シロクマの屑籠 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2008-05-08

非モテ・非コミュ方面をまとめる為の備忘メモ

 

 そろそろ、自分なりに非モテ・非コミュ問題の結論をまとめたいと思っているので、重要と思われる文章を備忘的に集めて置いておくことにする。

 

非モテ・非コミュの幼少期に関連した文章

 

 

 はてなダイアリー

 ・Agguy0cさんの、生まれ育ちについての独白。両親との関係について綴ったうえで、自分自身のなかに生まれた不安感と空白について言及している。両親との関係と、Agguy0cさんの現在までの非コミュ的メンタリティには、多かれ少なかれの因果関係があると推定される*1。そして、親の世代のメンタリティが子の世代であるAgguy0cさんに世襲しているかのように読める部分もある。「他人と親密な関係を結ぶ事がもし出来ないとしても、せめてこの連鎖を断ち切りたい」という悲壮な表明で、このエントリは締めくくられている。

 

 はてなダイアリー

 ・類似した事例として、hebomeganeさんの父子関係についてのエントリにも注目しておく。父親からの、理不尽で不規則な叱責を通して、hebomeganeさんは父親の顔色ばかりを伺うようになっていったという。非モテ・非コミュ界隈の話を聞いてまわっていると、子ども時代に、理不尽かつ不規則にみえる叱責や抑圧の前に為す術が無かった・親の顔色を伺いながら振舞うしかなかった、という話を耳にする確率が高いような気がする。Agguy0cさんのエントリとは対照的に、ポジティブシンキングな結びになっているものの、かえって上滑り感が漂っているようにみえる。

 

 「私を見捨てないで」 - うどんこ天気

 ・そういえば、非モテ同人誌404 Error - Not Found』に寄稿していたnitinoさんの文章のなかにも、「私を見捨てないで」という語彙が登場する。「私を見捨てないで」という不安は、他人の顔色伺いと極めて近いところにあるように思える。というか殆ど同じなのではないか、と思っている。nitinoさんは女性で、過小適応というよりは過剰適応というニュアンスが強い印象こそあれ、そのメンタリティには非モテ・非コミュと共通する何かが横たわっているように思え、だからこそ、nitinoさんは『奇刊クリルタイ』という同人誌に寄稿しようと動機づけられたのではないか、と推測する。

 

 [注:]後で指摘がありましたが、クリルタイの表紙を担当なさっただけで、文章は書いてないそうです。失礼しました。

 

 おいお前ら、絶対過保護過干渉で子育てするなよ:アルファルファモザイクだった

 ・ところで、「子どもが親の顔色を伺いながら育つ」という現象は、放任主義やDV親のもとでだけ起こるとは限らない。教育偏重の過干渉主義もまた、似たような心象風景と結果を子どもに惹起する傾向があるようにみえる。親子関係のなかで顔色ばかり伺う処世術を身につけすぎてしまい、それ以外には何も無いとなれば、思春期以降に苦戦は免れないようだ。「過保護より過干渉が問題」。

 

 Latest topics > 自信ありそうげな人が妬ましいし羨ましい - outsider reflex

 ・幼少期にみられた根っこの部分がそのまま大人になっても持ち越され、それが大人になってからの非コミュ・非モテ的振る舞いと関連してしている事例の一。自分自身のなかにゆるぎない「横綱」のような何かが欲しい、という願望は、風が吹けば飛んでしまうような心象があればこそのようにみえる。そしてpiroさんの場合も、他人の顔色を伺っていなければ不安だというメンタリティが通底しているようにみえる。

 

 「No」に際して物凄く不安になってしまう人達 - シロクマの屑籠

 ・もちろんこうした非モテ的・非コミュ的な「不安」が強い人においては、「今が、勝負すべき時なのか、逃げるべき時なのか」よりも「今が、承認される時なのか、Noと言われてしまう時なのか」で頭のなかがいっぱいになりやすい。経済的算盤勘定よりも、自分に否定的な感情が投げつけられないかどうかの心理的算盤勘定に衝き動かされる度合いが強いほど、ビジネスやコミュニケーションの場で本領を発揮しづらそうだ。

 

 

 

非モテ・非コミュに利用可能な処世術のバリエーション幾つか

 

 

 はてなダイアリー

 はてなダイアリー

 ・実際にtenkyoinさんの勉強がどこまでが「コンプレックスへの対処」「プライドの備給」なのかは定かではないし、そういった割合の多寡が勉強の価値と合致するとも限らない。だが、思想・評論・社会学などに埋没することによって、自分自身の寄る辺無さや、コミュニケーション上の問題を帳消しにするという道筋があるということは、意識しておいて良いと思われる。そしてよほど勉強した人であってさえ、「他人の目」や「(異性を含めた)コミュニケーションと承認の欲求」から完全に解脱することは困難のように思える。

 

 電波男 (評論) - Wikipedia

 ・そこで二次元ですよ!という話になって電波男。しかし、二次元美少女キャラクターだけで自己完結出来る萌えオタがどれぐらいいるかというと、実際には滅多に存在しないというのが本当のところで、実際に“抱枕獏”と心中できる人というのはある種の萌えエリートだけといわざるを得ない。

 

 Rauru Blog » Blog Archive » 承認欲求と所属欲求

 ・対して、ニコニコ動画を使ったコミュニケーションは、(その場その場だけとはいえ)承認欲求や所属欲求を満たしてくれる場として誰でも利用しやすい。別に「萌え」を求道しなければならないわけでもなく、自分好みのコンテンツを経由して、自分自身の内側の空っぽさを忘れられるような一体感をいつでも獲得することが出来る。勿論これはニコニコ動画だけに限った話ではなく*2、諸々のオタクコミュニティやネットコミュニティで見受けられた現象ではある。個人的には、この手法にとりわけ手馴れていたのが、第三世代〜第四世代のオタク達ではないかとも思っている*3

 

 はてなダイアリー

 自己承認を滅却するのではなく、単に防衛するだけでは「まさに虚勢」ですよ - シロクマの屑籠

 ・自分の得意分野のスポットライトのなかでしか自己表現しないように限定することで、その狭い領域のなかで肯定的目線を集中的にゲットするという処世術もある。例えば、自分自身が常に得意になれる狭い分野でだけ承認欲求をかき集め、そうでない殆どの分野では「承認など要らぬ」と自分に言い聞かせることが出来れば、他者の評価に傷つくことも、自信喪失に追い詰められるリスクも小さく出来るので、「他人の顔色を伺う」不安を最小化して過ごせる。自室に引きこもるだけが、自分自身を傷つきとまなざしの恐怖から守る術ではない。特定のニッチ・分野でだけ承認欲求をかき集め、その他のニッチ・分野では承認欲求を放棄してしまうこともまた、自分自身を傷つきとまなざしの恐怖から守るには好都合な処世術としてチョイス可能だ。

 

 僕が非コミュである原因 - 遥か彼方の彼方から

 ・他者への興味が湧かない。でも、自分が興味を持ってもらいたいと思ってはいる----これは非モテ・非コミュ的にはかなり率直な物言いではないかと思う。また、オタクのなかにもそういう人が決して少なくないと思う。問題は、このようなダブルスタンダードがコミュニケーションのなかで成立するのか・どうやって成立させるのか、という点だ。ネット上では部分的には成立するかもしれないし、実生活でも非常に魅力的な人であれば何とかなるのかもしれないにしても。

 

 革命的非モテ同盟跡地

 ・また、社会運動や社会問題というバッファを一枚挟んで承認を満たそう・他の人達の注目を満たそうというやり方も、有効ではある。自分自身のミクロの問題と社会というマクロの問題を置き換えることに成功するなら、自分自身のメンタリティの問題に直面化することを回避することが出来る*4。「私は運動をしているので」「私は社会問題を論じているので」という立ち位置は、自分個人が他者評価という名の「顔色」に曝される不安をかなり軽くすることが出来る。

 

 2007-11-15 - Welcome To Madchester

 ・そんな非モテ・非コミュにとって、自分だけの空間・他者との関わりを度外視させてくれるアイテムは、重要な補給線だ。iPodなどを駆使すれば、抑圧されがちな職場でも雑踏でも一服することが出来る。ヘッドホンを耳につけて自分自身の安全なニッチの要塞に籠もってしまえば、少なくともその瞬間は「他人の顔色」とは隔絶された空間に一時避難することが可能ではある。

 

 

意外と過去記事を探すのは大変

 

 はてなブックマークの[非モテ][非コミュ]タグを頼りに、思い出せる範囲で拾いまわってみたけれど、多分まだまだ具体的で真剣な話が埋もれているような気がする。いずれにせよ、非モテ・非コミュに関するテキストをみてまわると、「他人の顔色や承認を巡る不安」がやはり目立ち、どうやってその不安に対処するのかによって、様々な適応のバリエーションがみられるようにみえる*5

 

 非モテ・非コミュの適応バリエーションは、時にいびつで、時に刹那的なものではあっても、当人達にとっては切実で真剣な取り組みであることは間違いないだろう。そして彼らの多くは、自分自身の選択肢が非モテ・非コミュメンタリティを代償するものではあっても超克するものではないことを知りつつ、それでも自分なりのベターを模索しているであろう。

 

 にも関わらず、非モテ・非コミュのこうした苦しみを軽減させる方法の模索は意外と進んでいないような気がする。あれほど言及され、消費された[非モテ][非コミュ]という語彙なのに、メカニズムの解体も処方箋の提案も進行せずに、数年前と同じところを循環しているだけのようにみえる。よって、今後その辺りをまとめていく材料として、この備忘メモを書きとめておくことにする。

 

*1:勿論、1対1の因果関係というわけではないだろうけれど。

*2:ただしシステムとしてニコニコ動画に一日の長があることは認める

*3:そして第一世代〜第二世代の「おたく」は、上のtenkyoinさんに近いようなアプローチを趣味分野において展開していたのではないか、と疑っている

*4:尤も、ときとしてこのような手法が実際の運動や社会の改革に寄与することもあるので、これがいけない処世術・役に立たない処世術と言い切ってしまうのは早計だ。メンタリティ上の背景と、実際の仕事や運動の可否は命題としては別個に取り扱うのが適当だと思う。

*5:例えば、脱オタ的メソッドもまた、そのバリエーションの一つとして勘定することが出来るだろう

i04i04 2008/05/09 20:39 こうした<苦しみ>を第三者が読んで読解できる文章に出来て、さらに共感を得て貰えて色んなbloggerと絡んで仲良くしていつの間にかその界隈で論客みたいに扱われる。Twitterには物凄い数のfollowが居る。

そんな姿を見て、正直あまり良い感情は沸いてきません。

学の無い非コミュが自分を語ったら、学が無いからロクな事が言えない。単に野蛮で暴力的なだけでひたすら人を不快にさせる。知識も教養も無いから世間も物も知らずただひたすらツッコミを入れられるだけ。その挙句『ただのキ印』で終わり。

そういう人に比べれば、自分の心の苦しみを上手く武器にして立ち回り論客扱いや有名人にまで登りつめるなんて、『何て強者なんだろう〜上手いなあ〜美味しいなぁ〜』…と指をくわえてボーッと眺めてしまいます。


田舎暮らしで学も無くて近所と親族からキ印扱いで外に出ればしょっちゅう暴力沙汰。中学時代のイジメで人間が壊れて未来も無い。本も読まないし口を開けば無知と粗暴と性欲と幼稚な執着しか飛び出さない。

そんな人からすれば…色々泣ける…

republic1963republic1963 2008/05/09 23:49 こんにちは。トラックバックありがとうございます。あのエントリを選ばれたのはシロクマさんらしいと感じました。
ところで、吉川にちのさんの件ですが、彼女はクソタイ2の表紙はお願いしましたが、原稿の寄稿はお願いしていないと思いますよ。

toruottoruot 2008/05/10 03:36 こんばんは。いい機会だと思ったので、私が p_shirokuma さんに対して感じていることをまとめて書いてみました。参考になれば幸いです。
トラックバックしました。

p_shirokumap_shirokuma 2008/05/10 06:39 >>i04さん
 正味のところ、もっと不遇の状況に置かれている人は沢山いることは知っています。そしてそれらの人に(例えば)臨床場面経由で遭遇することも、あります。

 しかし、そういった人達と、hebomeganeさん達との間にメンタリティの上で地続きのものがあると思ってますし、もっと言えば、もっと悩み少ないオタク達の多くにもそれは見いだせると思っています。

 で、問題は、そのようなメンタリティを的確に表現出来る人で、尚かつリンク先として紹介出来る人がどこにいるか、ということです。そんな人、そうそういないと思うんですよ。今回紹介した幾つかのテキストは、そういう意味で、問題の主要な部分を的確に捉えたエントリだとは思ってます。サイレントマジョリティの意見でないのは百も承知していますが、それでもある種の心的傾向を理解するには好適なテキストを集めたつもりです。

p_shirokumap_shirokuma 2008/05/10 06:40 >>republic1963さん
 ご指摘ありがとうございました。注釈につけておきます。

p_shirokumap_shirokuma 2008/05/10 07:04 >>toruotさん
 この際に言ってしまうと、私にも「オタ叩きをしたいだけの季節」というのはあったと思います。例えば2000年ぐらいの頃。これはもう、自分の脱オタとそれに伴う近親憎悪の季節だったわけですから。しかしその事に次第に気づき、また、そんなことをやっていても、自分自身と自分とweak pointを共にする人達の諸問題の解決にはならんという事にも気づいていき、少しづつシフトチェンジしてきた歴史が私にはあります。その残滓が私のなかにも残っていることは知っています。コミケ参加者の顔面表情筋の動きが、control群と比べて乏しいということに「気づく」こと自体も、自分自身がその問題に悩まされ、何とかしようと藻掻いていたからこそ、「気づいた」のでしょう。

 ちょっと数日忙しいので、続きは何らかの形でまた書きたいと思います。