2011-08-01
くるり「青写真」
もしまた会うことがあれば/昔話はやめよう(くるり「青写真」)
歌の終わりのこんな言葉に「ううむ、できるかな?」とうろたえてしまうようになった。
B面に入ってるので、どちらかというと知る人ぞ知る、という扱いですが。くるり「青写真」という曲、好きです。
理由は主に3つ。
英国音楽風なリミックスをされていて、ぼんやりしたビート音や少しハウリング気味なギターの音色が心に響くこと。
旧友と再会する、いささかノスタルジックな内容であること。
湿った雰囲気が、京都の街を思い出させること。
そして、これら要素3つが合わさると、なんかやたらと感傷的になってしまうのです。
僕はその昔、京都で学生時代を過ごしました。(以前やってたブログではそこいらのことをさんざん書いたもんですけど…)で、京都で聴いていたのは、主にブリット・ポップと言われた英国のギターポップでした。そして、そんな京都の学生時代以来、いまだに交友が続いている友達がいて。
現在は東京在住神奈川勤務、でそれなりにリアルな日々も更新中です。ぼちぼちといいこともある。たまに渋谷タワーレコードで最近の音楽聴いてそれなりに驚いたりしてる。休日出勤でぐったり疲れた昨日も、青山スパイラルの企画展「KAITEKIのかたち」で驚くほどリフレッシュできたりしてる。
なんだけど、心の中にエアポケットのように「『青写真』的なもの」なものに陥ることがある。ふとしたきっかけで、このぼんやりした世界に浸っていることがある。
どうもそれは泣いたり笑ったり悔しかったり、という感情の蓄積のようで、いつもは意識されないで眠っているというか。作動しないまま、意識の脇の傍らにある。
くるりが好きなのは、京都をルーツにしていることもあってか、しばしば「脇で眠らせてた感情」を揺り起こすからです。
僕が京都にいた頃はまだくるりはいなくて、ローザ・ルクセンブルグやその後継ねボ・ガンボスなんかを聴いてました。ただ、フラッシュバックするものは少し違う。
多少厄介なのは、くるりの場合、現在のさまざまな出来事もくっついて、フラッシュバックする範囲を広げていること。
以前は「青写真」聴くと京都の御蔭通を思い出していたのですが。今では下北沢からその西側の環七辺りの風景まで甦る。更には、麻布十番とか恵比寿界隈も含まれてきた。
だんだんとノスタルジックなフラッシュバックそしてそのカバーする領域がが増えてきた。新しい場所、だった六本木ヒルズだってもう懐かしい思い出の場所だもんね。
(こないだ亡くなった先輩に開業したばかりの「東京に来ることあったら、森美術館行きましょう!」とかメールしたことあった気がする)
もっとも、このエアポケットに浸るには、エアポケットの中にいるわけにはいかなくて。それなりに新規な場所を開拓してかないといかんとは思う。
例えば京都に今転職して住みたいかと言えば、それは無いかなあと思う自分もいる。これには諸事情もあるけど、やはり東京のリアルはまだ開拓の余地があり、昨日青山スパイラルで感じたセンス・オブ・ワンダーは健在で。
先日追悼文を書いた小松左京が好きだったのは、ちょうどこの「『青写真』的なもの」と対極にあるセンス・オブ・ワンダーに溢れていたからで、それなくしてはノスタルジックも際立たなくなってしまう。
この季節、繁忙期が去るとエアポケットのような休息があって、旧友再会したりすることも、ある。
やはりそんなときは思いっきり昔話するのもいいんじゃないかと思う。
というか歌の中で旧友に対して「昔話じゃなくてリアルに競える間柄で会おうぜ」という心意気が羨ましくある。
2011-07-31
*
前の前の職場の先輩が亡くなった、とメールで知らされた。年齢はほぼ一緒。脳内出血。最近この言葉を聞くことが増えた。
その職場では、失意を感じることが多かったのだけど、なにかとかまってくれた人だった。相談することも多かった。僕が入りたての時から転職する間際まで。
ドライブ好きってことから、僕が3桁国道の山道にハマったときはそれらしいルートを教えてもらった。後に水害で絶滅しちゃったけど、蛍が乱舞する場所も教えてもらった気がする。
つい先日も彼のことを思い出していた。
虫の知らせ?
ではないと思う。僕はそんな風にたくさんの人のことを思い出している。ほとんどは忘れてしまうのだけど、その先輩の言葉については、死の報によって記憶に引っかかっただけだろう。
彼と過ごした頃を振り返っていて、アジカンの「ソラニン」が聴きたくなった。彼とアジカンも「ソラニン」も直接関係はない。(確かGONTITIとか「いいっすねえ」とか言ってた記憶がある。)
例えばゆるい幸せがだらっと続いたとする
(「ソラニン」)
ゆるい、という言葉にひどく過敏になっていて、そんなの絶対認めない、と苛立っていたときがあった。
だけど思う。仕事に関しては職人気質だった彼と僕が過ごした時間は、ゆるい幸せそのものだった。
創造的でも世界の中心でもなく。小さな場所での部分最適だったかもしれない。
だけども、遠い記憶を探り出すようなギターに載せて思い出されるのは、間違った選択だったかもしれないその場所にいたからこそ関わり合えた彼との日々であり、賢いとはいえないやり方だったからこそ記憶に留まっている、彼の言葉だったりする。
言葉では伝えられないものは確かにあるけれども、もう言葉でしか繋がっていない亡き人との記憶を繰り返している。
そして喪失感とか。引きずる感情とか。そんなもので日々を覆われていた間氷期が終わったことを知る。
生き残った者の掟。そんなものを意識するお年頃になってしまったのかもしれない。
亡き人の生き方を少しでも受け継ぐように。
確かに「すべての言葉はさよなら」だと思っている。さよならだけの人生、なんて言葉も、それらしく響く。
今思えば僕らが過ごしたあの場所は、いつか僕は立ち去るべきところだったと思う。
だからこそ、今、さよならの意味を確かめている。
転職が決まったとき、笑顔で送り出してくれた。その時のさよならを思い返しているけど。それはWRONG GOOD BYEだったわけだ。こうして本当のお別れが来てしまった。
あの時こうしていれば/あの日に戻れれば/あの頃の僕にはもう戻れないよ
(「ソラニン」)
この歌を彼は知っていたのかさえわからない。だけども、なぜかこの歌を介して僕は記憶の断片を拾い集めている。あれからいくつも角を曲がって、彼が運転していた赤い車も見えなくなって久しい。
もしかしたら、リリースから一年ほどして急に沁みるようになった「ソラニン」に、なんとも心地よいギターのリフレインに彼を繋げておけば、その生前の記憶を留めておける。
そんな風に意識したわけでもないのだけど、あまりに短い生を駆け抜けた彼を改めて位置付けたいと思って、この歌を引っ張り出して来たのだろう。まあ確かにこの歌になにかと鎮魂を頼んで来たのは確かで。
同じ職場を去るとき、もう彼には頼れないなあと思い、ふと思ったのはこんな言葉だったかな、とようやく思い出した。
僕もどーにかやるさ/
そうするよ
(「ソラニン」
)
そんな風に誓ったり約束することが増えた。
2011-07-30
くるり「ばらの花」
雨降りの朝。向かいの建物の大きな屋根から雨が滴り落ちるのをしばらく眺めてました。
少しひんやりした心をゆるりとかき回したくて、くるり「ばらの花」を聴きました。
雨の滴を思わせるピアノの音。ゆるりと熱く盛り上げていくベースの音。涼しげな元スーパーカー・フルカワミキさんのコーラス。傘に当たる雨のようなギターの音色。物憂げな岸田繁の歌。
あらゆる要素が、ばらばらに平行線をたどり、やがて重なりあう。
揺れている、ひどく曖昧な「君と僕」を表すように。
この曲はいくつかの時点での「安心な僕ら」が歌われている。
安心な僕らは旅に出ようぜ、と繰り返していた僕ら。
暗がりを走っていたはずの僕、または君。
最終バス乗り過ごしてもう君に会えない僕。
そして、雨降りの朝に会えない僕。
気の抜けたジンジャーエールにこんな味だったっけな、と戸惑う僕。
何の花にたとえましょう、と突き放したように苦笑いする僕。
君をどう位置づけるかで、この時間や空間すべての意味が変わってしまう。君がいるのかいないのかさえも。
安心な僕ら、それゆえに何も起こらない。だから、気持ちが離れてしまえば、いるのかいないのかさえわからなくなる。
この曲は別に京都の歌、とはどこにも書かれていない。だけどもこの湿った感覚になんとなく京都を思い出す。
その小さな宇宙では、君に会いたいと望むなら自転車で暗がりを走ればよい。最終バスを乗り過ごしたから会えない理由なんてない。
だけど、最終バス乗り過ごしたから会えないと思う程度に距離を感じているわけだ。京都とはまことに心理的な街だと思うが、この歌もまた、心理的な規定が君と僕も世界も決めていく。
思いっきり泣いたり笑ったりしようぜ、と言う君と僕は、しかし「安心な僕ら」の呪縛によってそれもかなわない。デッドロックかかってお互いに踏み出せないでいる。
いささか八方塞がりな状況にも思えるのだけど、雨の滴は踊っていて、救いがあるとしたら、重なりあう音の余韻に、「安心な僕ら」が破られる予感があることだろうか。
歌詞を追いかけてるとちょっとつらいばっかりなんだけども。なんとなく「君」を投影してる雨の滴は、それでも傍らにあって、待ってるようにも思える。ほんの少しの勇気があれば、この均衡を破ることができる。
サウンドはそう言っているように思えて、それがこのゆらゆらしたとりとめない歌の魅力だと思う。
2011-07-29
*
小松左京が亡くなった。中学生の頃に大きな影響を受けた作家だけに、ひとつの時代の終わりを感じる。
「ゴエモンの日本日記」の影響受けて、大阪市の大正区を歩いてみたのは意外と最近のことだ。
「日本アパッチ族」の舞台を訪ねたのは、そういえば昨年の秋でないか。
しかし一番影響を受けたのは「地には平和を」だ。
これは第二次世界大戦を「終われなかった」日本の物語だ。主人公である少年兵は「黒桜隊」として本土決戦に臨む。しかし組織は壊滅、敗残兵として惨めに山野をさ迷い、アメリカ軍に包囲されていく。そんな中、彼の前に現れた男から、「この歴史は間違っている」と告げられる…。
誤った歴史を矯正する未来からの使者によって、彼は救済される。家族を持ち妻子を連れて散策している彼は、草むらで記章を拾う。それは「黒桜隊」のものだったが、幼い子はそれを放り投げてしまう。主人公は家族と散策を続ける…。
この物語が二重に惨めなのは、自分がいた世界でもはや死に瀕した惨めな状態にあることに加えて、その世界は間違っていると外部から干渉され救済されることだ。
敗けることによって生き延びた屈折が反映されているが、一方で「選ばされた生」を否定しない。
彼の作品には、戦争を始めたオトナたちへの憎悪が滲む。あるいは平和の中に安住しながら、懲りていない人たちに対して「だったらやってみろよ」と挑発していたように思う。
それは僕自身についての立ち位置を確かめるきっかけとなった。いまだに外国の駐留する国ではあるが、しかしこうして生きているでないか。父も幼い頃に機銃掃射の中泣いて逃げ帰ったし、空襲で祖父は九死に一生を得た。
小松氏本人とは大阪の花の博覧会で一度会う機会があり、握手してもらったことがある。
あるイベントの総合プロデューサーを務めていらしたが、なんとなくコンセプトとバブルなだけの博覧会はマッチしていない印象があった。
改めて大阪万博について関心を持ったのだが、そこで太陽の塔をはじめ、当時の「未来」を巡る小松氏の活躍と屈折を知る。「未来」啓蒙のミッションを担う彼は、選び取る未来について悩み始めていたのではないか。
小松氏が描いた未来よりも今、生々しい魅力を放っているのは「和のホラー」というべき短編小説のように思える。発想こそSFだが、日本の湿った風土と人間関係の中に巣食う恐怖を形にした。父権的なものへの反発と老いた矛盾を濃厚に残した場所への違和感に満ちている。一方で日本的なものを女性に見立てて愛惜を露にしてもいる。日本あるいは京都的なものへの愛憎が見てとれる。
これからも読まれるのは、戦後の風景を描いた作品群そしてこれら和のホラーではないか。
おそらく僕が森見登美彦「太陽の塔」に惹かれたのは、小松左京起点で太陽の塔を見上げたからだろう。そういえば「太陽の塔」では、岡本太郎についての言及はない。
小説の主人公は、小松左京的な未来としての「太陽の塔」を見ていたのではなかったか。
だから、太陽の塔に見とれ、岡本太郎のバクハツに魅力された恋人は、主人公が「同じようなもの」と思ってプレゼントした「ソーラー招き猫」に怒る。なぜならそれは「小松左京的」だったからだ。
小説「太陽の塔」は、恋人にフラれてからも科学的な観察というストーカーを続けている主人公と、芸術あるいは感性に生きる恋人とのどうしようもないすれ違いを描いていた。
それは僕らが抱えた未来像がどうしようもなく溝を抱えてしまっていることを表している。
この物語が切ないのは、彼女への執着から世界をねじ曲げて、恋敵ともセットながら彼女の夢に侵入できるようになった…いわば世界を操り、変えたにもかかわらず、彼女と会話を交わすことも、いや眼差しを合わせることもなく終わることだ。
小松左京から始まった「多元宇宙もの」のひとつの到達点は、彼女と世界が繋がっていてなお、ヘタレに性交の失敗を引きずる京都という小宇宙だった。
森見登美彦は以後もSF的な設定を隠し味に作品を展開しているが、小松左京に近いのは「きつねのはなし」など和のホラーのようだ。
饒舌気味な小松左京と、ホラーになると文体が青臭い森見登美彦とは必ずしも一致するわけではない。父権的なものに屈折や反発を鬱積する小松氏に較べ、森見氏の父親像は爽やかで知的なイメージであり、対極にある。
しかし、京都あるいは日本なるものとの格闘を物語る際、いずれも自分自身の戸惑いを小道具に活用している点は近いように思う。
SFの巨人もまた、千年の魔都にあっては書生だったということだろうか。
かつて小松氏が滲ませた、「与えられた生」への屈折した肯定。それから半世紀、森見氏が描き出した、「世界を変えてなお間違っている」ヘタレ大学生。
やはり幸せな未来を僕らは選んでいるのだろう。
小松左京が描いた未来に。合掌。
2011-07-28
ドアの向こうの僕のために:「恋とマシンガン」
確かにダバダバダバダバっていうイントロは魅力的だった。
このブログを始めるに当たり、僕の原点のひとつであるフリッパーズ・ギター「恋とマシンガン」をとりあげてみたいと思います。
だけども、こないだコトリンゴがカバーしたの聴いて、いや、これだ!って思った。
ドアの向こう/気づかないで
この「ドアの向こう」という、さりげない物憂げな歌い出しに、ぎゅんと心臓掴まれたのです、僕は。
さほど離れてない場所、だけど自分とは隔たりがある場所。そんな領域に「気づかないで」恋や夢なんていう主体的なものが始まってる。
そんな都合のよい出会いを僕は待っていたのだと思う。
自分でこれだ!って選び取って努力して勝ち取るものに疲れてた。そもそも「こりゃ勝てないわ」ってどっかで思い知ったところがあって。あるいは自分が選んだものに現実に接していたら、どうしても幻滅や停滞を味わう。そういうしんどさ、面倒さから逃げたかった。
そんな浮わついた逃げ感覚にこの曲はぴったりだった。
適度にバーチャルなシネマの世界で遊んでいる、いささか偽悪的な「なりきり」な歌は心地よかった。というか、目の前のしょぼい日常と絡まった当時のJ-POPより、自分に都合が良かった。
そして、「嘘をついた/でまかせ並べた/ヤケクソの引用句なんて!」なんていう、どこか投げやりな連なりに痛快さを感じた。僕はずいぶん気楽になって、どう考えても似合いもしないのに、「笑う僕ら/キザな言葉/もっと素直に僕がしゃべれるなら!」なんて言葉を自分のものにした気分になった。
ポップミュージックにはこうした色物スレスレの変身願望が含まれているのだけど、ぷちヨーロピアンなシネマになぞらえた「おきらくごくらく」は、バンドブームの等身大な世界とは一線を画しているように思えた。
映画スターになぞらえたベタベタなフィクションではあるのだけど、アルバムのタイトル「カメラ・トーク」としっかりリンクした「見る/見られてる」関係のスイッチはちょっとスリリングだった。
こないだ読んだ論考で「内面に異界を見てそこに逃げ込むのは近世以来の日本の得意技」と知ってから、僕は内面にある異界それだけへの興味を急速に失っています。
なんだけど、内面を偽悪的に反転させたり。裏返して現実に繋げていくことにむしろ強い関心を抱いてます。
なので、時代は確かにバブルだったけど、この「恋とマシンガン」から繋がって築かれちまった現実、のことは書いておきたいな、と思う。
この曲をきっかけにジャズ聴いてみたりとか。映画にのめり込んだりとか。少しこってりしたフランス文学に触れたりとか。パリ行ってみましたとか。わりと外に向けて繋がって行ったのです。そういう意味でポータルサイトな役割を担っていたのだと思う。
現在は上記のような機能はwebで検索すれば足りるので、その意味ではかつて僕らが感じた魅力は失われていると思う。
だけど、しばしば同類として語られるピチカート?を久しぶりに聴いてみて感じたことを書いておきたい。両者の違い、そして今も僕が「恋とマシンガン」に惹かれる理由。
オシャレでゴージャスなパリロケによるPVに憧れて行ってみたパリはもちろん現実にはそんなドリーミーな場所ではなくて。むしろマッチョで重苦しくてとりつく島もない場所だった。
なんだけど、そうした現実にむしろ嘘っぱちな幻想を当てはめて、「ドアの向こう」に視線を向けること。「気づかないでいた」ものにうろたえてみること、回ってるはずなどないカメラの中で走ってる僕を想い浮かべること。そんな風に現実の中に物語を始めてみる試みはどうも有効だったように思う。
ピチカート?の純然たるフィクションは、パリにはないし、応用が効かないもので。ピチカートは東京限定で、外との境目には使えないものだと僕には思えた。
オシャレでお気楽なポップミュージックとして聴き流すのが本来の役割ではあるのだけど、この曲の視点の移動、思わせぶりな語りとぞんざいな言葉との混ざり具合に、それ以上のものを読み取ってしまった。
この曲から始まったパリざんす幻想は、僕の場合は故・ステファン・グラペリのライヴ行って、老バイオリニストが奏でる音色を胸で聴いたときに終わった。すごく間抜けな感想なんだけど、ああこんな風に聴こえるのか、と思って、胸に響いては消えていく音を僕はつかまえられないのだなあ、なんて考えていた。
そこで聴いた音の前にすると「恋とマシンガン」は子どもだましのチャチな模造品でしかないのかもしれない。だけど、模造品だからこそ僕は反応したわけで、これは一級の模造品だよなあと思う。
そしてどちらかというと僕は模造品の方が好きであるらしい。
イントロからやられて、フルカワミキちゃんのコーラスが気になり・・・
今でもくるりの中でいちばん好きな曲です☆