11月9日更新
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松岡敏雄さんは、1990年東京都日野市にある知的障害者入所更正施設「七生福祉園」を退所し、多摩市でアパートを借りて自立生活をしていました。しかし、当時はボランテイア以外の地域生活の支援体制もなく、制度が全く利用できなかったこともあり、5年間の自立生活に疲弊して、ふたたび施設入所を希望しました。その際社会福祉法人「札幌育成園」が入所者を募集していたこともあり、1995年2月、寿都浄恩学園に入所しました。 4人一部屋の狭いスペース、金銭は持つことも自由に使うことも全く認められず、年に数回の集団での外出以外は、施設から全く出られない生活を強いられました。 2001年に、東京で生活していた時の財産管理のことで、七生福祉園時代の職員が松岡さんに面会にいったところ、別人格と思えるような変容振ぶりと、松岡さん曰く「刑務所以下」である入所施設からの退所を強く希望されたため、札幌の地域生活支援団体の協力もあり、2001年5月に寿都浄恩学園を退所しました。 ところが、6年間にわたって、金銭の使用がほとんどなかったにもかかわらず、退所時の所持金が111円しか持っていませんでした。そのことに衝撃を受けた本人が、支援者、代理人と共に説明を求めたところ、札幌育成園側は、入所時に松岡さんは「『父兄互助会』にも年金を全額寄付してもらっているので返還する必要がない」、「仮に余剰金が出てもその計算のために莫大な労力と時間が必要。返還すべきでない場合、こうした労力を賠償して下さるのか」という回答でした。しかし、松岡さんにも入所時に付き添った人にもそのような記憶がなかったため、調査をしましたが、裏付ける証拠は発見されませんでした。また、松岡さんに無断で北海道銀行に口座が開設され、年金が自動的に引き落とされていたこともわかりました。 こういった事実が新聞で報道され、北海道と札幌の特別監査が入ると、札幌育成園側は「計算間違いがあった」として年金返還の相談に応じるとしてきました。しかし、松岡さんは、園に残されている仲間のためにも裁判で闘っていく決意をし、今年の4月26日損害賠償を求める訴訟を札幌地裁におこしました。
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