米国議会の下院が「下院121号決議」と呼ばれる決議を採択した2007年7月30日は、韓国の外交史に記録されるべき日だ。この決議案は民主党のマイク・ホンダ議員が発議したもので、第2次世界大戦当時の「性的奴隷(慰安婦)」に対する日本政府の謝罪を求めている。米国は以前から、韓日の歴史問題には介入しない姿勢を貫いてきたため、この決議は異例ともいえる。
07年初めごろには、この決議案の採択を楽観視する人は多くなかった。同様の決議案は1990年代から何度も推進されたが、常に「未決」の書類箱に入れられたまま破棄されてきた。米国の政界に浸透した日本のロビー能力は、越えられない壁のように思えた。
だが、日本の政治家たちが犯したある決定的な失策が、同決議案の推進を加速化させる結果となった。07年6月14日、国会議員45人を含む日本のオピニオンリーダー63人が米紙「ワシントン・ポスト」に掲載した「事実(The Facts)」と題する意見広告で「軍の慰安婦(comfort women)募集に強制はなかった」と主張したのだ。これは、在米韓国人団体が同紙に掲載した広告「慰安婦に対する真実(Truth)」に反論するものだった。日本側はまた、米国が1945年に日本に進駐した後「慰安所(comfort station)」の設置を日本側に要請したとも主張した。
これを機に、米国国内で逆風が吹き始めた。米国の多くのオピニオンリーダーたちが、日本に背を向けたのだ。日本を訪問した当時のディック・チェイニー副大統領はこの広告に不快感を示し、掲載の経緯を把握するよう求めた。ナンシー・ペロシ下院議長も、この広告を機に決議案の採択を決めた。下院121号決議の対策委員会を立ち上げ活動してきた在米韓国人たちが、この広告に憤った下院議員たちと相次ぎ接触した結果、広告掲載からわずか1カ月半後に、それまで不可能と思われていた決議採択が実現した。
日本は近ごろ、5年前のこの失策を繰り返して米国人の怒りを買っている。日本外務省は、米国市民権を持つ在米韓国人たちがニューヨーク州に建立した「性的奴隷の追悼碑」を撤去するよう要請し、米国社会の反発を招いた。クリントン国務長官が「慰安婦」の代わりに「強制的な性的奴隷」という言葉を使うよう部下に指示したのも、こうした日本の動きに不快感を抱いたため、との見方が強い。スティーブンス前駐韓米国大使も先ごろ、韓国メディアとのインタビューで「当時、性的奴隷になることを強制された韓国人女性たちが、痛ましい被害と残酷な人権侵害を受けた」と述べた。現在も国務省の上級外交官として勤務するスティーブンス氏は「これは私だけでなく米国政府の見解だ」と主張することで、米政府のムードを伝えた。
こうした状況は、日本が戦時の性的奴隷問題を認めず、問題の火消しを図ろうとすればするほど米国国内で反発が強まる、というパターンが定着しつつあることを示している。めったにないこの状況をどう国益に結び付けていくのか、韓国政府と民間団体は真剣に考える必要がある。