留学生スパイ事件再審、弁護士が証人と論戦

 1975年の「在日韓国人留学生スパイ団事件」で起訴され、死刑判決を受けた統合進歩党所属の政治家、康宗憲(カン・ジョンホン)元死刑囚(60)に対する再審の公判が開かれ、1982年の釜山・米国文化院放火事件で死刑判決を受け赦免された金鉉奨(キム・ヒョンジャン)元死刑囚(62)が先月の公判に続き、証人として出席した。

 金元死刑囚は、釜山・米国文化院放火事件の主犯として死刑判決を受け、80年代半ばに康元死刑囚と同じ刑務所に収監されていた。金元死刑囚は今年5月、インターネットメディアで公表した「忘れられないわが友・宗憲へ」という手紙で「康氏が北朝鮮で集中教育を受けたと話すのを聞いた」と打ち明けていた。

 同日の公判で、金元死刑囚の弁護人、沈載桓(シム・ジェファン)弁護士は、康元死刑囚に代わり、証人の金元死刑囚を攻撃した。沈弁護士は「民主社会のための弁護士会(民弁)」に所属し、統合進歩党の李正姫(イ・ジョンヒ)前代表の夫に当たる。

 沈弁護士は「証人は康元死刑囚が(自らスパイだと言ったのではなく)、検察の公訴事実について話したのを誤解したのではないか」と尋ねた。これに対し、金元死刑囚は「私が豆と麦も見分けられないというのか。私をばか扱いするのか」と反発した。

 沈弁護士は4時間にわたる証人尋問に先立ち、「気分を害するかもしれない」と「攻撃」を予告した。その後「証人は裁判所で一般受刑者とけんかが絶えなかったのではないか」「刑務所であなたのあだ名は『狂犬』だったことを知っているか」「大物受刑者として振舞わなかったか」などと金元死刑囚を刺激した。

 金元死刑囚は「とんでもない話ばかりだ」と真っ向から反論。「証人は過去に(公安当局に)社会運動団体について密告しなかったか」と問われると「そんなことはない。私を知的障害者扱いするはかりごとだ」などと声を荒げた。

 また、康元死刑囚の弁護士が「突然公開書簡を書いたのは、(今年4月の総選挙に出馬して落選した)康元死刑囚が国会議員になるかもしれないというねたみが動機ではないか」と問うと、金元死刑囚は「私も以前に2回、国会議員にならないかと誘われた。康元死刑囚は過去の思想を捨てる人間だとは思わない。現在の姿は偽装だ」と主張した。

全洙竜(チョン・スヨン)記者
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