シロクマの屑籠 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2008-03-18

“趣都秋葉原”終了の予兆としての破廉恥パフォーマンス

 

自称「セクシーアイドル」 ホコ天で股を開き、ケツ見せ/秋葉原 - アキバBlog

痛いニュース(ノ∀`) : 秋葉原ホコ天国で“股を開き、ケツ見せ”女性の撮影会…外国人観光客も吃驚 - ライブドアブログ

 

  

 去年の8月に、「想像力の欠如した」路上パフォーマーが、秋葉原の歩行者天国を危機に晒す - シロクマの屑籠 という記事を書いたことがある。過激でデリカシーを欠いた路上パフォーマーが増え続けば、警察などによる介入リスクが高くなって、秋葉原の路上パフォーマンス文化が危なくなるんじゃないか、と危惧してみたわけだ。しかし、上記リンク先記事などをみるにつけても、いよいよ困った人達が混じっているようだ。これでは路上パフォーマンスの取り締まりが強化されても、弁解が難しそうである。アキバBlog(秋葉原ブログ・あきばぶろぐ)さんの過去記事をみるにつけても、アレなパフォーマーとそれに群がるアレな撮影者は、ここ最近、日常的にある程度の割合で発生しているようだ。

 

 最近の秋葉原記事を追いかけているうちに、「ああ、警察介入を招くまでもなく、趣都アキバって終わってるんだな」と私は感じるようになった。「ディープでカルトなオタクが集まる街」としての秋葉原ってのは、もう終末期に入っていて、オタク文化を濃厚に感じ取れる“旬”は過ぎているのだろう。少なくとも、秋葉原はオタク文化を理解する人だけが集まる街としての“シャープさ”を急速に失いつつあるんだろうな、と思う。

 

沢本あすかさん 秋葉原のホコ天で、カードレールの上に乗って、股を開いたり、ケツを見せていた:[画像]

 

 今回の記事の破廉恥女と、それに群がるドブネズミのような男どもをみる限り、この人達がオタク文化を理解し、そのオタク的趣向を理解したうえでパフォーマンスを楽しんでいるようには、どうしても私にはみえないのだ。こいつらは、従来からのオタクじゃない“余所者”なんじゃないのか。なんとなくだが、旧来の意味でオタクを自称している人達や、古くからアニメやゲームに親しんでいる人にはみえないのだ。いつぞやの、ハルヒコスプレぐらいまでなら、まぁ、オタの趣向を理解して楽しんでいるなという気もするが、今回の破廉恥女のやっていることに関する限り、オタク文化の文脈に沿った表現とか、アニメやゲームへのリスペクトを含んだパフォーマンスだとかには、ちょっと僕にはみえない。ただの、醜悪な痴態曝しにしかみえないですね。いや、これを何らかの前衛的表現と強弁する人もいるかもしれない。だとしても、これはオタク文化に関連したパフォーマンスではないだろう。秋葉原という街の歩行者天国の風物詩となっていたような、オタ的な表現とは違った何かだ。

 

 街というものは誰に対してでも開かれていなければならないし、実際、かつての秋葉原とは異なり、電気街を歩いていてもオタク同族っぽくない人をみかける頻度も随分高くなったと思う。また、そのことを嘆く必要も無いとは思う。ただ、そうやって“オタクだけの街”から“皆の街”へと移り変わっていくなかで、オタクの街・秋葉原の、オタク文化密度とでも言うべきものが、凄い勢いで希薄化しているじゃないか、とは感じる。あんな、ちっともオタク文化的ではないパフォーマンスが白昼堂々行われ、それに男どもが群がるのだとすれば、随分と民度ならぬオタ度の低い出来事だと言わざるを得ない。が、あんなパフォーマンスに人だかりが出来る程度には、秋葉原の平均オタ濃度とでもいうべきものが低下しているのだな、と理解することにする。

 

 もしかすると、秋葉原のオタク文化や、オタク的な路上パフォーマンスを“本当の意味で破壊”するのは、警察による介入よりも、“自由な表現を求めて”こうやって混じってくる、オタ度も民度も低いパフォーマー&人だかりなのかもしれない。官憲の介入を待つまでもなく、こういった連中のパフォーマンスの混入頻度が上昇すればするほど、秋葉原ならではの、オタク的文脈を踏まえた表現文化、というものの密度は下がってしまう。オタク的表現の路上パフォーマンス、という雰囲気が失われ、客寄せパンダなら何でもアリのよくわからない路上、という雰囲気へと変質してしまうだろう。かと言って、自治体が保護やテーマパーク化をしてしまっても、それはそれで文化としての弾力を失うような気もするので悩ましいところだが、少なくとも“放っておいても秋葉原のオタク文化が高濃度で維持される”時期は既に過ぎているんだな、とは認識せざるを得ない。これまでオタク文化を開花させてきた“表現の自由の尊重”が、オタク文化の濃度を薄めたり変質させたりするというのは皮肉としかいいようがないが、文化の興隆と衰亡というのは、まぁ、そういうものなのだろう。

 

 今回の破廉恥女の件も、秋葉原のオタク文化がいよいよ薄まっていくことを象徴しているように思う。「趣都・秋葉原」も、こうやって街のオタク文化密度の下がりそうな有象無象によって、次第に薄く薄く引き延ばされ、“普通の街”に近づいていくのだろう。もう、2000年頃の秋葉原には戻れない。秋葉原を“聖地”などと呼んで、オタな自分の精神的拠り所とすることも、段々に難しくなってきているんじゃないだろうか。一人のオタクとして、私はそれを寂しいことだと思ってしまうが、秋葉原という街は僕だけのものでもなければオタクだけのものでもない。だから致し方ない事と理解するのが筋なんだろうな、と思う。オタクの街から皆の街になって、オタクの表現の場から皆の表現の場になっていくことを、本当は、嘆いてはいけないのだろう、と、頭では分かっているのだけれども…。

 

 

 ※しかし、あの破廉恥女はやはり下品で、僕の好みではないことは繰り返し申し添えておく。そして、オタ感性的にも、ちっとも魅力的ではないことも強調しておきたい。それと、あの撮影者達の羞恥心が一体どうなっているのか、ちょっと不思議ではある。

 

delta16vdelta16v 2008/03/18 13:05 さらに言うならあのメイドも駆逐して、俺達の聖地秋葉を返してくれ。

パーツ買いにも行けん。

Tomato-360Tomato-360 2008/03/18 21:37 確かに最近のアキバは様子がおかしい。
これじゃ普通の人がアキバに行く人に対して誤解してしまいそうだ。

hummer_and_anvilhummer_and_anvil 2008/03/19 03:54 あんだけエロゲーエロアニメの広告が乱立してる町で、尻出し女にオタクが群がるのはあんまり違和感はありません。秋葉原はとっくの昔に風俗街になってます。

p_shirokumap_shirokuma 2008/03/19 09:29 >>delta16vさん
 メイドが氾濫したのは、2004年頃でしょうか。あの頃ぐらいからですか、秋葉原の路上で色々な格好の人が目立つようになってきたのは。

p_shirokumap_shirokuma 2008/03/19 09:31 >>Tomato-360さん
 尻出し女とギャラリーとかが出没すると、オタはキモオタ、オタ文化ってこんな感じ、という感じが強くなりそうですね。尤も、それが現在の外部の理解、とも言えるのかもしれませんが。

p_shirokumap_shirokuma 2008/03/19 09:37 >>hummer_and_anvilさん
 2000年前後に、一度、エロゲーエロアニメの路上広告について、秋葉原という街は自粛だか勧告だかによって、とにかく販売者側は一度過剰な広告を自粛してませんでしたっけ?あの一時期のほうが、店側が店の外に向かってエロゲー系広告を撒き散らす度合いは非道かったと記憶しています(僕も当時、あれはやりすぎだと思っていたくちです)。ですが、その頃は尻出し女は出ませんでしたし、店か街か官憲かのいずれかの作用によって、表の路上であまり派手にエロな広告を出すのを引っ込めたわけです。エロとエロ、という意味では確かに既に秋葉原は桃色欲望の渦巻く街となっていたので、尻出し女がせり出してくる余地があったというのはその通りかと思います。ただ、業者の広告には(過去の過剰広告を踏まえた)一定の自粛の線引きがあること、そして、路上パフォーマンスには目下のところ自粛の線引きは無さそうであること、の違いには一応の着目を僕はしています。

 それと、建前論においては、警察から禁止されてる事なんですよね、歩行者天国の路上パフォーマンスって。広告とかはともかく、路上パフォーマンスは警察に見つかったら駄目と言われるものなんですよね。風俗街、なるほど、そうかもしれない。ただ、そうだとしても、一定の枠組みの有無というのは、色々とこれから明暗を分ける可能性を含んでいると思います。

i04i04 2008/03/19 12:58 『尻出し女じゃ尻出し女じゃ!尻出し女がでたぞー!』と、まるで妖怪が出たような阿鼻叫喚の絵面!

表現としての線引きとかルールとかオタク文化の聖地とか以前に
『汚ねーなーオイッ!』と言うのが感想でした。

妖怪尻出し女も妖怪キモカメコもチーズ1万年分くらいの臭さが匂ってきそうな絵面でした。

やるんだったらもっと綺麗でセンスを感じさせるようにやってくれよ…とか思ってしまったり。

p_shirokumap_shirokuma 2008/03/19 16:02 >>i04さん
 エントリの主旨を離れ、僕の個人的な美的感覚や価値観を言わせていただくとするなら、記事にあるような出来事は(または、実際に土日の秋葉原で僕自身が見かけた幾つかの出し物は)、「見苦しさ満点」と感じました。少なくとも、天下の往来でやる、には不向きな見世物、とは感じます。建物のなか等でやる分には、良いのかもしれません。
 
 やっている本人も、あれが美だとか表現だとか、思ってやってるんでしょうかね。表現の衝動、とかいうものとは違った何かに駆動されて動いているようにも思えます。まぁ、僕が思うだけのことですし、意図と結果の一致/不一致についてとやかく言ってもあまり意味は無いでしょうけれど。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20080318/p1