2012年07月26日

考えるとは「推理」すること

富の未来 アルビン・トフラー ハイジ・トフラー著 講談社
<引用開始>
 皮肉なもので、先進諸国の企業は自社の「知識管理」「知識資産」「知的財産権」を誇っている。だが金融工学専門家、エコノミスト、企業、政府は大量の統計を分析しているのに、意思決定の質の低下という形で、死知識のコストがどれだけになっているのかは誰も考えていない。個人の投資、企業の利益、経済開発、貧困撲滅計画、そして富の創出の全体に、どれほどの障害になっているのかを考えてみるべきだろう。 
 それだけではなく、これらの背後の目につきにくい部分では、知識に関してさらに重要な変化が起こっている。この変化は、一般に「知識」とされている点に影響を与えるだけでなく、知識を獲得するために使われる手段にも影響を与える。こうした「思考の道具」のうちとくに重要なものに類推があり、これにある程度まで匹敵するほど重要なものはほとんどない。複数の現象が類似していることを見つけ出し、ひとつの現象について得た結論を他の現象に適用するのが類推である。
<引用終了>

堺屋太一氏談
「現象から原因を探るのが知性で、さらに原理を導き出すのは理性の働きです。原理をもって次を予測することを、平たく言えば「勘」になる。先見性とは正しい観察と鋭敏な勘を備えているということです。」

「学習障害とは、聞き、話し、書き、推理する能力、算数の能力を取得したりするのが著しく困難な、さまざまな問題群の呼び名である。1981年 学習障害に関する連邦合同委員会報告)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E9%9A%9C%E5%AE%B3

今、大人の学習障害が叫ばれている。私は特に「推理する能力」が麻痺していると考えている。その原因のほとんどはテレビにある。今はテレビを見ない生活だが、以前はテレビの刺激で頭脳がヒートアップしていたように感じる。

皆さんも思いあたる点があるだろう。特にひどかったのは「みのもんたの朝ズバ!」という番組の映像と効果音の組み合わせで人の頭脳を強烈に刺激する「作戦」である。文字を隠しているシールをはがす際の効果音はまさに私にとっては「ストレス被ばく」そのものであり、放射線同様に細胞内の自分らしく生きるための遺伝子を傷つけるに十分な「加害行為」であった。

もちろんテレビを見なければいいが、テレビを放棄することはかなりの勇気もいる。ある種テレビの刺激は麻薬のようなものであるから。

しかし、である。私は主張したい、テレビ視聴は推理、類推という思考の道具をサビさせる、と。
推理も類推も「見つけ出す力」である。反面テレビから得られる情報は「処理する力」によって記憶にインプットされる。
自分で見つけ出したものは決して忘れないが、無理やり与えられた情報はいずれ「忘却の彼方で」ある。

そして、出来上がった人間が今日の愚民化された日本人である。香山リカのように何も考えないで他人を侮辱する「ヨミウリホイホイ」人間である。

「考えることは疑うことからはじまる」パスカル

考えることは、推理、類推することでもある。
posted by M.NAKAMURA at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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