横綱と大関とが千秋楽まで無敗で並走していて、最後の一番で優勝が決まるという希有(けう)な条件もあってのことなのだが、横綱、大関の一番に、関心が集まりすぎているような気がする。
だが、内容はどうかと考えると、少々寒気が先に来て、それこそ、先に立っているものは、ごくさまつなことからであって、相撲の本質にはあまり迫って来ない。
そのせいだろうか、せっかく、横綱、大関の真正面からの対決を前にしながら見る側の興奮が、もうひとつ盛り上がって来ない。だからこそ、東の横綱が、千秋楽を前にした14日目の土俵で、立ち合いが変化するのであろう。
この件に関しては、厳しい批判が殺到したらしい。かなり恥ずかしそうなものをかみ殺した言い訳が方々に載った。
こんなことは、方々から寄せられたしかり声を待つまでもなく、常識からしておかしいと気づいて当然のことなのに、視線は勝負の結果だけに向けられていて、大事なことは忘れられてしまっていたようだ。
それにしても、この批判の大合唱は、白鵬にはだいぶこたえたものだったらしい。千秋楽の日馬富士対決に、この横綱の良いところをほとんど見せられずに負けた。
左上手を取られたことが、直接の敗因になっているのだが、このところ、白鵬の左は、再三にわたって、問題含みなのだ。千秋楽の一番はそこを狙って行ったものと考えた方が良さそうだ。張り手を使って左上手を狙い、そこでさらに左を伸ばし、自分の有利な形につくりあげて行った。
この間白鵬は、ほとんど相手のなすままだったように思えた。大関の動きが速かったとはいえ、なに分にも白鵬の動きがいつになく鈍いものだった。
それにしても、横綱、大関の死闘をよそに置いて、他の五大関の崩れには、ただ驚かされるばかりである。
終盤戦の成績が、琴欧洲、鶴竜、稀勢の里の3勝3敗であり、琴奨菊と把瑠都の2勝4敗に関しては、どう表現したら良いかわからないほどである。 (作家)
この記事を印刷する