
西の奥羽山系から、東の太平洋へ向かう幾筋もの水の流れ。仙台は豊かな水資源に恵まれた土地だ。川、池、地下水、そして海。水はどのように育まれ、人々の生活にかかわるのか。さまざまな水のありようと、そこで息づく暮らしを描いていく。
(文 関口幸希子/写真 佐々木隆二)
プロフィル
関口幸希子(せきぐち・ゆきこ) フリーライター。1968年名取市生まれ。仙台を中心にタウン情報、観光ガイドなどを取材、執筆。若林区在住。
佐々木隆二(ささき・りゅうじ) 写真家。1940年気仙沼市生まれ。東北をテーマに個展を開催。著書に「宮城庶民伝」(共著)、写真集に「風の又三郎」。青葉区在住。
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(25)ホタル放流(仙台市太白区)/地域つなぐ光の舞い
 | 尼さん伝説が地名になったという天沼。春を味わうようにカモがのんびりと泳いでいた |
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 | 「夏になったら光ってね」。近所の子どもたちも一緒になって、ホタルの幼虫100匹を放した |
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のんびりとした様子でカモが水面を進んでいく。岸の近くでバシャバシャッと水音がした。コイが産卵しているようだ。太白区の天沼公園は、ハナショウブの池や眺めの良いあずまやがあり、水辺のある公園として親しまれている。桜の開花が近づく4月半ば。ホタルの幼虫の放流が行われると聞いて訪ねた。
放流を行う水路では、天沼公園愛護協力会のメンバーが、作業を始めていた。水路の両岸の土を軟らかくほぐし、腐葉土を混ぜてさなぎ床を作る。何が始まるのかと集まってきた子どもたちに、会長の佐藤邦郎さん(78)が「ホタルのベッドを作っているんだよ」と声を掛けた。
幼虫は水の中でエサを食べながらしばらく過ごした後、岸に上がり土の中に潜ってさなぎになる。そして雨上がりなどの生暖かく湿った夜、成虫になって土からはいだす。夜空を舞うほのかな光の点滅は雄の求愛行動だ。 「昔は夜になると窓からホタルが入って来てね、蚊帳に入れて部屋を暗くして楽しんだよ」。近くに住む70代の男性が懐かしそうに話した。
自然の沢水が集まってできた天沼。昔は引きこまれるように美しく澄んだ沼だった。「尼さんが実らぬ恋をはかなんで入水自殺をした」「通りかかった尼さんが、澄んだ水に見とれて足を滑らせ沼に落ちて死んだ」という地名の由来になった伝説が残る。
周りが田んぼに囲まれていた四、五十年ほど前までは農業用水としても使われていた。昭和30年代ごろから周辺の宅地化が急速に進み、家庭からの雑排水が流れ込むようになって次第に水は濁り、悪臭を放つようになった。 佐藤さんは「子どものころは透き通ったきれいな水だった。夏は泳いで遊んだんですよ」と振り返る。天沼は1995年に親水公園として整備されたが、しばらくたつと再び臭うようになった。
「自分たちの手で昔のようにホタルが舞う沼にしたいと思った」と佐藤さん。協力会は2006年から、草刈りや清掃のほか、月2回、EM(有用微生物群)活性液を投入し、水質の浄化活動に取り組んできた。08年、ホタルのエサになるカワニナを放流。09年にはいよいよホタルの幼虫を放し、その夏、ホタルの舞いが復活した。
「10年はかかるといわれるが、ホタルが自生するまで頑張りたい」と話すのは、障害者雇用施設「わらしべ舎西多賀工房」の職員の鈴木暁さん(42)。施設利用者たちは、協力会の主体となって清掃、浄化活動のほか、ホタルの幼虫の飼育を担当する。
前の年に雄と雌のつがいを捕まえることから始まり、発泡スチロールの箱の中で卵からかえった幼虫にカワニナを与えて育てる。 この日、利用者たちは集まって来た子どもたちと、ゲンジボタルとヘイケボタル合わせて100匹の幼虫を水路に放流した。順調にいけば、6月20日ごろには飛ぶ姿が見られる。
鈴木さんは、06年からの清掃や浄化活動を通して地域の人から「一緒に活動することで、知的障害がある人への接し方が分かった」と言われたことが一番うれしかったという。単なる交流ではなく、ホタルという同じ目的で協力し合い、利用者たちが地域の人たちと顔なじみになることで、通所途中にあいさつを交わしたり、危険なことがあれば注意してもらえたりするようになった。
自分たちの地域の自然環境を自分たちで守る。「わらしべ舎の利用者にとって、地域の役に立っている感覚を持てる大きな意味がある活動なんです」と話した。 (文 関口幸希子/写真 佐々木隆二)
<メモ>天沼公園愛護協力会は、障害者雇用施設「わらしべ舎西多賀工房」、西多賀商店街振興組合、西多賀連合町内会で組織されている。2006年から始めた天沼の清掃、浄化活動には西多賀中や金剛沢小も協力している。
2012年05月07日月曜日
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