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【芸能・社会】亀治郎&猿之助 泣いていた 襲名披露当日を自著で明かす2012年7月25日 紙面から
亀治郎が泣いていた−。4代目市川猿之助(36)の襲名披露初日の6月5日の終演後、新橋演舞場の楽屋を俳優仲間の佐々木蔵之介(44)が訪ねたときのこと。「固い握手を交わした瞬間、こみ上げてくるものがありました。そして気づいたら、ふたりで抱き合って泣いていました」。新猿之助自身が、当時を振り返った文章の一節だ。 襲名を記念したフォトブック「僕は、亀治郎でした。」(集英社、8月3日発売)で初めて明かしたエピソード。歌舞伎界の中でも頭脳明晰(めいせき)でクールなイメージを持つ新猿之助の意外な一面だ。28年間名乗って、名を大きくした自負と愛着を持つ「亀治郎」に別れを告げた最初の日の出来事は、熱心なファンにも新鮮な驚きだ。 「この1冊で『亀治郎』がわかる! 『猿之助』がわかる! そして『歌舞伎』が好きになる」とうたったフォトブックは、襲名に至るまでの軌跡「亀治郎ワーク」33年の記録や亀治郎哲学ベスト28、「天竺徳兵衛新噺」のメーキングなどなど、かゆいところに手の届いた“丸ごと亀治郎&猿之助”といった内容だ。 100問100答では、「銀行のATMを利用したことは?」との問いに「コンビニのATMもあり」、「言われてうれしい言葉は?」には「若々しい」と答えている。 澤瀉屋の血を明確に意識した瞬間を記した会報誌「KAME倶楽部」創刊号(1992年)に寄せた一文も再録。「今年4、5月、演舞場での『オグリ』再演の舞台を観たその時から私の闇の心に一筋の光が差したのである。闇の中の一筋の光……それが澤瀉屋の−地球の熱よりも熱く燃え盛る−魂である」 さらに、盟友市川染五郎(39)との対談では、襲名を初めて人に漏らした相手が染五郎だったことを告白。「決断したことが嬉しかったし、とても尊さを感じました」と染五郎。将来の歌舞伎について、染五郎は「妙な残り方をするんだったら潰すって、ね。歌舞伎がなくなることは絶対ないと思う。ないけど、その残り方にはこだわらないと」。「瀕死の状態になったら延命じゃなくて、介錯!」と新猿之助が応じている。 ほかに蜷川幸雄、三谷幸喜氏らからのメッセージも。原寸大の手形、足形の付録が付いている。 ◆「大感謝祭!亀治郎の会さよなら公演」8・16国立劇場で開演新猿之助は、8月16日から20日まで、東京・三宅坂の国立劇場で「大感謝祭!亀治郎の会さよなら公演」を行う。自己鍛錬の場として2002年にスタートした自主公演で、今年が10回目の節目。市川猿之助主催として、襲名前の名前を冠した公演を行うのは異例だ。演じるのは、「栴檀女道行」、澤瀉十種の内「桧垣」、同「連獅子」。 PR情報
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