2008-12-12
偉そうなオタクが減った代わりに、ジャンルを系統的に把握するオタクも減っている
リンク先の記事にある通り、最近は、オタク的薀蓄をひけらかして威張ってまわるようなオタクがめっきり少なくなった。数年前までは、アニメやゲームや漫画の知識を披瀝することで「俺様は、お前らよりも偉いんダゾ」と確認したがる人に頻繁に遭遇したものだが、オフラインでそういう風景をみかけることが減ってきた。それに伴い、いわゆる“布教活動”に勤しむ人も、少数派になってきているようにみえる。
この変化の要因については、「オタクがヌルくなってきたから」「ライトなオタクが増えたから」という説明をみかけることが多いし、それは多分当たっているのだろう。コアなオタクだけがライトノベルや萌え系コンテンツを独占している時代は既に遠い。若い世代を中心に、幾つかのhobbyのひとつとしてライトノベルや萌え系コンテンツを屈託無く*1楽しむ層が増加すれば、旧来からの、知識蓄積に拘るタイプのオタクや、オタク分野という狭いジャンルのなかで優越感を充たしたがるタイプのオタクの占める割合は相対的に少なくもなろう。
ただし、そういったライトなオタクの新規参入だけが原因かというと、どうやらそうでもないような兆候もある。90年代の頃のコンテンツはともかく、もっと新しい時代のオタクコンテンツに関する限りは、自分と同年代の----つまり三十歳前後の----オタクの場合も、今では“布教活動”“優越感ゲーム”をやらなくなっているようにみえる。少なくとも、自分の観察範囲内に存在するオタクについては、そういう風にみえる。今でも旺盛に新しいアニメやゲームを消費しているにもかかわらず、である。
“勉強不足”“情熱が醒めた”わけでもない、ある程度年季の入ったオタクにおいても、知識のひけらかしが少なくなったのは何故か?単に彼らが中二病っぽさを脱却して大人になってきたから、というのもあるだろう。だがそれだけではなく、知識のひけらかしを通して自意識を充たすということ自体が難しくなってきているからでは?という部分もあるのではないだろうか。
21世紀以降のオタクジャンルは、細分化とコンテンツの氾濫があまりに著しく、一つのジャンルさえも網羅が困難になってしまった。一部の京アニ作品のような、共通話題として通用しそうなごくごく一部のコンテンツを除けば、知識を披瀝してみたところで相手が知らないどころか興味すら持ってくれない可能性も高い。
こうした背景もあって、今、オタクが誰かに知識蓄積を自慢してみたところで、「ふーん」で終わってしまう可能性が高いし、それどころか、自分が知らないコンテンツを提示されて「だったら、こっちのほうが面白いよ」と言われてしまう可能性も高くなっている。思いっきり古い時代の“おたく”なら、「じゃあ、コンテンツを網羅したうえで薀蓄を語ればいいじゃない」とのたまうかもしれないが、これだけコンテンツが増えてしまった今となっては、そんなのは殆ど不可能に近い。誰からも突っ込まれずに済むような完璧なオタク的知識を整備したうえで「俺TUEEEE!!」気分を安全に満喫するのは、実行困難になってきているのが実状だ。
また、オタク界隈全体のコミュニケーション技能のアベレージの上昇、というファクターも、痛々しいひけらかしに対する抑止力として働いているのかもしれない。匿名のネット空間では『「かんなぎ」ナギが原作漫画で非処女と判明して大騒ぎ :にゅーあきばどっとこむ』に代表されるような、信じ難いほど痛々しい振る舞いに耽るオタクが存在する一方で、オフ会などの対人交流の場面では、コミュニケーション技能の要求水準やエチケットの要求水準は徐々に底上げされてきている*2。このため、“オタク=キモい”という図式もようやく覆されつつある。その代わり、オタク同士であれば多少は痛々しい振る舞いをみせても付き合いが成立するといった、コミュニケーション上の寛容さも失われつつある。オタク的なマシンガントークに対して、「まあ、オタだし」「同じ穴の狢だし」で済んだところが、今だったら「こいつマジ痛ぇ」「空気読めよ」とダメ出しされてしまうような、そういった変化もまた、知識をひけらかして自分自身を偉くみせるという振る舞いを抑制しているのでないかとも思う。
その代わり、ジャンルを体系的に把握しているオタクが少なくなってくる
個人的には、知識の普及に努めるようなオタクは嫌いではないが、知識に乏しい入門者を小馬鹿にしてまわるのが生き甲斐になっているオタクなんて、ろくなもんじゃないと思う。痛々しくも厚かましいオタクがのさばっていられるような雰囲気が解消される流れ自体は、そんなに悪いものでもないと思う。
ただし、この流れが持続していくと、多分なんだけど、各ジャンルを体系的に把握しようとするオタクが減ってくるんじゃないか、という予感はある。良くも悪くも、オタク達が各ジャンルを体系的に把握しようとする情熱の少なからぬ部分は、「知識を披瀝したい」「俺様は偉いオタクだとふんぞり返りたい」という、ちょっとさもしい動機に由来している*3。優越感への欲求に衝き動かされるままに、一晩中アニメをみまくったり、ゲームをプレイしまくったりするような、そういうオタクが昔は沢山いたわけだが、これからは、そんな形で動機づけられてアニメやゲームに耽溺する人は減少していくのかもしれない。
ひとつのジャンルの作品数が増えるいっぽうだというのに、優越感に動機づけられて必死に知識を蓄えようとするオタクが減っていくとしたら、どういうことになるのか?その結果は、ジャンルを体系的に把握しているオタクが減少し、目の前のコンテンツを刹那的に消費するだけのオタク・コンテンツの表層だけを撫でるオタクが増加することになるだろう*4。体系的な把握に努めるオタクが減少し、共通話題のネタとしてのコンテンツを刹那的に求めるオタクが増加すれば、界隈全体から“濃さ”が失われやすく、体系的な理解を背景としたディスカッションも少なくなってくるだろう。旧来的な“おたく”世代の人達が『オタクはすでに死んでいる』とか言いだしたくなるのもわからなくもない。
オタク知識をひけらかして優越感に浸るような痛々しい自意識が駆逐されていくいっぽうで、体系的な知識の把握をバックボーンとした“濃さ”や“ディスカッション”が失われていくという変化。これをどう取るのかは人それぞれだろうけれど、ただ間違いなく言えるのは、こうした変化が今も着実に進行していて、止めたくても止まるものではない、ということだ。
- 作者: 岡田斗司夫
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