日本型社会主義と、その終焉
この文書がフィクションであるかどうかの判断は任せますが、
実在の個人・団体等とは、多分関係ありません。
序章
ある日私は、「日本は社会主義を成功させた唯一の国である」といった発
言を耳にした。これを聞いた瞬間、日本の社会に矛盾を感じまくっていた
私の頭の中をすっきりさせてくれた。
「そっか、この国は社会主義だったんだ・・・」
社会主義
私は社会主義について学んだわけでもないので詳しくは知らないのだけど、
計画経済による市場管理が社会主義の理念だそうだ。計画経済を実行する
にあたり絶対的指導者は不可欠であり、社会主義と専制主義は両輪の関係
と言っても過言ではないだろう。
社会主義社会においては、指導者の決めた通りに経済が遂行されるため、
当たり前の如く「個性」は否定される。国民が忠実な社会の歯車と化して
こそ実現されるものなのだ。もちろん歯車が意見を述べるなど許されず、
民主主義とは相反する理念でもある。
日本はあくまでも民主主義が建前だ。歯車が意見を述べる場としては
選挙が用意されているものの、実際は低い投票率や組織票の横行、公
約を反故にする連立政権が当たり前になった現実もあり、こと国会議
員選挙に至っては機能していない。その上、選挙とは無縁の官僚が強
大な権力を持ち、民主主義とはほど遠い。
そういった世界では、指導者にあたる特権階級以外に優劣は生まれない。
どのような人であれ、全て平等なのだ。みんなの痛みは自分の痛み、自分
の幸せはみんなの幸せ。なんて美しい理念であろうか・・・
日本では、この社会主義理念を小学校段階から「道徳」の名で叩き込む。
みんなが幸せ、みんなが笑って暮らせる世界、結果平等主義で、ひとりは
みんなのために、みんなはひとりのために、そういった道理をひたすら教
育していく。が、一方では受験戦争の荒波に晒され、他人を蹴落としてで
も合格を勝ち取ることを求められる。そこにはすでに矛盾があるのだ。
もし、その矛盾に気付いた子供たちの質問を受けた場合、それに答えよう
とする大人はいるだろうか?
「余計なことは考えちゃいけません。いい子は黙って勉強しなさい」
それが、教育ママ(死語)や先公(古すぎて新しい)の答えだろう。
それはさておき、社会主義はほとんどの国で成功していない。なぜだ?
その答えは「特権階級の指導者達も神ではない」から。欲もあれば感情も
ある人間が、利己的にならないなんて無理に等しい。
絶大な権力を与えられた人間は往々にして腐敗する。仮に、創始者が性善
たる指導者だとしても、後継者が腐敗しない保証はどこにもない。
経済を計画し管理・統括する、まさに神の如き指導者が自己の利益に走れ
ば、経済全体を一瞬にして崩壊させてしまう。無論、管理されてる側の国
民が無事で済むはずはない。性善説に基づく社会主義の実現は、人間が指
導者になる以上は原理的に無理に等しいのだ。
過去、地上の楽園とまで言われた某国の現状を見れば納得いくだろう。
また、指導者の資質以前の問題もある。日本型社会主義は右肩上がりの成
長が大前提なのだ。人は誰しも、今よりよくなりたいという欲望を持つ。
そのため人は常に努力するのだけど、努力が必ず報われる保証はどこにも
ない。市場に受け入れられてこそ報われるのだ。しかし、市場原理が理解
できていない者は、果実が生まれない場合においても努力に対する見返り
を求める。しかしながら、そういった矛盾を含んだ欲望をも叶えてしまう
すごい制度が日本にはあった。そう、「年功序列」だ。
日本人に限っては時間が経過した分だけの富を求めるという方が正しいか
もしれない。そして、節度なき要求は、要求と現実との差を負の資産とし
て発生させてしまう。今日の日本における借金体質は、起きるべくして起
きたとは言えないだろうか?
注
美しい理念だろうがなんだろうが好き嫌いはあります。
はっきり言って私は嫌い。私は私。みんなじゃない。
日本型社会主義の原点
社会主義的な専制主義は、主に強権政治により実現される。美しい理念は
ともかく、勝手に特権階級を名乗る連中に「黙って俺に従え」と言われ、
「はい、あなたに忠誠を誓います。」と付き従うほど平和な頭をした動物
は、極めて珍しいと言わざるを得ない。
日本も、大日本帝国を名乗っていた頃はそうであったろう。政府の方針に
意見でも述べようものなら政治犯として処刑されるのがオチだ。それ以前
に、絶対君主制による教育が行き届いていたためか、文句を言っただけで
「非国民」の謗りを受けたと聞く。教育とは誠に恐ろしい。
考えてみれば、なぜ天皇陛下万歳と言って死ななければならなかったのか
全くもって理解不能だ。何が悲しくて、会ったこともないようなどっかの
オッサンのために命を懸けて戦い、自ら命を捨てるものまでいたんだろ?
先人達には申し訳ないが、キチガイ沙汰と言うしかない。
が、敗戦後は民主主義と市場経済の導入を強要され、完全に資本主義体制
へ移行してもよかったはずである。そのため、現在の日本は資本主義国と
呼ばれているのだけど、なぜか実態は社会主義そのものである。
まずは行政システムを見てみよう。中央官庁が決めたことは絶対であり、
それに反対することは許されない。吉野川の可動堰の事例を見て分かる通
り、建設省は神であり絶対者なのだ。
あの住民投票だが、投票に辿り着くまでにも並々ならぬご苦労があったと
聞く。なんと、投票率が50%以下なら開票すらしないというめちゃくちゃ
な条件を、行政は突きつけたのだ。昨今の選挙における投票率の低さを悪
用した愚行と言わざるを得ない卑怯な条件だ。さらに、投票結果は可動堰
建設の推進に何ら影響を与えないという、投票前から「お前らがどう吠え
ても御上が聞いてやるかよ」という条件を呑ませての投票だったのだ。
それでも、やっとのことで住民が勝ち取った反対の意思表示は、今、その
行政によりひたすら無視されようとしている。
テレビや国会中継の建設大臣の態度に怒りを覚えてる方も多いだろう。
あからさまに「御上に逆らってんじゃねぇよコラ!」と言っている。
そう、住民の意志より、莫大な建設費を国民に負担させてしまうことより、
とにかく何より150年に一度の洪水への対策が大事らしい(笑)
日本を支える職場も見てみよう。こちらは「会社社会主義」と言われるよ
うに、社長を頂点とした見事なピラミッド構造が出来上がってしまってい
る。いや、ピラミッド構造はいいのだが、上にいくほど高齢者ばっかだか
ら問題なのだ。年功序列と言われる悪しき平等主義を至上とし、己の意見
も個性も持たず、社会の忠実なる歯車になることこそが美徳とされる。
それが、「会社社会主義」だ。
この年功序列という制度だけど、その理念は「能力のないものも勤続年数
や年齢に応じて報酬が上がるものと思わせ、それ相応の能力を最大限に引
き出させる」ことなんだって。
は?あんたバカァ?じゃないや、理念はともかく実際はどうだろ?
年数我慢してれば給料も地位も上がるんだと後ろ向きなことを信じさせ、
ただでさえ仕事ができない者をさらに堕落させるばかりか、能力ある人材
のやる気を削ぐだけだ。
話はいろいろ逸れたが、日本が社会主義になってしまった元凶は国民性に
問題があると私は考える。敗戦はしたものの、その社会を支えるのは忠誠
を義として教育を受けた者たちであり、敗戦当時の反米感情も手伝って、
結果的に社会主義を選んでしまったのではないか?
私から見れば、見返りを求めずに忠誠を尽くすなんておかしくてしょうが
ないのだけど、それが美しいとか考える方々がこの日本には掃いて捨てる
ほどいらっしゃるようだ。社会主義を受けいれる土壌は、太古の昔からこ
の日本にはあったのかもしれない。
そして、「普通の家庭」「普通の仕事」何でもかんでも「普通」こそが
美徳とされる。現在、渋谷に行けば普通じゃない格好をした高校生が多数
見受けられるが、あれを過去「不良」と呼んだ。今でも大人達に言わせる
と「不良」だそうだ。普通じゃないもの=異端者、つまり不良という構図
が出来上がるのである。
この普通や平均を理想とする考え方こそが社会主義を日本人が受け入れた
最大の理由ではなかろうか?可もなく不可もなく、真ん中が正しい、戦え
ば敗者が出る。敗者を生むことは望ましくない、その本音は、自分は敗者
になりたくないからほどほどにしておこう。といったところか?
一億総中流意識とも言われて久しいが、この不況下でもサラリーマン世帯
の大半は「中流」を意識しているそうだ。
悲しいことに私の親も中流を求め、私もそれを強いられてきた。幼少期は
それが正しいと信じていたのかもしれない。が、生来の性格も災いしたの
か、疑問を感じるのにさほど時間もかからず、周囲との衝突も多くなる。
しかし、そんなことで屈する私ではなかったために、日本文化にそぐわな
い性格になってしまったかと思われる(笑)
ま、世を儚んで引き篭ったり、事件を起こしたりとかじゃないから、別に
困りもしないんだけどね。時々、私にくだらんことを強要したオジン達が
勝手に不幸になっちまってるけど・・・・・(爆)
会社社会主義
現在、私は求職中である。就職活動を始めてかれこれ半年になろうかとす
るが、未だに決まらずにいる。その理由は、希望業界への経験・スキル不
足などいろいろあるが、最大の理由はやはりこの性格が災いしているのだ
ろう。面接の時くらいおとなしくしていればいいのだろうが、あえてして
ない。入社後に後悔したくないから。
まぁ、戦うことにより、こちらも相手もより的確に品定めできる状況に持
ち込めているだろう。痛いところを付かれて黙ってしまったり誤魔化して
しまう奴のいる会社に用はない。が、冷静に考えてみれば面接でバトルす
ることにも、それなりに問題があるだろうとも思う。
ま、経済的に追いつめられたら文句言わずにさっさと決めるわ(笑)
それはさておき、日本には年功序列という珍妙な制度がある。
上にも書いたけど、「能力のないものも勤続年数や年齢に応じて報酬が上
がるものと思わせ、それ相応の能力を最大限に引き出させる」ことがその
目的だそうで、何度教えられても理解に苦しむ。
年功序列主義において評価の対象になるのはあくまでも年齢だ。同じ年齢
の人間は同じ能力を持つと仮定され、年齢を能力と換算して評価される。
年功序列を信仰する者にとっては、年功序列も実力主義なのだ。なんたる
屁理屈・・・・・・(爆)
もっとも、それを労働側も常に受け入れてきた、いや、労働側がそれを要
求してきた経緯がある。労働組合の存在だ。
この労働組合だが、労働者保護という歴史の使命を果たした役割も大きい
だろう。が、彼らの要求は「全体での要求」であり、ベースアップの形で
全ての労働者が一律に報酬の格上げを要求する。
過去、経営側が不当に安くコキ使ってた時代なら、それもやむを得なかっ
た。が、現在の労働組合の存在は、能率の悪い者にも多額のカネを払えと
詰め寄る、さながら押込み強盗の様相も呈している。
私としては、労組はすでに歴史の使命を終えたと感じる。この不況下で企
業も己も果実を生み出さない現実を目の当たりにしながら、我関せずと集
団争議をする姿は滑稽だ。さらに若年層は、すでに労組を不要と思う者も
多い。彼らは、受験といった競争社会を戦ってきた者たちであり、周りと
同等に扱われるのを嫌う傾向がある。すでに、競争社会が当然になってい
るのである。
(受験戦争)
これは、学歴を積むことにより将来競争しなくて済むようにしようと、
極めて後ろ向きな発想によるものだろうが、競争原理を納得するには
十分な教育になっている。しかし、その原動力は「みんなが受験勉強
してるから」との横並び意識であり、本人より周囲が受験に熱中する
ことで、受験生本人の意志は常に無視され続け、意思決定力が全く育
たないこと、そして、日本の受験制度では暗記しかやることがないた
め、考えるという知恵を持たない「バカ」を大量生産してしまったこ
と、さらには、学業を終えた後に来る高学歴者の傲慢志向と受験失敗
者の人生全体に対する悲観が問題である。
「これだけの学歴を積んだのだから、一生優遇される権利がある」
「受験に失敗してしまった。もう人生は終わりだ」と。
こうなってしまっては、窓際にいるオジンと何ら変わらない。
さらに救い難いのは、彼らの成長期は暗記のみに費やされるため、人
間性が欠落したまま大人になってしまうことだ。
この受験戦争の弊害も、日本的体質の産物であろう。
そればかりか、就職したら半ば強制的に労組に加盟させられ、組合費をせ
しめる団体と化しているのが現状だ。組合の存在する会社では、新入社員
に加入を拒否する権利は現実的に存在しない。
この問題の解決は、労組の役割が「不当な労働条件」を監視する機関に変
貌することだと考える。それは、会社に対する貢献度より大幅に安値で雇
われているという企業側の不当行為を監視するという意味であり、能率の
悪い者が安値で叩かれたと集団争議をするという意味ではない。極論を述
べれば、会社に億単位の利益をもたらした者が、年齢を理由に月20万や30
万の月給で我慢させられている状態に抗議するものである。逆に、会社に
損害を与えた者が無給だったとしても争議する存在であってはならない。
さて、会社に対する貢献度で評価するシステムだが、それが著しい不均衡
を生んでしまう場合が存在する。それは、単純労働に従事するだけの労働
者の扱いである。彼らは、上の命令に従って仕事をこなすだけであり、そ
の行為が果実を生むか否かはその仕事を与えた者の判断が全てを握ってい
る。つまり、単純労働者に貢献度に応じた給与では新たな不平等を生む。
この問題は後に触れる。
雇用側もまた、歯車には平等に扱うという前提の下で労働者を扱っている。
転勤というシステムも「平等に扱う」ためだ。適材適所の発想ではなく、
昇進のための通過点の要素がほとんどだ。そして、決まった年数を経過す
ると、別の職場に昇進して飛ばされる。これでは専門的技能を持った者を
育成できないばかりか、特定の分野に特化した高等技術を持つ者であって
も、ベクトルの違う職場・職種での勤務を強いられたがために退職を余儀
なくされることが考えられる。これは、双方に非常に大きな損失だ。平等
の建前を持つ反面、全てが平均的な者が有利であり、ひとつでも不得手な
ことがあればそれだけで落ちこぼれにもされかねないのだ。
日本で言う平等というのは「結果平等主義」であり、私は「悪しき平等主
義」と呼んでいる。人間の能力が全て平等ならそれでもいいのだろう。
が、人間の能力も努力も平等ではない。
この「悪しき平等主義」の下では、「能力のない者」が最大限に優遇され
る極めて不平等なシステムでもあるが、その理由は以下で触れる。
ところで、最近は凶悪犯罪に手を染める若者がいるが、彼らは社会主
義に馴染めなかった秀才であり被害者かもしれない。もっとも、犯罪
者に同情してはならないし、罪を憎んで人を憎まずなどと、奇麗事を
並べて、いざ自分が被害者になると「言うとするは違う」と開き直る
偽善者は最低なんだけど。
さて、結果平等主義の事例だが、就業時間が7時間、時給1000円の会社で
「1日で終わらせるように」と同じ仕事を与えたとする。その中に、5時間
で片付けた者と、10時間かけて終わらせた者がいたとする。
5時間で片付けた者は、次の仕事を与えられるだろう。帰社時にはそれも
片付けて定刻に帰ったとする。
が、10時間かける者は、7時間勤務+残業3時間と言うことになる。
それを毎日繰り返し、1ヶ月(22日)経過したとする。
5時間で仕事を片付けた者は、154,000円を与えられる。
10時間かけて仕事した者は、154,000円+残業手当66,000円だ。
なんと、仕事が遅い者の方が得をするのだ。
これだけではない。5時間で仕事を片付けた者は、毎日余計な仕事もして
いる。つまり、多く仕事が出来ているにも関わらず、仕事が遅い者よりも
給与面で評価されていないのだ。
ここでは便宜的に時給制で計算したのだが、月給制でも同じことだ。
仕事が早く片付けた場合でも定刻までは会社にとどまらなければならない。
しかし、定刻まで遊んでいるわけにもいかないので、別の仕事をこなす。
どう足掻いても、時間当たりの賃金を支払う限りは、能力がある者は常に
損をしなければならないのだ。
さらに救い難いのは、唯一の平等のはずの時間当たりの賃金が、加齢に応
じて上がることだ。年功序列という発想で行われるのだが、仕事をしても
らう上で年長者がやっても若年者がやっても成果が同じならどうして差を
付ける必要があるのだろうか?経験を重視するとも言うが、機動力を失っ
た重役世代より、機動力も発想力も優れた若年層の方が会社に対する貢献
度ははるかに大きい場合の方が多い。にも関わらず、貢献度の小さい年長
者の方が、より多くの仕事をこなす若者より、全ての面で高額の給与が支
払われてしまう。
これ、本当に「平等」なの?結局、仕事ができる人間は不利になるだけだ。
結局、ボランティア精神に富んだものを除けば、全ての者が仕事ができな
い人間に合わせて高給を得ようとすることになるだろう。理念でどんな奇
麗事を並べた所で、結果平等主義は後ろ向きにしかならないのだ。
弱者に合わせる発想は「護送船団方式」にも繋がり、銀行行政では当たり
前のように行われているが、これも早急に改善の必要がある。
これらの事例により、結果平等主義が極めて不平等だと言うのは明白なの
だが、困ったことに「弱きを助け、強きを挫く」が日本人の美徳。
本来は「悪しきを挫く」なのだろうが、強者は悪なんて構図、いつの間に
そうなったのだろう?それは次章で触れる。
そこで、新しい雇用形態として「成果物に値段を付ける」というシステム
が考えられる。つまり、プロダクトごとに労働者と雇用主が契約を結び、
「××を○○ごとに何円」というシステムである。歩合給と言う方が分か
りやすいだろうか。これだと、先に述べた単純労働者の扱いで問題も起き
ないだろう。単純労働者は、与えられた仕事に単価を付ければ済むのだ。
また、アメリカで定着している制度としては、会社は役職者に多額の給与
を与え、役職者は自分の給与内で労働者を雇うシステムがある。つまり、
役職者がミニ社長と化すわけである。それが実現されれば、全ての者が対
等な条件で競争できる環境になる。
が、市場原理が定着するまでの間は、労働単価が不当な安値であることも
予想される。それを監視する機関が変化した労組であることが求められる。
年功序列の破綻
職業における年齢差別、これが最近社会問題化しているが、これは求職者
側にも多大な問題があると言わざるを得ない。
なぜなら、年功序列社会で生きてきた方々は、同年代での平均的な給与を
得ようとする。そんなの、この不況下に至っては言語道断もいい所だ。
それぞれの生活事情もあるのだろうが、
「私は40歳なので月40万以下では働かない」
「前の職場では50万もらえてたので、最低でもそれは譲れない一線だ」
こんなことを言っている世間知らずをなぜ採用しなくちゃいけないの?
そのくせ「年齢が壁になって・・・」ですって?
いい加減にしてよ、何で年齢で給与を決めないといけないの?
では、「月40万出しますのであなたは何ができますか?」と聞かれてどう
答えるの?そういう者に限って漠然と管理職を希望していたりする。
時々疑問を感じるのだけど日本の管理職って何なんだろう?上からの命令
を伝えるだけで、あとは小言を言いながらスポーツ新聞読んでるくらいし
か能がないような存在?そんなのはただの「非生産的な人種」であり、
年功社会が生み出した歪みだ。そればかりか、そんなオヤジが職場にいる
だけで、他の人間の仕事能率も大幅に低下する。
セクハラは、管理職がその地位を利用して部下に性的嫌がらせを行う愚行
であるが、最近は逆パターンで管理職イジメも問題になったりする。しか
し、弱者の逆襲とも考えられる管理職イジメは、いじめられる方が悪いと
私は考える。オヤジ臭いとか汚いとか理不尽な理由もあるだろうが、たい
ていは役立たずの名にふさわしい窓際族(死語)同然の連中だ。人の上に
立てるだけの器量を持った役職者ならイジメを受けることはないはずだし、
理不尽なイジメには立ち向かえる強さを持つはずだ。
臭いとか汚いというのも、私からみれば別に理不尽でもない。禿を差
別するのはさすがにマズいだろうが、不潔な容姿が多い日本人男性の
方に大きな問題がある。自己管理がなってないと断じてもいいだろう。
海外では肥満者ですら出世できないとも聞く。個人的に大賛成。
管理職とは、経営に参画できる判断力を持った者であったり、米国企業に
おけるプロダクトリーダーの如く「小さな社長」たるべき存在ではなかろ
うか?つまり、管理職には特殊な能力が求められるのである。年功の報酬
的な管理職の存在は、百害あって一利なしだ。周囲にも本人にも。
そして、それになりたがる者には、容赦なく社会の負け犬になってもらえ
ばいい。そんな存在は限りある資源の無駄遣いだ。
年齢差別されて・・・とか吠えてるオジサン!月16万の役ナシで求職すれ
ばいくらでもあるでしょ?それを年齢差別だとか言い訳ぶっこいてんじゃ
ない。文句があんだったら希望相応の専門的な能力を持ってから高い給与
を要求しなさい!
人を採用する時に、過去の経歴も年齢も何も関係ないんだから。今、何が
できて、いくら会社に貢献できるかが重要なんでしょ?もしくは、過去じゃ
なくて将来。将来性なんてものも曖昧だけど、過去を見るよりはマシ。
あなた自身、自分を買いたいと思う?それを少しは考えなって。
年功社会の申し子のような課長も部長も要らない。そんな人生を望むのな
らばとっとと人生を引退しては?、とまでは言わないけど社会の表に出な
いで慎ましく生涯を終えてもらいたい。
強きは悪?
日本には「弱いものの味方」なんてヒーローが多数いる。時代劇はたいて
いそうだし、アニメやドラマのヒーローもやはり弱者の味方だ。そして、
お決まりのように強いものは悪役である。
強いものが悪。それは、あながち間違ってはいない。こと日本に至っては
強い者は悪であることの方が圧倒的に多い。もちろん、日本以外でも強者
の論理で阿漕なことをする輩はいる。某大手半導体メーカーなどはいい例
だろう。あれが自由競争の国の企業とはとても思えない。強大すぎる権力
はやはり人を腐敗させるのだろうか?人種を問わず。
強者の論理の横行による腐敗防止ために独占禁止法が存在する。健全な競
争社会を維持するためには、ある程度の国家の干渉もやむを得ないだろう。
競争がなくなり絶対的な指導者が現れてしまった社会、そういったことは
専制主義への傾斜を引き起こし、歴史上の悲劇に繋がったと考えられる。
さて日本の場合に話を戻し、日本での強者は往々にして悪であることが圧
倒的だ。あげくに、悪の強者は法により保護されている場合も多い。法人
至上主義といった社会主義の歪みの現われだろう。
会社と個人が戦えば、圧倒的な数の差により会社の方が強いのは明白だ。
おまけに、社会主義思想も手伝って、企業には法による保護も存在する。
最近問題になっている商工ローンにしろ金策に困る弱小企業を強者の論理
で食い物にしてる事態が明るみに出てきて、初めて弱者が発言する場を与
えられたが、それまでは商工ローンは絶対的な力を誇示していた。そして、
法を利用してやりたい放題の商工ローン業者にとって、裁判所は債権回収
部隊として機能していた。
ところで、商工ローンに限らず高利の貸金業者は一社ではない。業者同士
が切磋琢磨し、金利面で競争すれば理不尽なまでの暴利は得られないはず
だ。しかし、日本の十八番「横並び体質」が、同業者同士での競争を起こ
さず、結局は業界全体が1つの強大な団体として君臨したのだ。
この無担保コール翌日物が0.0x%で推移してる時代に、やはり翌日物
扱いの消費者金融や商工ローンが決まったように30%前後の金利を取
るなど、暴挙というかすでに犯罪的である。
言うまでもなく、この場合では強者=悪であった。銀行が貸し渋る今、高
利でも借りざるを得ない小企業の弱みに付け込んだ暴挙だろう。そして、
結果的に商工ローン業者に利用されてしまっていた裁判所も、個人より組
織を重んじた結果、業者側に厳しい判決を出さなかったのだろう。
(もっとも、そんなカネに手を出さないと成り立たない経営者も問題)
もうひとつ、NTTも強者の論理で動く会社だ。貸金業者のように犯罪的
な暴挙には及んでいないものの、日本の情報化進展を妨げてる元凶なのは
間違いはない。
NTTグループ、それは日本最大企業であり、事実上競争相手はいない絶
対的な企業である。長距離通信の新電電、携帯電話各社などの競争相手は
存在し、携帯電話の普及はNTTの営業基盤を揺るがしつつあるというも
のの、日本の通信網の大半を押さえているNTTと真っ向から戦って勝て
る相手ではない。いくら新電電ががんばった所で通話料収入の40%はNT
Tへの接続料で吹き飛んでしまうのである。これでは無理。
そんなNTTに対し、最近では業者間接続料の大幅値下を要求する外圧が
強いようである。米国の言い分は「日本は通信料金が高いから情報化社会
が発展しない」ことだ。それに対してNTTは、「東京23区と大阪府に限
り24時間定額接続」で答えた。巷ではこれを、屁理屈と言う(笑)
業者間接続料の値下げと比べたら、東京大阪で常時接続を開放した方が低
コストだというのもあるだろう。が、この地区はすでにADSLなどの常時接
続が近い将来実現する地区である。料金下げはいずれ行うことを余儀なく
される地域であり、それが前倒しされただけだ。
間違っても、通信料の値下げ競争に繋がる結果だけは受け入れるつもりは
ないのだろう。まぁ、株式会社のやり方としてはある意味正しいがNTT
はNTT法により設立されている半国営企業である。このNTT法がなけ
れば独禁法に引っかかるほどの寡占状態にある企業がやるべきことではな
いだろう。やはり、正義に反するお役所的企業だ。
NTTと商工ローンの問題を取り上げたが、一番問題なのは、それを容認、
もしくは推進している日本政府だ。NTTの通信料金については、事実上
郵政省が決めている。郵政省は絶大な競争力を持つNTTを抑制すること
が使命であろう。が、実際はNTTを保護している面ばかりが目立つ。
政府がNTTに甘いのは、NTT株が政治銘柄だからとか首相の秘書が
DoCoMo株でボロ儲けしたからだとかきな臭い話が多数聞こえるが、さすが
大日本帝国のお仕事というところか。こうでなくっちゃ!(笑)
そして商工ローン、こちらは利息制限法の最高利率(15〜20%)と出資法
の最高利率(約40%)の間で営業しているグレーゾーン企業なのであるが、
出資法の最高利率は非常識極まりないといわざるを得ない。そもそも
「出資」なら、運用がうまく行かなかったら出資者の責任であり、借り手
には返還する義務がないはずである(爆)
それはともかく、この出資法の上限金利を大幅に改正する案があった。が、
一部の政治屋が業者への打撃を理由に猛反発したようで、結局29.2%に落
ち着いたようだ。それ以前に、グレーゾーンを残すあたり、さすが日本の
お役所仕事である。(それに、業者への打撃と言われても超暴利が暴利に
なる程度なので、彼らの主張は説得力に欠ける)
この29.2%の金利だが、大多数の消費者向けローンが29〜30%台だ。
あくまで推測だけど、銀行系・流通系のローン金利には影響を与えないよ
うに配慮があったのだろう。こと銀行に関しては政府の姿勢はあまりにも
甘い。金融システムの安定だとか奇麗事を並べちゃってくれるものの、実
際は銀行業界は最大の献金元でもあり、票集めをしてくれる組織であり、
厳しい措置をしたくないのだ。
しつこいようだが、今、短期金利も定期預金も1%以下の利率の時代であ
る。長期国債ですら1%台である。いくら信用力が劣る個人や小企業だか
らといえ、年30%という市場金利の100倍以上の金利で荒稼ぎしている企業
を政治が保護する必要などどこにあるのだろうか?
企業献金という名の賄賂をもらっているから、それが答えなのでしょう。
まさに、現在の政治屋は社会主義の特権階級そのものである。
強きは悪?
そういう書き出しだったこの章だが、強きを抑制するどころか強い者をひ
たすら保護する体制が強きを悪にしてしまっているのである。
計画経済を行う者の利益を追求するために・・・・・
ふと疑問
ねぇねぇ、政治献金と賄賂ってどこがどう違うの?
政治の社会主義
日本には官僚制というものがある。
彼らは、公務員試験をパスしただけであり、仮にも国民投票を経て選ばれ
た政治家ではない。が、官僚達は、時に政治家より強大な権力を持つ。
そこで、官僚どもにエールを送ってあげよう。
「公務員は国民に奉仕するからこそ、国民の税金で食わせてやってる。
いわば、納税者である国民は、お前らにとっては神様だ。
コラ!飼い主様を何と心得る!敬って諂え!」
公務員=奴隷説はともかく、税務署員の態度はどうにかならない?
そもそも「納税」という単語がかなり気に入らない。税金は納めるもの?
いや、国政の対価として払ってやっているのだ。納めろなどとはおこがま
しい。あんた、何様のつもり?自分達を養うためのおカネを恵んで下さる
有り難い相手に高圧的な態度を取るなんて、どういう神経してんの?
そんなのは税務署以外では悪徳業者くらいだ。
さて公務員を罵倒するのはこのくらいにして、世界は今「小さな政府」を
目指している。つまり、必要最低限の機能を持つ政府にして、あとは地方
自治なり市場原理なりに任せようという発想である。
が、日本は逆行している。さらなる中央集権体制へと動いている。利権が
動く時、それは全て中央を経由して動かされる。地方自治推進と言いつつ、
地方財政は地方交付税で大半を賄っており、地方税の創設にあたっては自
治省が干渉している。
そして、最大の利権が国家予算だ。この国家予算も現在では火の車という
か、よくここまで・・・と呆れるんだけど、今年も景気対策と称して実施
されるバラ撒き型の予算も祟って、国・地方債残高は今年で600兆円が660
兆円になるそうだ。
さて、この破綻状態の日本の財政を打破する手段、それは支出の削減、も
しくは増税しかないものと思われる。いずれにせよ中央主導だが、増税と
なれば、さらに政府が巨大化していくだけであろう。支出の削減に関して
は、日本的なもたれ合い体質が災いしてうまく行ってない模様だ。財政は
火の車だと騒いでいながら、今年も相変わらず年度末の道路掘り起こしが
各地で勃発している。2年前の年明けあたりから掘り返されたはずの筆者
の住居前の道路も、再びサーキットの如く美しいアスファルトに生まれ変
わってしまった(笑)
不要な開発によるばら撒きが日本の体質でもあり、これを変えることは容
易ならざることは想像つく。土建関係を削ると票が一気に失われることに
加え、政治家と建設業界の癒着が根深いからだ。景気対策といえば公共事
業、とは言うものの、その内容はあまりにも非生産的。すでにどうしよう
もないと呆れている。あげくに、どこかのガケ崩れ現場に立ち会った、
時の運輸大臣は、公共事業を抑制しようという意見に対し「こんなことが
起きても公共事業予算を削れと言うのか!」と凄む始末。救い難い。
タイムリーな話での吉野川の可動堰問題だが、これも金権のにおいがプン
プンしてたまんない。白紙撤回してしまうと困る誰かがいるのだろう。
業者に莫大な利益が渡らなくなると困る誰かが圧力を加えてるのだ。
さらに、中央官庁のメンツにおいても引っ込みが付かなくなったといった
所だろうか?官僚は国民より偉いのだ。だから愚民どもは黙って従え!
さすが、大日本帝国だ。
建設大臣の話を聞いていると、本音を言ったら困ることになるので、何と
しても煙に巻こうとしてる姿勢が見え見えである。
こういった体質を改善できない場合、最後に残るのは大増税しかない。
つまり、国民資産のほとんどを税金として吸上げ、それを国家が適正に配
分する、共産主義の発想である。もっとも、金権政治と揶揄される日本の
行政が適正に配分するのかどうかは知らないが(笑)
大増税が行われた場合は、まず赤字国債の償還に消えるだろう。少なくと
も、理解に苦しむ大型事業が新規に起こされないことを祈る限りである。
筆者は、納税者感情を別としてもこれ以上の国民一律に負担を強いる増税
はすべきでないと考える。こと消費税の重税感は消費を減退させ、不況を
長期に及ばせてしまっている。
結局は痛みを伴うが、勇気ある誰かが日本的体質に本格的にメスを入れる
べきだと思う。その痛みは主に、得るべきではない利益を受けていた既得
権益者に降りかかるだろう。そう、公共事業で潤う業種など、政治屋と密
接に関わる分野だ。ひいては、政治家自身に痛みを生む。
はたして、そこにメスを入れられる政治家は存在するのか?期待するだけ
無駄なので期待しないことにしていたのだが、石原都知事が「外形標準課
税」をぶち上げて物議を起こしている。おお!日本にもすばらしい政治家
が残っていたじゃない!
その石原都知事が言い出した外形標準課税というか銀行税は、言うまでも
なく特定業種への不公平税制であり、目先の金融政策とも逆行し、普通な
ら私も反対するような税制である。
しかし、銀行に対する政府の姿勢は甘すぎるのひとことに尽きるわけで、
その理由は自○党の票集めや献金がらみの理由があるのだろう。
すでに、銀行優遇という形で不公平が行われてしまっているのだ。今更、
銀行への不公平だろうが、そんなことはもう関係ない。ケンカ売ったのは
向こうが先だ。だから、そいつをいじめたって悪くないんだ!(爆)
とにかく行政は銀行をかわいがる。それに真っ向から対立する銀行税構想
は、旧態依然の日本システムに一石を投じた。日本ではすごいことだ。
それどころか、銀行税案は可決される見通し。ぜひ実現を願いたい。間違
っても、政治の圧力で叩き潰すようなことはあってはならない。
その銀行に投じられた公的資金だが、その中には長銀や日債銀といった返
済の見込みがないものも多額に上る模様。そもそも、公的資金の援助を受
けた金融機関の職員が高額の給与を受けていることは国民感情として納得
行かざるものだったろう。率直に言ってしまえば、
「お前ら、タダ働きでも税金返せ」という所ではなかろうか?
それだけではなく、今まで受けた給与も返せとまで思う人も多いはず。
さらに、銀行救済を国民に強いておきながら、銀行経営者はほとんど処罰
されていない。米国も過去、金融システムに問題を抱え公的資金で救済を
した経緯を持つが、その場合は経営者が厳罰に処された。
やはり、社会主義の特権階級=政治屋・公務員と癒着していたら、どんな
場合でも助けてもらえるのだろう。銀行業界は自○党の最大の献金元でも
あった。大蔵官僚に至っては、接待という名目で銀行にかなりいい思いを
させてもらっていた。
大蔵官僚と銀行の癒着は、あまりにも世論の批判が大きかったために、消
えることは期待できないまでもその活動は地下に潜るだろう。が、堂々と
行われている政党への企業献金は不滅だ。銀行は、税金で援助されながら
ひたすら献金。好況に転じようものなら、「金融政策の見返り」として、
公的資金の返済より先に、多額の献金が政治屋に転がり込む。国民の税金
は、政党への献金に化けているのだ。さすが自○党、こうでなくっちゃ!
これでは、この国の未来などどこにもない(苦笑)
一方、銀行に目が行くばかりに忘れられている悪質債務者の存在、そもそ
もこいつらが不良債権の元凶だ。が、彼らのほとんども破産してしまえば
それ以上の責任は追求されない。それどころか、破産時に債務隠しもする
ため、悪質債務者が高級外車を乗り回すという非常識も横行した。
債務者と政治屋、ここにも癒着があったのだろう。でなければ、こういっ
た悪質債務者が無事で済んでいた道理がない。
「借金も100万や200万は返さなきゃダメなのに、なぜ億を越えると返さ
なくてもいいの?1兆くらい借りて俺も不良債権になってやるっ!」
そう思った人はかなりいたはずだ。
しかし、そういった意見は表には出てこない。出てきても瞬時にかき消さ
れる。感情的な意見は表に出してはいけないと社会主義者達が諌める。
愚民は文句を言っちゃだめなのだ。御上に都合よく秩序を保つために。
今回の銀行税構想は8割以上の都民が支持しているようだ。やはり、誰か
がモノを言わないと始まらない。それは私にも言えることだが(笑)
高齢化社会に向けて
600兆円余りの国・地債の償還問題もさることながら、来るべき高齢化社会
という将来の負債も日本は抱えてしまった。
この負債を償却するため、やはり日本は大きな政府になりたがっている。
その前兆とも言える介護保険制度の導入である。政府が目指している構想、
それは高福祉高負担の社会、つまり、高い負担を国民一律に強いて、その
見返りとして国が全てを面倒みよう、名実ともに社会主義への移行である。
この介護保険制度だが、数十年後には20世紀最後の愚策と言われるのは間
違いないだろう。保険とは、受給者より負担者が多い状態でこそ成り立つ
商売だ。が、今後は受給者である高齢者が爆発的に増え、少子化で労働世
代=負担者は減っていく。すでに破綻が見えている制度なのだ。
この問題に触れるには年金の問題にも触れざるを得まい。昨今、国民年金
の滞納者が増え、制度の存続が危ぶまれていると言うが、実際は滞納者が
いなかった所で破綻は必至だと思われる。破綻の理屈は介護保険の場合と
同じ、いえ、確実に受給者が増える年金の方がより深刻だ。
これらの制度の破綻を避けるためには、受給者を減らすか負担者を増やす
かであるが、それは受給年齢の引き上げか加入者年齢の引き下げを意味す
るものであり、これ以上は現実問題として無理だろう。(年金の受給開始
が80歳からとか、笑えない冗談は現実に起きるかもしれないケド)
よって、残る選択肢は「保険料の引き上げ」になる。これまで国民年金の
保険料はさんざん値上げされたようだが、今後さらに値上げされる予定だ。
介護保険は値上げ予定はないものの、現在のように月数千円で済むのは当
面の間だけであろう。
なんか介護保険の保険料を当初6ヶ月は徴収しないとか言っているが、
選挙目当てに制度を弄ぶなって。その6ヶ月分の保険料は赤字国債?
それとも、後世への付け回し?冗談じゃない!
ついでに言えば、介護保険は明らかにおかしい制度だ。何がおかしいかっ
て、受益者と負担者が一致していないのである。制度の開始と同時に支給
も開始されるようであるが、そこで保険料を支払ってない受益者が発生し
てしまう。この制度は、あくまでも高齢者への所得移転が目的なのだ。
払った保険料はそのまま現在の受給者に払われて消える。これは年金制度
も同じなのであるが、年金の方は貯蓄型に移行しようかとか論議されてい
る所である。
(年金の貯蓄型移行)
今までは、労働者から高齢者への所得の移転型の保険であったため、
労働人口と受給人口のアンバランスにより高負担になるという不均衡
が起きた。よって、自分の年金は自分達の世代で積み立てようという
意見が出てきた。しかし、現在の受給者の年金を誰が負担するのかと
問題が起きる。そこで、現在の労働世代は、自分の年金の積立と、現
在の受給者のための支払との二重の負担を強いられることになる。
が、今のうちに手を打たないと、さらに後世に禍根を残すだけなので
それもまた正しいかと筆者は思う。
そういった議論がされている時に、なぜまた所得の移転を目的とした介護
保険が導入されたのだろう?誠に理解に苦しむ。
私の見解としては、こういった時代の流れに沿うならば、高齢者にも自己
責任の原則を求めるしかないと思う。
つまり、自分の老後の面倒くらい自分で見ろと。いずれ人間は働けなくな
る時が来る、その時のために蓄えを作るなり、投資をするなりして自分の
面倒は死ぬまで自分で見れるようにしておくべきだ。無一文の高齢者にも
言い分はあるだろうが、生活設計が甘すぎたのは事実だ。
誤解されては困るのだが、別に高齢者を切り捨てろというわけではない。
が、後世代に理不尽な負担を強いないためにはそれしかないと思われる。
もし、そんなカネがあれば高齢者福祉より、恵まれない孤児や遺児を救済
する方が先ではなかろうか?
日本において、個人差はあれ現在の高齢者は恵まれ過ぎていると言うのが
私の見解。大卒初任給より年金の方が高額だと言われて久しい。戦争時代
を生き抜き、高度経済成長を成し遂げた功績を称えるとしても、現在の世
代間不均衡はあまりにも暴力的である。
確かに、経済的にゆとりのないお年寄りも多いのは現実だ。が、数十年後
を見据えると「老人福祉があるだけマシ」。本当にそうなるだろう。
いずれ、老後の生活も自己責任が当然になる。そうなると、現在の勤労者
達は、自分の老後の設計と、現在の老人の扶養の二重の負担ということに
なるだろう。というか、年金がまともに受給できないのでは?という不安
感は、若年層を中心に根強い。私も、現在の現役世代は二重負担になるの
が避けられないと思うのだが、その答えが出るのは数十年後だ。
一方、恵まれた環境の老人とは対照的に、自分に責任はないのに恵まれな
い環境にいる子供たちの扱いはどうだろう?私は、将来を担う彼らこそ優
遇されるべきだと思う。
ご老人への暴言になることは承知だが、老後を楽しむことは己の力で作り
上げた資産を持つ成功者のみに許される報酬だ。誰もがありつこうなどと
は悪しき平等主義の発想であり、限りある社会資本を蝕む非生産的愚行だ。
が、子供達は今後の日本を背負う世代である。そんな子供達が自分の責任
ではなくて恵まれない境遇にいる、それなら国家が手厚く保護しよう。
その方が道理が通るのではなかろうか?
しかし、歳を取るほど偉くなるという儒教思想を未だに引き摺る日本では
逆になってしまう。悲しいことにね。
高齢者問題の打破、それは高齢者が社会資本を食い潰す存在でなくなって
もらうしかないだろう。先に挙げた老後資産の自己責任での管理もそうだ
が、最近議論になっている、定年制廃止などがそれだ。
が、ポストにしがみついたジジィばかりの企業は活力を失うだけなので、
高齢化社会を乗り越えるためにも、年功序列に代表される企業内社会主義
の崩壊は必須条件ではないか。
終章
「日本は社会主義を成功させた唯一の国」
そう言われるからには、やはり今までは成功したのだろう。
というか、日本人特有の「大和魂」が著しい不条理を納得させ、忠誠なん
て理不尽な条件も受け入れて、ひたすら歯車になって高度経済成長を手助
けした結果であり、問題の発覚を遅らせただけだと考えるが。
しかし今、ネットによる情報化社会の発達により、歯車も意見を全世界に
発信するのが容易になった。私もこうやって発信しているのだが、先の東
芝問題なんてその最たる例だろう。ああいった意見は法人至上の社会主義
下では、秩序を乱す反乱分子だ。そして、その意見は封じられる。
が、東芝問題は社会問題にまで発展した。一部では東芝不買運動も起こり、
結果的に東芝側が謝罪するという前人未踏の勝利を勝ち取った。
しかし、こういった傾向を快く思わず怒りを表面化させた者がうじゃうじ
ゃいることが日本の最大の問題点だ。こと中高年層で顕著になる。
言い分は、ネットで誰もが自由に発言できるようになると、秩序を失うと
いった理屈らしいが(「社会主義の秩序」と言うべきか)、それこそが
日本的社会主義思想であり、今日の低迷の元凶でもある。
確かに、ネットを凶器にした悪質な嫌がらせもあった。が、それよりも、
企業の暴挙への抑止力になるメリットの方がはるかに大きいのではないか?
強者は強者の論理で動きたがる、それを抑制するのが本来は行政の役目な
のだが、行政はその責務を放棄している。そんな中、弱者も発言の場を得、
賛同者を得るたのが情報社会の到来だ。情報化社会とは、今まで自分達に
都合よく社会を支配してきた特権階級や、競争を極端に嫌う敵前逃亡型の
負け犬にとっては忌々しき事態なのだ。
飼い犬に泣きつかれた政治屋どもが、情報を統制するような法案を作らな
いことを祈るだけだ。そうなれば、大日本帝国時代の情報管制と何ら変わ
らなくなってしまう。
そして今、日本は旧来の日本的システムから脱却しようとしている。日本
人が自らの意志で脱却しているわけでもないようだけど、情報化社会の到
来は、管理社会である社会主義を終焉に追い込んでしまったのだ。
今後、日本にも市場原理が定着するのは避けられない方向だと思われるが、
社会主義に飼い慣らされたオジン達の抵抗次第ではどうなるか分からない
危うさも抱えている。特に中年以上の世代では市場原理を嫌うし、未だ封
建的な日本社会において、彼らの発言力はことさら大きい。
事実、年功序列を廃止や人材の時価評価を危惧する声はかなり多い。人間
に値段を付けるのはいかがなものかとか、サラリーマンと家族の生活を守
るためとか、どれも説得力ある明確なる理由ではないのだけど、日本ロー
カルの常識と自分に自信がないオッサンの遠吠えとかが、危惧という声で
出ているようだ。
な〜んか、「私は実力社会では生けていけない。助けてくれ!」という本
音を包み隠すために「人に値段を付けるな。平均こそが正しい」と誤魔化
している上に、働く能力を持つのはサラリーマンが中心で、女性の労働力
は完全に無視しためちゃくちゃな理屈だと思うのだが・・・
(女性の労働力)
やはり戦後日本システムの申し子=無職既婚女性の肩書「主婦」。
女は男の所有物だというふざけた思想もあるのだろうが、職場に女性
が進出したら男性が職を失うという危機感もあったのかもしれない。
女性が仕事場で秀でた能力を発揮すれば「女だてらに・・・」との発
言が、この21世紀も近い現在でもオジン中心に出てくる。
彼らは「女は無駄に生きがいを持たず、主婦やって夫だけに尽くせ」
そう言いたいのだろうか?
その発想から生まれたのが主婦制度であり、優遇して社会には進出し
ないよう国家ぐるみで仕向けたと考えればいいのだろうか?
はっきり言って女性蔑視も甚だしい。さらに、主婦とは縁のない働く
女性や独身者の差別にも繋がってもいる。
そして今日では家事労働も文明の発達により余暇が増え、多すぎる余
暇の使い方を知らない怠慢主婦を大量生産する結果にもなった。
「教育ママ」が生まれ始めたのもその頃からだろう。
さて、口うるさいしか能のない怠慢主婦に育てられた子供達は?
こちらも限界が来てしまっている日本独自の主婦、それは又の機会に。
今、この国が出来ること、それは、旧態依然の体質から脱却する、それし
かないのだ。情報化社会という追い風が吹いた今、戦後から続いた悪しき
慣習を一掃するいい機会だ。いえ、ここで市場原理を徹底させなければ先
進国日本の未来はないだろう。競争力低下に繋がる悪しき慣習を固持しよ
うと抵抗する不貞の輩には引退を願うしかない。
もしくは、先進国の名を捨て「可もなく不可もなく」の日本的慣習を貫き、
理想の共産主義国家になるかである。高負担で貧乏でも、餓死しなければ
それでいい、周囲の人並みに生きられたらそれでいい、お年寄りは今まで
国を築き上げた大切な方々だ。彼らが笑って過ごせるならば、自分の生活
なんて我慢する。政治家や官僚達は偉大なる指導者にして絶対の存在だ。
彼らに忠誠を尽くすためなら、自分の生活なんて苦しくたって構わない。
全国民がそう考えるならば、それはそれで平和な社会かもしれない。
しかしその時、私は日本を見捨てるでしょう。
この記事の無断転載は歓迎したい所なのですが、いろいろ問題があるようなので制限します。
戻る
by Lina