ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
アソガラル・アカリ編 ~オトメ魔術の用法用量についての考察~
「うげっ」
 取り込んだばかりの洗濯物を畳んでいたアカリが、マジェントヒキガエルをすり潰した時のような断末魔の声を上げたのは、何も男物の下着を見た思春期少女ゆえの叫びからではない。別段ルカやランウェルの下着に興味がある訳でもないし、そもそも二人は洗濯係のアカリに気を遣って、自分たちで洗っているためそもそも見た事がない。
 それよりももっと、対応すべきゆゆしき事態に巻き込まれているのである。
「やばい……入らない……」
 アカリは、浅黄色の繊維で編まれたツイードのコートに片腕を通したところで固まっていた。右腕はすんなりと入ったものの、左腕がどう腕を曲げても入らないのである。
 落ち着いて服をもう一度まじまじを見つめる。どこを見ても普通の旅装だ。つい数日前には、夜中の荒涼とした原野の底冷えからアカリを守ってくれた、保温性に優れたコートだ。
 そんな、つい数日前に着ていたものが着られなくなっている。このまま腕を通せば、ビリという布地が裂けるような音と共に、ツイードがサマーベストになりかねない。服の事を考えればここは大人しく手を引き、諦めるべきだろう。
 だが諦めるという事は、認めたくないことを認めることになる。
 とかく好戦的で勝ち気な彼女だが、アカリとて乙女だ。残酷な現実や凄惨な世界を直視することなどできようはずもない。
「うぅ~……」
 無理矢理にでも袖を通すか、それともこの服を諦めて自分が太った事を認めるか。
 しばらく逡巡していたアカリの目が覇気で満たされ、見開かれる。
 ツイードの肩を持ち、決意した。

 私は、負ける訳にはいかない!

 学術都市マジェントのハルモニアの家、バルコニー前の小さな小部屋から、絹を切り裂くような音と、それにも似た悲鳴が聞こえてきたのは、それからまもなくの事であった。


   アソガラル・アカリ編 ~オトメ魔術の用法用量についての考察~


 ハルモニアは、薄くヒビの入った半透明のガラス瓶の中から乾燥した葉を取り出し、手元の本に目を落とした。
 少女の周囲に広がるのは、常人には到底使い道の判らない生薬の原材料。曇ったガラス瓶の中に入った奇妙なカタチをした植物の種、種類毎に分けられ、棚の上段に所狭しと並んでいる。棚の中には輝石と鈍色の鉱物。生物のものらしい角や骨、束ねられた毛やひとまとめにされた毛皮は近寄りがたい臭いを放っていた。壁際には乾燥した植物が束ねられており、天井にはそれらの分量を確認するための大小あるバネ秤と肉や魚の燻製が吊してある。
 たとえ見習いであっても、魔術師の家にはこういった曰くありげなモノを収納しておく納屋がごく当たり前のように存在する。
 例えば、軽い風邪にはフェンリルの根っこを煮詰めた煮汁。関節の痛みにはコンドロヘキサの角を砕いて粉末状にした後、エンザイムの体液を混ぜ合わせて塗り薬にしたドロエンの湿布薬。お肌の荒れには雪深いラゲン山に自生する雪肌精花をすり潰して精油したコーセー化粧水。
 過去の偉人達の経験を蓄積したレシピを再現できるようにする事も、立派な魔術師の務めなのだ。

「最後はケイオス草の葉……ですか」
 ハルモニアの師匠、ウィルからこの本に出ているある魔術を宿題として出されたのはつい先日のこと。
 他国の言語で書かれたそれを読む時点でかなりの重労働なのだが、レシピの内容くらいは対訳できるため、とりあえずやるだけやってみようとこうして自分の納屋を漁っている。この魔術が何のためのものなのか、ハルモニアは知るよしもない。
「切らしていましたね……」
 壁に掛かった乾燥植物を眺めてみても、ケイオス草らしきものは見当たらなかった。
「……困りました。ケイオス草は時間が掛かりますね……」
 ケイオス草はここから西に半日行った森に自生している。森に入ればありふれた雑草なのだが、森の障気がない環境では急速に枯れてしまい、まともな効果が期待できるのは数日間のみなのだ。魔術師達の中にはここマジェントではなく、森の近くに居を構える者も少なからず居るのである。
「仕方ありません、明日一日家を空けることにしましょう」
 ハルモニアは、溜息を一つ付いて、ローブと杖を持ち納屋を出て行った。

 そんな誰も居なくなった納屋を覗き込む人影があった。
 人影は少女のようで、納屋の扉をゆっくりと開き、隙間から中を覗いている。
「誰も居ない……よね?」
 試しに、薄開きのドアをノックしてみる。トントン、という乾いた音に返事はない。
 どうやら誰もいないらしい。
 そう判断した少女は、堅い木製の扉をゆっくりと開いて納屋の中に飛び込んだ。姿勢を低くして納屋の中を進み、目的のものを見つけた。
 天井からぶら下がったバネ式秤だ。
「体重計が無い世界ってステキだと思ってたけど、体重を気にしなくて良いワケじゃないもんね……」
 などと独り言を言いつつ、大きい方のバネ式秤のフックに手を掛ける。バネのしなる力を何度か確認するために自分の体重を預けてみる。バネはしっかりと元に戻り、少女の体重くらいなら十分に計れそうだ。
「んしょっ……」
 少女はバネ秤のフックに全体重を預けた。腕だけで体を支えるように、脚を胸元辺りで小さくまとめる。ちょうど吊り下げられた魚の燻製のようにぶら下がった。
 秤の目盛りを見上げた少女。しかし、彼女の目線からは何も見えない。身をよじって体を動かしてみると、少女の体が揺れた。
 そして、みしり、という何かが崩れる音がして。

 納屋の、梁が、折れた。

「ちょっ……ええええええぇぇえぇえぇえぇぇえぇぇえぇぇぇぇえぇ!?」
 周囲の筋交いに引っかかっていたため梁そのものが落ちたり、納屋の屋根が落ちてくることはなかったが、秤が括り付けられた所でぽっきりと折れている。
 少女は尻もちの痛みも忘れ、納屋を飛び出した。
 飛び出さざるを得なかった。
 何故なら、体重を計ろうとして梁が折れるということはつまり。
 
「認めない! 認めないもん!」

 かくして、少女アカリのダイエット生活が始まったのだった。

 ◇

「アカリ、ご飯食べないの?」
 四人が囲む食卓には、ルカの作った料理が並んでいた。オリビアの実から取ったオリビアオイルが掛けられた野草のサラダに、中心には燻製肉の切り落としと薄味のスープ。編み込みバスケットの中には、大小様々なパンのような食べ物が入っている。
 ルカがバスケットの中で一際大きいパンをアカリに差し出してきた。
 アカリはルカの手を払って、サラダにすら手を伸ばさない。
「……いらない」
「どうした? 具合でも悪いのか?」
「そうだよ、いつもならどんなお腹してるのってくらい食べるのに……」
 アカリの顔を覗き込むランウェルに、パンを差し出したままのルカ。目を合わせてみるが、二人とも焦点の定まらない表情を浮かべていた。
 ハルモニアは静かに微笑んで、パンに切り込みを入れて燻製肉と野草のサラダを挟む。ちょうど旅先で食べる弁当を作るように二、三個即席の食料を作ると、シュロ竹の皮で出来た袋に包んで軽く縛っている。
「ううん……、あ。うん、そう。少し気分悪くて」
 包みを大きめの肩掛けカバンの中に押し込み、ハルモニアはアカリの肩を叩いて耳元で囁いた。
「アカリさん、くれぐれも無理はしないでくださいね」
 ハルモニアは声を抑え気味につぶやく。曲がりなりにも女の子同士、訳知り顔のハルモニアに、アカリは小さく頷いた。
 一方の男二人は、よく意味が分かっていない。
「アカリが食べないんじゃ多すぎたかな……」
「三人分は食ってたからな、アカリ」
「そんなに食べてたっけ……」
 アカリは食卓に額をぶつけた。
 最近の食生活を振り返ってみる。屋台の名物お菓子の買い食い、ルカの料理、脂っこい肉の揚げ物が美味しい屋台、ルカの料理、ルカの料理。そしてそれに伴う怠惰な生活。ほぼ連日食っちゃ寝していた。
 そして今日の納屋破壊に至る。
 まるでイリベコ豚の吊し肉じゃないか!

「ところでハル、どうしたのそれ」
 ルカが旅装を調えるハルモニアに尋ねた。ちょうど杖を短刀を腰に携えたハルモニアは口を開く。
「ケイオス草の在庫を切らしていまして」
 そう言って、ハルモニアは魔術書を開く。銀細工の栞が挟まれたページには奇妙な文字が並び、ケイオス草の部分を指さした。示したものの、ルカもランウェルも何が書かれているのかなど判らないといった面持ちである。
「これは何の魔術なんだ?」
「これはどちらかと言うと薬ですね。効能は、ええっと……。美肌効果、便通改善、それから痩身作用……」
「痩身? 痩せるってこと?」
 痩せる、という言葉にアカリは顔を上げ、三人が覗き込んでいる魔術書を見る。
 アカリにも読めはしないが、ハルモニアの言葉を聞く限りだと材料が揃えば問題ないらしい。
「有り体に言えばそうです。どうやら美を追い求める王侯貴族の間で使われている薬のようですね」
「で、その何とか草はどこにあるの?」
 三人に顔を近づけてアカリが叫ぶ。急に飛び込んできたアカリにハルモニアは面喰らったものの、すぐにほんのりと笑い、地図を取り出した。
 地図といってもアバウトなもので、この地方の山や森が、方角に合わせて適当に描かれているだけだ。
「ここですね、西の森」
「西の森、ね。私行ってくるよ、ハルは休んでて」
 「ではお言葉に甘えて」とローブとパンを挟んだ弁当をアカリに渡すハルモニア。
 軽くレクチャーを貰いながら準備を始めるアカリに、ランウェルが釘を刺した。
「西の森って走っても半日くらい掛かるぞ? 魔物も出るし」
「体力には自信あるわよ!」
 そう言って握り拳を作って腕の筋肉を盛り上げて見せる。ほっそりとした腕に、ちょこんと筋肉が盛り上がるだけ。どちらかと言えば女の中でもひ弱な部類に入るんじゃないか、と言いたげな三人だが、全員が言葉を飲み込んだ。
「アカリが行くなら、ボクらも行くよ」
「俺も行こう。ハルには世話になってる」
「ううん、私一人でいいの」
 二人の申し出を断り、アカリは扉に手を掛ける。簡単な旅装を調え、もも上げや屈伸など、むやみやたらとストレッチをはじめる。
「いいわけないだろ」
「そうだよアカリ! 女の子一人で行くなんて危険すぎる」
「いいの。むしろ付いてきたら殺す」
 そう言って振り向きさまに笑顔を見せた。
 拳はしっかりと握りしめられ、文句を言ったヤツから殴っていくとでも言いたそうな笑顔だ。
「それじゃ、行ってくるわ!」
 アカリは勢い激しく、朝のマジェントの町へ飛び出していった。
 残された男二人は、腑に落ちない様子で黙々と野草のサラダを口に運んでいた。
「……ルカ、何か知ってるか?」
「女の子が何考えてるかなんて分かるわけないよ」
「じゃあ……」
「ハルなら、何か分かる?」
 自分の旅装を片付け、朝食を食べ始めたハルがナイフでパンに切り込みを入れながら、くすっと笑ってつぶやく。

「オトメの嗜み、ですかね」

 ◇

 痩せなければ。痩せなければ。痩せなければ!
 アカリは走った。ただひたすらに走った。
 西の森までは片道一日掛かる。ひとたび森に入ればありふれた植物であるらしいので、探すこと自体には時間は掛からないだろう。
 原野を突き進み、橋を渡り、ぬかるみを横目にしながら河原を走る。町から離れるにつれて少しずつ心細くなっていくものだが、アカリの心にそんな感情は湧いてこなかった。
 薬物患者の如く、頭の中はケイオス草でいっぱいになっている。
「はぁっ……はぁっ……クスリっ、オクスリっ……!」

 ケイオス草とその他いくつかの材料を堅忍不抜・複雑怪奇・臥薪嘗胆な方法で調合・分離・精錬して作る幻の美の霊薬・キレイナール。ここまで分かりやすい名前だと効能の方はすごいのだろう、とアカリは効果に目を輝かせた。
 ハルモニカとはしっかりと約束をしている。ケイオス草を取ってきてくれたら薬を分けてくれるらしい。
 むしろあの梁の事について謝らなければいけない。そうなるといろいろな事がバレてしまいそうである。
 早く帰って梁を直し、無かった事にしなければいけない。
「にしても、どんだけ遠いのよ……」
 小高い丘の上から、ようやく西の森の端が見え始めたのはちょうど日が傾きはじめた頃だった。

 鬱蒼と茂る青々とした木々は進むたびに本数を増して、どんどん木々から林に、そして森となっていく。
 徐々に周囲の空気が湿っていく。アカリは、体中にまとわりついてくるような重い空気を感じていた。どことなく、町中の空気よりは綺麗で、しかし重い。
 ハルモニアの言っていた障気だろうか。森の木々の中には魔樹と呼ばれている怪物じみた木々も存在する。ケイオス草が西の森にしか自生していないのは、その障気の中でしか生きる事ができないためらしい。
 植物には優しい障気だが、人間や動物が長時間この障気にさらされると正気を失うのだという。
「障気だけに正気を失うってか」
 くだらないオヤジギャグをつぶやいても、誰も笑ってはくれない。

 しばらく進むと、説明通りの草が生えた場所に出た。
 ケイオス草一番の特徴である、三叉に分かれた葉が根元から三枚。
 三叉に分かれた葉はそこからさらに三叉に分かれ、同じ模様が無限に繰り返されるフラクタル構造に近いものになっている。
 花びらは五枚あり、色は白から淡い萌葱色。臭いは特に無く、茎の辺りには産毛が逆立っている。
「これね」
 アカリは、慎重にケイオス草を抜いた。引き抜くときに悲鳴が聞こえるマンドラゴラとかでは無いため、何の苦も無くひょいひょいと四、五本抜いていく。
 このくらいでいいか、と最後の一本を引き抜いたところで、咆哮が聞こえた。
「えっ……」

 振り返ったアカリが目にしたものは、やたらめったらに枝葉を伸ばす、一本の樹だった。
 こんな所に、木は無かったはず。
 そう思っていた矢先に、木が枝を鞭のようにしならせてきた。

「ちょっ……!」
 とっさに武器を手に装備し、枝葉の一撃を何とか食い止める。
 葉が辺りに舞い広がり、視界を奪われたアカリは、逆方向から来ていた本命の一撃に気がつかなかった。
「がっ!」
 右方向からの枝葉の鞭をジャブとし、左方向から本命のストレートを放つ。
 鞭の一撃をまともに受けたアカリは、向こう側の茂みまで吹き飛ばされた。
 何とか目を見開いて魔樹を見る。ごつごつした木の幹には、うっすらと顔のようなものが浮かび上がっているように見えた。
「やばっ」
 何とか気を取り直し、ケイオス草を背中に背負ったカバンの中に入れる。
 今回の目標は魔樹を倒すことではない。ケイオス草を持ち帰ること。殴られる一方なのは気分が悪いが、あれだけ巨大な化け物を一人で相手にできるとは到底思えない。
 向こうから、小枝が折れる音と梢のざわめきに混じって、地面を擦るような音と梁が折れた時のようなみしり、みしりという音が聞こえてきた。
 目標は達成した。
 後は――

「逃げよう!」

 アカリは一目散に逃げだそうと地面を踏み込んだが、脚は地面にぴったりと吸い付いたまま、動かなかった。
 足下には、地面から生えだした木の根っこが絡みついている。まるで蛇のように蠢く根っこがアカリの脚に巻き付き、そのまま絡め取るように踵、膝下まで上がってくる。

 身動きは取れなかった。

 もがくと、根っこはアカリを締め上げてくる。
「いたっ! 離してよ!」
 持っていたナイフを突き立てようにも、何の変化もない。のこぎりのようにナイフを引いてみたが、そんなものは多勢に無勢。
 なおも少しずつ近づいてくる魔樹。梢の音が甲高い笑い声のように響いていた。

 ざわざわ。
 ざわざわ。

 梢は何かを語りかけるように少しずつ音を強め、根っこのしまりは増していく。
 蠕動する蛇のような根はいつの間にかアカリの腰あたりまで達し、ヘソ辺りで止まった。
 なおも全身を締め付けてくる根っこ。

「……助けて……」
 アカリの心の中に、恐怖心が芽生えていた。次第に近づいてくる魔樹。そして締め付けを強くする根っこ。

 この根っこが、アカリに合わせて加減していることなど、普通に考えれば分かる事だった。いくらでも締め付けを強くすることができる。この状態で締め付けを増せば、少女の肉は挽肉になり、骨は砕ける。むしろ、全身をそうしないのは、ある種の揺さぶり、もしくは遊びのようだった。
 原因はこのケイオス草だろう。魔樹は、森の植物を守るという性質がある。密猟者を見れば、こうやって仕置きをするのだろう。

 視線を上げたアカリは、迫り来る魔樹の奥に、ミイラと化した人々が居ることを見つけた。十字架に磔刑に処せられた聖職者のような格好で、心臓に根っこを突き刺されているもの、頭の部分に根っこが巻き付いたまま、力無くぶら下がっているもの、体中の穴という穴から根っこの侵入を許し、苦悶に歪んだ表情のまま、まるで中空に静止したオブジェのようにカタチ取られているもの。
「イヤ……」
 自分もああなってしまう。
 それだけは。誰か。助けて。

「――吹き下ろす風はほむらに燃える。かの者を焦がす一迅の風よ、吹き荒れよ!」

 呪式詠唱。
 アカリの耳に入った少女の声と同時に、周囲の気温が一気に上がった。途端、魔樹の咆哮が辺りに響き渡り、目の前に生えていた木々の梢が自然発火をはじめた。魔樹だけが燃え上がり、ごうごうという音をあげて炎に包まれる。
 本体が燃えているからだろうか。乾燥してしなしなになった根っこを振り払って、アカリは走り出した。ケイオス草ももちろん持っている。
「アカリさん、こっちです!」
 ハルモニアがアカリを呼び止めた。
「助けに来てくれたの……?」
「いいから早くこの森を出ましょう!」
 ごうごうと燃える魔樹を残し、二人は一目散に森の際を目指して走った。


「アカリさんごめんなさい! 魔樹避けのお守りをお渡しするのを忘れてました!」
 ハルモニアは、燃えるように赤い石を取り出してアカリに言う。
 どうやら、魔樹が居る西の森で安全に採取を行うには、この赤い石が無ければならないらしい。魔樹の森を守るという性質上、もし見つかってしまえばあそこに居た死体のような運命を辿ることになってしまうのだという。
「ケイオス草自体は珍しいものではないのですけれど、キレイナールの原料ということで昔からああやって危険を冒して森に侵入する輩が後を絶たないのです」
「つまりその輩が私だったって訳だ」
「そういうことです」
 アカリは小さく溜息をついて、ハルモニアの頭上めがけ軽くチョップを入れた。
「あてっ!」
「お返し!」
「ふぇ……」
 ハルモニアは頭をさすりながら、アカリを見る。
 じとっとした顔のアカリはまたいつものように朗らかに微笑んで、カバンの中身を見せた。
「でもま、これでいいんでしょ?」
 カバンの中身は、三叉の葉を持つケイオス草。邪魔されたこともありそれほど量は取れなかったが、これだけあれば十分足りるのだろう。
 ハルモニアはアカリに笑顔で堪えた。

「さて、帰りましょうか」
「来た道を戻るのね……」
「いえ、川を下ります」
 キョトンとした顔で言うハルモニアは、川面に生えている緑色の大蓮を指さして言った。
「下るってまさかあれで?」
 大蓮はハルモニアの家のバルコニーほどの大きさで、人間の二、三人くらいなら横になっても優に乗れそうな大きさだ。
「この辺りの大蓮は昔から移動手段に使われてたんです。森から流れてくる栄養とマナを直に受けるので、成長も早いんですよ」
 確かにこの大蓮なら、海まで出ても大丈夫そうだな、とアカリは思った。
「西の森から出たこの川はマジェント近くまで流れてますので、帰りは楽なんです」
 ハルは川面に生えている大蓮の茎を切り、その上に乗ってみせた。
 緩やかに流れる川の流れの中、少女を乗せた大蓮が川下へ向かって流れていく。
「ちょっと! 私を置いていかないでよ!」
「アカリさん、ほら! ジャンプです!」
 次第に岸から離れていくハルモニアの蓮に向かってアカリは助走を付けて飛んだ。

 ざぱん、という音がした。


 ◇


 アカリ達がマジェントの家に着いたのは、日が暮れようとしている夕方の事だった。
 帰り着くなり生乾きの服から着替え、その脚でハルモニアの待つ納屋へ向かう。
 そう言えば、納屋の事を結局謝れていなかった。
 気が重い。

「あ、アカリさん。それでは早速始めましょうか」
 医師が着る白衣にも似た純白の呪装具を羽織ったハルモニアが、アカリに語りかけた。
 手には、アカリにも読める言語で書かれたレシピの対訳が握られている。
「これにならって進めます。一通り目を通しておいてくださいね」
「う、うん……」
 ハルモニアは紙繊維を空かして作ったキメの荒い粗悪紙を手渡し、金属光沢のある机の上に材料を並べはじめた。
「これがウスロノの実。それで、これがレーカ牧草。あと、アカリさんに取ってきていただいたケイオス草の葉。この三つは最初にすり潰して使います」
 そう言ってすり鉢をアカリの手元に置いた。細長い溝と、コマのようなカタチはアカリが以前テレビで見たことのある薬研に近い。
「では早速すり潰していただけますか?」
「あ、あのねハル……」
「なんでしょう?」
 アカリは薬研を握って、天井を見上げた。
 それにつられてハルモニアも天井を見上げる。
 アカリの視線の先には折れた梁が――。
「あれ……?」
 梁が折れていなかった。
 よく見れば、皮のようなものでしっかりと継ぎ目が補修され、アカリが使ったバネ秤は別の梁に括り付けられていた。
「どうかしましたか?」
「いや……なんでもない……」
 アカリを見上げるハルモニアがくすりと笑う。
 実は梁は折れていなかったのだろうか。確かに折れた梁を見た気がするのだが。
 疑問に感じつつも、アカリは薬研を使って言われたとおりにすり潰しはじめた。

「この薬は昔から秘薬とされていました。この本だって相当昔のものなんですよ」
 確かに、美容効果の高い薬とあれば、どんな大金を払ってでも手に入れたがっただろう。ハルモニアによれば、今ではこれよりも効果の高い薬があり、今度は逆にその薬の効果を無くす魔法だとか、それを打ち消す魔法だとか、ひたすら繰り返すだけのループに陥っているそうだ。
 その発端となったのが、亡国の王子の話。
 薬の効果が切れた時、変わり果てた姿の妻を見た王子が身分を捨て世捨て人になったという伝説がまことしやかに囁かれている。
「……これくらいでいい?」
「はい、ありがとうございます。これで一月待ちましょう」
「えっ?」
 アカリが素っ頓狂な顔をしてハルモニアを見ると、口元に手を当ててころころと笑っていた。
「……すぐ出来るんじゃないの?」
 ハルモニアはアカリから薬研を取り上げると、薬研の中の材料を小瓶に移しフタをした。
 フタを布きれで包み、毛で編まれたフェルトにインクを染みこませたペン先で、キュッキュと書き加える。
 『美の霊薬、材料その一』と。
 白のローブを脱いで、アカリを見た。

「アカリさん。『美は一日にしてならず』ですよ」
「い、いや……私今すぐ痩せないと……!」
「どうしてです? どうして痩せないといけないのです?」
 梁を壊したから、とは言えない。

 アカリは、痩せないといけない理由を考える。カワイイ服を着たいだとか、水着を着た時に肉が余るのは悲しいからとかそういう事ばかり浮かぶ。
 違う、本質はそんなことじゃない。考え直せ。
「どうしてって……」

 アカリの中に、一人の男の子の姿が浮かび上がった。その青年はアカリの事を守ってくれる。
 恐らく彼ならアカリがどんな姿をしていようとも気にせずに付き合ってくれる。彼はそう言う男だ。

「ち、違う! 何であいつが出てくんのよ!」
「どうかしました?」
「あ、ううん違うのこっちの話!」
 しかし、アカリは女の子だ。
 がさつで面倒くさがりだが、かわいくありたい。綺麗でありたい。多少の努力の差はあれど、女の子はみんなそう考えているものだ。
 たとえ、意中の彼が認めてくれたとしても、それに甘えて女の子をサボりたくはない。
「アカリさん、美を求める気持ちは分かりますがご飯を抜いてはいけませんよ。ちゃんと食べて、ちゃんと運動してください」
 そう言って、ハルモニアは鞄の中から今朝作ったお弁当を取り出した。
 日持ちする保冷魔法が掛けられたシュロ竹はひんやりしており、パンの切れ込みには肉や野菜がぺろんと舌でも出すように垂れていた。
 ごくり、と唾を飲み込むアカリ。朝を抜き、結局昼も食べないままだった。挙げ句、西の森までの運動でアカリの腹や足はずっと悲鳴を上げっぱなしだったのである。
「それにアカリさんはそんなに太っているようには見えませんけれど?」
「違うの! 太ってるの! さっきだってバネ秤……っ!」
 ついうっかり口に出してしまったバネ秤の話。ハルモニアは聞き流すことも無く、別の梁に掛けたバネ秤に目をやった。
「あら、そう言えばなぜあそこに移動しているのでしょうか。バネ秤は部屋の中央につるしていたはずですけれど……」
 もうウソは突き通せない。
 アカリは覚悟を決めて、すべてを話す事にした。
 体重を計ろうとしてぶら下がったら梁が壊れて、ダイエットを決意してハルモニアに二度手間を掛けさせてしまったという内容を。
「ハル、あのね……。私、体重計ろうと思ってバネ秤にぶら下がったら……」

「あ、ゴメンそれボク達なんだ……」
 納屋の扉を開けて、ルカとランウェルが入ってくる。
 ルカは寸胴の鍋の中身を見せる。鍋の中には、赤くドロドロとした液体が湯気を上げていた。
「赤ポモドロが安くてさ。保存も利くからポモドロソースを作ろうと思ったんだけど、さすがにこれだけの量は作ったことなくて。そのバネ秤で量らせてもらったんだけど……」
「重かったんだろうな。さっき来てみたらバキッとな、梁が折れたんだ」
「だから、二人が帰ってくるまでに直しといたってこと」
「えっ……?」
 アカリが梁を折る以前に、既に二人が梁を折ってしまっていた。
 ポモドロソースという、トマトソースにも似た味のソースを作る時にバネ秤を使い、梁を折っていたらしい。
「ハル、黙っててごめんなさい」
「申し訳なかった」
 視線を下に下ろして申し訳なさそうに声のトーンを落とす二人とは対照的に、ハルモニアは特に気にしていないと言った表情を浮かべている。
「ああ。それならいいのです。この納屋は先生が建てたものなので元々建付も悪いですし。私も梁は二、三度折ってますから」
 そう言ってルカ、ランウェルと笑うハルモニアに、アカリは声も出なかった。
 と、同時にすべてが徒労に終わったような気がして無性に腹が立ってくる。
 何のためにあんな思いをしてケイオス草を取りに行ったのか。割と生命の危機に直面したのに出来る薬は一ヶ月後は後だし、計る以前に梁が壊れているし。

「ところでアカリさん、体重を量ろうとして秤にぶら下がったらどうなりましたか?」
「あっあっ……それは……」
 アカリの顔が、ポモドロソースのような真っ赤に染まった。
 意中の彼……いや、みんなが居る前でそれを口に出されてしまったら――!

「えっ? アカリそんな事したの?」
「……おいルカ、梁が折れてた犯人って」
 ハルモニカは二人のところから退いてクスクスと笑っている。
 考えるよりも早く、アカリの体は二人に向かって飛び出した。
「あ、そっか。アカリが梁を折っ――」

 左脚を軸足に、右回りの回転。両腕を振り子のように使い回転の力を加えながら、右足を上げる。
 周囲にモノが無いことをしっかり確認した上で、右足の甲が軸足を中心とした綺麗な円弧軌道を描く。円弧軌道の終着点は、脳天気にポモドロソースの鍋を置くルカの顔面。
「だっしゃあ!!」
 クリーンヒット。右足に確かな感触。
 勢いそのままに、円弧軌道を描きながら足を地面に下ろし、つま先をさらに体の内側に踏み込む。これにより生み出されたさらなる回転力を持って、今度は右脚を軸足に。腰から上を鞭のようにしならせ、鞭が伸びきったタイミングに合わせるように左足のかかとを振り上げた。
「おぶっ!!」
 左かかとがランウェルの左耳当たりを捉える感覚を味わう。
 両足を地面に付けた時には、二人の男は倒れようとしていたところだった。

「上段蹴りからの上段回し蹴り二連……。見事なマーシャルアーツ……」
 およそ三秒のテクニカルノックアウトを決めたアカリは、ハルモニアからお手製ハルサンドを受け取り、食べながら納屋を出て行った。
「ボクらが何をしたって言うんだ……」
 ハルモニアは動物の乳で煮出した茶を飲みながら、くすりと笑うのだった。

「これが、オトメの嗜みです」
評価
ポイントを選んで「評価する」ボタンを押してください。

▼この作品の書き方はどうでしたか?(文法・文章評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
▼物語(ストーリー)はどうでしたか?満足しましたか?(ストーリー評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
  ※評価するにはログインしてください。
ついったーで読了宣言!
ついったー
― 感想を書く ―
⇒感想一覧を見る
※感想を書く場合はログインしてください。
▼良い点
▼悪い点
▼一言

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項を必ずお読みください。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。