。
急に、悟り、なんて言葉がでてきてびっくりしたかな。オレンジや車と悟りが、なにやらつり合わないような気がするかもしれない。しかし、悟りとは心の動き、あるいは真我がどのようにして闇の中に入っていくかをね、客観的に見て理解できる状態のことなんだ。いいですか。これが悟りのプロセスだ。そして悟りに必要なのは、ジュニアーナ・ヨーガなんだ。ジュニアーナ・ヨーガとは、分析的ヨーガとか哲学的ヨーガとか言われている。
悟りを開くとね、今何をなさなければならないか、この人生というものは何であるか、それが理解できるようになってくる。
そうすると、お金に興味が無くなってくる。まあ、お金は一定量は必要だ。しかし、さして私達の人生に影響はない。例えば、ある人が三十万円もする背広を着ていてね、自分が五千円のトレーニングウェアであったとしても、そういうことは問題でなくなってくる。例えばある人が、 最高車であるプレジデントに乗っていて、自分が七十万のファミリアに乗ってたとしても、大した問題ではなくなってくる。例えば、ある人が美女と歩いていて、例えば自分がそんなに美人じゃない人と歩いていたとしても、大した問題ではなくなってくる。
だって、そんなことよりも、ずーっと大切なことに気付くんだから。一日一日をいかに充実して生きるか、いかに、しんがが本当に望んでいる絶対自由、絶対幸福、そして歓喜を求めて生きるか。この点に少しずつ焦点がしぼられてくるんだ。そして修行に入り、解脱へと向かうんだ。
◎覚者こそ解脱する
ここで、ちょっと触れておきたい。私は悟りを得た後修行に入り、解脱へと向かうと言った。これは、悟りを開いてからが本当の修行であり、本人も修行に没頭できるということなんだ。悟りを開いた人は、もはや修行に失敗することはない。修行以外のことには見向きもしなくなる。――そして、必ず解脱を果たすことができるんだ。
私がね、ジュニアーナ・ヨーガを重視しているのは、まさにこの理由からなんだ。あなた方に、一日も早くジュニアーナ・ヨーガで悟ってもらいたいと思っているんだ。そうしないと、潰【つぶ】れてしまう可能性があるからね。
悟っていないと、修行者であっても、あっさり潰れてしまうことがあるんだ。・・・・グルや神に対する信を持ち続けなさいよ。私を信じなさいよ。そうすれば、私はいつでもあなた方を見守って、助けてあげられるからね。
◎ジュニアーナ・ヨーガは真理のサイン
また、こういう恐しい話をしなくてはならない。ジュニアーナ・ヨーガで悟りを開く。クンダリニー・ヨーガで解脱する。しかし、解脱する為にもジュニアーナ・ヨーガが必要なのには、もう一つ理由がある。それは、クンダリニーのプロセスだけだと、成就できなかったら気が狂ってしまうということなんだ。ついこの間も、他のヨーガ道場のインストラクターが気が狂って自殺したという話を聞いたばかりだ。クンダリニーのエネルギーはそれほどに強い。しかし、ジュニアーナ・ヨーガで悟りを開いていれば、クンダリニーのエネルギーを正しい方向に使えるようになるので、気違いになってしまうというようなことはない。
ジュニアーナ・ヨーガの良いところは、「自分の状態を把握して、乗り越えていく。」というところにもあるんだ。例えば、「病気で苦しんでいるんだ」 と。また、「私は今経済的な問題で苦しんでいるんだ」という人がいる。あるいは、「恋愛問題に悩んでいるんだ」という人がいるかもしれない。私はこう言うことができる。ジュニアーナ・ヨーガで健康を得なさい、経済的に安定しなさい、幸せな恋愛結婚をしなさい、とね。
直接そういう効果を持つものは、ジュニアーナ・ヨーガではなく、ラージャ・ヨーガあるいはクンダリニー・ヨーガなんだけど。ジュニアーナ・ヨーガによる精神的基礎がないと、修行者にあるまじき現世利欲の方向へ行ってしまうんだ。それはカルマとなってしまう。
◎ヨーガの修行
ヨーガの修行というのは、非常に効果がある。例えばプラーナーヤーマで二分、三分とクンバカ(保息)ができるようになったならば、相手を自由にコントロールできる。欲しいものはすべて手に入る。だからこそ、精神的基礎をジュニアーナ・ヨーガで作っておかないと堕落してしまうわけだ。悪いカルマを作ってしまうわけだね。
だったらどうしたらよいか? この世は仮の居場所だからね、必要な分だけを取って還元しなさい。いいですか。それをするなら、今の苦しみを乗り越えることができるだけでなく、来世でも素晴らしい世界に行けるからね。そして何よりも、安定した平和な気持ちでね、人生を歩むことができるからね。
◎解脱のプロセス
では次に解脱のプロセスに移るよ。解脱というのはね、私達の執着、これを物理的に消してしまうプロセスだ。
例えば、お腹がすいたときはどこで感じるか? お腹で感じるね。性欲はどこで感じるか? このスヴァディスターナ・チャクラで感じるね。いかりはムーラダーラ・チャクラからの熱だ。それらは、ストレスのエネルギーとも言える。ところが、 凡夫はそのエネルギーの行き場を持っていないんだ。いいか? だから、空腹感を感じたら、その空腹感がおさまるまで食べなければならない。性欲があったら我慢して精神的におかしくなるか、あるいは漏らすかしなければならない。いかりの感情というのは、コントロールすることなど到底できない。これが凡夫だ。
しかし、これらのストレスのエネルギーの流れ道が開いたならば違ってくる。あなた方のスシュムナー管、これが開いたならばそれがストレスのエネルギーの流れ道となるんだ。
例えば、性欲が起きたとき、スシュムナー管が開いていたら、性欲はスシュムナー管を通って上昇する。上昇して頭頂に集まる。食欲も同じ。瞋りも同じだよ。いいかな。だから、第一に私達は背中の中心にあるスシュムナーを開かなければならない。いいね?
そして、上昇したエネルギーがサハスラーラを崩壊させるとだ、ツァンダリーが起こるね。
そのツァンダリーによって、上昇したエネルギーは、下降する。今度は、同じ道を辿らないで身体の中央を降りてくる。そこで、まあいろんな神通力が起こる わけだけれども、超能力が起こるわけだけれども――私達の食欲、性欲、瞋りというものはね、循環するようになるわけだ。いいですか。そうすると、例えば性欲は起きた瞬間にツァンダリーのエネルギーに変わるね。したがって、私達は全くストレスを持たない状態になるわけだ。
それだけじゃないよ。この食欲にしろ性欲にしろ瞋りにしろ、私達の大脳をいろんな形で振動させるんだ。興奮させて、喜ばしてくれるんだ。だから快感状態にひたることができる。何もしないのに、いつも気持ち良い状態でいられる。
――これが解脱だ。私達がこの世に生まれているのは、煩悩があるからだ。欲望や執着があるから輪廻の輪から抜け出せなかったんだ。だから、私達が煩悩から解放されたならば、私達はこの世という苦界に生まれてくることもない。幸せな高次元の世界へと行くことができるんだ。それが解脱なんだ。
要するに、理論的追究をした場合『悟り』が起きる。物理的追究をした場合、『解脱』が起きる。この『悟り』と『解脱』を合わせてしまえば、最高の状態になるんだ。
◎偉大なグル
一つつけ加えておこう。解脱のプロセスの途中で、もしサハスラーラ・チャクラが崩壊しなかった場合についてだ。サハスラーラ・チャクラが崩壊しなかったらどうなるか? これは大変なことになるよ。何しろストレスのエネルギーが下から上に移動したにすぎないんだからね。先程述べた、気が狂う危険性があるのがこの時なんだ。
例えば、性欲のかたまりの人間は、アストラル世界で性欲を満足させるようになるだろう。例えば、瞋りに満ちている人はアストラルの世界で闘争するだろう。私は、実はこのタイプだった。また、食欲過多、あるいは無智の人は、いつも眠たくなるだろう。寝てばっかしいるだろう。
しかし、成就したグルがついていれば、必ずサハスラーラ・チャクラを崩壊させることができるだろう。その危険な状態をコントロールすることができるからね。まあ、悟りを開いた後に解脱のプロセスに足を踏み入れるのがベストなんだけれどね。この理由は先程も説明したね。
では、今日の講義はこれで終わりにします。