世界一周を達成した渡辺さんと愛用のバイク=豊川市小田渕町で
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豊川市小田渕町の渡辺希望(のぞみ)さん(34)が、バイクでの世界一周を二年がかりで達成した。「旅行をビジネスに結び付けたい」と考え、旅先での様子を毎日、ブログで紹介。スポンサー企業から物品提供を受けるなどビジネス化への手応えをつかんだ。
渡辺さんは小学生のころから地図が好きで、中学生のころ世界一周を志した。高校卒業後、ペンションで働き、バイク好きのオーナーの影響を受けて二輪免許を取得。国内から始まり、中国、インド、南米とバイク旅行を重ねた。
そのころ感じたのが、日本の冒険者の地位の低さだった。海外では冒険者は英雄視され、企業の支援も手厚かった。日本の場合は冒険者の側にも問題があると思えた。支援を受けても、それに見合う経済効果を出していない。「先駆者を企業が支援する風土が根付けば、日本の経済発展にも役立つはず」と夢は膨らんだ。
二十歳のころから趣味でホームページを作り、情報発信の技術を習得。旅先で困らないようにパソコン修理の仕事にも就き、腕を磨いた。その後勤務した豊橋市内のつくだ煮メーカーではネットの仕事に携わりながら、ビジネス感覚を身に付けた。
世界一周へと背中を押したのは、父薫さんの病気だった。がんで「余命二年」を宣告され、「父が生きているうちに夢を果たしたい」と会社を辞めた。バイク用品販売の「ラフ&ロード」に支援を頼むと、「物品の無償提供はできませんが、格安で提供します」と言われた。
二〇一〇年五月に船で韓国へ渡り、旅をスタート。一二年三月に帰国するまでにユーラシア、アフリカ、南アメリカ三大陸の二十八カ国、六万四千キロを走破した。旅の様子はブログとツイッターで毎日更新し、アクセス数は一日三千〜五千件。パソコンで「バイク 世界一周」と検索すれば、トップに表示されるほど人気を集めた。
ラフ&ロード社へは計五万枚の写真を提供した。同社は「反響があるので無償提供します」と、荷台に取り付けるバッグを送ってくれた。冒険者と企業双方にメリットのある関係に手応えを感じた。
ドイツでは東日本大震災の発生を知り、「こんなばかなことしてる場合か」と悩んだ。東北の人から「暗い話題ばかりの今だからこそ続けてほしい」と励まされた。
一一年四月には父の容体急変を知らされ一時帰国。「帰ってきたよ」「おお」。短い会話を交わした三時間後、薫さんは帰らぬ人となった。薫さんが旅行関係の記事を集めて作ったスクラップブックが残されていた。
「旅はこれで終わり。次は冒険者を企業が支援するシステムを作りたい」。渡辺さんは、就職活動を続けながら新たな夢を追い始めている。
(志方一雄)
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