シロクマの屑籠 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2007-12-13 「すごいでちゅねー」「えらいでちゅねー」アワー

承認欲求って、そんなに悪者なのかなぁ??

 

はてなダイアリー

 

 何やら、立派にみえることを勧めている人を発見しました。曰く、「世界にただ在るものとして在る強さを持て」とのことです。他人からの評価に右往左往することなく、『エヴァンゲリオン』のシンジやアスカのように他者からの評価に汲々とすることなく、独り屹立する自分自身、なるものを推奨しておられるようです。「本心からしたいことをしなさい。誰にとって価値がなくとも、誰に承認されずとも、あなたは別に好き勝手に存在していいのである。人は本質的に、無限に自由なのだから。」。そのうえで自己承認欲求を後ろ向きなもの、とid:y_arimさんは述べてます。もし個人が、ロードス島の巨神像や足摺岬の灯台のように揺るがなく立つことが出来るとしたら、それはそれで美しいことだとは思います。

 

 

 しかし、そんなことって娑婆世界を生きる私達に果たして可能なんでしょうか。そして、自己承認欲求はネガティブなものとして取り扱わなければならないのでしょうか。私はあんまりそうは思いません。

 

自己承認の欲求はあなたの足元にも隠れているんじゃないんですか?

 

 y_arimさんとは正反対っぽいですが、「人と人との間で生きているのが私達で、一つ一つの営為には他人からの承認に関する執着が幾らかなりとも埋もれているのが人間だ」、と私はいつも考えています。そして実際、承認に関連した執着を滅却しきった人を、私はあんまりみたことがありません*1し、仮にそんな人がいたとしたら、きっと人のあまりいない所に隠遁しているんじゃないかな、と思います。少なくとも沢山の人の目に触れるインターネット空間で言及活動に精を出す、ということは無さそうです。本当に承認欲求が滅却出来ちゃった人ならば、何事にも言及せず、対人関係も必要とせず、生き仏のような境地に安んじるのではないでしょうか。

 

 で、id:y_arimさんは、件のエントリについたはてなブックマークコメントにお返事をしていらっしゃいます。

2007年12月13日 y_arim id:glcsid:nekotyaid:shibata616ロケットにくくりつけて太陽へ射ち込みたい。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20071213/1197521756

 なんでそんなことを思ったんですか?

 どうして言及しちゃったんですか?

 ロケットにくくりつけて太陽に射ち込みたいだなんて…物騒な物言いじゃないですか。y_arimさんが理想とするような「世界にただ在るものとして在る強さ」がもしあるとしたら、ネガティブなブックマークにネガティブな言及をするのはどうしてなのか、よく分からなくなってしまいます。もしもy_arimさんが、私と同じく承認欲求を求める“弱き人間”なんだとしたらお気持ちには共感できますけどね。「僕が丹精込めてつくったエントリをほめてくれないで、しかも貶すなんてひどい奴らダ!」みたいな気持ちなら、私も自分の内側に発見することが出来ます。もしそうでもないとしたら、他人に「ロケットにくくりつけて太陽に射ち込みたい」なんて言葉をいきなりふっかける理由が分からなくなってくるわけです。本当に「世界にただ在るものとして在る強さ」に立脚なさっているのなら、わざわざはてなブックマークを覗き込んで、しかもネガティブなブックマークやトラックバックをしている人ばかり選りすぐって「ロケットにくくりつけて太陽に射ち込みたい」などと言わないような気がするんですよ、私には。

 

 そもそも、y_arimさんのブログを少しみせて頂きましたが、これって、承認欲求が透けてみえるブログだと思うんですがそこの所どうなんですか。フォントが大きくなったり小さくなったり、私みたいなやつにはちんぷんかんぷんの(これはフランス語なんですか?)ブログタイトルだったり、なんだか格好いい男の人の写真が張ってあったり、してるじゃないですか。こういうのって承認欲求を満たす為の試行錯誤の産物なんじゃないんですか?*2それとも、そういう色々が「等身大のあなた」ということになるんですか?いや、そういうのが「等身大のあなた」だというのなら納得することにしましょう。しかしその場合であっても、「随分と目立ちたがり屋さんなお姿が、等身大のあなたなんですね!」という印象は否めません。まるで劇団俳優さんみたいなパーソナリティが等身大のy_arimさんだと思い込んでしまいそうです。

 

 

僕は好きですよ、承認欲求。

 

 もう一つヘンだなぁと思ったのは、承認欲求って滅却しなきゃいけないものなのかなぁ、という点です。

 

 

 勿論、その承認欲求の強弱は個人によってまちまちだし、うさださんが述べているように*3承認欲求をどのフィールドで備給するのかによって適応のあり方もまちまちでしょう。承認欲求が極端に強くて捨てハンにちょっとdisられただけでもスルーできない人もあれば、身の回りの人に日常的に承認されているが故に、幾らネット上でdisられてもへっちゃらという人もいます。またネトゲ廃人がネトゲの世界だけで承認欲求を満たすようでは社会適応が大きく揺らいでしまうでしょうが、ITベンチャーの職場で頭角を現していく人などは、職場や社会で承認欲求を満たしていこうというエネルギーが本人を飛躍させていくということもあるでしょう。コンテンツクリエイターの人達なども、創作へのエネルギーの一部が承認欲求に由来していたり、ファンレターが次の作品への駆動力になったりということはあるんじゃないでしょうか。

 

 私は、承認欲求は誰もが普遍的に心のどこかに忍ばせている、必ずしも否定しなくても良いものなんじゃないかな、と思っているのです。ただし、強弱の程度やら方向性やら次第では、承認欲求は毒にも薬にもなるのではないか。ネトゲ廃人の世界で優越感ゲームに終始していたり、絵空事のレクレーションやコンテンツ空間「だけで」備給を繰り返していたりすれば、確かにその人は沈没確定でしょう。しかし、承認欲求がコミュニケーションの範囲拡張や、仕事やステータスの維持向上や、創作意欲の源となるならどうでしょうか。むしろ承認欲求の好循環が、その人に様々な恩恵を与えてくれるものではないでしょうか。真に私達が恐れるべきは、承認欲求そのものではなく、承認欲求が悪循環にハマってしまうことだったり、承認欲求を満たせる空間や対人関係が狭小化した挙句、その狭小化した空間や対人関係から抜け出せなくなってしまうことではないでしょうか。承認欲求に汲々とするあまり、承認欲求にダメ出しをされることを恐れるあまり、ニコニコ動画2ちゃんねるから抜けられないとか、非モテ劣等感ゲームをやめられないというのであれば、それは確かに気の毒なことですし、そういう人の未来予想ってどうなるんだろうと思いはします。しかし、それはあくまで承認欲求を巡っての悪循環なり、極端な備給の偏倚なりが問題になるのであって、承認欲求そのものが問題になっているのではないと思うのです。ほどほどの承認欲求を持つこと自体は、決して悪いことじゃないと思うんですけどねぇ。

 

 私は、y_arimさんが承認欲求を実は持っているとしても、それがいけないことだというつもりはありません。ただし、もしもy_arimさんが承認欲求の悪循環や空回りを含んでいるんだとしたら「大変ですね」ぐらいは言うかもしれませんが、多分、実際はそうではないのでしょう。文筆業にも携わっているようなので、むしろ承認欲求に駆動されて良いものを仕上げることが出来れば、それで万々歳じゃないか、ぐらいに想像しています。

 

 今回のy_arimさんの文章からは、「俺は承認欲求から自由になったんだ、そんなものは無いんだ俺は自由だ!」という金切り声のようなメッセージが伝わってくるように私は感じました。ですがこれとて、承認欲求に雁字搦めに縛られていた過去のあくまで反動であって、時が十分に経って承認欲求のバランスシートが落ち着いてくれば、こういった極端すぎる物言いも消えてくるのではないでしょうか。

 

 そろそろ結論にうつりますが、私はy_arimさんは承認欲求を(少なくとも私と同じぐらいには)持った人だとお見受けしています。*4。だけど、別にいいじゃないですか、孤島の灯台として屹立しなくて、周りの人との間で持ちつ持たれつ生きていったって。「世界にただ在るものとして在る強さを持て」ですって?そんなツンデレみたいなこと言ってるよりも、(例:べっ別に、あ、あんたなんかに褒められたって、う、嬉しくなんか無いんだもんねっ!)、褒められたらニコニコデレデレして、怒られたらしょんぼりするような自分を認めちゃってもいいんじゃないでしょうか。私は、そういう承認欲求な部分が自分のなかに含まれているという前提にたって日常生活をしていますし、承認欲求が含まれていることをそれほどお粗末なことだとも思っていません。例えば私がブログだの何だので色々言及しているのも、これって承認欲求を含んでいるわけですが、まぁそんなものだろうなと思っています。同様に、y_arimさんのネット上の言動言及も、承認欲求を含んでいると思っていますが、それでも別にいいじゃんと思っている次第です。ニコニコ動画や2ちゃんねるを使ったカジュアルな承認欲求だって、ひどい社会不適応を惹起しないのなら別に良いと思います。それが明日職場で働く駆動力を分けてくれるというのなら、むしろある程度利用したっていいんじゃないかとさえ思うのですが如何でしょうか。

 

*1統合失調症慢性期の状態の人のうちに、それに近いものを見たことならあるかも。

*2:私の場合、フォントをいじったり写真を入れたり難しい単語を使ったりするのは「ねぇねぇ、みんなココに注目だよ!」ってよく視てもらいたい時なので、y_arimさんのソレも同じタイプなのかなぁと推測した次第です。

*3:参考: re: ニコニコ動画ごときで満たされるカジュアルな承認欲求など要らぬ - ls@usada’s Backyard

*4:第一、y_arimさんが某インターネット空間で「クリリンのことかーっ!」を発動している姿を偶然みてしまったことがあるのです。あの時も、自分が承認されずにdisられてるんじゃないかととても気になさっていたと記憶してます。今回の件も含め、そういうのは自己承認を示唆するエピソードだと思うのです

y_arimy_arim 2007/12/13 22:09 言及ありがとうございます、という表現がこの場合適当なのかどうか。ひとまずコメントにてレスさせていただきます。なんだか丸裸にされたというか、妙に矮小化されたというか、複雑な心境なのですが、そういうのはたいていぼく自身に原因があるので致し方ありません。
あんたの言っていることは単なる反動じゃないのか、というご指摘は的を得ていると思います。20代の半分以上を、「承認欲求の悪循環や空回り」に振り回されてズタボロになりながら過ごしてきましたので(なぜ6年も精神科に通院する羽目になったのだろう、あれはどういう病だったのだろう、とはいまだに疑問です)、「自分を肯定してもらいたい」「自分を見てほしい」などという字面見るのも厭だという反発があるのは否めません。
しかしながら、適度な承認欲求はむしろ人生を豊かにするとはぼくも思うのです。なるほどそれはバイタリティに転化されますし、満たされれば精神の安寧の一助にもなります。現在のぼく自身、やはり承認欲求と承認そのものを糧にして日々過ごしています。もっとも、元来が異常なまでに自己主張・自己顕示欲の強い人間なので、ブログも文章も随分と歪なことになっていますが(フォントいじりだの写真だのはもう呼吸をするように自然なことなので、承認欲求とは少し違う気がします。『随分と目立ちたがり屋さんなお姿』『まるで劇団俳優さんみたいなパーソナリティ』というのが本当のところかもしれません)。症状としての鬱や不眠やその他もろもろが解消されただけで、多分に病的な心理は残っているのでしょう。

結局、承認欲求に関しては悪い記憶やイメージばかりが思い浮かぶので、あのように極端なカウンターを当てた、と言うことができそうです。そして「そんなお手軽に承認欲求が満たされるなど許せない」というルサンチマンの発露。エグゼクティヴといいますか、真剣/深刻/マジ/ガチであることを常に求め続けるという傾向がぼくにはあります。そのような見地からも所謂ヌルオタを糾弾しつづけているのですが、それもまあ、肩の凝る話ではありますね。

案の定、延々自分語りになってしまったのも、shirokumaさんの術中に嵌っているのだろうかと考えるとやっぱり複雑な気分ですが、思うところを述べさせていただきました。去年まではshirokumaさんのご同業者にお世話になっていましたので、いい症例くらいにはなったかもしれません。今後も何かありましたら、よろしくお願いします。

p_shirokumap_shirokuma 2007/12/13 22:53 >>y_arimさん
 お返事、ありがとうございました。ニコニコ動画を通して満足できる人ってのは案外と幸せな人種なんじゃないかな、と思ってこの文章を書きました。と同時に、自分自身の映し姿としてのy_arimさんに思うところが色々あったからこそ、僕はこんな失礼にあたるかもしれない文章を書き散らしたんだと思います。こんな風に言及しちゃったという事自体が、僕自身の執着と、y_arimさんのメンタリティと共振する何かを指し示しているのでしょう。しかし、その事を認めることに躊躇はありません。
 
 そういえば、「病的な心理」「いい症例」という言葉をy_arimさんはお選びになりましたが、それは病的な心理と呼べるかもしれないと同時に、案外とそれって僕のなかにもあるような、地続きのものではないかとも思うんです。まただからこそ、共感・共振できる部分が含まれているのではないかとも思っています。勿論程度問題として、それが極端すぎれば適応に影響をもたらすでしょうから、なんというか、自分の承認欲求といかに上手にお付き合い出来たほうが気楽に生きやすいという留保はつきますけどね。

 今後、自己承認とのお付き合いについて何か意見交換するような機会があれば、その際はまた宜しくお願いします。

heartless00heartless00 2007/12/14 02:23 失礼ながら御二人に質問させて頂いてよろしいでしょうか?(厚かましくて申し訳ないです。どうしてもお聞きしたかったので)

y_arimさんの仰るカジュアルな承認願望(一体感・相対の一部としての承認願望)に対する真剣/深刻/マジ/ガチな承認願望とは「他の誰でもないこの私」的な承認願望であってエグゼクティブ・フォーマルな承認願望という感じとはちょっと違うんじゃないかと。

ふと、先日書いた「15歳少女DJ」や「涼宮ハルヒ」が頭に浮かんだので。涼宮ハルヒは「自分が数万人の内の一人にすぎない」と気づき「選ばれた人間になりたい」と奔走し挫折し世界を壊そうとしたときにキョンに「教室の後ろの、いや違う、他の誰でもない涼宮ハルヒ」として承認される事で救われる・・いわばナンバーワンを目指す承認がオンリーワン的な承認によって救われる物語ですよね。

ここから邪推になりますが、y_arimさんの場合上昇志向が強く自分は特別であるという感覚を抱いていたが東大に入ると「頭がいい」という事は特別ではなく「他にもたくさんいる」という事実に触れ失望したのではないかと。確かに自分は頭がいい、しかし頭がいいヤツは他にもいる、という具合に。表向きは「上には上がいる。ナンバーワンになれない」という「エグゼプティブ」な承認欲求に見えるがその背後には「そういう能力の上下は関係ない、ただこの他の誰でもないこの私」として承認されたい、といった本来的な意味での承認願望がメンヘルの引き金になったのではないでしょうか。y_arimさんの場合承認願望というものを突き詰めて突き詰めて、心病れるまで悩んだ末にある程度相対化されたのに対し、突き詰める事をやめてしまった人種がいる・・未だに「一般的に劣等でも、ここではナンバーワンになれちゃうもんねー」的な2chのネタにマジレスしちゃう自意識クンを見るともう痛くて痛くてたまらなくて説教したくなる、「ナンバーワン?オンリーワン?どうでもいい。一体感バンザーイ」的な動物化したニコニコ君に対してはお前ら正気っすかと突っ込み入れたくなるのではないかと。以上鬱で通院した事がある私の経験を投影しまくった邪推ですが・・

y_arimさんとしてはやはり本来的な意味での承認欲求、雄ザルのボス取り合戦や記号の一体ではない「真剣/深刻/マジ/ガチ」(中二とレッテル貼られがちな)承認欲求をヌルオタに啓蒙したいと思ってらっしゃるのではないかと感じましたが、どうでしょうか?

その点p_shirokuma先生はまったく正反対でニコニコ的承認・カジュアルな承認超OKと仰られている。これは、本音なのかなぁ・・っていうか残酷すぎる気がします。未だかつて人類がそんな浅ぁーいコミュニケーションだけで生きられた経験ないんじゃないかと。もし生きられる社会がこれから完成したとしても、それは一度きりの人生しか生きられない人間として幸福かどうか疑問に思うところです。

一見すると「承認欲求捨てろ」と冷たく感じるガチオタなarimさんと、「承認欲求大事だよ」と温かく感じる脱オタなshirokuma先生ですが・・まったく反対なのかなぁと感じました。と、1日3〜5時間ニコ動やってるニコ厨によるshirokuma先生への悪意なき抗議ですが・・

長くなってしまいましたが、p_shirokuma先生とy_arimさんのやり取り、すごくおもしろかったです。っていうか本当にすごかった・・たぶん20回くらい読んだと思います。こんなすごいものに私なんかでは手足がまったくでませんが、どうしてもお聞きしたかったのでいちギャラリーとして質問させていただきます。

p_shirokumap_shirokuma 2007/12/14 18:55 >>heartless00さん
 y_arimさんが「特別あつらえの」承認でなければどうも満足出来ないという傾向があるんじゃないか、というのはなんとなく感じたわけですが、それをどういうレトリックで表現するのが適切なのかは、あまり推敲してなかったので上手くなかったかもしれない、と思っています。

 ただ、コミュニケーションや承認にも浅いや深いや長いや短いがあるにせよ、「あったほうがいい」モンだとは思うんですよ。何にもないよりは、ニコニコで吹き上がってお互いに共振しあうほうが、その人の承認欲求に関連した心的ホメオスタシスは保ちやすいんじゃないかな、と。そりゃまぁ、特別あつらえの承認のほうが効果ありそうですけどね。でも、特別あつらえの承認以外は口に合わないなんていう贅沢な人は、ケーキかケーキかケーキしか食べられないとしたら、パンしか手に入らない時には容易に心的ホメオスタシスが維持出来るのではないか、と思うわけです。
 
 僕は、いろんな形式・いろんな方向性で承認欲求が満たせるほうが心的ホメオスタシスが保ちやすいと思ってますし、「粗食にも耐えられる」個人や「常に豪勢な承認をかき集められる」個人がサバイブしやすいのではないかと思っています。

y_arimy_arim 2007/12/15 01:33 #heartless00さん
えーと、ここで長々とレスするのもp_shirokumaさんにご迷惑でしょうし、ちょっと明日朝早いので、明日の昼以降にそちらのコメント欄なりぼくのブログのエントリなりで回答させていただきます。必ずお答えします。今しばらくお待ちください。

p_shirokumap_shirokuma 2007/12/15 02:04 ↑↑ すごい誤字発見。「ホメオスタシスが維持出来るのではないか」じゃなくて「ホメオスタシスが維持出来ないんじゃないか」の間違いでした。

heartless00heartless00 2007/12/15 04:34 >p_shirokuma先生

ご返信ありがとうございます。ニコニコでの共振、確かに何もないよりは絶対にあったほうがいいですよね。私自身ニコニコによって心的ホメオスタシスを保っていると思います。この場合お酒のようなもので付き合い方の問題なんでしょうね。ニコ動は承認欲求を「酔わせてくれる」感じがして便利ではあるけど依存性の高い結構危険なものだとも感じています。サバイブ、という観点から見るとなるほどニコ動は革命的なツールですね。ニコ動的なものとどう付き合っていくかかなり真剣に悩んでいたのですごく参考になります・・と言いつつ今日も3時間orz

>y_arimさん
いえいえ>< こちらの勝手なわがままなので時間は気にしないで下さい。

p_shirokumap_shirokuma 2007/12/17 23:40 >>heartless00さん
 酒、というあちらのエントリの喩えはなかなか厄介だなぁと思いました。addictionを起こすもの、という意味ではアルコール依存が従来最も多くみられたわけですが、それとニコニコを並べて書かれると僕などはゾクゾクしてきちゃいます。

heartless00heartless00 2007/12/18 21:20 すみません。arimさんの仰る承認欲求はシロクマ先生の仰る通り「エグゼプティブ」な承認欲求のことでした。

ニコニコ=酒は褒めてくれる方もいらっしゃいました。確認できるのは一人だけですが。最初麻薬にしようかと思ったのですが、忘我、効能もある、ということで酒にしたのですが・・他に例えが思いつかないもので・・。あのような稚拙なエントリーにレス返してもらえて感謝です。