2010.04.30
長谷川穂積選手が負けてしまって残念!
ポイントもとっていたし、調子は良さそうでしたがねー。
緊張感のある試合は面白いです。
次は階級を変えるのでしょうか?
また面白い試合を期待です!!
どんなときも慌てず、いつもどっしりと構えていること。
そうなったらいいなぁ~という話があって、いつも慌てて落ち着きがない自分をナントカしたいのだと思います。
ちょっとずつ体験を積んで、イメージも使って、許容範囲を増やしていくと、落ち着いている割合が増えていくだろうと思います。
目の前で起きたことも、それを受け入れてさらに自分の中で大きくしていくということです。
でもですね、人はいろいろなものに反応するわけですが、多少何があってもいいわけです。
それに、どっしりと構えているといっても、実はボーッとして反応していないだけだとしたら、ちょっと危ないかも(^^ゞ。
何が起きているかを把握して、自由に動けるというのが理想です。
そのためには、肩の力が抜けて・・・。
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2010.04.29
赤羽の住宅展示場に行ってみました。
北赤羽からすぐで、このあたり大きなマンションというか団地というか、乱立している場所ですねー。ちょっと不思議な感じです。
で、名前も初めて聞いたポウハウスが、とっても良い感じでした!
これは良いなぁ~って思う家は、なかなか無いもので、でもこちらは久々に良い感じだなぁと思いました。
デザインが優れているというのは、ありそうでなかなかないものです。
それとクリスタルマジックという透明な壁が凄いです!こういう技術があると、空間が豊かになるものだなぁと思いました。住宅も進化するんだなぁ~と感心しました。
家を建ててみたいものです。
でも、中野はなかなか建てるのが大変で、土地が高いし・・・そこをナントカしよう(^O^)。
さてさて、病気がある場合、それを積極的に治療するかどうかということで、特にガンなどの重い病気の場合さてどうするかということになります。医者に言われるまま治療をすることが必ずしもその人の人生において正しいわけではないだろうって。
時間をどう使うかということです。
当然場合によるわけですが、結局死ぬ肉体を持っている中で、どのように時を過ごすのか・・・。
無茶をするわけではなく、苦しむだけではなく、優先順位が高いものがあれば、そちらを選ぶことも可能なのだろう。
まぁつまり、やりたいことはやった方が良いということです!
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2010.04.28
カップ焼きそばと言えばやっぱりUFOか、それともペヤングか、一平ちゃんか、、、と思ったら懐かしいバゴーンもあって、でもそこで新しくジャンジャンが登場!ということで食べてみました。
なるほど、カップが違うというのは、違いますねー。
味は、インスタントらしい感じで、いいんじゃないでしょうか(^^ゞ。
ということで、自己満足ということになってはいけない!ということだなと思うことがあります。
自分で自分を誉めるのは素晴らしいわけです。自分を否定していてもしょうがないところがありますから。でも、そこで満足するかどうかはまた別のことです。
自分が自分が、、、と突っ張っても、自分の領域でしかないなと。
そして、自分が正しいという根拠は自分がそう思うという程度で、意外に無いものです。
間違った人が間違った判断をしていることが自己満足になってしまうと、結構悲惨で・・・(^^ゞ。
考えてみれば、人の評価はその時々で変わってきます。
当てにならないということだぁ~って思うわけです。
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2010.04.27
急な雨は、面倒で、傘がないから・・・。
夜中にテレビ朝日のお願い!ランキングをちょくちょく見ていて、ランキングとは結構面白いもので、評価する人・される人の様子が特にですね気に入っています。
好き嫌いはありますが、実のところどうなんだろう?
それはいつも気になるもので、自分でこれは行けると思っても売れないものってあるじゃないですか。
正しい評価なんていうものは無いのかもしれないけど、でも、正解に近づく努力はすべきだなぁと思うんです。
さてさて、自分はどこまで出来るのだろう?という思いは誰でにでもあるものかもしれません。
一つ一つステップを上がって、どこまでいけるのだろうって。
でも、それを全て自分の力ではないということに切り替えてしまう事って出来るだろうか。
そう、努力することは大切なことで、全て自分の成果だと思うと、なぜか何処かで挫折したりします。
いつの間にか鼻が高くなったり曲がったりしてしまう。
いつのときも謙虚であることは、自分を捨ててもいいということかもしれません。
とことんやるだけはやってということですが。
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2010.04.26
先日、急に膝の上の当たりが痛くなって、まぁ、朝起きたら痛かったんですが、数日でだいたい大丈夫になって、結局いつものトレーニングも無事に出来ました。
何だったんだろう?
一応、筋肉の繋がりなどを調整してですね、ジクロテクトゲルを塗ったりしました。
ちなみにジクロテクトは薬剤師がいないと買えない薬です。
買うときにはですね「これは薬剤師がいないと買えない薬です」という説明を受けました(^^ゞ。
使い方は他の物と変わらないですから。
どうでもいい規制のような気がしますがねー。
仕分け作業というのが始まって、無駄を省くというのは大切だとは思いますが、既存の、誰も使わないもは、とっととやめてもらってですね、やっぱりその前に方向性だろうと思うんです。無駄を削ったら何も残らなくなったとか、、、。無駄の定義も、みんなが共有する状態になっているのだろうかとか。
夢があった方が良いと、いつも思います。
全ての人が最低限の生活が出来るように!だと、夢も希望も無いなぁって。
お金の成功だけじゃなくて、新しいものをどれだけ生み出せるか、新しい成果がどこまで出るか、そして世界に広めるかとかですね。もちろん、お金にならなくても人類にとって有益であるものならば素晴らしいわけです。
そのために必要な支援はしていくということです。
支援というのは、政府だけじゃなくて、やはり一般の人からの支援というのが必要で、つまり、あんなに金をかけてもったいないとか、そういう足を引っ張るようなことはやめるということです。
自分のように他人を愛するんですねー。
他人の成功を自分のように喜ぶということです。
方向性の前に、日本人としてのあり方か・・・。
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2010.04.25
船舶の免許更新の講習に行ってきました。
随分前に一級を取得しているもので。
5年に一回更新の手続きが必要になります。
時々法律が改正されていて今では一級と二級しかないらしい。
まぁ、運転すると言っても、やることはたいして変わらないのでそれで良いのかもしれないですね。
免許は持っているものの、なかなか海に出ることがなくてねー。
教えるということと伝えるということは、どうも違いそうだと・・・。
これはカレーです!とか、これはネコですとか、教えることは出来ますが、それで伝わるかどうかはまた別の話なわけです。
伝えるというのは、そのものが相手に伝わるように伝えるということで、、、教え込むのとは違うのだろう。
教えてもらう方も、これはカレーなんだと簡単に納得してしまうと、その中身をまるで見ていないことになる。
食べてみないと味は分からないし、どんな具が入っているのか一つ一つみていくことや、スパイスの種類とか、その作り方とか、、、。
伝える方も、受け取る方も、技術が必要だなと。
言葉にならないところまで受け取っているかどうかが大切だなと思います。
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2010.04.24
インドカレーを食べに行くとですね、先ずはチキンバターを注文するんです。店によってはバターチキンと書いてあるところもありますが、どっちが正しいんでしょう?というのはともかく、これが美味しいかどうかが問題で、あまり美味しくないと残念でならないわけです。
とある展覧会へ行ってきました。
詳しいことは分からないのですが、いろいろな画家が出展しているようで、たくさんの作品がありました。
いつものことですが、なかなかピンと来るものは無いものです。
普段、画廊とか美術館とか、まぁ評価されている人の作品を見ることが多いわけです。値段も分かるし(^^ゞ。
引き込まれるというのは、特徴というか訴えるものというか、上手いだけではない何かがあるものです。
そうしたものは、天性のものなかなぁ~と思います。
と、油絵を中心とした絵画部門を見ながら思ったのですが、版画部門では結構面白くてですね、これは多分版画を作るという作業を行う分、いろいろと工夫をしたり出来るだからだろうかと思ったりします。
それに版画独特の線が良い感じででますからねー。木版でもエッジングでも。
自分の才能を開花させることが出来ると良いですが、無いものはどうにもならない・・・。
でも有るかどうかはやってみないとわからない!
あるとしたらとっても尖ったものだと思います。毒がある場合もありますが。
この人ならコレっていう、特徴がハッキリ分かるということ。
自分の才能を見つけて、伸ばしていかないとねー!
そうそう、突然の雹が凄い音で降ってきて、いや雹が降り注いで屋根に当たって凄い音でしたねー。
久しぶりです。
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2010.04.23
ピンクのシャツを買うべきかどうか・・・。
赤いTシャツはあるから。
たまには色を変えるのもいいかと、何となく思ったりしています。
さてさて、エネルギーの種類というのに注目してみます。
いや、質かな?
例えば、目の前に大きめの石があって、それをどかすとすると、よっこらしょと持ち上げて横に移動させます。
軽いものだったら手でパッパっと払えばいいでしょうね。
重いものは大変で、軽い物なら簡単です!
と、思いがちですが、さらに細かい粉とか埃のようなものだったらどうでしょう。
掴むことも払うことも出ない・・・。
いくつか方法はありますが、その細かい粉よりも小さくなったらいいのではないかと。
あるいは、流れを作って、その流れに乗せてしまうとか。
ヒーリングをしているときに、どうしたらいいかを考えることがあります。
一人一人違いますから。
大きなものを外して、そしてだんだん小さいものも外していきます。
とても繊細な作業ですが、必要ないものが外れていくと、とても心地よい状態が戻ってきます。
自然な流れに戻していくということですねー。
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2010.04.21
寒いですねー。
昨日は暑かったのに。
それでも妙に暑いなぁと思ったらヒートテックを着ていました。
こういうのは寒いときにとっておかないと。
ここまで不安定だと着るものに困ります。
雨もねー・・・。
「自分のために偶像を作ってはいけない」というのが十戒にあります。
偶像崇拝を禁止するというのは、よくあることですが、私は日頃、仏像やら何やら見ることが良くありますから、そうしたものがないのは不思議な感じもします。
確かにですね、像は神ではないわけです。
空っぽのままでは何もしようがなく、しっかりと像に神を下ろすから意味のあるものになるわけですが。
像に手を合わせるとか、何かを伝えるわけではないはずです。
が、結果的にそうなっているとなると、それもまた意味がないことかと思います。
そもそも、その像のその形は人の想像したものであって、神はその姿かどうか・・・。
そもそも、人は神を見たり理解できたりするだろうか・・・。
神のようなものではなく、神のそのものに繋がりたいものですねー。
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自分の感覚を今までのものとは変えてみてるというのを時々やっています。
階段を下りているときに「これは上っているのだ」という感覚を持つと、足がちょっと重くなります。
逆に上っている時に下っている感覚を持つと足が軽いままです。
自分の感覚を変えていくことが出来ると、次は関係性の中での感覚です。
目の前の相手と自分との関係がどういうものかということ。
なかなか試すことが難しいのですが・・・。
さてさて、昔のヘブライ語には過去形が無かったそうで。
もっともヘブライ語については私は今も昔も分からないのですが・・・。
過去形が無いと言うことは、過去がないということで、全てが"現在"ということです!
これは面白いことで、歴史の全てが今現在のことであるとしたら、何かあっても時が解決しないですからねー。
ここ2000年くらいが全てがリアルに感じるように思います(^^ゞ。
今が全てと言いながら結局過去に生きているというのは、実に良くあること。
そもそも過去形で話をしているから。
言霊なんていいますから、言葉そのものを変えると、全て変わりそうです。
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2010.04.20
物事にはタイミングがありますね。
美味しいものも、美味しいタイミングで食べるのがいいわけで、冷めてしまうとイマイチです。
人生を振り返ると、このタイミングだから!というものが多くの人にあったと思います。
タイミングをのがなさいと言うのは、一歩足を踏み出せるかどうかということ・・・。
さてさて、新しい知識を得るということは、とても素晴らしい体験で、全く予想外のことを知るととても嬉しいものです。
新しい発見はドキドキさせてくれます。
次から次へと、新しいものを手に入れたくなります。
手に入れると、、、忘れてしまう(^^ゞ。
よくあることです。
知っただけでは、自分のものになっていません。
自分の言葉にして、自分の身体に染みこんでこそです。
自分で表現し、立って歩むということ!
身体も重要なのです。
一歩足を踏み出すというのは、実際に行動するということです。
残念ながら時間というのは戻らないもので、後悔というのはそのタイミングをのがしたときに訪れます。
嫌ですねー。
でも、自分でナントカしないといけないんですよ。
チャレンジでもあります!!
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2010.04.19
ファミレスでもファーストフードでも、それはチェーン店で、ですのでだいたい味は同じ。
最近では素材も結構良いものを使っているようで、その辺のお店に行くより安くて味も良いように思います。
もちろん、いろいろと美味しいお店はあります。
そうでもない場合も、時々ありますが(^^ゞ。
コンビニもですが、規模があるとサービスが充実します。
では、そうでない場合はどうしたらいいだろ・・・。
さてさて、悪いことはしない方が良いですね、当たりまですが。
迷惑をかけるとか、犯罪だからとか、、、それはそうなんですが、はやり自分を低めてしまうところに問題があります。
あらゆる悪を避ける・・・それが出来たら素晴らしい!
でも、「悪」とは何でしょう。
それが分かると「善」も分かるかも。
自分を高めていくということ。
それは自分で出来ることだろうか?
確かに自分で出来るところもありますが、自分だけではどうにもならないところがあるように思います。
自分ではどうにもならないけど、誰かに助けてもらうわけでもなく、自分だけで何とかやっているといつの間にか周りが変わってくるとか、いつの間にか助けられるとか・・・。
ということは、あなたは誰かを助けているのかもしれない!
それは素晴らしい循環です。
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2010.04.18
新党が続々と出来てきて、それが良いかはともかく二大政党制というのはしばらくなさそう。
政党としたらある程度人数が集まった方が良いような気もしますが、これからの世界はどうではないのかもしれない。
強制的に所属させると言うよりは、流動的に集まったり、分かれたりするのが良いのだろうと思います。
昔ながらの安定というのは終わったなぁと。
変わり続けることを受け入れ続ける世の中になっていくような気がします。
それにしても自民党はあれだけあった力を失って、無くなりそうで、そこにしがみつくのはどうかという状態ですね。
民主党も支持率が急落とかですが、役目が終わったということでしょうか(^^ゞ。
さてさて、アセンションというのを聞くことが多い世の中です!?
一昔前だとでっかいUFOがやってきて数百人だか数万人だかを乗せて別の星に飛んで行ってしまうとかいう話があったような気がします(^O^)。
もっとも世紀末になるごとにもめ事はあったわけで、まずは冷静に落ち着いて・・・。
ほら、年号は人が考えたものでしかないですから。
予言というのは昔からあって、例えば旧約聖書のアモス書など読んでみると、昔から社会はおかしくて、つまり支配者階級には不正が横行して、それはいつの時もそうで、今でもあまり変わらないのかもしれないなぁと思います。
終わると豊かな繁栄となるわけですから、先ずは終わらせないと!ってねー。
時代が変わるというのは、そういうことかなと思います。
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2010.04.17
メールや電話はとても便利なものです。
でも、人と人とは直接会って話をするのが一番良いなぁと思います。
事実の確認程度なら、つまりビジネス文章のようなもなら何とかなりますが、これから物事を作り上げていくとなると、その微妙なニュアンスがメールでは難しい。というか、分からない。
人と人とが繋がるというのは、素晴らしいなぁと思います。
さてさて、仕事は楽しくやらないと!
お金をもらえるという楽しさもありますが、お金を超える楽しさがないと、今時仕事は楽しくないです。
目の前のことを楽しいと思うかどうかだという意見もありますが、やはり仲間意識や喜びの声や、実際に相手が変化していく様子というのが楽しさになります。
そのためには、前向きであること。
前向きとは、どうでもいい関係にこだわらないとか、共に支え合うとか、喜びを共有するとかですね、ポジティブなものです。
いつでも新鮮に、常に新しい発見を!
そうしているととても楽しいです。
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2010.04.16
盗むのは良くない、が、盗まれているのも良くない。
盗まれているときって、意外と気づかないのかもしれない。
そんなはずはないと、大抵は思っているわけですから。
昔っからそんな話がありますねー。
リーダーシップというのは、やはり大切で、分かりやすい方が良いわけです。
政治の話を聞くたびに、注目を浴びながら社会のために生きることは難しいのだろうなぁと思います。
他者の喜びが自分の喜びであると、そういう意識でいつもいられれば良いんですが。
世の中のためといっても、世の中にはいろいろとあるわけです(^^ゞ。
意識はみんな違うし、価値観も違う。
つまり、それぞれ優先順位は違うわけです。
正しいことではなく、力関係から判断してしまうと間違うわけです。
「信念」というのは、何を持ってその軸を取るかということが大切です。
将来の子どものためにと思うなら、今それをして良いのかどうか判断が出来そうですし、平和のためにそれが正しい判断かどうかも出来るかもしれない。
正しい判断をするには、冷静でないと!
自分が何をしているのか分からないといけないということです。
しかしながらついつい反対方向に引っ張られる。
信念というのは、どうやって作るんでしょう。
こっちだあっちだとぶれながらもどこかに収まっていくことかもしれない。
自分で決めることではあるんですが・・・。
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2010.04.15
寒かった・・・。
季節が複雑です。
桜も葉っぱがほとんど無くなって、それが結構キレイだったりしますねー。
結婚したいという人がいて、本当に結婚したいかどうかはちょっとどうかという雰囲気はありましたが、結婚が悪いものではないので、すればいいなぁ~と思うわけです。
白馬に乗った王子様は、今も昔もやってきたことなくて、今相手が存在しないということは、先ずは見つける努力をしないといけない。
お見合いは結構オススメです!
はじめから相手の基本情報が分かっているし、相手の家族のこともある程度わかりますから(^^)。
人と人の付き合い方というのがあって、TVドラマのようにはいかないわけですよ。
ということは、そもそもどうして良いのか分かっていないということ。
つまり、男と女はすれ違うわけです(^^ゞ。
相手が本当に望んでいることを、お互いに知らないと!
思い込みは、苦痛なだけで、人生を苦しいものにしてしまいます。
エネルギーの交換が起きて、いつでも素晴らしい時であるように!!
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2010.04.14
オーラと身体の関係を時々考えます。
通常、身体を調整するときは、骨格であり、筋肉であり、細かくいくときは細胞とかDNAという話になるわけですが、それでもどうかというときはオーラとかエーテル体という領域にいくわけです。
歯が痛いときもオーラの調整で何とかなるときだってあります。
それで良いのか微妙なところもありますが、我慢するよりは何かをしたいので、コレで良いかなと思います。
さてさて、瞑想をしている雑念が出てきて上手く入れないということがあって、雑念がでるということは瞑想に入っていることなんじゃないかと思うんですが、どーもそれでは納得しないようです。
人は煩悩まみれでね、煩悩があるから悟りがあるわけです。
何も無かったら・・・何も無いですから・・・。
どうでもいいことに執着なかったらいいわけですが、そしたら悟りに近づくかというと、やっぱり変なところにこだわったりして、悟りというものに執着しても、悟りからは離れるだけだとか。
自分の感情は、良いとか悪いとか判断してしまうけど、そのもの自体にそもそも良いも悪いもないわけです。
決めたのは自分で、決めるのを辞めるのもまた自分かと。
そうしたところから離れてしまえば、何も無かった頃に気づくだろうなぁ~。
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2010.04.13
うどんか蕎麦か、気になるところ。
うどんに生姜を入れることがよくありますが、蕎麦にも生姜を入れると結構いける。
ちょくちょく食べるもので、飽きないように工夫をすることも大切かと・・・。
さてさて、恥と罪、どちらがお好き?と言うわけではないけど、間違えると恥ずかしいという「恥の文化」を感じることが、やはり多いです。やっぱり日本だなぁ~って。
通常、恥の文化とは、他人に迷惑をかるような恥ずかしいことはしないということだと思うんですが、他人に迷惑をかけようがどうしようが「黙っている」という不思議な状態になっている。
じーっとうつむいて黙っているのは、恥ずかしいことなのではないだろうか?と思うんですが・・・。
ちなにみ私は何はともあれ一番に手を上げるタイプです(^O^)。
恥を重視するせいか罪という意識が薄いのかもしれない。
誰も見ていないと恥ずかしくない、という感覚はちょっとまずいわけで、やって良いことと悪いことを、自分でしっかり判断して行動できるかどうかって大切だと思うんです。
そもそも罪とは何か?
法律に沿っているかどうかはもちろん大切ですが、そもそもその法律はどこから来ているのかも考えてみると良くて、盗んではいけないとか殺してはいけないとか嘘をついてはいけないとか、十戒にはあるわけです。
盗むというのは、物だけではなくてその人の行動や思考も含めて、あらゆる事ですよね。
殺すというのは、殺人だけを言っているのではないですね。
相手のことを理解しようとし、お互いに受け入れられるようにしないと。
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2010.04.12
近所にカイロプラクティックやマッサージのお店が出来ました。
もともとそうしたお店はいくつもあるんですが。
他のお店よりコストがかからないこともあるのだと思いますが、増えています。
何かを仕入れて売るとなると、つまり在庫を持つというのは、かなり大きなリスクですから。
マッサージだと、通常は備品程度あればいいわけで、利益率が高いですね。
ただこれだけあると価格競争のようなものもあって、儲かると言うほどでもないような気がします。
さてさて、目の前のことを見ることが出来るだろうか?ということ。
あるものをあるがままに見る・・・。
カッコイイじゃないですか!
でも見ようとしてもなかなか見えていないわけです。
それなら、目の前にあるものを見ないようにするとどうだろう?
目を閉じるのではなく、遠くを見るような絵を見るとそこに隠された絵が浮かんでくるマジックアイのような感じです。
もしかしたら隠れた何かが浮かんでるかも(^O^)。
確かにですね、焦点を合わせないようにしていると、いろいろなビジョンが浮かんで来ることがあります。
ちょっと面白いです。
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2010.04.11
中野の桜もそろそろ終わりかけてきました。
だんだんと暖かくなり、そして初夏の香りが・・・、おっと、ちょっと早いですね。
さてさて、自信があるかどうかを気にすることはあるでしょうか?
私の場合、あまりありません。
それは自信があるからではなくて、自信があるかどうかを行動の基準としていないから。
つまり気にしていないからです。
他人が自信満々に見えるということがあるらしい。
確かに「格」というのはあるのかもしれない。
その他人という人はどう思っているのだろう。
多分、自分との格闘で、目の前のことはあまり気にしていないかも。
間違わないことに注意を向けすぎると、案外何も出来ない。
失敗しないように安全策で行くと結局一歩も前に進まなかったということになりますから。
自分の事を知っていく努力をしていくと、自信というのは気にならなくなると思います。
自分を知るということは、自分の強みと弱みを知るということで、とくに得意なところから広げていくといろいろと勝負になります。
でもまぁ、それを自分一人で知ることが出来るかどうかは何とも言えないところですが。
周りもからの言葉も大切です。
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2010.04.10
ハッピーパウダー200%のハッピーターンも購入!
250%と食べ比べをしました。
やっぱりハッピーパウダーが多い方が美味しい気がします、が、言われないと分からないかも・・・。
いずれハッピーパウダーを固めたハッピーターンも出るかもですね(^O^)。
さてさて、死刑は罰則としてどうなんだ?と、中国での日本人死刑囚の刑執行について思います。
日本でも死刑は依然としてあるわけですね。
この世界で生きているということは、身体が動いているということ。
死刑というのは、犯罪を犯した人が死ぬわけです。
肉体を失うわけです。
それで二度と会うこともないですし、再度犯罪を超すこともないわけです。
当事者になることはなかなかないのですが、現実にそういう人がいるわけで、感情的には「許せない」となるでしょうし、また加害者側となったら「許して欲しい」と思うか、それとも諦めるか・・・。
人が罪を犯すことは、自覚しているかどうかはともかく、あることです。
救われるということはあるのだろうか?

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2010.04.09
ハッピーパウダー250%という超DX級のハッピーターンを買いました!!
ちょっと嬉しいです。
さてさて、単なる自分探しではなくて、本当に自分の知りたいことがあるんじゃないかと、人と接していて思うことがあります。
人はどこに向かっていくべきなのかということなのですが、自分の好きなことをやって、好きなものを食べて、好きなようにして、、、それはそれでいいのですが、結局何か満たされないのではないかということです。
満たされないというと、満たされるように何かをさらに背負いがちなのですが、もしかしたら手放す方が大切かも。
目の前に壁があったら前が見えませんから。先ずは取り払うということです。
アレも知りたい、コレも知りたい、そう思う気持ちは分からなくもない。
でも、本当の意味で知るというのはなかなか大変なことだなぁと思うのです。
知識として知るところから、自分の血となり肉となる瞬間まで、私の場合はとても時間がかかりますから。
満たされるということが本当に訪れるのかどうか、何とも言えないところ。
でも、少しずつでも、一歩ずつです、進んでいきたいところです。
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2010.04.08
そういえばちょっと前から私が昔働いていた会社がニュースになっていた・・・。
元社長が辞任の取り消しを求めてとかでね。
社長だからといって好き勝手にはさせないって事かどうだか。
会社というのはイメージも大切ですから、揉め続けるのはちょっとどうかと。
さてさて、「慈悲」とは、情け深いことです。
情け深いって、情けをかけるということで、つまりどういうことでしょう?
究極的は、他人と自分の壁がなくなるようなものです。
相手の悩みや苦しみを自分の悩みや苦しみとし、相手の喜びを自分の喜びとする。
常にそうした状態にあって、でもしっかりと自分を保つことが出来ると、それはとてつもなく素晴らしいかと思います。
エネルギーを見ていくと、人と人は常に重なり合っています。
自分の領域をしっかり確保することは大切ですが、その先にあるのは交流するということじゃないかと!
思いやりとも言いますが、気持ちが伝わるとか、何かが伝わるとか、大切かなぁと思うんです。
ハートとハートを繋ぐという技術があります。
人に会うとき、そうしていると関係がうまくいくということ。
交渉毎にはかかせないものです。
何だか分からないけど何かが伝わるんですねー。
全ての人が、喜びも悲しみも分かち合ったら、世界は平和だと思うんですよねー。
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2010.04.07
肩に力が入っている時の姿勢を見ると、肩が上がっています。
肩を上げるから、肩に力が入るとも言えるのではないか。
自分でやっていると、なかなか気づかないのですが・・・。
肩に力を入れないようにするということは、身体と腕の使い方にも関係しているのかも。
さてさて、月は満ちたり欠けたりしています。が、考えてみれば月自体は変わらないわけです。
月の大きさが半分になることもないし、消えて無くなることもないです。
当たり前ですが、満ちたり欠けたりしているように見えているだけです。
物の見方は変わりますが、そのもの自体は変わっていない。
人もそうかもしれない。
見かけは変わるけど、元々のところ変わらないとか。
つまり、気持ちとかじゃなくて、もっと深いところということ。
月がどう見えるかというのは興味深いことで、月に限らないのですが、人は光が何かに当たったその反射を見ているわけです。
さて、光そのものを見ることが出来るだろうか?
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2010.04.06
歴史にも大きく関係している本を読んでいますが、どうも歴史が苦手という自分のイメージからなかなか出ることが出来ないでいます。
固有名詞を覚えられないのが問題か?
まぁ、雰囲気はだいたい分かるんですけど。
大切なのは中身なのだと、自分に言い聞かせています(^^ゞ。
さてさて、"非日常の楽しみ"というのがあります。
仕事だなんだと、日頃の慌ただしさとは全く離れたところへ行くとか。
つまり、いつもと違ったことをやってリフレッシュするものです。
でも日常って自分で決めたことですね。
あるいは、周りに付き合っているからそういうことになっている。
自分が日頃から楽しいことをやっていると、非日常も何も無いですねー。
楽しいといっても、"ちょっと面白いかも"といったことではなくて、もっとハッキリしたものですね。
"これなんだよ!"っていうやつ。
非日常を日常にしてしまうって、素敵じゃないですか!
常に神と一緒とかです。
いや、そもそも離れることはできないか(^O^)。
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2010.04.05
iPadがアメリカで発売されましたが、これは本当に売れるかどうかというのが意見の分かれると事で、パソコンとiPodを使っている人はそれで十分だしiPadでは持ち運ぶのが大変じゃないかとかで、でも、私はかなり売れると思います。もちろんコンテンツがどれくらい充実するかによりますが。
日本の部品があまり入っていないのは、ちょっとまずいかも。
世界の流れに乗り遅れないようにしないと!
眠いというのは、睡眠の質が問題か?
季節の変わり目というのは、体調管理が難しいと言いますが、"なーに、季節と関係なく生きているんだ"と思えばちょっと違うかも。
星座とか星の動きとか、"宇宙の流れと関係なく生きているのだ"と思っていたら、星の影響も受けないでしょう!きっと・・・。
いやいや、自然の流れにまかせた方が良いかな?
さてさて、「全能の神」というのは天と地を作ったとか・・・。
"全能"とは、簡単に言うと"何でもできちゃう"ってことですね。
だから天や地を作ることも出来たと。
で、全能だからと言って、何でもするわけではないというのがポイントで、つまり全能の神を信じるというのは、何でも都合良くしてくれるわけではないということですね。
人というのは、私もですが、こうなったらいいとか、ああなったらいいとか、煩悩だらけなわけです。
考えたり、思いを馳せるのはいいんですが、それは自分でナントカするものです。
ナントカするというのは、具体的な行動です。
そしたら流れに乗れる可能性が出てきます。
自分のマインドにとらわれない、自分本来の流れに乗ることが大切なんですねー。
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2010.04.04
イースター、つまり復活祭ですね。イエス・キリストが十字架にかけられて死んで、三日目に蘇ったことを記念する日です。
各地でイースターの礼拝が行われたことでしょうねー。
キリストの復活とはどういうことでしょう?
聖書を通して復活というものを知ることは出来ます。が、"復活は信じるものである"というのは、それはそうなんでしょうが、それだけだとちょっと弱いかなと思わなくもない。
そもそもこの世界に復活したいかどうかちょっと微妙なところがあるかと・・・(^^ゞ。
さてさて、神社仏閣に若い人を中心に多くの人が押し寄せているという話を、ちょくちょく聞きます。
パワースポットというやつですね。
最初はやっぱり御利益中心のパワースポット巡りですが、それもまた何かの縁で、先ずその場所に行くということが大切なのだろうと思います。
その場所に行けば、いろいろと得るものがあります。
自然の中の美しい場所ですと、やっぱり気持ちが良いですしねー。
そしたら、御利益意外にも興味を持つことが出来ます。
信じるから何かを得ることが出来るとか、何かを得るために信じるとか、「信じる」ということに何かを付けてしまうことがありますが、何も無くても信じるということができればもっと良いだろうと思います。
信じるけど、頼らないということ。
ほら、例えば見返りのために人と付き合うのってあまり楽しくないじゃない。
神との関係もそんな感じです。
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2010.04.03
近所の床屋さんで髪を切りました。
女性の皆さんだといろいろと注文があるかもしれないですが、私の場合は「短くしてください」という程度の注文しかいつもしないのですが、だいたい何とかなるものです。
最後に髪をセットするわけですが、黙っていたらなぜか8:2くらいに分けられてしまいました(^O^)。
それもまた良いのかもしれません!
さてさて、一生懸命が素晴らしいのだ!と思っていたら変な寝方をしたのか、朝からボーッとしてしまった(^^ゞ。
何だろう?寒かったかな?
本気でやるから、楽しいのだ!と、よく思います。適当にやると、適当なところで終わるわけで、つまり楽しさもほどほどだと。大きな喜びを得たいとしたら、それは適当なところからはなかなか生まれないものです。
運が良くなるということに、小さな出来事を喜ぶというのがあります。
日々の生活の中で、本気で生きていると、その出来事がバーンとやってきます。
小さな事も大きく感じる。
いや、そもそも小さい事なんて無いのかもしれないですが。
本当は奇跡の連続かも!
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2010.04.02
辛いものは割と平気で、平気なのは味なのですが、胃腸は辛すぎると拒否反応をすることがあります。
ということは、口がだまされているということかと。
就職がなかなか決まらないというニュースをよく見ます。
大卒の5人に1人は就職できないとか。
そもそも何をしたいのか?がハッキリしないと仕事先も見つからないし、何が出来るか分からないと、つまりその人の特徴がわからないと採用も難しい。誰でも出来る仕事は、誰がやってもいいわけで、いつでも変化できて自分の力を発揮できないとと思います。
新 13歳のハローワーク
では、多少偏っているようですが、いろいろな仕事を紹介してます。
先ずは何があるのか世の中を知ることが大切かと思います。
会社だけが生きる場所ではないですし、日本以外で働いてもいいわけですから。
さてさて、「ねばならない」の魔法から目覚めないと!と思うことがあります。
こうした方が良いというと、「そうしなければいけませんか?」と言い、別の方法がありますというと「そっちのほうがいいですか?」とまぁ、とにかくそれ以外は全然駄目なんじゃないかと思うくらい一つのことだけをやろうとする。
これは多分、そうやって教育されて、そう育ったと言うこと何だと思います。
こうしたことは案外年齢に関係なく、ということは案外人は変わらないものだなぁと思います。
俯瞰して自分を見ることができると、ちょっとは違うと思うんです。
だって、やり方はたくさんあるわけだし、とりあえずやってみてあとから変えると言うことだって出来るはずですから。
そうした自分の姿を見ることが出来たら、「ねばならない」というところから離れられるように思います。
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2010.04.01
私は嘘をついたことがない!
というエイプリルフールです(^^ゞ。
郵政案も同じようなものでしょうか?
さてさて、神と人の関係は、それはそれは逆向きで、神に憧れるとか神に近づきたいとか、そういう気持ちはよーく分かりますが、ついつい逆向きに進んでしまう。
それをナントカしようとするのが、信じると言う、つまり信仰かな?と思ったりします。
ボーッとしていると反対方向に進んでしまうので。
人間とはそういうものなのだろうと思います。
"正しい方向"に進むということは、時としてブレーキをかけながらアクセルを踏んでいるようなもので、誘惑の多い世の中で自分を律するというのは、ちょっとね・・・。
ほた、楽しいことはアレもコレもとたくさんあるじゃないですか。
自分をコントロールするということは、人前では何とかなるものです。
でも、誰も見ていないときにどうかということ。
一人で居るときに、自分をしっかりコントロールできるかということ。
これがかなりやっかいなことですねー。
小さな事からコツコツと!人は一歩一歩進むことがとっても大切で、ショートカットは結局遠回りになりますねー。
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