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introduction  

2013年 01月 01日

    創価の森の小さな家

当ブログへようこそ!
創価学会員の菊川広幸(HN)と申します。
茨城県の壮年部です。本当に書きたいことを書くために、創価系ブログを立ち上げました!^^
日常生活のひとコマから、創価学会の動向まで、いろいろお話をしています。
今後とも、宜しくお願いいたします!

1.作者プロフィール (創価の森ブログ管理人の自己紹介です)
2.ブログ記事ダイジェスト (創価の森ブログの3年間の歩みをまとめました)
3.ブログルール (ブログの特徴や、コメントの投稿方法のご案内です)
4.創価の森ブログ<別館> (苦情やご指摘は、「別館」をご利用ください)

<お知らせ>
創価の森ブログ内の記事・画像関係のコピー・ダウンロード・転載・引用を含む一切の無断使用を禁じます。「魚拓」にとることも禁じます。

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# by sokanomori | 2013-01-01 01:01 | Trackback

創価の森ブログ<別館>のご案内  

2013年 01月 01日

別館の最新記事のご案内です。
アンダーラインをクリックすると、表題の記事にジャンプします。
7月26日 青年・池田大作

# by sokanomori | 2013-01-01 01:00

Aさんの死  

2012年 07月 25日

◇来世でも、再びお付き合いしたい人。

私が仕事を通じてお付き合いのあった恩人(以下、仮称Aさんと呼ぶ)が先日亡くなられた。
3年間癌と闘われていた。享年80歳であられた。
Aさんは、特許を何百も持っている発明家であった。
頑固なところがあり、信念を絶対に曲げない人だった。
発想が浮かんだら、徹底して実験する執念の人であった。
気に食わないと誰とでもケンカした。相手が大企業だろうと、腹を立てたら儲かる取引でも中断した。
そんなAさんであったが、私を大変可愛がってくださった。
仕事となると、夜中だろうと電話がかかってきた。
ある日、休日前、もう寝ていた時間に電話がかかり、「明日、石川県に行ってくれ!」という。気象条件が実験によいとのAさんの判断だった。
行くと、天気が急変、実験が成り立たない。
数日後、今度は朝5時ごろ電話がかかってきた。
「今度は大丈夫だ。今日、すぐに石川県に行ってくれ!」
横で寝ていた妻はつぶやいた。「あなた、可哀そう‥」
そんな、ある意味、めちゃくちゃな熱血の人であった。(^^)
でも、私は頑張る人が好き。信念の人が好き。
Aさんのことは一生、忘れることはないと思います。
Aさん、お疲れさまでした。
また、来世でお会いしましょう。

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# by sokanomori | 2012-07-25 22:06 | | Trackback | Comments(1)

Harmonica  

2012年 07月 25日


      

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# by sokanomori | 2012-07-25 21:59

聖人御難事 <付録>  

2012年 07月 25日

            ◇大聖人の御手紙はどのように届けられたのか。

聖人御難事の文末には、次のように書かれています。
「人人御中 さぶらうざへもん殿のもとに・とどめらるべし」
(門下一同に与えます (最後は)三郎左衛門尉のもとに止めおいて下さい)
身延から最終的に鎌倉の四条金吾に届けられたこの御手紙は、途中、沢山の人々が拝したものと考えられます。
かなりの日数をかけて、鎌倉に届けられたことでしょう。
東洋哲学研究所の研究者(小林主任研究員)は、著書「図表で読む日蓮遺文」に、「多くの場合、運搬は出家の弟子が担っていた」と書いています。運搬をする弟子は、「内容を正しく伝える重要な任務を担っており、与えられた門下に読み聞かせ、御書の講義をした」とのことです。
その一つの根拠として、「総じては・これよりぐして・いたらん人にはよりて法門御聴聞有るべし・互に師弟と為らんか」(1224頁)の御文があります。これは、「集い合い、それぞれが師となり弟子となって語り学び合いなさい」との意味です。
この他、富木常忍に宛てられた御手紙に、「心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし」(951頁)とあります。
当時、大聖人の御書を、沢山の門下信徒が学び合い、語り合っていたことが分かります。
聖人御難事の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2012-07-25 06:30 | 御 書

聖人御難事  

2012年 07月 25日

                 ◇日蓮大聖人の「出世の本懐」とは。

聖人御難事(しょうにんごなんじ)。
本抄は、弘安2年10月1日、大聖人御年58歳の時、熱原の法難で捕えられた農民信徒の不惜身命の信心から「末法に大聖人の仏法が根付いた」ことを覚知され、出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊を建立されることを表明された御書です。
冒頭、過去の三師(釈尊・天台・伝教)と大聖人の出世の本懐の時期を示され(「仏(釈尊)四十余年、天台三十余年、伝教二十余年、余(大聖人)は二十七年」と記述)、次に、伊豆流罪、小松原法難(頭部の損傷と左腕の骨折)、竜の口法難、佐渡流罪など、仏教史上、前例のない大難を受けられたことを述べられています。
そして、この経文通りの大難を乗り越えたのは「閻浮提(全世界)の内に(中略)但日蓮一人なり」(1190頁)と宣言されています。
見宝塔品(六難九易)の記事は、→ここをクリック!
勧持品(三類の強敵)の記事は、→ここをクリック!
この法華経の行者(弟子を含む)を迫害する者には罰が現れます。その現証として、疫病、干ばつ、同士討ち、他国からの侵略などがあったことをご教授されています。
以上の前置があり、次の有名な御文が記されています。
------------------------------
「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ・師子王は百獣にをぢず・師子の子又かくのごとし・彼等は野干のほうるなり・日蓮が一門は師子の吼るなり」(1190頁)
「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(1190頁)
「我等現には此の大難に値うとも後生は仏になりなん・設えば灸治(やいと)のごとし・当時はいたけれども後の薬なればいたくていたからず」(1190頁)
「ただ一えんにおもい切れ・よからんは不思議・わるからんは一定とをもへ」(1191頁)
------------------------------
熱原の三烈士に、この御手紙は届かなかったことでしょう。
しかし、熱原の農民信徒は、「師子王の心」で信心を貫きました。そして10月15日に、三烈士は殉教しました。
日蓮大聖人は、10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されました。
立宗から27年目のことでした。
聖人御難事とは、この史実を今に伝える御書なのです。
熱原の三烈士の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2012-07-25 06:10 | 御 書

自我偈 (じがげ)  

2012年 07月 23日

◇如来寿量品第十六に描かれた510文字の偈(詩句)。

法華経寿量品には、510文字の韻文(詩)があります。私たちが、朝に夕に唱える経文です。
「自我」の二文字で始まることから、「自我偈(じがげ)」と呼ばれています。
この韻文は、「自我得仏来(じがとくぶっらい)」から始まり、「速成就仏身(そくじょうじゅぶっしん)」で終わっています。

日蓮大聖人は、この最初の「自」と、終わりの「身」の文字に注目されました。
大聖人は、御義口伝に、
「自とは始なり・速成就仏身の身は終りなり・始終自身なり・中の文字は受用なり」(759頁)と述べられました。
すなわち、この自我偈とは、「自分自身のことが書かれている経文」だと言われているのです。「自受用身」とは、「自由自在に法の楽しみを自ら受け用いることができる身(仏)」との意味です。
大聖人は、「ここに説かれていることは、釈尊のことだけではありません。実は、私自身のことであり、また、皆さんのことです」と述べられているのです。
まさに、「我実に成仏して己来(このかた)無量無辺なり」とは、日蓮大聖人ご自身のことであり、私たちのことです。
すなわち、寿量品に説かれる内容、あるいは、法華経全体に説かれる内容のことごとくが、また、「毎自作是念(まいじさぜんねん)の一念」、すなわち、人々に「成仏」という最高境涯を開かせることを毎(つね)に願い、行動する存在そのものが私たちです。
ですから、法華経に書かれている功徳は全て、私たちの功徳になります。
そのことは間違いありません。絶対に大丈夫です。
さあ、この自我偈を我が心として、創価の道を永遠に歩みましょう!
己が使命の広宣流布を果たしましょう!
「毎自作是念」の過去の記事は、→ここをクリック!
創価道(そうかみち)の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2012-07-23 06:12 | 法華経 | Trackback | Comments(11)

三国四師  

2012年 07月 22日

◇三国に出現して法華経を弘通した四人の師。

インド、中国、日本を指して、昔は「三国」と呼んだ。
「三国一の花嫁」とは、世界一の花嫁ということである。
当時、この三国は、天竺(てんじく)、震旦(しんたん)、本朝(ほんちょう=日本のこと)と言われていた。
天竺の語源となっているインダス河流域はシンドゥ(sindhu)と呼ばれており、「信度」と音写された。
このシンドゥが、東南アジアの人たちの発音でティンドゥ(tindhu)となり、「天竺」となったようである。ちなみに、インド(印度)もシンドゥが語源である。
震旦とは、サンスクリット語のチーナ・スターナ(cina-sthana)、秦(しん)、あるいは支那(しな)の音写であるという。本来、中国とは「中天竺」のことであり、現代の中国に住んでいた人たちは、インドのことを中国と呼んでいたようだ。
では、当時の中国の人たちは自分のところをどう呼んでいたか。
それは、「秦土辺地(しんどへんち)」と言って、「へんぴな所にあるチーナ」と表現していた。
唐の時代にも、「漢土辺地(かんどへんち)」と呼び、天竺に敬意を払って、自らの土地を「辺地」と呼んでいたのである。
では、日本はどうか。14世紀末の「太平記」には、「わが国は粟散(ぞくさん)辺地の境なり」と書かれ、粟(あわ)をまき散らしたようなちっぽけな国と言っていた。
これらは、昔、世界の中心がインドだった証である。
インドを訪れた震旦の僧・法顕は、「沙河(しゃが=ゴビ砂漠西端)はしばしば悪鬼、熱風が現れ、これに遭遇すればみな死んで、一人も無事な者はいない。空には飛ぶ鳥もなく、見渡す限り広大な砂漠で、ただ死人の骨を指標とするだけである」という記述をしている。
(法顕は、五世紀にインドを訪れた訳僧)
その砂漠を越えても、さらに世界の屋根と言われるパミール高原が聳えていた。
自然、風土、あるいは文化や言語の異なる途方もない距離を、仏法は渡り、この東土の日本に達したのである。
このルートを、サンスクリット語から中国語を経て、日本に法華経が渡ったことになる。
中国の天台大師、日本の伝教大師の功績、さらに釈迦と日蓮大聖人を加え、「三国四師(さんごくしし)」と言う。
顕仏未来記には、この三国四師について次のように記述されている。
「伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり・浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり・天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し・叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等云云・安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す・三に一を加えて三国四師と号く」(509頁)
この法華経は、日蓮大聖人の仏法としてインドに西還した。
今、創価の「南無妙法蓮華経」は全世界で唱えられている。

             ◇Nam-Myoho-Renge-Kyo. LIVE FROM INDIA

      

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# by sokanomori | 2012-07-22 06:18 | 仏教豆知識

二人の若者  

2012年 07月 21日

               ◇成功する人と成功しない人との違いとは。

煉瓦(れんが)造りの建物を見て思い出した。
昔読んだ本のこと。
その本の記憶を以下に示す。
------------------------------
二人の若い煉瓦(れんが)職人がいた。
一つ一つ煉瓦を積み上げていく。
真夏の太陽光線が容赦なく照りつける。
「あなたは何をしているのですか?」と聞いてみた。
すると、一人の若者はうつろな目をしてつぶやいた。
「見ればわかるだろう。煉瓦を積んでいるだけだよ」
もう一人に同じ質問をした。
すると、次の若者は瞳を輝かせながら言った。
「私は、教会を造っています。完成が楽しみです!」
その後、二人の若者は、まったく違った人生を歩んだ。
------------------------------
一人は、対価を得るためだけに働いている人。
もう一人は、自らの仕事に誇りを持ち歓喜している人。
同じ場所にいて、同じ時代を生きていても、こんなにも違う。
心一つで、一生は大差になるものです。

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追伸:日本の若者の完全失業率は、現在8.2%に達しています。
若者の失業問題を<別館>で記事にしました。
その記事は、→ここをクリック!

# by sokanomori | 2012-07-21 06:10 | Trackback | Comments(2)

創価道 (そうかみち)  

2012年 07月 20日

                 ◇さあ、歩もう。共々に前進しよう!

「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」と詠った詩人がいる。
この詩に昔は共感していたが、今の私の感覚は違っている。
何故なら、私の前方には、歩むべき明確な道があるからだ。
仏の道。創価道(そうかみち)。
周囲から見れば、でこぼこの道にしか見えないかも知れない。
けれど、この道は、比類なき幸福の道なのだ。
ときに炎天下を、ときに暴風雨の中を、
この道から外れないように注意しながら私は歩いている。
若かりし頃、私は迷路の中にいた。
幸せの宮殿を探し求め、往来する無数の人たちの渦の中で、
踏みつけられ、ときに突き飛ばされながら、
私はさ迷い歩いていた。
憔悴した心から見た風景は、いつも灰色だった。
そんな私が、ある日、この幸福の道を発見したのである。
以来、十星霜。
あるときはのんびりと、あるときは駆け足で、
あるときは路傍の切り株に体を休めながら、
山を越え、谷を渡り、森を抜けて、私は歩き続けている。
道は財宝で出来ている。その財宝を、一歩一歩踏みしめて歩く。
十歩あるけば十の素晴らしい思い出が生れる。
百歩あるけば、百の感動が私の心を揺さぶる。
そして、私の心は、いつしか希望と勇気で一杯になった。
私たちの道。創価道。
さあ、歩もう。この悔いなき道を、共々に前進しよう!

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# by sokanomori | 2012-07-20 06:16 | | Trackback | Comments(11)

創価の森の小さな家<別館>のご紹介  

2012年 07月 17日

            ◇新しいサポートブログを正式にスタートしました。

長い準備期間を経て、本日、創価の森ブログ<別館>をスタートしました。
過去、月下の騎士というブログがありましたが、その方針を改め、新しい方針でブログを設立したものです。
<別館>では、当ブログであまり語ることのない内容を中心に記事にしてまいります。
新しいブログのスタートに当たり、<別館>に挨拶文を掲載しました。
ご一読の上、ご愛顧いただければと存じます。
尚、上写真は、自宅の植木や近隣の植物です。
別館の記事に色を添えたいと思い、写真撮影をいたしました。
今後、私の自宅近辺の木の葉や花などで、色を添えたいと思います。
前回のサポートブログは短命でしたが、今回のブログは末永く運営するつもりです。
本館同様、<別館>でも、しっかり語ってまいります。
どうぞ宜しくお願い申し上げます!(^^)
創価の森ブログ<別館>は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2012-07-17 23:53 | 創価の森ブログ<別館> | Trackback | Comments(8)

七転八起  

2012年 07月 17日

◇最初、決意して立ち上がる。

聖教新聞(7月9日)の名字の言をご紹介する。
------------------------------
「七転八起(しちてんはっき)って言うけどさ、7回転んだら、起き上がるのは7回で済むんじゃないの?」
もう一人が言った。
「違うよ、最初に起き上がるんだよ」
まず決意して「起き上がる」。
そして何度倒れても、そのつど立ち上がる。
そこに負けない人生がある。
------------------------------
文末は、次の言葉で締めくくられていた。
「自分という存在は、自分だけのものではない。それを知った人は強く、謙虚になり、成長の道を歩み続けることができる」
転ぶのが嫌で歩まない人もいよう。
けれど、そんな弱気な人生はつまらない。
「迷惑をかけたくない」とか、「どうせ自分なんか必要ない」とか、じっと暗がりから出ない人生ではもったいない。
行動すれば、必ず苦難が訪れる。けれど、その苦難を1つ1つ乗り越えていくプロセスが人生の醍醐味です。
小さなことでかまわない。さあ、何かを始めよう!
全ては、その一歩から始まるのだから。

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# by sokanomori | 2012-07-17 06:49 | Trackback | Comments(15)

九州豪雨  

2012年 07月 15日

  ◇大九州の友よ、断じて負けるな!

昨年の3.11大震災の傷跡も癒えぬ今年、日本の各地で大災害が続いている。
爆弾低気圧の強風。雹や落雷。
先月、茨城県では巨大な竜巻で数多くの住宅が吹き飛ばされた。
今回の九州豪雨も悲惨である。
TVに映し出される光景に心が凍りついた。堤防決壊の映像に胸が張り裂けそうになった。
新築の家も、思い出の一杯詰まった家も、ローンの残るクルマも、肥沃な田畑も、美しい森も‥。
嗚呼!ありとあらゆる生活の基盤が、思い出が、全部、濁流に飲み込まれていく。
残されたのは自らの命だけ‥そんな人もいることだろう。
私は、祈らずにいられなかった。
大九州の友よ、どうかご無事であれ!

今、小説「新・人間革命」第2巻を読んている。
その第2巻の冒頭、池田先生は次のように語られている。
------------------------------
歴史的偉業というものは、必ず苦難があり、道は険しく、時間がかかるものである。
広宣流布という未聞の絵巻も、また同じであるといってよい。
ともあれ、正法流布とは、人類の幸福という大海原を開いていくものだ。
そこには、嵐があり、うねりがあり、怒涛もつきまとうにちがいない。
そこに身を投じて戦うところに、偉大なる人間革命の法理が存在する。
------------------------------
“嵐”、“うねり”、“怒涛”。まさに、九州の水害の今である。
この瞬間も、大九州の友は、身を投じて戦われているに違いない。
どうか、九州創価に勝利あれ! 幸あれ!

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# by sokanomori | 2012-07-15 22:56 | 環境問題 | Trackback | Comments(14)

ベッドの上のラッキー  

2012年 07月 13日

                   ◇猫になりたいことがある。(^^)

先日の日曜日のこと。
夕暮れ時の暗い寝室に、飼い猫ラッキーがいました。
涼風がそよそよ吹いているベッドの上で、静かに横たわるラッキー。
“時間貧乏サラリーマン”からすると、何と対照的な人生(にゃん生)でしょうか。
“寝る子”から猫という名がついたとか。
ラッキーはよく寝ています。1日12時間以上は寝ている。
私が疲れて帰宅しても、ラッキーは迎えてはくれません。
探しても見当たらないことも多い。(涙)
春には春の、夏には夏の“気持ちいい場所”にラッキーはいる。
冷房は好まない。自然な風が好み。
「1日、ないしは2日、のんびりと猫になって過ごしたい」
そんなことを考えている今日この頃です。(^^)

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# by sokanomori | 2012-07-13 23:57 | 飼い猫ラッキー | Trackback | Comments(17)

続・アリとキリギリス  

2012年 07月 13日

  ◇やっぱりアリは働き者ですね。(^^)

蒸し暑い午後のこと。
道端に落ちたクッキーに沢山のアリが群がっていた。
クッキーはまだ新しく頑丈で、簡単に砕けそうもない。
けれど、アリたちは一所懸命に食いつき、砕こうと頑張っていた。
アリは働く。キリギリスは遊ぶ。
働き者のアリは、蓄えた食物で冬も安穏と乗り越えていく‥。けれど、キリギリスの末路は哀れだ。
でも、それは、物語の話。(^^)
本当は、キリギリスだって懸命に生きている。
キリギリスには、キリギリスの労苦と幸せがある。
美しい音色を奏でるキリギリス。
それは、アリたちにはできない仕事である。
違いを嫌悪するのか、認めるのか。私は嫌悪し合うのはイヤだ。
悪口の多い世の中だからこそ、仲良く励まし合って生きていきたい。
過去にアリとキリギリスの記事を書いています。
その記事は、→ここをクリック!

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追伸:日蓮大聖人は、アリすら踏まないように注意しながら歩かれました。
その記述が御書にあるのですが、所在を覚えていません。(^^)
ご存知の方がいらっしゃれば、お教えいただけるとありがたいです。

# by sokanomori | 2012-07-13 06:20 | 生き物の写真 | Trackback | Comments(4)

ダーウィンの進化論  

2012年 07月 11日

              ◇人も会社も進化しないと生き残れない。

先日、ある経営者のスピーチを聞いた。
「世の中は急変しています。今年は大丈夫でも、2年後、3年後となると、誰も分からない」
的をついた話に、皆、真剣に聞き入った。
「その急変する時代に、パッ、パッと舵が切れる、そして先手を打てるかどうか。今しか見えていないようでは未来はない。ぼやぼやしていては、とても生き残れない時代です」
聞いている人たちは、固唾を呑んだ。
「海の中は平和に見えても、常に食うか食われるかです。皆、命をかけて真剣に生きている。弱いものは強いものに食われてしまう。経済も同じ。強いものが弱いものをあっという間に飲み込む時代です。しっかり流れを見て、変化し続けることです!」
その経営者は、経済がいかに「弱肉強食であるか」を熱弁した。
100社起業して、10年後に生き残る会社は3%とも、1%とも言われる。
30年後に生き残っている会社など皆無である。
会社が継続するというのは、そのぐらい難しいことである。
先日、私は、ダーウィンの“種の起源”を読んだ。
ダーウィンは繰り返し述べていた。
「環境の変化に適応できない生物は絶滅する」と。
ガラパゴス諸島のように、“環境が変わらない島”であれば進化の必要もないが、今、経済はグローバル化し、新しい商品が次々に生まれは消えていく時代である。
旧態依然としていては生き残ることはできない。
従来の考えで、単に真面目にコツコツだけではだめ。
勝つための智慧と熱意の継続が欠かせない。
私ぐらいの年齢になると、そのような社会の現実が見えて、つくづく「普通に生きる」ことのむずかしさを感じる。
会社も会社員も同じだと思います。会社は世間で淘汰され、会社員は会社の中で淘汰される。個人も会社も、いつもピカピカに磨いていないといけない。
私、一応、創価学会員ですからね、信仰という一本の心棒がある。
もし、私に信仰がなかったら‥。正直、ゾッとします。
生涯、進化し続ける。成長し続ける。そのために、信心がある。
学会員であること‥本当に、ありがたいです。(^^)

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# by sokanomori | 2012-07-11 23:48 | 参考になる書籍 | Trackback | Comments(4)

警報装置  

2012年 07月 10日

                 ◇車上荒らし対策の警報装置を購入。

先日購入したクルマに、防犯用の警報機を付けた。
購入したクルマにはナビゲーションが付いている。これが盗まれることがあるらしく、先手を打った。
太陽電池付きで、朝も昼も夜も、24時間警備をしてくれる。
もし、犯人がクルマに何かをすると、今度はクルマのバッテリーの電気を使い、大きな音を発するという仕組みである。
投資金額は1万3000円。この安心料は高いか安いか。(^^)
しかし、問題がある。実は、地震で警報機が鳴ってしまうのだ。
先日も震度3程度の地震で鳴った。痛し痒しである。
幸い、遠隔操作ができる。下写真のキーホルダー型のスイッチで、家の中からでも警報機を止めることができる。なかなかスゴイ性能である。
中古車ではあるが、わが家にとっては新しい大事なクルマ。
ともかく、これで一安心なのです。(^^)
クルマの過去の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2012-07-10 22:53 | 日 常 | Trackback | Comments(4)

新助坂 (しんすけざか)  

2012年 07月 08日

◇信濃町「創価文化センター」横の坂。

信濃町学会本部の創価文化センター横に、新助坂という坂がある。
100m以上ある急こう配の坂。
信濃町から南元町5・6番地の間を南へくだる坂である。
先日、建築中の創価文化センターを見学したとき、この坂を発見した。
標識には、次のように書かれていた。
「新選東京名所図会には、新選東京名所図会には、 『新助坂は、四谷信濃町に上がるなり、一名をスベリ坂ともいふ』と記されている。明治三十年代中頃には、新助坂の名で呼ばれていた」
昔、このあたりに新助という人が住んでいたのか。どんな人だったのだろう。(^^)
この新助坂を実際に歩いてみた。
確かに、昔の土の坂であったら、雨の日などはとても登れないと思った。
すってんころりんと、滑り落ちるに違いないのである。
池田先生も歩かれた坂だろう。そう思うと、この坂の発見がとても嬉しかった。
創価文化センターは、かなり工事が進んでいる。
文化センターがで完成すれば、多くの学会員が知る坂となるだろう。
私と同じように指標を読み、眼下の坂を下り、そして再び坂を仰ぎ見て、急斜面を登る人もいることだろう。(^^)
現在の創価文化センターは、→ここをクリック!
坂といえば、山本周五郎の「ながい坂」という小説がある。
その小説の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2012-07-08 06:34 | 創価学会本部 | Trackback | Comments(4)

続・テーブルワイン  

2012年 07月 08日

                ◇なぜ480円のワインが美味いのか?

過去、私は超高価なワインを飲んだことがある。
1本10万円とかではない。もっともっと高価なワインだ。
しかし、480円のワインも美味かったりする。
上写真は、昨日空けたワインだが、期待もしていなかったし、本当に“ひやかし”の気持ちで購入した480円のワインである。
グラスに注ぎ、「どうせマズイに決まっている」と思って口に入れた。
「うむむ‥うん!?‥ゴックン!」
私は驚いた。けっこう美味いのだ。少なくとも800円前後のワインと変わらない。
と、いうか、「これ1800円だよ」と言われても信じてしまうような味なのだ。
では、「1万8000円」と言われたどうだろうか。
それでも信じるかも知れない。(笑)
体調や気持ちによっても味は変わるのかも知れない。
ハッピーな気分がワインを100倍美味くすることもありうるのだから。
ワインは種類が豊富なので、開拓していくのが楽しみである。(^^)

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追伸:上写真の瓶は、白ワインではありません。
ほとんど飲み終わった状態の赤ワインです。

# by sokanomori | 2012-07-08 06:03 | 趣味・娯楽 | Trackback | Comments(2)

テーブルワイン  

2012年 07月 07日

                  ◇どちらも美味しいワインです。(^^)

上のワイン(FERLAIA)は798円。
下のワイン(PRIMITIVO)は880円。
798円のワインはフルボディ(重口)、880円のワインはミディアムボディ(中口)である。
フルボディは重厚、ミディアムボディは甘い。
この2種類は、どちらも美味しい。(^^)
先日、480円のワインを飲んだが、これも十分美味かった。
舌が安物に慣れてきたのか、それとも本当に美味いのか?
先日のリーズナブルワインはイマイチだったが、体調もあるのだろうか?
この金額で満足できるのだから、私は安上がりな人間である。(^^)
私が「リーズナブル」といっているワインは、正式には「テーブルワイン」というらしい。
意味は「日常消費用ワイン」ということ。
ある意味、高級ワインは特別な時に飲むもので、世界中のワイン好きの人たちは、気軽にテーブルワインを飲んでいるのかもしれませんね。
そうでないと、家計が持ちませんから。(^^)
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# by sokanomori | 2012-07-07 00:01 | 趣味・娯楽 | Trackback | Comments(4)

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